第59話 カルマリウスの恋
ドレイク家の人々をオータムリヴァ島へ送った後、結界玉でカルマリウスの様子を覗いてみた。個人的には反りが合わないが、魔皇国随一の戦上手らしいのでここで失うわけにはいかない人材だろう。
(あちゃ~、オークに囲まれてますやん)
皇城の下働きらしき少女数人を背に庇い、眼光鋭く周囲のオーク兵を牽制している。既に多数の敵兵を斬り伏せた様子で、返り血を全身に浴びていた。
(後ろの女の子たち見過ごせなかったのかな)
非情な戦術家だという世上の噂を聞いていたが、案外情に脆い一面があるのだろうか。軍の統率者としては明らかな弱点だが、人間味ある人柄は好感が持てる。
(後方に弓兵集まってきてるな。遠隔の飽和攻撃でこられたら、カルマリウスさんはともかく女の子たち厳しそう。しゃあない、助太刀に行くか。でもあの人あたしの事嫌ってるしな……)
クッコロ側に含む所はないので赴援も吝かではないのだが、先方がクッコロの助勢を潔しとしないかもしれない。
(そだ、トランスリングで変装してくか。男ならオークに目ェ付けられないし一石二鳥だわ。あいつら、あたしにも見境なくやらしい目向けてくるもんね)
妖艶なサキュバスなどは、さながら飢えた狼の群れの前の子羊であろう。
(まぁあの人の場合子羊ちゅうか、獰猛な虎か獅子だろうけど)
実際、カルマリウスを遠巻きにするオーク兵たちは、赤髪の魔将の武威に飲まれかけていた。
オークの重装歩兵が盾を連ね始め、その後ろで弓兵たちが矢を番えた。いつしか辺りには靄が立ち込めている。霧のように視界を妨げるほどではなかったため、違和感を懐く者はほとんどいなかった。突如同士討ちを始めるオーク兵たち。たちどころに大混乱へ陥る。
カルマリウスが下働きの少女たちに言った。
「今のうちに避難なさい。ここから近い近衛軍庁舎に駆け込んで保護してもらうといいわ。生き残りのミノタウロス兵がいるはず」
「あ、ありがとうございます将軍様」
不意に現れた黒髪の少年が声をかけてきた。
「おや、もう片付きましたか。助勢必要ありませんでし――うわっ」
カルマリウスの斬撃を白刃取りで止める少年。
「ふぅん、私の剣を止めるか。何者?」
「ウェルス・リセールといいます。怪しい者じゃありません」
「滅茶苦茶怪しい奴にそう言われてもね」
奈辺が琴線に触れたのか謎だが、カルマリウスが笑いだし剣を鞘に納めた。
「ウェルスとやら。君、面白いわ。クッコロ・メイプル所縁の人かしら?」
「……何故そう思われます?」
「クッコロの面影があるもの。あの小娘は嫌いだけど、君の事は気に入ったわ。落ち着いたら食事でもいかが?」
(クッコロ・メイプル本人なんですけど)
ジト目でカルマリウスを見る。
「やれやれナンパですか。こんな時に不謹慎じゃありません? 今は国を挙げて喪に服す時なんじゃ」
「あら、あなたも機密情報ご存知なの。ノルトヴァール伯爵家の中枢に近いところにいるのね。クッコロの兄か弟なの?」
「秘密です」
「まぁいいわ。君の素性に興味があるからおいおい調べることにする」
(臆面もなくストーカー宣言ですか……)
「魔皇陛下は魔族を束ねた御方。魔族には魔族の追悼の流儀がある。人間のように歌舞音曲の禁止など論外だわ」
「なるほど。文化の違いですね」
「湿っぽい自粛など陛下への冒涜だわ。こんな時こそ大いに楽しむべき。そもそも人心が鬱々としてたら、国の興隆なんてありえないでしょ。まぁこれはアルヴァント陛下の受け売りなんだけれど」
(それも一つの考え方か。日本でも花火の打ち上げは鎮魂の意味があるって聞くしね)
「ウェルス君、この子たちの護衛お願いできない。すぐそこの近衛軍庁舎に連れて行ってくれればいいから」
「それより安全なオータムリヴァ島へいったん送致したいと思います。よっと」
凄惨な戦場に萎縮し肩を寄せ合っていた下働きの娘たちが、転移の魔法光に包まれ消失。予想外だったようで目を瞠るカルマリウス。
「クッコロだけじゃなくて君まで使いこなすのね、転移魔法。伝説的な魔法系統って聞いてたけれど、案外その辺りに遣い手ごろごろいるのかしら。私が邂逅したのも君で三人目だわ」
(ん? てことは、あたし以外にも存命の転移魔法使いがいるって事? カルマリウス将軍の知り合いか。誰だろ)
もしや時空術師ワールゼンの行方に関する手掛かりが得られるだろうか。
(難易度高そうだけど、この人誑し込んで情報引き出してみようかな)
幸いなことに、カルマリウスはウェルスのことが気に入ったらしい。
(いやいや、あたし如きじゃ逆に手玉に取られそうだな。この人歴戦の将軍らしいから、心理的な駆け引きもお手の物だろうし。慣れないことはするもんじゃないよね)
「将軍は外廓に駐屯中のサキュバス軍との合流を企図されておられるんですよね」
「ええ、そうよ」
ウェルスは結界玉で収集した情報をカルマリウスに伝えた。
「サキュバス軍、リスナル郊外に布陣して城門を守るリカントロープ軍と睨み合ってますよ」
「どういうこと? いえ、おそらく何らかの調略がなされたんでしょうね」
「外廓での武装解除を断念して、欺瞞命令で郊外に追っ払ったんでしょうね」
敵が戦争慣れしたサキュバス軍との衝突を回避するのは理解できる。嘆息するカルマリウス。
「情報遮断されていたにせよ、リューゼルもマルセラスも脇が甘いわ。問題点洗い出して、教範の書き換え案件ねこれは」
ウェルスは提案してみた。
「合流なら転移魔法で造作もありませんよ」
いちどきに八千人のケット・シー族を転移させた実績もあるので、その気になればサキュバス軍をオータムリヴァ島へ移動させることも可能だろう。万単位の大所帯だとさすがに何往復かする必要があるかもしれないが。あまり野放図に手の内を晒すのも如何なものかと思ったので、この件は黙っておく。しかし鋭敏な女将軍は、転移魔法の運用の可能性に思い至ったようだ。
「……開いた口が塞がらないわね。君がいれば、かの神出鬼没のアルネ元帥の軍団ともやり合えそうだわ。アルヴァント陛下がクッコロ・メイプルを厚遇したのも頷けるわね。私としてもますます君が欲しくなったわ」
カルマリウスの要望でリスナル郊外のサキュバス軍と合流。冬季に予期せぬ野営を強いられたため物資や食糧が欠乏している様子で、サキュバス軍幹部たちは対応に苦慮していた。オータムリヴァ島へ転移してはどうかと喉元まで出かかったが、サキュバス軍二万ともなると島の食糧備蓄が心許ない。
「仕掛けてきませんね、敵軍」
「我々を潰すより、皇都の完全掌握を優先する肚でしょうか」
「カルマリウス様を討ち取る好機だというのにな。戦に不慣れな連中は与し易くていい」
「事前情報から、姉上がまだ皇城に潜伏中と考えているんでしょうね。アホな奴らだわ」
口々にオーク軍を見下す幕僚たち。そんな彼女らに、辛辣に言い放つカルマリウス。
「そのアホな奴らにしてやられて、私たちは今こうしている」
誰もが押し黙った。
「まぁ勝敗は兵家の常とも言うしね。最終的に勝利すればいいのよ。で、後図をはかるためにもいったんラミルターナへ帰還したいと思う」
カルマリウスが方針を述べた。ラミルターナという都市はフォルダリア侯爵領の領都らしい。
「ラミルターナならばエスタリスにも近い。ルディート総督とも連携が取りやすいでしょう」
「問題は輜重ですね」
「経路の街や村々で徴発するしかありますまい。人心が離反しかねないから気は進まないけど、背に腹は代えられません」
おずおずと挙手するウェルス。麗人揃いのサキュバス軍幕僚たちの注目が集まった。
「ええと、補給に関しては僕の方から協力できるかもしれません」
「姉上、この者は?」
「紹介が遅れた。彼はノルトヴァール伯クッコロ・メイプルの手の者、ウェルス君だ。私が皇城から脱出するに際して手引きしてもらった」
身元に関してはなんら明言していないが、カルマリウスは確信を持っているようだ。ならばここは便乗しておくか。
「えーただ今ご紹介に与りましたウェルス・リセールです。姉クッコロ・メイプルに成り代わりまして、皆様の補給のお手伝いをさせていただきます」
さり気なくクッコロの弟アピールをしつつ、サキュバス族に恩を売る。この情勢下、馬が合わないからといって敬遠するのも得策ではない。アーベルトとメルヴァントのためにも、サキュバス族はこちら側の陣営に繋ぎ止めておく必要があるだろう。勢いでまたひとつ設定を捏造したが今更だ。
「堅物の姉上が美少年を連れ歩いてるから昨今の椿事と喜ばしく思ってたけど、なるほどクッコロ・メイプル殿の弟さんか。道理で似てるわね」
「ちょ、何言ってるのマルセラス」
カルマリウスが珍しくも赤くなって狼狽えている。
「姉は生意気そうだったけど、弟君は可愛らしいわね。よろしくねウェルス殿。私はカルマリウス閣下の副官リューゼル」
(生意気そうなクッコロさん当人なんですけど)
「姉上の初の獲物にちょっかい出さないであげて、リューゼル。ちょっといい男を見るとすぐそうやって色目を使うんだから。油断も隙もありゃしない」
「あらごめんなさい。種族の悲しき性というやつよ」
「こらそこ! 語弊がある言い方はよしなさい! 獲物って何よ。ウェルス君気を悪くしないでね。これはサキュバス風の冗談だから」
「はぁ」
サキュバス軍への補給を請け負うことになったウェルスは、彼女らの信頼を得るべく早速行動した。と言っても馬鹿正直にオータムリヴァ島の物資を供出していては、こちらが飢えてしまう。リスナルの軍需物資を備蓄した倉庫群に潜入し、片っ端から空間収納に仕舞っていった。あとは鹵獲物資をサキュバス軍に届けるだけの簡単なお仕事。こちらの懐は痛まず、敵には甚大な打撃を与える一石二鳥の作戦だ。
(横流し嫌疑で担当者の首飛ぶかもね、物理的に。気の毒だからこっちにヘイト向くよう犯行声明くらい残してやるか。あたしも甘ちゃんだな……)
リスナルや近隣の街の動静を探る偵察部隊からの報告が逐次マルセラスの元へ上がってくる。玉石混淆のそれらを取捨選択し、上申書にまとめてカルマリウスの天幕へ提出に来た。
「お休みのところ失礼します……姉上?」
クッションを抱きしめつつ寝台の上で転げまわる赤髪の美女。
「ウェルス君かわいいよウェルス君」
見てはならないものを見てしまった。本音駄々漏れの呟きまで添えて。マルセラスは咳払いをしてカルマリウスの注意を喚起した。
「マ、マルセラス……いつからそこにいたの?」
「今し方です」
「ち、違うの! これはその、寝付けなくてちょっと運動してたの!」
しどろもどろになって言い訳を捻り出す姉など滅多にお目にかかれない。
「私にならばかまいませんが、部下の前では素をさらけ出さぬようお気を付けくださいね」
(やれやれ。色気より食気の姉上にも、遅まきながら春到来か)
ウェルス・リセール――人間にしてはなかなかの魔力を具えているようだし、見目もよい。人柄も悪くなさそうだ。
(だが、奴はあの得体の知れないクッコロ・メイプルの身内だ。果たしてサキュバス族長の伴侶として相応しいのかどうか……姉上の慧眼も恋心で曇るでしょうからね、私がしっかり見極めなければ)




