第71話 セルメスト魔法学院
払暁の貴族街。街路はしんとして人通りもない。朝靄たちこめる中、啼鳥だけがさかんに囀っている。とある広壮な屋敷の通用門が開いた。
「見送りはいいよ、モーリス爺」
「御決心は変わりませんので? テルミン様」
「もちろん。魔法学院受験は幼い頃からの夢だったんだ」
今日のために何年も前から密かに準備を進めてきたのだ。
「それにしてもヴィラール公爵家公子が徒で出歩くなど。今からでも馬車の準備をさせますが」
テルミンは首を振った。
「勘当された身だ。僕はもうヴィラール公爵家とは無関係だよ」
「せめて護衛騎士をお連れください。先日サルーク公爵家令嬢が襲撃された事件も記憶に新しいではありませんか。爺は心配でございます」
「これこの通り平民に変装してるから大丈夫だよ。そもそも家督争いから早々に降りた僕なんか、誰も狙わないさ。兄上たちも内心、僕の家出を歓迎してるんじゃないか」
「そのようなことは……」
家宰のモーリスが言い淀むあたり、肯綮に中っていることを如実に物語っていた。
「じゃあね、モーリス爺。今まで世話になった」
リグラト王国の王都セルメスト郊外に、リムリア大陸の最高学府たる魔法学院があった。敷地面積はリグラト王宮に匹敵する広大さで、魔法使いを志す世界中の俊英が集まる。リグラト王国の保護下にありながら治外法権を認められ、半独立国の様相を呈していた。
その院是は一言でいえば実力至上主義。所在地こそ亜人差別が根強く出自の貴賤を重んじる文化の大陸西方だが、魔法学院にあっては年齢、種族、性別、身分――これらの属性は一顧だにされない。ただ魔法の実力のみが物を言うのである。
入学試験は毎年一月に催行される。受験資格は特に問われない。王侯貴族も平民も等しく受験することができる。強いて資格を挙げれば人語を解することか。つまり大陸公用語による意思疎通さえ可能であれば、竜骨山脈の蛮族だろうがアレク大森林の猿だろうが受験は可能だった。
(貴族子弟だからって格別配慮されることもないけど、貴族階級出身者に有利な試験ではあるよなぁ)
この世界の支配層は魔法使いやその子孫である場合が多いので、平民に比べ先天的に豊富な魔力を具えている。平民にも稀に大きな魔力持ちが生まれるらしいが、先祖を辿れば魔法使いがいる可能性が高い。
そして貴族子弟は幼少より高等教育の恩恵に浴している。選考基準である基礎学力と魔力量において平民より優位に立つのは言うまでもない。
午前の筆記試験はそつなくこなした。午後からは魔法具による魔力測定だ。魔力持ちが触れると輝くオーブを使い、発光を目測で見るらしい。これだと試験監督によって齟齬が生まれるので、客観的な魔力の数値化が幾度となく試みられたというが、学閥間の意見調整が難航し、未だ基準値の策定に至っていないそうだ。
(人が群れれば派閥が出来る――魔法使い業界も例外じゃないってことか。魔力の微弱な人を撥ねる意図だろうから、要はオーブがそこそこ光ればいいんだろうな)
果たしてオーブの反応が捗々しくなかった多くの受験者が、そこらじゅうで落ち込んでいる。そんな中、かなりの輝きを引き出した受験者がいた。ざわめく試験会場。
「ほう。なかなか有望そうなのがおりますな」
「あの少女は受験番号352番、シルヴィ君。現役冒険者のようです」
テルミンの近くにいた試験監督が囁き交している。
「次。受験番号589番、テルミン君」
ヴィラール公爵家から法的に絶縁されたので、願書にも家名は記述していない。
(おっと、僕の番だ)
オーブに手を当てて魔力を込めた。冒険者少女シルヴィの時と遜色ない輝きを放つオーブ。
「おお、彼もなかなか」
「身なりは平民ぽいけど。あいつも冒険者なのかね」
テルミンの魔力測定が終わって程なく、周囲が眩い光で満たされた。隣の列から上がる感嘆の吐息。
「すごい光ったな。あの子触ったオーブ」
「綺麗な銀髪……見るからに良家のお嬢様だ」
「シャーリィ・サルークって呼ばれてたわよ」
「もしかしてサルーク公爵家か?」
「そんな大物が。今年の首席合格は彼女で決まりかねぇ」
(サルーク家の令嬢も受験してたのか)
さして親しいわけではないが、どこぞの茶会で挨拶を交わしたことがある。
(僕の事憶えてたら面倒だな。まぁ声かけられたら事情話して、実家の件口止めするか)
「受験番号811番、ウェルス・リセール君――受験番号811番、ウェルス・リセール君はおらんかね!」
「はい! います! すみません、手水に行ってたら迷子になりまして……」
黒髪の若者が慌てた様子で駆け込んできた。青年と呼ぶには幼く、少年というには大人びた風貌。方々から漏れる失笑。
「緊張してたのかね、あいつ」
「どこの田舎者だよ」
「純朴そうでいい子じゃない。あたしは好みかも」
試験監督が仏頂面で告げた。
「君が最後だ。早くオーブに触れなさい」
「はい」
ウェルスが恐る恐るオーブに手を伸ばす。指先が微かにオーブに接触した刹那、試験会場全体に直視できないほどの烈光が迸り、オーブに亀裂が走って粉々に砕け散った。
「えぇ……」
「……どうやら魔法具が壊れていたようだ。オーブを交換するので待っていなさい」
「はい」
オーブ交換後の再測定でも同様の現象が起きた。困惑顔の試験監督たちが集まり、協議を始める。
「受験番号811番、ウェルス・リセール君。別室で追試験を受けてもらうので居残るように」
(追試験って珍しいな。何者だろ彼)
テルミンは興味を惹かれ、ウェルスを観察した。さもしくじったという顔つきで頭を掻いている。
「他の者は解散となる。合格発表は明後日。正門前広場に掲示する。入学手続きは配布した手引書に従って遺漏なく執り行う事。以上」
「さすがはシャーリィ様。平民などとは格が違いますわ」
「サルーク家はそのかみ魔道師を幾人も輩出した御家柄と伺っております。やはりお血筋ですわね」
取り巻き令嬢たちが口々に追従を述べてくる。彼女たちの家はサルーク家の派閥に属するかサルーク家と誼を通じたいと考えている貴族家で、実家からシャーリィに取り入るよう、シャーリィの不興を買わぬよう言い含められているのだろう。
「そういった選民思想は、この学院では御法度ですわよ」
「シャーリィ」
伯爵令嬢マリエッタが声をかけてきた。彼女は打算づくの取り巻きたちとは違い、幼少からの気の置けない友人だ。
「試験どうだった? ま、才媛のあなたなら余裕でしょうけれど」
「まぁまぁかしら」
「ほらね」
「公爵令嬢が落第なんて体裁が悪いもの。それなりに勉強頑張ったのよ。魔法学院は選王十二公家だからって体面忖度してくれないだろうしね。家宰のバルナードには、随分受験を反対されたわ」
「わたくしも、あなたが魔法学院を志望するとは思わなかったわ。どういう心境の変化? 例の事件で、ルゼットが亡くなったことと関係あるの?」
「……ないと言えば嘘になるわね。最低限、己を守る力を身につけたい――切実にそう思ったのは事実よ」
あまり深入りして欲しくなさそうな気配を敏感に察し、話題転換するマリエッタ。
「そういえば、あちらでヴィラール公爵家の三男坊を見かけたわよ。他人の空似でなければ」
「ヴィラール公爵家? ご三男といえば、確かテルミン・ヴィラール様だったかしら」
「平民風のお召し物だったし、訳ありなのかも」
突然の閃光。悲鳴を上げて目を覆う受験生たち。
「な、なに?」
(あの人は……)
「何だ何だ、あの冴えない風体の書生は」
「冴えないって、けっこう美男子だったわよ。私はタイプだわ」
「オーブ二つも壊してたな。不正行為でもやったんじゃないか」
「試験監督たちに連行されてったな」
「気の毒に。失格かね」
派手にやらかしたウェルスの話題で盛り上がる受験生たち。シャーリィの心もまた千々に乱れていた。
(間違いない。刺客の襲撃から助けていただいたあの方だわ)
ウェルスが魔法学院の関係者であると自分なりに推測し、家宰のバルナードに調査してもらった。しかし身元が分からず、諦めかけていたのだ。在校生ではなく今年の受験生というのは盲点だった。
(あの時は有耶無耶になったけれど、お互いに魔法学院の生徒になればお話する機会もきっとあるわ。……ええと、合格するわよね、あの方。なんだか雲行きが怪しいけど)
入学試験を終え、セルメストの宿屋へ戻ったシルヴィ。さっそく待ちわびていたルファートが首尾を訊いてきた。
「どうだった?」
「試験はそこそこかな。受験生みんな上流階級ぽい人たちで気後れしたよ」
「受験料も馬鹿みたいに高額だもんな。身分は関係ないとか謳ってるけど、事実上貧乏人を足切りしてるなこれ」
「あらためて黒覆面の女の子に感謝だね」
現在、ルファートとシルヴィのパーティ資金は非常に潤沢だ。ザファルトの顎で遺棄された火蛇アイトヴァラスの素材の所有権が彼らに回ってきたためだ。あの時、通りすがりにアイトヴァラスを討伐した謎の冒険者――黒覆面少女は、素材には目もくれず魔石核だけを持ち去った。金級のメリンズパーティも分け前を辞退したので、初めて見るような高額貨幣が二人の懐に入った次第だ。
「大金持ったら持ったで落ち着かないよな。枕を高くして寝れないっつーか」
「救国の家に幾らか仕送りしよっか?」
彼らが育った孤児院『救国の家』では、大成した卒院生が後輩たちのために寄付することが偶にあった。
「合格したらしたで物入りなんじゃないか。全寮制なんだろ」
憂鬱そうなシルヴィ。
「個室は最上級生だけなんだって。貴族の子と相部屋なったらどうしよう。パシられそうでやだな」
「冒険者流に初っ端ガツンとかましてやれば? 舐められたらおしまいだぞ」
「貴族相手だとまずいでしょ」
ルファートがソファーに凭れかかる。
「けどそっか。全寮制だと頻繁には会えなくなるな」
「成績優良だと外出許可下りるみたいだよ。門限厳守らしいけど」
「俺は当分ソロ活動か野良パーティで、金策とランク上げかな。シルヴィが卒業するまで銀級くらいにはなっていたいな」
「あまり無茶しないでよ。あと綺麗な女冒険者には用心してね。美人局とか多いらしいから」
「なんだよ、信用ねえな」
「メルダリアさんに鼻の下伸ばしてたじゃない」
「あれはその、ええと――強者への純粋な憧れってやつだ。お前こそイケメンの同級生に注意しろよ。貴族のボンボンにゃ手癖の悪い奴もいるらしいからな」
シルヴィが至近距離まで顔を寄せてきた。
「な、なんだよ」
「じゃあさ、今ここで済ませちゃう?」
「済ませるって何を」
「……男女の契り的なやつ」
「な? おまっ、ななな何言ってんだよ……と、とりあえずおおお落ち着け」
シルヴィが覆いかぶさってきて、唇で唇を塞いだ。
「……」
「落ち着いた?」
「……やべえ。心臓の動悸がやべえよ」
「いつか誰かと経験するなら、あたしは、初めてはあんたがいい。あんたの初めても、あたしでありたい」
決然と言い放つシルヴィ。
「俺たちゃまだ十四歳になったばかりだ。こういうのはその、まだ早いんじゃないかな」
「前にも言ったけど、推定十四歳でしょ。変なとこで真面目ってゆーか奥手だよね、ルファートって。メルダリアさんも言ってたじゃん。冒険者が童貞じゃ舐められるから、さっさと筆おろししとけってさ」
「あの人は業界の悪弊にどっぷり浸かりすぎなんだよ!」
シルヴィが泣きそうな顔になった。
「あたしとじゃ嫌?」
「今度は泣き落としかよ。ったくどこで覚えてくるんだよ、そんな手練手管。救国の家にいた頃の純真無垢なお前はどこ行っちまったんだ」
「女は日々成長するのだよ、ルファート君。あたしだって伊達に業界の荒波に揉まれてきた訳じゃないもの」
「くそ……後悔すんなよ。苦情は受け付けねえぞ」
「後悔なんてしないもん」
かくして少年少女は初陣へ臨む。
「おはよう」
「……おはよ」
起き上がろうとして顔を顰めるシルヴィ。
「いたた……まだお腹の中に何か入ってるみたい」
「朝っぱらから生々しい事言うなよ」
気恥ずかしさと高揚感が綯い交ぜになった笑顔でしばし見つめ合う。
「あたし、頑張るよ。絶対すごい魔法使いになって戻ってくる」
「俺も。ランク上げて待ってる」
「浮気しないでよ」
「もう女房気取りかよ――あいたたた、ほっぺた抓らないで! 俺が悪かった!」




