第69話 領主館襲撃
極秘作戦計画の詳細を詰めるため、防諜設備の整った会議室に軟禁されるクッコロ。覚書がびっしり記入された地図とにらめっこしつつ、カルマリウスと膝を詰めて段取りを話し合った。
「ちゃんと覚えきれるかな……あたし暗記は苦手なんですけど」
「叡智の担い手たる魔法使いが何言ってるの。あなたも森羅万象の探究者の端くれでしょう。これくらい憶えなさいよ」
(アカシックレコードに触ったら知らないうちに魔法覚えてましたって言ったらどんな顔されるかな)
「とは言えあまり根を詰めても却って非効率か。お腹空いたし食事にする?」
「厨房に頼んできます」
立ち上がりかけたクッコロを制止するカルマリウス。
「まったく腰の軽い領主殿ね。私も人の事は言えないけど。おたくのお抱え料理人の素朴な料理もいいけど、オータムリヴァの名物料理を食べてみたいわ。街へ行きましょう」
(素朴な料理……要するに田舎料理ってことかね。まぁうちの厨房、ケット・シーの奥さんたちだし。どうしてもケット・シー族の家庭料理なっちゃうな)
今後王侯貴族の接遇が増えるようなら、宮廷料理人の雇用を検討したほうがいいのだろうか。
「名物料理もなにも出来たばっかの街ですよ。そりゃあ方々から人が来てますから、珍しい料理屋もあるかもしれませんが」
ノルトヴァール伯爵家から幾許かの扶助があるとはいえ、難民たちも生計を立ててゆかねばならず、商業ギルドには開業届が殺到している状況だという。食堂や酒場、茶屋などかなりの飲食店が出来ているらしい。
「望むところよ。料理屋巡りは私の唯一の道楽だもの」
サキュバスは恋愛の駆け引きを愉しむ種族だと耳にしたが、族長は変わり種らしい。
「んじゃ街の探訪といきますか。服は着替えてくださいよ。庶民ぽいのに」
「冒険者多いみたいだし、冒険者風の変装するわ。さて、私を唸らせる店があるかしら」
冒険者に扮して領主館の通用門を出た。周辺の空き地に大量の建築資材が積み上げられている。領主館の差配はディアーヌや彼女の母ルシアーヌに丸投げしていたが、いつしか山小屋のようだった仮設領主館は、城壁や堀を巡らす堅固な城館へと変貌を遂げつつあった。
「要塞化待ったなしですね」
「何を暢気な。皇子殿下と皇女殿下がおわすのよ。先皇陛下のこともある。再び凶刃で青い血が流れるようなことがあれば、国家の威信は地に落ちるわよ」
「この島に刺客がやってくるのは難儀しそうですけど」
「あなた、無作為に皇都の住民を転移魔法で避難させてるんでしょう? 十中八九、他国の間諜が紛れ込んでると考えた方がいいわよ」
「……そうですね。今のところ篩にかけるすべもないし」
てくてくと街中を逍遥するクッコロとカルマリウス。方々から槌音や普請に携わる職人たちの掛け声が響いてくる。
「この広い街路はいいわね。野放図な開発を抑止できるし、都市大火の際は防火帯として機能しそう」
オータムリヴァはほぼ円形の都市なので、中心から同心円状と放射状の街路を張り巡らせてある。
「ただ市街戦の場合、攻め手に有利かもよ。どの道からも中心の領主館まで一直線で、遮る物がないもの」
「あたしは文民なので、その発想はなかったです」
胡乱げにクッコロを見るカルマリウス。
「剣呑な文民がいたものね。ところで相談なんだけど」
「はい。何でしょう」
「私の領地はエスタリスの北に位置するから、おそらく最前線になる。万一の場合、ラミルターナの領民をこの島に避難させてちょうだい。周辺の住みやすそうな無人島でもいいわ」
「それくらいならお安い御用です。必要になったら声かけてください」
意匠を凝らした看板が連なる街並みを見て感心するクッコロ。
「既に繁華街ぽいのが形成されつつありますね。みなさん商魂たくましいな」
「民草は何かしら活計を立てないと食べていけないからね。彼らから租税を巻き上げて安逸に暮らす貴族とは違うのよ」
「高位貴族のあなたの口から出ると含蓄がありますね。――お、この店なんか繁盛してそうですよ」
店の外構を観察していたカルマリウスが言った。
「素人ね。表通りより路地裏にこそ隠れた名店があるのよ」
「リスナルみたいな古い街ならそうかもしれませんけど。出来たばっかのオータムリヴァで隠れた名店って……」
「つべこべ言わないの。食通の経験則を信じなさい」
果たして路地裏には何軒かの食堂が軒を連ねていたが、どの店も木の香かぐわしい新築だった。
「昼時逃したし、今の時間帯って仕込みとかしてるんじゃないですかねぇ。ほら、薪割りしてるし」
「薪火で料理するのかしら。エスタリスの炭焼き職人連れてきて、産業振興の予算付けたら?」
薪棚を見たカルマリウスがそんなことを言い出した。
「この辺りの島々森林資源豊富みたいだし、妙案かもしれませんけど。地産するだけ木炭の需要ありますかね。冬でも暖炉必要なさそうですし」
「炊事用に需要あるんじゃないの。薪火は火力に斑があって火加減難しいっていうし」
「宮廷料理人とか貴族御用達の料理人でもあるまいし、そこまで火加減に拘らなくてもいいんじゃ……」
「ちょっと! 何たる妄言。火加減こそ料理の基本中の基本でしょうに」
「すみませんね。蒙昧な小娘なもので」
「それに土地柄か木造家屋多いみたいだから、薪の多用は火災多発につながるかもよ」
「この辺りの薪材ほぼほぼ広葉樹ぽいですし、さほど心配いらないんじゃないですかね。まぁ針葉樹材より生木の含水率高いらしいから、乾燥の期間は長くなるみたいですけど」
寒冷地に生育する針葉樹は凍結から身を守るためヤニの含有量が多く、油分ゆえに燃焼温度も高いのだという。焚き付けに向くが、煙突に煤やタールが付着しやすく煙突火災なるものを誘発するらしい。
(まぁ地球の植物知識、リュストガルトの樹木に当てはまるのか知らんけど)
カルマリウスは感心した様子。
「無駄に博識ね。先皇陛下が見込んだ魔法使いなだけあるわ」
「手のひら返しましたね」
営業中の食堂に入店し、適当に注文。空いていたので料理が出てくるのは早かった。クッコロたちの他には、四人連れの冒険者風の男女が奥まったテーブルを囲んでいるだけだ。
「まぁ可もなく不可もなしってところかしら」
食通を自任するカルマリウスの評価は辛口だった。日本育ちで舌が肥えているクッコロとしても同意だ。
「肝っ玉食堂この街に誘致したら? あの辺はオークの勢力圏なるし、今のご時世おばちゃんも商売しづらいだろうから」
首を捻るクッコロ。
「はて? 肝っ玉食堂……聞いたことあるな。どこでしたっけ?」
「アレク大森林の南の宿場町ラドラスにある食堂よ。トルアという女将がやっているわ。あなた以前、陛――アル・チャン様と連れ立って来てたじゃない。居合わせた私たちと相席したでしょうが」
「あーあそこか。あの店は美味かった。料理絶品ですよね」
「あなたもあの店贔屓にしてたんじゃないの」
「冒険者の知り合いに教えてもらって、まだ二回しか行ったことないです。でもそうですね、お膝元にあるといつでも食べに行けますね」
「あなたの場合、店がどこにあろうと一足飛びでしょうが」
「そうでした」
カルマリウスが顔を寄せてきた。
「ねぇ、気付いてる? 奥の四人連れ冒険者。東方訛りがある」
「……よく分かりますね。ちゅうか耳いいんですね」
「うちの祖母や母が東方の出だったからね」
(そういやこの人、シャールランテ将軍のお孫さんだったな)
「さっきから何やら聞き捨てならない単語が飛び交ってるんだけど」
クッコロは微小で無色透明な結界玉を生成すると、四人連れ冒険者の方へ放った。
「複数の魔将の滞在を確認した。決行を見合わせるべきではないか」
「なんだ、怖気づいたのか。計画は最終段階に入ってる。もはや本国の指令でも止められん。そもそも末端の顔も名前も知らんから、繋ぎのつけようがない」
「目障りな魔将どもがいるなら逆に好都合ではないか。何人か道連れにできれば勿怪の幸いだ」
「お前たちは魔将を甘く見過ぎだ」
「慎重論もよいが、事ここに至って後戻りはできん。吉報を待とうではないか」
「さて、そろそろ時間だな。今一度確認しておく。我々はあくまでも検分役に徹する事。仮に不首尾でも手出しは控える。いいな」
「承知」
(……何このピンポイントな密談。罠?)
あまりに時宜を得たタイミングでどこぞの間者たちの謀議に遭遇したため、さしも能天気なクッコロも罠を疑った。だが悠長に思索を巡らす暇はない。虫の知らせを感じて領主館付近の結界玉に思念を同調させた。
(火事?)
資材置場から火の手が上がり、多くの人が右往左往している。クッコロは素早くカルマリウスに耳打ちした。
「領主館で何かあったみたいです。ちょっと行ってきますね。奥の連中の制圧お願いしてもいいですか」
「了解。こっちは任せなさい。両殿下の安全確保を第一にね」
叩き上げで魔将に列しただけあって、非常時の沈着な振る舞いはさすがと言うべきか。
転移門を設置してある領主執務室に転移すると、焦げ臭さに交じって濃密な血の臭いが鼻につく。廊下に出ると、ケット・シーのメイドが血塗れでそこかしこに倒れ、呻いていた。
(アーベルト! メルヴァント! 無事でいて!)
急いで子供部屋に駆け付ける。ミリーナとドリュースが抜剣し、双子たちの揺り籠を守っていた。周囲に散乱する黒装束の死体。
「不審火に乗じて屋敷に侵入されましたが、刺客はすべて撃退致しました」
ドリュースが跪いて報告してきた。
「火事の方は?」
「カルムダール様が消火と怪我人の救護に当たっております。ほどなく鎮火できるかと」
安堵の吐息。ミリーナとドリュースを労うクッコロ。
「二人ともお疲れ様。いい仕事してくれたよ。ちゅうかこの刺客たち、どこかで見た気がするな……」
クッコロは記憶を手繰り寄せた。
(リグラトの王都で、どこかの貴族令嬢襲ってた連中だよねこれ)
「死体を検めましたが、いずれの者にも蠍の紋章の刺青がございました。アサシンギルドで間違いないかと」
「アサシンギルド……なんだってまたそんな奴らがうちの島に」
「金さえ積めば、どんな暗殺も請け負う組織です。かく申すやつがれめもかつて所属しておりましたが」
ミリーナがドリュースを睨め付け、剣を突き付けた。
「クッコロ様。やはりこの男、信用できません」
「剣を引け、ミリーナ殿。両殿下の御前だぞ」
「節操なしの殺し屋が。どの面下げて忠臣ぶってるの」
「今の俺はアーベルト皇子殿下、メルヴァント皇女殿下の眷属だ」
ミリーナが殺気を迸らせる。ドリュースの双眸が危険な輝きをおびた。
「君ではまだ俺に勝てんぞ。以前やり合って骨身にしみているだろう。可惜拾った命を捨てることもあるまい」
「試してみる? 古来ケット・シーは死線を越えるたびに強くなると言われているのよ」
(どこの戦闘民族ですか。ケット・シー族って戦士の素質高いな、そういや)
一触即発の空気にクッコロが止めに入った。
「ちょ、ストップストップ。なに内輪揉めしてるの。お二人ひょっとして仲悪い?」
「以前この男に殺されかけましたからね。まだクッコロ様と出会う前の事です」
「そんな因縁あったんだ……」
ミリーナが冒険者として、ケット・シー族の同胞マースやジルと魔皇国の情報収集活動に勤しんでいた頃のこと。エスタリスのカモメ亭という場末の酒場で一服盛られ、奴隷商人ガラントに隷属の呪紋を刻まれたのだという。
「それで奴隷落ちしてたのか。なんて理不尽な」
「リムリアにおけるケット・シー族の扱いなんてそんなもんです」
その後、時のエスタリス総督グリードの意向で武神祭闘士選抜の殺し合いを強制的にさせられ、ドリュースと戦ったのだそうだ。
「首を斬られて瀕死になり、そのまま海に棄てられました。そこでクッコロ様に助けられ、命を救っていただいたんです」
「そんなこともあったね。懐かしいな。――ドリュースさんはどういう経緯で奴隷になってたの?」
「当時のやつがれはアサシンギルドに所属しており、ゴルト・リーア大公国の軍師ドルティーバと毒刃衆総隊長ヴィスロダルの依頼で動いておりました。狙うは魔皇アルヴァント陛下の首級。身の程知らずにも先皇陛下とクッコロ様に挑み奉り、敗死すべきところ命冥加にも眷属にしていただいたのです」
ミリーナが呆れている。
「よりにもよってその御二方に戦いを挑むとか……どんだけ命知らずなのよ。よく生き残ったわね、あなた」
「まったくだ。神をも恐れぬ所業だった。今は心を入れ替え、両殿下に忠誠を誓っております」
クッコロが訊いた。
「試みに問うけど、仮にあたしがアーベルトとメルヴァントの敵に回ったらどうする?」
当惑した様子のドリュース。
「あり得ぬ仮定と存じますが。万が一そのような事態に至りましたならば……敵わぬまでも、お手向いさせていただきます」
「……眷属化ってすごいな。完全に隷属の呪紋の上位互換だよねこれ」
ミリーナも頷いた。
「魂まで束縛する、とても業の深い魔法だと思います」




