第51話 西方の動静
アカシックレコード情報によると、ノルトヴァール諸島の何処かに野良ベヒモスが生息している可能性があるという。事実なら剣呑なので早めに害獣駆除したいところだ。クッコロは多数の結界玉を放って隈なく捜索したが、それらしい魔物は見つからない。
(うーん、百年前の情報みたいだし、もうここにはいないのかなぁ)
安全上の懸念がなくなるに越したことはないが、土の魔晶石探しは仕切り直しだ。
(そういや、アレク大森林にもベヒモスいるって話だったな。エルダートレントから木の魔晶石も狙えるみたいだし、ちょっくら行ってみるか)
そうと決まればまずは情報収集。アレク大森林の南にある宿場町ラドラスには冒険者ギルドの支部があり、大森林に挑む冒険者たちで賑わっているらしい。さっそく手近な結界玉を向かわせ、人気の少ない空地に転移扉を開いた。
ラドラス冒険者ギルドは支部とは名ばかりの、簡易な出張所といった佇まいだった。受付カウンターも三つほどで、冒険者たちの行列を捌いている。
(繁盛してるって聞いてたけど、こんな混雑してるとはね。受付増設すりゃいいのに)
さしあたり受付に用はない。クッコロは掲示板に張り出された依頼票をチェックして回った。
(討伐依頼にベヒモスとかエルダートレントはないなぁ。やっぱこのクラスの大物は、高ランカーの指名依頼扱いとかになるのかな)
掲示板の隅にギルド設定の討伐難易度なる一覧表が貼ってあった。
(どれどれ……ベヒモスとエルダートレント、どっちも討伐難易度レベル90以上か。物差し分からないから、いまいちピンとこないんだよね)
備考欄には、神金級ソロもしくは聖銀級三人以上パーティ推奨とある。
(神金の冒険者ってかなりレアな存在らしいし、事実上放置案件か)
あの【千手拳】ラディーグすら聖銀級止まりと聞いた。神金とはいったいどれほどの怪物たちなのか。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
掲示板とにらめっこしていたところ後ろから声をかけられた。初めて訪れたこの街に知り合いはいないはずだが。振り返ると優し気な娘が立っていた。およそ殺伐としたこの業界にはそぐわないほんわかした雰囲気だが、いでたちは冒険者のものだ。
「やっぱりあの時の覆面さん。前に大森林で助けていただいたパーティの者です。憶えてませんか?」
「えーと、確かヒーラーの……」
「ユミィです。あの時はありがとうございました」
「クッコロ・メイプルです。お元気そうで何より」
「クッコロさんもラドラス拠点にされてたんですか?」
「いえ。今日初めて来ました。情報収集がてら、掲示板覗いてたとこです」
立ち話していたところユミィのパーティメンバーが集まって来た。
「よぉ。ユミィのダチかい?」
顔を顰める女弓士アリス。
「何言ってんだボーディル。前にガレンが重傷負ってピンチの時、助けてもらったじゃないか」
「――ああ! あの時の嬢ちゃんか」
「わたしはすぐ分かったぞ。この辺じゃ珍しい装束だしな」
一緒に食事でもどうかと誘われたので、ボーディルのパーティに付いて行く。以前助けた謝礼に奢ってくれるらしい。案内されたのは場末にある一軒の食堂。『肝っ玉食堂』の看板が掲げられていた。
「ここの料理は絶品だぞ。ただ、女将のトルアおばちゃん怒らせねえよう気を付けてくれ。まぁあんたは行儀良さそうだし、大丈夫だと思うが」
「気難しい人なんですか? その女将さん」
「普段は気のいいおばちゃんなんだが、怒らすと俺たちの手にゃ負えねえ。前に酔っ払ってオイタした霊鉄級の奴がボコボコにされてたしな」
「それは恐いですね」
アリスから追加情報。
「昔は有名な二つ名持ちの冒険者だったらしいよ。嘘か本当か、若い頃は【千手拳】ともタメ張ったとか。ま、普通にしてりゃ怒られることもないさ」
ラディーグと互角ならかなりの実力者だろう。
入店して席に着くと、噂の女将トルアが注文を取りに来た。小柄で善良そうな老女だ。
「あれ、おばちゃん。新入りのウエイターもう首にしたのかい?」
「ああ。今は厨房で料理修行中だよ。これが意外と筋が良くてねぇ。物になりそうだから仕込んでる最中さ」
「へぇ。後継ぎ見つかってよかったっすね」
「おばちゃんの料理廃れさすのもったいねえもんな」
木樽ジョッキのエールが運ばれてきた。
「あ、あたしは水でお願いします」
「お、すまん。下戸だったか?」
「いやーこの後時間あれば、大森林の様子見しようかと思いまして。お酒は控えておこうかと」
「夜の大森林はやめといた方が……まぁ、あんたみたいな手練れなら大丈夫かもしれんが」
再会を祝して乾杯。改めて互いに名乗る。
「あんた訳ありみたいだったからな。恩人の詮索すんのも憚られたんで、あん時ゃ名前訊かなかったんだ」
ガレンが頭を下げる。
「クッコロさん、助けてくれてありがとう。こうして生き永らえたおかげで、みんなと一緒に銀級に昇格できたよ」
「昇格おめでとうございます」
その後は食事をしながら情報交換となった。
「美味しいですね~ここの料理」
「だろう? 安くて美味くて栄養満点。おまけにボリュームもある。駆け出し冒険者の懐にも優しいんだ」
「たまに来たいな。全メニュー制覇したくなっちゃった」
機会があればアルヴァントたちも連れてきたいものだ。
「さっきの続きだが、毎年この時期はリグラトの冒険者が大勢こっちに出張ってくるんだ」
「そういやギルドもやたら混雑してましたね。何か理由があるんですか」
「近々、セルメストの魔法学院で年に一度の学院祭ってのがあるらしい。教授や学生たちが、学院祭に合わせて研究や論文の発表をするんだと。その特需で、魔物素材が売れに売れるって訳だ」
「なるほど」
「アレク大森林でしか採取できない稀少素材もいろいろあるらしくてね。西方の大物冒険者が何人か来てるみたいよ。わたしが聞いた範囲だと、神金級の【殲滅人形】、聖銀級の【狂槍】、同じく聖銀級の【魂喰らい】の三人が、今大森林に入ってるみたい」
「なんか、どれもこれも不穏な二つ名ですねぇ。あまり関わりたくないな」
「あんたも二つ名持ちなんだろ? クッコロさん」
「まさか。あたしなんて駆け出しのペーペーですよ。ほら、冒険者証」
驚く一同。
「マジか……てっきり高ランクの有名人かと思ってたよ」
「コカトリス軽くやっつけてたから、実力的には霊鉄級以上でもおかしくないと思うんだけど。クエストあまり熟してないの?」
「そですね。最近忙しかったから、冒険者活動は開店休業中かな」
「木級の場合、一年間活動履歴ないと除名されるから気を付けてね」
(そういやミリーナちゃんもそんな事言ってたな)
「御忠告どうも。気を付けます」
「そんな感じで西方の連中が見境なく素材狩りに走ってるから、最近の大森林は獲物枯れ気味だぞ。金策目的なら、皇都の地下水路迷宮のほうが稼げると思う」
「ふむふむ。情報感謝です」
「あとこれは噂なんだが。皇都南方の港町エスタリスの沖合に群島があってな、最近魔皇国領土に編入されたらしいんだ。そこの島の一つで新しいダンジョンが発見されたらしいぞ。今冒険者ギルドが調査中なんだとさ」
クッコロは素知らぬふり。
「へぇ、そうなんですか」
「どこのギルド支部でも、今この話題で持ち切りらしいよ。抜け目ない連中は、もうその島に向かう算段たててるわ」
さすがは耳聡い冒険者と言うべきか。
(もしかして、ランタースさんあたりが観測気球的にリークしたのかな? やり手のあの人ならやりそうだけど)
散会となりボーディルたちと別れた後、早速アレク大森林に分け入ってみた。すでに夜の帳がおり、鬱蒼たる森の闇は濃い。
(前に来た時より魔物の気配が少ないな。よっと)
クッコロは跳躍して手頃な大木の枝に腰かけると、結界玉を全方位に放った。
(む。森の奥深くで何か戦ってるな)
巨大な気配同士のぶつかり合い。時折地面が揺れ、驚いた鳥や獣が逃げ惑う。遠雷のように夜空が閃き、爆音が空気を震わせた。結界玉が現場に到着し、観測開始。
(ベヒモスだ……)
犀と獅子を掛け合わせたような二本角の魔獣。先日ザファルトの顎で戦ったアイトヴァラスにも匹敵する巨体。
対峙するのは黒い包帯を全身に巻いた長身の男。得物は両手持ちの赤い大剣。
(アリスさん言ってた、西方の二つ名持ちのうちの誰かだろうなぁ)
ベヒモスのような大魔獣とタイマン張るような冒険者が、そうそういるとも思えない。
(黒包帯さん負けそうになったならともかく、今介入するのはルール違反だよねやっぱ)
見た感じ黒包帯の男が若干優勢だ。
ベヒモスの二本角に魔力が凝集し、放電を始めた。黒包帯の男に襲いかかる雷霆。見事な体捌きで躱す男。黒包帯の男の大剣から禍々しいオーラが立ちのぼり、蛇のような形状となってベヒモスに噛みつく。苦悶の咆哮。次第に生気を喪失し、やがて沈黙。
(勝負あったか。交渉したら土の魔晶石だけ売ってくれないかな……でもあの人なんか恐そうだし、関わるのやだな。帰ろっと)
青の月に戻ったクッコロは、禁書庫のライセルトを訪ねて相談した。
「斯々然々で土の魔晶石先客に持ってかれました。順調に四つ集まったからこれは楽勝かな~とか思ったんですが、そう甘くはないですね」
「急ぎなら買い集めるのもありかもね」
「そうですねぇ。海賊島オークションで一挙に三つ手に入っちゃったから、あれに味占めちゃいそうです」
「そういうことなら、セルメストの蚤の市覗いてみたら」
「セルメストといいますと、リグラトの王都でしたっけ?」
頷くライセルト。
「あの都市には三大陸の冒険者ギルドを統括する総本部と、魔法学院があるからね。いろんな魔物素材や魔道具が集まって、さかんに取引されてるよ」
ちなみに、両組織とも創始者は観星ギルドのメンバーらしい。冒険者ギルドの開祖が楽聖リカルド・セルウォード、魔法学院の開祖が混沌術師ジルタークという人物だと、ライセルトが教えてくれた。
黎明期の冒険者ギルドとリチャード・シャーウッドという謎の男の逸話については、以前アルヴァントから聞いたことがある。ということはアルヴァントの推測通り、リチャード・シャーウッドと楽聖リカルド・セルウォードは同一人物ということか。
「まぁ豆知識ね。ある意味両組織は、私たちの系譜と言えなくもない。あなたは今の当直だから、両組織を視察しておくのもいいかもね」
「視察は吝かではありませんが、何か意義があるんですか?」
「特に何も。私たちは観星ギルド――読んで字のごとく、この星を見守るのが役割だからね」
(なんだか禅問答みたいで意味不明なんですけど……あたしみたいな凡俗な人間つかまえて、結局なにやらせたいの? 観星ギルドの皆さんは)
「クッコロは既に冒険者登録してるみたいだし、冒険者ギルドへの橋頭堡は抜かりなく確保済みだね」
嘆息するクッコロ。
「あたしの個人情報筒抜けですか……まぁ隠すような情報もありませんけど」
「気を悪くしないでね。アカシックレコードの管理なんてやってると、不要な情報もいろいろ流れてくるのよ。それで魔法学院のほうだけど、いっそ入学して何年か学院生活楽しんできたら? 前途有為な人材見つかるかもしれないし」
「魔法学院に入学か。面白そうではありますが、今はエリクシルの調合が最優先ですね。エリクシルの件が片付いてから考えます」
「話がだいぶん逸れたね。エリクシルを早く作るためにも、やはり一度セルメストに行くことをお勧めするよ。運が良ければ必要な素材すべて集まるかもしれない。世界樹の葉を含めてね。それなりに出費は嵩むだろうけれど、なに、時間を買ったと考えればいいよ」
「必要素材すべて……それは魅力的ですね」
「世界樹の葉も難儀だけれど、もっと厄介なのが闇の魔晶石と混沌の魔晶石だからね」
「闇と混沌ですか。どんな魔物が持ってるんですか?」
「闇の魔石持ちならいくらでもいそうだけど、魔晶石クラスとなるとね。私が思い付く限りでは、魔大陸の冥王とリムリア大陸の魔皇かな」
(ちょっと……それってアルちゃんのこと?)
「あのエルダー――いやエンシェントヴァンパイアに進化したんだったか。彼女はあなたの友人だったね。では討伐する訳にもいかないね」
「当然です! アルちゃんの討伐なんて論外です!」
ライセルトが苦笑した。
「セルメストで売ってるといいね、闇の魔晶石」