第43話 亜空間の隠者
ハルピュイア偵察部隊が探ったという、ガイルンの谷の兵糧集積地に関する情報の数々。報告書に目を通したカルマリウスは、腕組みして瞑目。
「補給なんか眼中にない猪武者ばかりって訳でもないのね。きちんと先進的な兵站を弁えた参謀もいるんだ」
「まぁドルティーバあたりだろうけどね」
「となると、警備も厳重そうね。釣り餌でございと言わんばかりの絶妙な隙……ネズミ捕りが多そうだわ」
「罠と分かってても手ェ出したくならない?」
「それね。この膨大な物資量だもの。選りすぐりの精鋭で威力偵察してみようかしら」
思案するグルファン。
「敵さんの漁網を食い破る咬合力が期待できるなら、それもありじゃないか」
「リューゼル、人選お願い」
「かしこまりました」
末席のドリュースが発言を求めた。
「皇都の魔皇陛下より念信でございます」
テーブル上にアルヴァントの幻影が結像。幾度かぶれて安定。室内の諸将が跪く。
『会議中すまんの。ドリュースの耳目を通して話は聞かせてもらった。威力偵察ということであれば、ドリュースも同伴するがよい。この者はそこそこ手練れな上、妾の眷属化で実質不死身の戦士となっておる。肉盾や囮役として役に立とう』
「ああいう術があるのか。便利だな」
「幻術と念話を編み上げて構成していたみたい。さすがは陛下だわ」
グルファンがドリュースを見て軽口を叩いた。
「それはそうと、君の扱いがぞんざいだな。何か陛下の御不興を買ったのかい?」
「……やつがれは魔皇陛下に対し奉り、許されざる大罪を犯しております。今は罪を贖う機会をいただいていると理解しております」
「ま、死なないよう頑張ってくれ。――って、陛下が健在である限り、眷属の君は死なないんだったな」
山岳地帯の尾根筋を踏破する強行軍となるため、身体強化に秀でた者一千名が選抜された。
「側近の私が選に漏れるなんて……どういうことです、副官殿」
人選に当たったリューゼルに詰め寄るマルセラス。
「別にあなたが未熟な訳ではないわ、マルセラス。居残る軍を指揮する者が必要でしょう。それに族長と惣領が同じ戦場に出るのは、種族の危機管理として如何なものかと思うの」
魔皇国の揺籃期、ゼラール帝国と激戦を繰り広げる中で多くの兄弟姉妹がいちどきに命を落とし、子孫断絶となる家門が相次いだ。これを憂慮したアルヴァントは、兄弟姉妹が同じ作戦に従事するのを制限する法を定めている。
「もっともらしい理由でっちあげて抜け駆けする気ね、リューゼル」
「馬鹿なこと言わないで。私がそんな公私混同する訳ないでしょう」
「で、ドリュース殿はどちらのお生まれです?」
難路の行軍中もちゃっかりドリュースの横に陣取り、情報収集に勤しむリューゼル。思い切り公私混同であった。さらりとライバルを出し抜くあたりがサキュバスのサキュバスたる所以か。
「両親の生国は南方のラーヴェント大陸と聞いておりますが、やつがれは定かでありません。子供の頃は流浪の賤民として、リムリア大陸の人々に忌み嫌われておりましたので、あまりよく憶えてないのです」
過酷な半生を過ごしてきたようだ。
「我々魔族も似たようなものです。蛮族と呼ばれ人々に蔑まれてきた。アルヴァント陛下がおられねば、未だに迫害されていたことでしょう」
「魔皇陛下は素晴らしい御方ですね」
カルマリウスが注意した。
「親睦を深めるのもいいけど、そろそろ敵の哨戒圏に入るから用心してね」
「報告より警備が厳重ね。何かあったのかしら」
「上空から偵察してみましょうか?」
ハルピュイアの隊長が提案してきた。
「空も当然警戒しているでしょう。以前、貴官たちが空爆で暴れまわった効果覿面で」
作戦の手札の一枚として、五十名のハルピュイア兵を伴っている。軍務省技術本部の御用錬金術師たちが開発した木樽榴弾を投下してもらう予定だ。
「閣下。どうやら大公国の高官が視察に来ているようです」
斥候の情報を集約していたリューゼルが報告してきた。
「あれは――総参謀長ドルティーバがおりますね」
遠眼鏡で敵補給基地の様子を覗っていたドリュースが言った。
「ふぅん。敵国の重臣を見知っているの」
「作戦を決行なさいますか?」
リューゼルが判断を仰ぐ。
「……中止して速やかに撤収する。空気が不穏だわ。嫌な感じがする」
この名状しがたい予感は、戦場往来を重ねた武人の勘としか言いようがない。
ハルピュイアの隊長が唇を噛むのが見えた。魔将ロゼルの軍団は、三ヶ月前のレグリーデ要塞攻防戦で大打撃を受けたという。多くの僚友が戦死し、ロゼルも片足を失う重傷を負った。雪辱に燃えるハルピュイア兵たちは、心中期するものがあったのだろう。
「申し上げます! ハルピュイア兵たちの姿がありません。逃亡したものと思われます」
溜息をつくカルマリウス。
「突撃して玉砕するつもりでしょうね」
リューゼルが激昂した。
「愚かな……魔皇国軍人ともあろう者が、軍令の何たるかを理解できないとは。ロゼル閣下はどういう教育をされてきたのか! すぐに連れ戻せ。軍法会議にかけてやるわ」
「落ち着きなさい、リューゼル。彼らも覚悟の上の抜け駆けでしょう。……とはいえ、こちらの行動にも支障が出るのは確実ね」
「このまま推移すれば、ガイルンの谷からの離脱は困難になりましょう。身勝手な行動でカルマリウス様の御身まで危険に晒すとは。許しがたい暴挙です」
「敵の工作員に指嗾されたのかもね。ドルティーバという軍師は、この手の調略や離間策を好んで用いるらしいから」
「たちが悪いですね」
立て続けに爆音が上がり、山峡に木霊した。
「火攻めを敢行する」
カルマリウスの決断は迅速だった。
「当初の手筈通りリューゼル班は物資放火に専念。私の班は敵兵狙撃に専念する。各々遠隔攻撃に徹するよう。敵が接近してきた際はドリュースに対応してもらいたい。私の合図があり次第速やかに撤収とする」
「かしこまりました」
「以上、健闘を祈る。作戦開始」
周章狼狽するゴルト・リーアの警備兵たち。
「取り乱すな」
射線から狙撃手の位置を割り出し、反撃に転じるドルティーバ。翳した掌から魔力弾が射出され、被弾したサキュバス兵は見るも無残な肉塊と化した。
(やはり魔法使いか)
長年苦楽を共にした部下たちがなすすべなく屠られてゆく様を見て、カルマリウスは魔力で錬成した矢を番えた。射出。ほぼ一瞬でドルティーバに達した魔力矢は、結界を易々と貫き、老軍師の頬を切り裂いた。
「猪口才な」
ドルティーバが魔力槍を錬成。彼の周囲に浮く五本の禍々しい黒い槍。ドルティーバが何やら印を結ぶと、魔力槍がカルマリウス目がけて殺到。
人間離れした体術で躱すカルマリウス。が、軌道を変えて追尾してくる。振り切れないと見るや、瞬時に数百ケルディの距離を詰め、ドルティーバに肉迫。抜剣から流れるような一閃。火花が散る。透明な結界の盾に阻まれる刃。直後、後背に迫る五本の魔力槍。爆発が起こり、濛々たる土煙が一帯に立ち込めた。
「仕留めた――いや、幻術か。魔力追尾槍をも欺くとは見事なり。さすがはシャールランテの孫娘といったところか」
無傷のカルマリウスが爆心からやや離れた場所に立ち、軍服の埃を払っていた。
「貴様がドルティーバか」
「その容姿その声色、シャールランテそっくりだな。まるで生き写しだ」
「うちのおばあ様の知己であったような口振りね」
「轡を並べて戦ったこともあるぞ」
「虚言を弄さないでちょうだい。祖母が存命だったのは三百年以上昔の事。孫の私でさえ肖像画でしか祖母の面影を知らないわ。短命の人間が会えるはずないでしょうが」
「偽りではない。魔法の階梯を上るとは、寿命を超越してゆく過程でもある」
そんなことは百も承知のカルマリウス。対話は有り体に言えば時間稼ぎだった。おそらくはドルティーバも同様で、次の一手に備え魔力を練っている最中だろう。示し合わせたかのようなこの幕間は、駆け引きの産物でしかない。
「儂はかつて、そのほうの曾祖母――フォルド連邦最後の総統ラハルトーレの禄を食んでおった。フォルド連邦の支配権を巡ってサキュバス族と敵対しておったインキュバス族の粛清に尽力し、ラハルトーレ総統の信頼を得たのだ」
「インキュバス族の粛清ねぇ。子供の頃、物の本で読んだわ」
「同族嫌悪なのであろうな。インキュバス狩りは苛烈を極めた。インキュバスの血脈を根絶やしにするべく、その標的は名高き冒険者【魔爪】にまで及んだ」
サキュバスが女性のみであるように、インキュバスは男性のみが生まれる。即ち、他種族の雌と交配しないことには種の保存ができない。
「【魔爪】はインキュバスの父とケット・シーの母の血を引く混血児だったそうだ」
「……話の着地点が見えないんだけど。その一介の冒険者が、今何の関係があるというの」
ドルティーバは長い顎鬚をしごいた。
「まぁ冥途の土産に聞くがいい。【魔爪】は、ここガイルンの谷に居を構えておった部族の出身でな。彼奴をおびき寄せるため、ガイルンの谷のケット・シー族を殲滅する計画が練られた。ケット・シー族は連邦の暗部組織として使い勝手の良い者どもだったが、国家機密を知り過ぎたのだ。猫獣人どもを可愛がっておったシャールランテは、最後まで計画に反対しておったがな」
「……」
「折しもカルムリッテ平原には宿敵ゼラール帝国のアルネ元帥率いる大軍が駐屯しており、大陸東方に雪崩れ込む機を窺っておった。儂はアルネ元帥謀殺に事寄せて、ガイルンの谷に罠を仕掛けた。……不思議な縁を感じないかね。ラハルトーレ総統の命により、アルネ元帥とケット・シー族を亡き者にするため構築された罠が、三百二十年の時を経て、ラハルトーレ総統の曾孫たるそのほうを葬るべく再起動するのだ」
「私が学んだ歴史では、アルネ元帥はラハルトーレ総統の奸計から生還して、結局フォルド連邦を滅ぼしているじゃないの。その罠とやらもたかが知れるわね」
「確かに奴が時空魔法の遣い手だったことは想定外だった。だが、転移を扱えぬそのほうに逃れるすべはないぞ」
ガイルンの谷の上空に現れる巨大な魔法陣。
(空間埋設型か)
肌を刺すような危機感。即時撤退を告げる嚆矢を味方の辺りに向けて放つと、自分は逆方向に脱兎の勢いで走る。
侮っていたわけではないが、この規模の大魔法を単独で行使するとなると、アルヴァントに匹敵する術者かもしれない。カルマリウスはドルティーバの脅威度を引き上げた。
「シャールランテの孫を殺すのは忍びないが、そのほうが生きていては魔皇国攻略の邪魔となる。ここで死ぬがいい」
マルセラスは次代の族長として、自分より上手くやれるだろう。後顧の憂いはない。
(命の安売りする気はないけど、あれを凌ぐのは難しそうね。あの爺さん殺したら魔法止まるかしら?)
ドルティーバを死出の道連れに出来れば上々だ。この男はアルヴァントの覇業の障害となるような気がする。
(多少なりとも陛下に恩返ししなくちゃね)
敬愛する祖母シャールランテは、フォルド連邦滅亡後も大陸各地を転戦してゼラール帝国に抗ったものの武運拙く捕虜となる。北方サンディール監獄において処刑されるすんでのところでアルヴァントに救出され、以来アルヴァントに仕えたという。
サキュバス族は魔皇国においてかなり厚遇され、祖母も母も魔将の地位を賜った。カルマリウスが誕生した際、アルヴァントは我が事のように喜び、名付け親になったと聞く。カール・マリウスというアルヴァントの故郷の英雄に因むらしい。
(陛下、ご期待に副えず申し訳ありません)
「『獄炎招来』」
魔法陣への魔力注入が終わったようだ。ドルティーバの呪文詠唱とともに魔法が発動。魔法耐性が貧弱なゴルト・リーア兵が次々に炎に包まれ、のたうち回った。
カルマリウスの体にもまた魔法の炎が纏わりついてきた。案の定普通の火炎ではない。
「この炎は結界内の全てを焼き尽くすまで消えることはない。抗えば苦痛が長引くだけだぞ。死の安息に身を委ねるがいい」
「思いきり味方の兵士や物資も燃えてるじゃない」
「そのほうを討ち取れるなら安い出費だ。代わりはいくらでもおるからな」
「狂人め」
疾走しつつ魔力矢を錬成。必殺の気合いを込めて放つ。飛来した魔力矢をつかみ取り、握りつぶすドルティーバ。カルマリウスの全身が炎に包まれた。
「今の攻撃でだいぶ魔力を消耗したようだな。――む?」
瞬間移動のような素早さで距離を詰め、ドルティーバに組み付くカルマリウス。
「一人じゃ寂しいわ。お爺ちゃんも地獄に付き合ってよ」
「無駄な足搔きを……何だこれは! 貴様何をした?」
突如、二人の足元に現れた青白い光を放つ魔法陣。カルマリウスも戸惑っていた。
「知らないわよ。あなたの仕業でしょうが」
カルマリウスとドルティーバは絡み合ったまま、転移の燐光を残してかき消えた。
そこは畝が整然と伸びる広大な畑だった。見たこともない野菜が数種類植えられている。
「なんだ、ここは……儂を何処へ拉致した? 答えよ、カルマリウス」
「いや、私にも何が何やら……」
はからずも一時休戦となる。
魔力の揺らぎ。何者かが呆然と佇む二人の前に転移してきた。麦わら帽子に質素な野良着、三ツ又鍬を担いだ農夫のような老人。
「しくじったのぅ……ガイルンの谷の転移門が繋ぎっぱなしじゃったか。こないだの温泉旅行の時じゃな。あの酔っ払いどもめ。いい齢して戸締りひとつできんとは嘆かわしい」
「……何者だ」
誰何するドルティーバ。ふてぶてしい老魔法使いの声が些か震えていた。
「お前さん方こそ誰じゃ。人様ん家の庭先で大魔法ぶっぱなしおってからに。転移門が魔力干渉で反応したではないか」
「き、き、貴様は――アルネ元帥! 生きておったのか……」
農夫が目を凝らした。
「んん? その名を知るお前さんはどちら様じゃったかの? どこかで見たような顔じゃが」
「耄碌じじいめ……」
「ご挨拶じゃのぅ、ドルティーバ。それとも、龍神教団教皇カールベルト聖下とでも呼んだ方がよいかの」
ドルティーバの殺気が迸る。無言で放たれる黒い魔力槍。
「ご老人、危ない!」
警告を発したカルマリウスは唖然として目を見開いた。農夫が息を吹きかけて魔力槍を雲散霧消させたのだ。
「魔法の編み方が雑になったのぅ。お前さんの師匠ネイテル殿が今の体たらくを見れば嘆くぞ」
ドルティーバは瘧でも発症したかのように、ガタガタと震えだした。脂汗がとめどなく流れ、頬をつたう。
「貴方様はもしや、もしや……」
「可惜才能に恵まれながら下らぬ妄想に取りつかれおって。黙ってネイテル殿の門下で励んでおれば、いずれひとかどの魔法使いになれたであろうに。昔の誼じゃ。見逃してやる故、はよう去ね」
農夫が手をかざすと、ドルティーバは転移の光に包まれ消え失せた。