第44話 吸血鬼の霍乱
「さて、こっちのお嬢ちゃんは獄炎に焼かれとるの。幾許かレジストできたようじゃが、その火傷には呪詛が乗る。よろしければ吾輩が治療して進ぜよう」
「……御親切にどうも」
逡巡したものの素直に好意を受けるカルマリウス。得体のしれない農夫への警戒心はあったが、戦ったところで勝てる見込みは皆無だろう。ドルティーバさえ子ども扱いで退けたのだ。
転移魔法で案内されたのは如何にも魔法使いの隠れ家的な茅屋。謎の薬草やら文物が立錐の余地もないほど散乱している。
「散らかっててすまんのぅ。美人の来客があると分かっておれば、もうちっと片付けておったんじゃが」
「いえ、お気遣いなく」
(伝説の転移魔法か……あんな複雑そうな術式を無詠唱で、いとも簡単に使いこなしてるわね)
さほど魔法分野に造詣の深くないカルマリウスだが、この農夫が理解の範疇を超える存在だということは感じ取れた。自然と言葉遣いも改まる。
「こんな可愛らしいお嬢ちゃんを傷付けるとはとんでもない奴じゃ。あの男は吾輩の盟友の元弟子での。迷惑をかけたようじゃの。すこし懲罰をくれてやったほうがよかったかのぅ」
「ドルティーバはどうなりました?」
「嫌がらせで魔大陸の僻地に跳ばしてやったわ。あの者ならば死ぬこともあるまいが、リムリア大陸に帰還するのは当分先じゃろうて」
愉快そうに哄笑する農夫。
「なかなかの懲罰になってますよ」
「粗茶じゃ。召し上がれ」
ティーカップとソーサーが宙を漂ってきて、カルマリウス前の卓上に着地。
「薬を煎じてある。飲めばじき疼痛も治まるじゃろう」
「頂戴いたします」
「毒見は必要かの?」
「無用でしょう。あなたが私を害するつもりなら造作もないはず」
ティーカップを呷ってみせるカルマリウス。
「肝の据わったお嬢ちゃんじゃ。気に入った」
「彼我戦力差を見積れないようでは、将軍失格ですからね。申し遅れましたが、私はアルヴァント魔皇国侯爵でサキュバス族長、魔将カルマリウス・フォルダリアと申します」
「これはご丁寧に。吾輩は御覧の通りの隠遁者。礼節に悖るやもしれんが、名乗りはご容赦いただけんかのぅ。吾輩の素性を知ると、余計な厄災を招き寄せんとも限らぬでな」
「……ドルティーバが、あたなの事をアルネ元帥と呼んでおりましたが。かの高名な英雄ご本人なのですか?」
首肯する農夫。
「まぁ、そう名乗っておった時期もあるのぅ。初代のミズホちゃんに頼まれた故、ゼラール帝国が危機に瀕した際は肩入れしてきたのじゃ。吾輩、美人の頼みには弱くてなぁ」
(ミズホちゃん? 建国帝ミューズの事かしら……とするとこの老人、軽く三千年以上生きてるってこと?)
農夫は回想に耽るように瞑目した。
「名を変え姿を偽り、何人かのゼラール皇帝に仕えたものじゃ。武帝カンナート、雷帝ケルセミトス三世、大帝ベルズ十五世……皆ミズホちゃんの子孫だけあって才気煥発な傑物揃いじゃった。今となってはただただ懐かしい」
真偽は確かめようもないのだが、年寄りの世迷言と等閑に付すことは出来なかった。農夫のただならぬ存在感のなせるわざか。
「ところでサキュバスのフォルダリア家と言えば、フォルドの総統家かの。こりゃあ済まん事をした」
「と申されますと?」
「吾輩はお前さんの先祖の国を滅ぼした張本人じゃからの。心中穏やかではいられまい」
「昔の事です。遺恨などありませんよ。それに、私はゼラール帝国を滅ぼしたアルヴァント陛下に仕えているのです。お互い様です」
「なるほど、こりゃあ一本取られたわい。お嬢ちゃんはシャールランテにとてもよく似ておるの。所縁のお人かね?」
「シャールランテは私の祖母に当たります」
「さてこそ。道理で瓜二つな訳じゃ」
「祖母をご存知でしたか」
「戦場で何度もやり合ったよ。史上稀に見る戦上手じゃった。吾輩が用兵で苦杯を嘗めた相手は、後にも先にもシャールランテだけじゃ。大帝にもよく揶揄されたものよ――元帥は敵将が美人ゆえ手心を加えておるとな。確かに鼻の下を伸ばしておったから反論できん」
戦史に名高い名将に手放しで称賛され、くすぐったそうなカルマリウス。
「過分の評価、祖母も草葉の陰で照れておりましょう」
「既にみまかられておったか。英霊の冥福を祈って、今宵は酒を供えよう」
農夫はしみじみと言った。
「長生きも考え物じゃな。知己がどんどん冥界へと旅立つ。寂寥を禁じ得んよ」
未だ百歳にも満たないカルマリウスには想像できなかったが、長寿には長寿なりの煩悶があるのだろう。
「それはそうと、アルヴァントは息災なようじゃの」
「私の主君の事もご存知なのですね」
「吾輩がアルネとしてゼラール宮廷に出仕しておった頃、彼女は皇宮侍女として働いておったよ。どこぞの間諜であろうと泳がせておったが、なかなかに国内を引っ搔き回してくれたのぅ。あのヴァンパイアもまた実に興味深い。大帝と比べても遜色ない帝王の器を具えておった。実際、後年己の国を興したと聞く。リュストガルトの歴史に燦然と輝く恒星の一つであろうな」
「そうでしょうとも」
主君への礼賛は、臣下として素直に誇らしい。
「ある時皇宮侍女だったアルヴァントを茶会に招いての、吾輩の養女となってゆくゆく後宮へ上がる気はないかと水を向けてみた。あわよくば鈴をつけてやろうという下心だったが、随分と警戒され出奔の契機となってしもうた。傾国とはまさにアルヴァントが冠するに相応しい言葉じゃ。あの時あの者を内に取り込んでいたら、ゼラールの歴史がどのように変遷を遂げていたものやら。夢想は尽きぬのぅ」
「それほどアルヴァント陛下に関心がおありでしたら、いっそ出廬して魔皇国に仕えてみては如何です? 古今無双の名将であられるあなたならば、我が国は諸手を挙げて歓迎するでしょう。不肖私が推挙の労をとりますが」
「それも面白そうではあるが、自称アルネの胡乱なじじいが高禄を寄越せとしゃしゃり出たところで、アルヴァントも迷惑じゃろう。やめておくよ。このまま楽隠居を満喫しつつ、下界の人間模様を観覧させてもらうわい」
「……そうですか。残念」
「それに――吾輩が所属するギルドの新鋭が、既にアルヴァントに肩入れしとるようじゃからの。後輩の邪魔をする訳にもゆくまいて」
火傷の治療が終わったところで、転移魔法により送還されることとなった。
「感謝申し上げます。あなたの介入がなければ、私はドルティーバとの戦闘で命を落としていたでしょう」
「気にすることはない。久方振りの佳人との茶会、楽しかったぞい。武運を祈る、シャールランテの孫娘よ。面白い歴史を紡いでくれ」
魔族には強者に敬意を払う文化が根付いている。魔皇国最強の武人と目されていた魔将メーベルトに御前試合で勝利したクッコロの元には、誼を通じようという貴族たちからの招待がひきもきらず押し寄せた。
ディアーヌの勧めもあり、無闇に敵を作るのも得策ではないと考えたクッコロは、有力貴族主催の晩餐会だの舞踏会だのに参加する多忙な日々を過ごしている。
「お疲れですわね、クッコロ様」
溜息ついて机に突っ伏したところを見咎められた。
「社交もこう連日連夜だとね……食傷気味ちゅうかなんちゅうか」
当初は猫を被ってにこやかに愛想を振りまいていたクッコロも、最近は仏頂面で壁の華を決め込むことが増えていた。
「やっぱあたしは生来の一般庶民だなって再確認する今日この頃だよ」
「領地開発に託けてしばらくオータムリヴァ島に下向なさいます?」
「そうしてもらえるとありがたいかな」
「かしこまりました。手配いたしますわ」
すっかり秘書のポジションに納まったディアーヌは優秀で、痒い所に手が届く仕事ぶりだった。ミリーナを補佐役に抜擢し、後進育成にも抜かりなく取り組んでいる。
「陛下の離宮とクッコロ様の領主城館の建設に着手したとランタースから報告が来ております。資材の追加発注分の輸送、お願いできますでしょうか」
「了解です。送る貨物はいつもの倉庫?」
「はい。御足労おかけします……と申しますか、転移魔法で一瞬ですわね。あまりの利便性に眩暈がしそうですわ」
「あたしが唯一貢献できそうな仕事だしね。オータムリヴァ商会の商売のネタでもあります」
「競争優位性であると同時に脆弱性でもありますわね。クッコロ様個人の転移魔法に依存するというのは。陛下が国家機密に指定するべきか、本気で悩んでおいででしたわ」
「歩く国家機密だね……機密駄々漏れになりそうですが」
「国家の物流や軍事を掌管する者、諜報機関、有力貴族に大商人……ひとしくクッコロ様の転移魔法を手中に収めたいと渇望するでしょう」
クッコロは窮屈な未来を想像し、顔を顰めた。
(そういや前世じゃ、アルネ元帥が空間収納とか転移魔法使う事実知らなかったな……ラディーグさん予想してた通り、ゼラールの機密情報指定になってたのかもね)
「んじゃ、オータムリヴァ商会の活動も制限されますかね? 仮に国家機密に指定されると」
「やりようはあると思いますが。登記上の架空商会をいくつか噛ませるとか、代貸を立てるとか」
「所謂フロント商会ってやつですかね。なんだか筋者の業界っぽいな」
「皇都商業ギルド長のロラン殿がそうした手法に精通しているはずですわ。ウェンティに調査させましょう」
「オータムリヴァ島に暫く引き籠ろうかな」
「まぁ陛下がおられる限り、クッコロ様にちょっかいを出す愚か者は現れないかと存じます」
「アルちゃんからお茶会に誘われてたの今日の午後だっけ?」
「さようですわ。正午までには皇都にお戻りくださいませ」
アルヴァントから念話が入ったのは、茶会の支度をしている時だった。
『すまぬクッコロ。今日の茶会は中止じゃ。今朝からどうも体調がすぐれぬ。また日を改めて招待するゆえ、今日は堪忍してくれ』
『ありゃ、風邪でもひいた? お大事にね』
『政務の合間に友達との茶会――妾にとっても清涼剤の如き貴重な時間だったのじゃが。本当にすまん』
宮廷服を脱ぎ始めたクッコロを見て怪訝そうな顔のディアーヌ。
「さっきアルちゃんから念話あって、お茶会中止だってさ。なんか体調不良なんだって」
「陛下が御不例とは珍しい……ヴァンパイアになられてからこの方、千五百年以上もの間風邪ひとつお召しになったことがないと聞きましたが」
「鬼の霍乱ならぬ吸血鬼の霍乱だね」
「何ですのそれ?」
「あたしの故郷の諺だよ。それにしてもアルちゃん、食あたりかねぇ」
「ありえませんわ。陛下の胃腸は殊のほか頑健で、ミスリルとオリハルコン以外は消化できると常々豪語しておられましたわ。実際、猛毒を飲んでも平然としておられますし」
「もはや人間じゃないね……つか、エンシェントヴァンパイア様だったね」
それから一週間ほどして、魔皇国政府から二つの布告がなされた。魔皇アルヴァント懐妊と、筆頭魔将メーベルト公爵に皇配の称号を付与するという内容だった。