第40話 叙爵式典
魔皇国宮廷は、クッコロにも馴染み深いゼラール帝国式の典礼を踏襲していたが、建国者アルヴァントが生まれ故郷の文化を持ち込んで自分好みにアレンジしているため、いくつか初見の慣例があった。爵位を示す色マントもそのひとつだ。
「なかなか様になっておるぞ。覆面は如何する? 特例で着用を認めてもよいぞ? 妾の股肱メーベルトなども、鉄仮面を常用しておるしな」
「うるさ型の老臣衆にアヤつけられるのも厄介だけど……正直あまり面割れしたくないんだよね。着けたままでもいい?」
「よかろう。謎めいた覆面貴族というのも一興じゃ」
クッコロが新調した宮廷服を試着し姿見で確認していたところ、アルヴァントが青色のマントを肩にかけてきた。
「青は伯爵を表す。羽織っているマントで相手の爵位を判別できるから楽であろ」
「なるへそ」
上位者への挨拶の仕方や会話の作法など、ゼラールの顰に倣って事細かく設定されている。外見や些細な動作の情報収集から、既に貴族の駆け引きは始まるのだろう。
「妾が言うのもなんじゃが、繁文縟礼じゃな」
「国主がそれ言っちゃあダメなんじゃ」
「そうやって忌憚ない意見を聞くのも悪くない。なにせ妾に直言極諫できる者など、宰相ゼノンくらいしかおらんからの」
「自分とこの君主には普通気を遣うよね、そりゃ」
「そなたはあまり気を遣わぬがな。妾も気楽でよい。いよいよ我が宮廷に友達を迎え入れる時が来たのじゃな。心躍るぞ」
アルヴァントはさも愉快そうに笑った。
「ゼラール帝国の残党からこの地を奪取して都と定めた際、魔族は礼儀を弁えぬ蛮族よと散々陰口を叩かれての。妾も頭にきて、ゼラール式の典礼をそっくりそのまま模倣してやったのじゃ。あれから五十年が経ち、いちいち改定するのも煩わしくての。建国時のまま放置しておったのじゃが。まぁそなたはいずれ公爵に陞爵させる故、今は面倒事に耐えてくれ。作法に関してはディアーヌが精通しておる。参内する際は、常に彼女を側らに侍らせるがよかろう」
「アルちゃんのマントは真紅なんだね」
ローマ帝国の貴色たる貝紫や古代中国皇帝の禁色たる黄色――帝王を象徴するカラーは、地球の歴史にも散見される。クッコロは、水丘高校で学んだ世界史に思いを馳せた。
「紫の天然染料が貴重だって話は聞いたことあるけど。この辺りじゃ、赤系の染料が稀少だったりするの?」
「いや? そのようなことはないが」
「赤が王様カラーなんでしょ?」
「ああ、禁色勅許の類いか。そのような権威付けを弄さずとも、妾には臣民をまつろわす力があるからの。赤は単に妾の好みなのじゃ。赤は血の色であろ?」
「さいですか……」
「さて、妾は仕事が溜まっておる故執務室に戻る。政務をほったらかすとディアーヌの祖父が煩いのでな。後の事はディアーヌ、そのほうよきにはからえ」
「御意」
アルヴァントが侍従を引き連れて去った後。宮殿謁見の間で、叙爵式典のリハーサルに駆り出されるクッコロ。式部官のオーガの男は、厳つい外見とは裏腹に几帳面な性格らしく、砂時計片手にクッコロの歩数まで計測してあれこれ注文をつけてきた。
「閣下の動線は、常に赤絨毯の上となります。赤絨毯から逸脱されてはなりません。赤絨毯の外側は谷底とでも自己暗示なされませ」
「余計に緊張して、ナンバ歩きなっちゃいますよ」
「顎を引いて背筋を伸ばされませ。二角帽子を取り落としては非礼となります。はい、その位置で玉座に拝跪します。目測できざはしから二ケルディの距離です。陛下が閣下の肩に王笏を当て宣旨を下されますので、顔を伏せたままお聞きください」
「段取り憶えられるかな……」
「掌に密かに覚書を記される方もいらっしゃいます」
「ふむ、ミリーナちゃんにカンペでも持っててもらおうかな。ちゅうか、ミリーナちゃん式典会場に入れていいのかな」
ミリーナに目配せしてみたが、格調高い侍女の支給服を着せられ、壮麗な宮殿に気圧されたように萎縮していて、アイコンタクトどころではなかったもよう。
「残念ながら、陪臣の方の列席は許可されません」
「いっそのことミリーナちゃんがノルトヴァール伯になるとか……あたしは執事的な感じで」
ディアーヌが間髪入れず言った。
「却下ですわ。代わりと申してはなんですが、わたくしがクッコロ様の麾下にいるうちに、ミリーナ殿を一人前の代官として教育させていただきますわ」
「ん? ということは、ディアーヌさんうちにずっと勤める訳じゃないんだ」
ディアーヌはアルヴァントが好意で派遣してくれた人材だが、有力貴族の姫らしいので、オータムリヴァ島のような辺鄙な離島にずっと縛り付けておく訳にもいかないのだろう。
「そっか。ちょっと残念」
ディアーヌは微笑んで答えない。強大な竜種リントヴルムが人化しているらしいが、何故かとても儚げに見えた。
式典の流れを確認し、予行演習を何度も繰り返しているうちに宵の口となった。アルヴァントの使いが来て晩餐に誘われる。会場に案内される途中、警備兵の一団とすれ違った。壁際に寄って敬礼する兵士たちの中に、明確な敵意を以ってクッコロを睨み付ける者が数名いた。ディアーヌやミリーナが気付いて、さりげなく視界を遮断する位置に移動。
警備兵たちの姿が見えなくなったところで、ディアーヌが柳眉を逆立てた。
「今の無礼な兵士たち、リカントロープ族ですわね」
「あーなるほど。あたしに含むところありそうだね」
(いちおう結界玉で探り入れとくか……)
「感情を抑えろ、セリナ。得体のしれぬ外様とはいえ、あの覆面娘は陛下のお気に入りだ。不興を買えばセルドの二の舞いになるぞ」
激情をなんとか捻じ伏せ、肩で息をするリカントロープ族の若い女兵士。食いしばった口の端から血が零れた。
「あの人間のせいで、父上と兄上が……」
セリナは処刑された前エスタリス総督グリードの遺児で、元魔将セルドの妹だった。亡父と懇意にしていた魔将ガルシアから聞いたところによると、あの冒険者上がりの似非貴族は、言葉巧みに魔皇へ取り入り、讒言をもって兄セルドの信用を失墜せしめたという。ひいては、それを苦に精神を病んだ父グリードの乱心を誘発したのだ。
「コルヴィス叔父上は口惜しくないのですか? 私の家だけの問題ではありません。リカントロープ族全体が逆賊の一族郎党という烙印を押され、白眼視されているのです。英雄ラジール以来、魔皇軍の中核を担ってきたのは、我々リカントロープ族だというのに! 誇り高きラジールの末裔たる我々が、今や宮殿の警備兵ですよ。嘆かわしい」
人間の兵士であれば、安全で快適な後方任務は諸手を挙げて喜ぶところであろうが、一部の武断的な魔族の価値観では、不名誉な閑職であった。彼らが武人に相応しい働き場所と考えるのは、血腥い最前線だ。
「譜代の我等を日陰に追いやり、あのような胡散臭い人間を重用するなど――」
「それ以上はよせ!」
徐々にヒートアップする舌鋒の矛先が、やんごとなき辺りに向かったところで、慌ててセリナの口を塞ぐコルヴィス。
「あまりあの娘を侮らないほうがいいぞ。セルドと立ち会って圧倒したのだからな」
セリナは鼻に皴を寄せた。
「驍勇並ぶ者なき兄上が、脆弱な人間如きに後れを取るとは思えません。何か卑怯な手を使ったのではありませんか?」
「儂もあの場に居合わせたが、あの娘の実力は本物だ。セルドと立ち会った際も、本気を出していないのではないかな」
「そんな……」
「とにかく尋常な魔力ではなかった。間近で対峙したセルド自身が、彼我の実力差をいちばん痛感しているのではないか。あの強大な魔力は、人間風情が纏えるものではない。つまり、あの娘は人間などではない。これは儂の推測だが、名のある魔族が人間に擬態しているのではあるまいか」
「それはどういうことでしょうか。――もしや陛下のお命を狙う刺客?」
「セリナ、声が大きい」
コルヴィスは周囲を警戒し、いちだんと声をひそめた。
「人間への擬態に秀でた魔族と言えば、リントヴルム族やサキュバス族だ。儂は、あの娘がゼノン宰相かカルマリウス将軍の手の者ではないかと考えておる」
「ゼノン宰相かカルマリウス将軍、ですか」
意外な大物の名が挙がり、戸惑うセリナ。
「つまり、父上や兄上を陥れた陰謀の黒幕は……」
「濡れ衣とも言い切れまい。宰相閣下とカルマリウス将軍――両者とも、グリードの兄者やガルシア将軍と折り合いが悪い事で有名だからな」
はっとした様子のセリナ。
「覆面娘の側仕えの令嬢……どこかで見た顔だと気に掛かっていたのですが、あれは確か宰相閣下の一門の姫君のはず」
「まことか?」
「私の皇立修学院の同期です。間違いありません。もっとも彼女は病弱で講義も欠席がちだったので、交流はほとんどありませんが」
「ふうむ、宰相派閥が肩入れしておるのだろうか……いずれにせよ、覆面娘の動向には注意を払わねばならん。この件は儂が与ろう。お前は引き続き、セルドの行方について情報収集に当たれ。くれぐれも表沙汰にならぬようにな」
「心得ております」
(あたしが魔族って、憶測でテキトーな事言ってんな……ちゅうか、ふつう勘気蒙って追放されたら接触控えるよね、臣下的には。リカントロープ族には気を付けとこ)
リムリア歴代王朝は慣習的に、族誅をもって反逆者への報復としてきた。この点、アルヴァントはきわめて寛容な君主と言える。教条的には九族根絶やしにすべきところ、グリードの処刑と惣領セルドの放逐にとどめ、他のリカントロープ族に累が及ぶのを避けているのだ。アルヴァント自身が強者であるため、害意への感度がやや鈍いのかもしれない。
しかし、こうしたアルヴァントの姿勢が、リカントロープ族の増長を惹起してきたことは否めなかった。
式典の前触れの鐘が響き渡り、在京諸侯の馬車列が陸続と皇城の門を通過する。その様を宮殿の窓から眺め、念話でアルヴァントに愚痴るクッコロ。
『もっとこぢんまりした式でよかったのに。こんな大きな催事にしなくても……』
『仕方あるまい。そなたのお披露目じゃからの。いい加減腹を括れ。式次第と作法は暗記したのか?』
『いちおう。もし間違ったら、アルちゃん念話で教えて』
『やれやれ、世話の焼ける奴じゃ』
言葉とは裏腹に、アルヴァントの念は弾んでいた。
式典は粛々と進行し、クッコロが登場する段となった。
「気が重いなぁ。ミリーナちゃん代わって……」
「クッコロ様……案外往生際悪いんですね。数分で済むみたいですから、頑張ってください」
控室でミリーナに激励され、重い足取りで謁見の間へと進む。二名の儀仗兵が重厚な扉を開け放ち、クッコロを招じ入れた。玉座へと続く赤絨毯の上をぎこちなく歩いていく。
(そういや前世の近衛騎士叙勲もこんな感じだったっけ)
奇しくも、場所もこの辺りのはずだ。尤もかつてのゼラール宮殿は、戦火に焼け落ち灰燼に帰したと聞く。現在の宮殿は、五十年前アルヴァントが竜骨山脈からこの地に遷都した際、新たに造営したものらしい。
(まさに運命の流転って感じ……おっと、感傷にひたってる場合じゃないな)
赤絨毯の左右に綺羅星のごとく居並ぶ魔皇国の重臣や貴族たち。無関心六割、興味深そうなのが二割、非友好的なのが二割といったところ。
「まだ年端のいかぬ小娘ではないか。どうやって陛下に取り入ったのだ」
「陛下も御酔狂な。あのような怪しげな人間を登用するなど」
「身元は確かなのか? 敵国の間者ではあるまいな」
そこかしこで囁き交される無遠慮な品定め。こうした声もひたすら懐かしい。
(前世で近衛騎士になったばかりの頃も、こんな感じで叩かれたよね。下賤な戦災孤児の成り上がりめとか、女だてらに生意気だとか。懐かしいなぁ)
きざはしの前までやってきたクッコロは、手順通りアルヴァントに向けて跪く。
「クッコロ・メイプルよ。ノルトヴァール諸島を平定して我が王朝に帰順した功績、甚だ顕著である。よって汝を伯爵に叙し、ノルトヴァール諸島へ封じるものとする。今後は国家の藩翰として、尚一層の忠勤に励むがよい」
「恐悦至極に存じ奉ります、魔皇陛下」
これにて叙爵式典におけるお仕事は完遂である。クッコロはほっと息をついた。アルヴァントがやや芝居がかった様子で言った。
「さて、早速だがノルトヴァール伯。そなたは見かけによらず、なかなかの剛の者と聞き及ぶ。その武威の一端、皆に披露することを所望いたす」
「お望みとあらば」
「心意気やよし。魔将メーベルト、これへ」
「は!」
臣下の列から進み出て、クッコロの横に並び跪くメーベルト。
「ノルトヴァール伯も知っての通り、この者は妾の麾下随一のつわもの。そなたの宮廷デビューを飾るに相応しい相手と申せよう。両名に命ず。本日午後より、練兵場特設アリーナにおいて試合せよ」
満場の貴族たちがどよめく。
「メーベルト殿と試合だと? これではまるで公開処刑ではないか」
「ほほほ、叙爵早々お気の毒だこと」
「もしや陛下におかせられては、端からこれが狙いだったのでは?」
「新領土を接収し、あの胡乱な人間を合法的に誅戮するために、一芝居打ったという訳か」
「さすがはアルヴァント陛下。深慮遠謀、我等の及ぶところではありませんな」
クッコロは念話でアルヴァントに苦情を言った。
『臣下の皆さん、言いたい放題なんですけど……あたし完全に悪役だよねコレ』
『なに、言わせておけ。そなたの試合を見れば、皆おのずと黙る』




