第42話 魔将カルマリウス
「未だ城門の一つも抜けんのか」
ゲルネスタ将軍の癇癪に縮み上がる将校たち。
「思いのほか敵の士気が高く、抵抗も頑強でして」
三万もの大兵力が籠るレグリーデ要塞。攻城側のゴルト・リーア大公国軍としては定石通り籠城側の飢えを目論んで、水も漏らさぬ包囲網を布いていた。
潮目が変わったのは三日前にもたらされた斥候からの急報。魔将カルマリウス率いる魔皇国の援軍三万が、想定より早くルーヤ山脈を越え、カルムリッテ平原に進出したという。そこで急遽、強攻策が採られることとなった。
「敵将ロゼルは、大公殿下が一騎打ちにて深手を負わせた。残るは魔将最弱と言われるグルファンではないか。なんたる体たらくか」
「面目次第もございません。レグリーデ要塞の防御構造が巧妙でして、工兵の不足もあり、手こずっております」
「グルファンは、兵站こそ戦の要諦などという珍説を触れ回る軍略の素人。小賢しい築城術に長けておるようだが、このような蛮将に後れを取るようでは武門の恥ぞ」
東方諸国の軍隊は伝統的に略奪や鹵獲による現地調達を好み、兵站を軽視する傾向があった。鈍重な輜重兵は迅速な軍事行動の足枷と認識する将帥も多い。
ゲルネスタ将軍は更なる大軍を投入し、大手の他搦め手からも激烈に攻め立てたが、魔皇国軍の抵抗はなお頑強であった。
「不甲斐ない奴らめ。かくなる上は、儂自ら不退転の覚悟で督戦してくれる。馬引けィ!」
ゲルネスタ将軍と側近たちが騎乗しようと帷幄の動きが慌しくなった時、総参謀長ドルティーバより早馬があった。
「本日未明、カルムリッテ平原リンザの森において、カルマリウス軍と会敵。ゲルネスタ将軍におかれては、至急カルムリッテ平原に転進し、敵の退路を扼されたし」
「くそ、サキュバスの魔女め……なんたる早さか。諜報部は何をやっていたのだ。敵の情報が上がってこんではないか」
地団駄踏んで怒鳴り散らすゲルネスタ将軍。
「転進だと? ドルティーバ様も簡単に言ってくれる。今包囲を解けばいかな戦下手のグルファンでも、カルマリウスに呼応して攻勢に出よう」
「よろしいではありませんか。城方が野戦に持ち込むというならば寧ろ好都合。取って返してグルファンの首級を挙げ、しかる後大公殿下の本軍とカルマリウス軍を挟撃するまでのこと」
耳当たりの良い進言に機嫌を直す。かつて柔軟な用兵で将軍に上り詰めたゲルネスタだが、老境にさしかかって視野狭窄に陥り、苦言を呈する部下を遠ざけるようになった。結果、彼の幕僚はほとんど太鼓持ちの追従者で占められている。
「よかろう。陣払いに取り掛かれ。城方に見せつけるよう敢えて大仰にな」
伏兵を警戒したのか、レグリーデ要塞からの追撃はなかった。
「グルファンの臆病者め。まぁよい。頼みの綱カルマリウスを門前に梟首し、降伏を勧告してやろう」
レグリーデ要塞への備えとして全軍の半数を残すよう指示するゲルネスタ将軍。新任の参謀が反対した。
「敵は奇手奇策に長けた曲者カルマリウス。大規模な幻術を用いて相手方を幻惑するという噂もあります。兵力分散は危険です。付城を破却し、全軍で行動すべきかと」
「黙れ若造! 部隊の離合集散こそ我が用兵の真髄。敢えて兵力分散を極めることで、儂は武勲を積み上げてきたのだ。差し出がましい口を叩くな」
過去の成功体験が鮮烈であればあるほど、その誘惑からは逃れがたくなる。かくしてゲルネスタ将軍は、着々と墓穴を掘り進めていった。
「霧が濃いな。斥候を密にせよ」
視界は白一色。隣に立つ参謀の顔すら判別できない。
「閣下。さすがにこの霧は異常です。敵の罠では?」
「自然現象まで敵に託けるでないわ。よしんば天候をも左右する魔法が存在するにせよ、今日日そのように強力な魔法使いなど生き残っておるまい」
参謀は何事か言いさして口を噤んだ。頑迷な上官へ反駁することに徒労感を覚えたのだ。
「申し上げます。前方にて剣戟の音」
「ただちに状況を確認せよ」
「報告。お味方と魔皇国軍が交戦中。大公殿下の本軍とカルマリウス軍と思われます」
手勢を鼓舞するゲルネスタ将軍。
「よし、後背より敵を衝く。カルマリウスの首級は我らが貰い受けるぞ。陣形再編」
濃霧の中手探りで蠢く斥候部隊。刻一刻と変化する戦場の情報が、ひっきりなしに本営へ届けられる。
「敵軍、我が軍を察知したもよう」
「魔皇国軍の戦線が崩れました。レグリーデ要塞方面へ潰走中」
「好機到来だ! 追撃戦に入る。蛮族どもを皆殺しにするぞ。者共、手柄を立てよ」
「左翼部隊が奇襲を受けております。敵の攻勢は猛烈で、死傷者多数のもよう」
舌打ちするゲルネスタ将軍。
「破れかぶれの突貫であろう。縦深防御で敵の攻勢を一旦いなせ。攻勢の臨界点にて逆撃を加え、包囲殲滅せよ」
ほどなくして新たな情報がもたらされる。
「御注進! 前衛部隊が湿地帯に誘い込まれ、敵の反転攻勢を受けております。隊形は四分五裂のありさま」
「前衛部隊より増援要請。繰り返す、前衛部隊より増援要請」
「右翼部隊及び後衛部隊と連絡途絶! 敵の伏兵により分断されました」
知らぬ間に狩る立場から狩られる立場になっていた。
(馬鹿な……どうしてこうなった)
呆然とするゲルネスタ将軍。往年の勝負勘こそ耄碌していたが、そこは歴戦の武人。すかさず立ち直り、周囲を叱咤する。
「密集隊形! 敵が来るぞ」
多数の風切り音。空に放物線を描いて降り注ぐ矢。混乱に陥る大公国軍。
(くそ、重装歩兵がおらぬ)
今回の軍事行動は機動性と隠密性を重視したため、重量物を携行する盾兵を伴っていない。
(何故このタイミングで霧が晴れるのか……)
「敵は奇手奇策に長けた曲者カルマリウス。大規模な幻術を用いて相手方を幻惑するという噂もあります――」
不意に、若い参謀の忠告が脳裏にリフレインした。
(この儂が、サキュバスの魔女の掌で踊らされていたというのか)
開けた視界の先に一つの騎影。赤髪の美しい女将軍が弓を引き絞り、こちらに狙いをつけていた。
「おのれ! おのれえ!」
矢が放たれる。正確に眉間を射抜かれ、ゲルネスタ将軍は落馬した。
副官リューゼルが騎馬を寄せてきた。
「見事な采配でした、閣下。敵は指揮命令系統を喪失、組織的な抵抗は全て制圧いたしました」
「リューゼル、残敵掃討急がせて。アルベレス大公が出張って来る前にレグリーデ要塞へ入るわよ」
側近マルセラスが言った。
「歯応えがなくて拍子抜けでした。相変わらず神懸った幻術です。これでまた、姉上の武名が轟きますね」
髪をかきあげるカルマリウス。
「詐欺師としての悪名も轟きそうだけどね」
「敵が弱すぎて欲求不満だわ。ロゼル閣下を一敗地に塗れさせたというグリフォン騎兵団と、生死の遣り取りしたいものです」
「それハルピュイア族の前で言ったらダメだからね。とりあえずレグリーデ要塞入って旅の垢落としたいわ」
「荒野の城ですからね。ふんだんに使える水があるとよいのですが……まぁ姉上の入浴は将帥特権で問題ないでしょうけれど、兵士たちはどうでしょうか」
「グルファンがいるから、その辺り抜かりないと思うけど……さすがに水が貴重な状況じゃ、美味しい食事は期待薄かしらね」
「美食家の姉上が満足いくような御馳走は、ちょっと難しいかもしれませんね」
目に見えて落胆するカルマリウス。先刻までの凛々しい司令官とはまるで別人であった。
「戦場だもの、贅沢は言わないわ。けどせめて、野戦糧食よりましな物を食べたいわね。あ~『肝っ玉食堂』のおばちゃんの料理が恋しいわ」
本陣天幕において、相も変わらずフォルド将棋に興じる二人の男。
「ゲルネスタの手には負えなかったか」
「損耗率五割を超えております。敗残兵を再編しておりますが、当面の作戦には使えますまい。カルマリウス個人の武勇もさることながら、やはり戦術級の幻術というのは厄介ですな」
「どうにか致せ、ドルティーバ。そのための参謀であろう」
「お任せを。既に手は打っております。半月以内にカルマリウスを排除して御覧に入れます」
「ほう、対策済みか……言っては何だがそのほう、将棋は下手だからな」
「これは手厳しい。だが、将棋と軍略は違います。ご安心めされよ、大公殿下」
レグリーデ要塞へ入城したカルマリウス軍。その日のうちに幕僚会議が持たれた。
「グルファン、お久しぶり。去年の新年祝賀宴以来かしらね」
「お久しぶり、カルマリウス将軍。席の暖まる暇もなくて申し訳ない。まずは緒戦の勝利おめでとう。さすがの手際だね」
「貴官こそ長期の籠城ご苦労様。陛下から慰労のお言葉を預かっているわ。陛下は貴官の働きを高く評価しておられた」
「敵が俺の事舐めてくれるからね。魔将最弱の男って感じにさ。なんにせよ援軍が無事入城できて、ひとつ肩の荷が下りたよ。幸先いいな」
「ロゼルの容態はよくないの?」
出席者中に今一人の城将の姿がない事を見て取り、カルマリウスが訊いた。
「芳しくはないね。まだ臥せっている。情勢が落ち着いたら皇都へ送還かな」
「そう。会議終わったら見舞いに行こうかしら」
「いや、今はやめといたほうがいいかな。捷報に興奮して傷に障ったらいけない」
「それもそうね。では遠慮しておくわ」
ひそかに胸をなでおろすグルファン。彼が掴んでいる水面下の事情によると、ロゼルが溺愛してやまない弟がカルマリウスにぞっこん懸想中らしい。純真な弟を誑かす性悪サキュバス許し難しという訳で、ロゼルはカルマリウスに敵愾心を燃やしているらしい。
空気の読める男グルファンは話題を巧みに逸らした。
「皇都の様子はどうだい? 何か変わったことでもある?」
「至って平和なもの――と言いたいところだけど、一つ事件があったわね」
「ああ、リカントロープ族のグリードが謀反起こしたんだっけ。連座で倅も放逐されたって聞いたけど。よりにもよってあの魔皇陛下に牙を剥くだなんて、何をとち狂っているのやら」
「奴には随分辛辣なのね。温厚なあなたにしちゃ珍しい」
「宴席であの狼オヤジにゃチクチクやられたからなぁ。何故儂ではなく貴様が魔将に選出されるんだってね。倅のセルドが魔将に昇進した時のドヤ顔ったらもう」
カルマリウスは声をひそめた。
「まぁ表向き乱心って事で処理されてるけど、誰かに操られていたって噂もあるわね」
「そりゃまたデリケートな話題だこと」
グルファンはちらりと、末席に座る褐色肌の男を見た。
「変わった事と言えばもう一つ。私が遠征の途についてから入ってきた情報だけど、新しい伯爵家が創設されたらしいわ。なんでも辺境の無人島を探検した冒険者が、その島の情報を手土産に我が国に帰順したんですって」
「へぇ。陛下は在野に埋もれた人材発掘するの御趣味だからね」
「かなり腕が立つわよ。例の事件前にセルドと御前試合やって、軽くひねってたもの」
「そんな強いなら、そのうち俺たちの同僚になるんじゃない? ちょうどセルドの席が空いたし」
茶を飲み干すグルファン。
「雑談はこの辺にして仕事を片付けようか」
「そうね。でもその前に、そちらの人を紹介して。初めて見る顔だけど」
末席の褐色肌の男をじろりと睥睨。
(この男、できるわね)
褐色肌の男は立ち上がると、恭しく拝跪した。
「お初にお目にかかります、カルマリウス将軍閣下。やつがれは魔皇陛下の下僕。名をドリュースと申します」
「あんたより一足早く到着したんだ。この男は陛下の眷属で間違いない。陛下と念話が可能なので、要は連絡員だな」
「ふぅん、メーベルト殿以外にも眷属がいたの。陛下の隠し玉ってわけね。ドリュースとやら。カルマリウスは一所懸命に仕事をしておりますと陛下に奏上してちょうだい」
無言で頭を垂れるドリュース。なかなか精悍な色男だ。サキュバスの本能に素直なリューゼルやマルセラスなどは、既にそれとなく秋波を送っているようだ。
(事実上の軍監て訳ね)
「そろそろ会議を始めよう。ハルピュイア兵による夜間偵察の結果、看過しえない情報を掴んだ」
「なかなか危ない橋渡るわね。この辺りの上空はゴルト・リーアのグリフォン騎兵が優勢なんでしょう?」
「以前ロゼル将軍が選抜して、航空偵察に特化した部隊を創ったんだよ。戦闘力は期待できないけど、隠密性はかなりのもんだよ」
その有用性をすぐに見抜くカルマリウス。
「いいな。うちの軍にも欲しいわね、その部隊」
「その偵察部隊が、敵の兵糧集積地を発見した。これを叩くことが出来れば、この戦の趨勢が決まると思うんだけど」
「なるほど。兵站の専門家らしい着眼点ね。……罠の可能性は?」
「もちろん皆無とは言えない。敵にはドルティーバのじじいがいるからね」
「さてはあなた、私が来るまでこの策温存してたわね。見事に私にお誂え向きな策じゃないの」
「まあね」
瞑目する赤髪の魔将。冷徹な戦術家の頭脳が、成算を弾き出す。
「場所はどこなの?」
「ルーヤ山脈のガイルンの谷」




