第37話 ある新人冒険者の門出
ここは皇都リスナル下町にある孤児院『救国の家』の、薄暗い玄関ホール。長椅子に腰かけて一幅の絵画を見上げる少年が一人。溜息をついたところで後頭部を小突かれた。
「ルファート、なに黄昏てんの。また院長先生と揉めた?」
「シルヴィか。冒険者なるっつったら反対されて叱られた」
「しょうがないよ。一昨年あんなことあったばかりだし」
十五歳の成人にともなって勇躍冒険者の道に進んだ卒院生たちが、クエスト中の事故で一人残らず横死したのだ。
「夢見てないで堅気な奉公先にしろってさ。夢くらい見たっていいじゃんかよ」
今のご時世、有名冒険者の立身出世物語に触発されて冒険者ギルドの門を叩く孤児や食い詰め浪人は多いという。大成する者は稀であったが。
「院長先生は、孤児は冒険者に向いてないって考えてるみたい。栄養失調気味で育つ子多いから体力面で不利だし、日々の生計立てるのに精一杯で、冒険者に必要な技能磨く余裕もないし。まぁ一理あるよね」
「けどなぁ」
ルファート少年は、玄関ホールに掲げられた絵画を再度見上げた。その昔、この孤児院から巣立って伝説的な英雄になったという救国騎士クッコロ・ネイテールの肖像画だ。
「かの救国騎士も戦災孤児だったっていうじゃないか。なのに剣と魔法の才能に恵まれてるなんて、世の中不公平だよなぁ」
「実は高貴な血筋の御落胤って説もあるらしいけどね。つうか、御伽噺の英雄を引き合いに出してもね」
「お前はいいよな。魔力持ちなんだろ?」
シルヴィが近所のクリーガー魔道具店でアルバイトしていた時、たまたま魔力測定具に触れて判明したらしい。あの偏屈なドワーフ老店主が、珍しく関心を示したそうだ。
「市井に埋没させるには惜しい素質を持っとるのう。嬢ちゃんにその気があるなら、セルメストの魔法学院へ紹介状を書いてやるぞよ。あそこの学院長とは古い付き合いじゃからの」
(救国騎士じゃないけど、こいつも貴族とかの血引いてるのかもな。魔力持ちってのもそうだけど、見てくれいいしな……)
身なりこそ質素だったが、下町の浮浪児たちと一線を画す整った顔立ち。ルファートは顔を赤らめて、少女から目を逸らした。
「成人したら行くのか? その、魔道具屋の爺さん言ってたなんとか魔法学院へ」
「行かないよ。行くわけないじゃん」
「勿体ないな。魔法使いになったら仕官の口だって選り取り見取りだぞ。冒険者になったとしても、あっちこっちのパーティから引っ張りだこ間違いなしだろ」
「あのねぇ、紹介状もらったって、学費免除にはならないでしょ。入学試験だってあるだろうし。貧乏人のあたしらには土台無理なのよ」
「せっかく魔力持ちなのになぁ」
「独学で魔操手なる人もいるらしいよ。まぁ、バカ高い魔操書買わなきゃいけないみたいだけど」
「いずれにせよ、魔法使いになるのは金次第ってことか。世知辛いんだな」
「運よく気紛れな魔法使いに弟子入りできれば、タダで指導してもらえることもあるらしいわ。ま、あたしは魔法使いなんて目指してないんだけどね」
「どこかいい奉公先でも口利きしてもらったのか?」
首を振るシルヴィ。
「あたしも冒険者になるよ。直情径行なあんた一人じゃ危なっかしいし。同い年の誼で付き合ったげる」
「え? ええ? いいのか? そんな安易に将来の事決めて」
「あんたに言われたくないわ。んじゃ善は急げで、さっそく明日にでも冒険者登録に行く?」
「どっちが直情径行なんだか……だいたいギルドの登録は成人してないと受け付けてもらえないだろ。俺たちゃまだ十三歳だ」
「推定十三歳でしょ。実は十五歳で、とっくに成人かもしれないよ? 富裕層と違ってあたしら戸籍なんてないんだから、少しくらいサバ読んだって分かりゃしないわよ。ギルドだって申請者の自己申告事務的に処理するだけで、いちいちつっこんでこないみたいだよ。向こうも人手不足で忙しいだろうし」
「案外いい加減なんだな……」
「大きい組織ほど内実は杜撰だっていうしね。それよか入会金の準備は大丈夫? 確か一人リムリア小金貨一枚って聞いたけど。まかり間違って実技試験とか、軽く死ねるわ」
「それに関しちゃ抜かりない。この日に備えてコツコツ貯めてきたからな」
あくる日、ルファートとシルヴィは正式に冒険者となった。年齢詐称を不審がられることもなく、身構えていた二人が拍子抜けするほど登録は円滑に進んだ。
「あたしら文字の読み書きできることも大きかったんじゃないかな」
救国の家は十二柱教団の傘下にあるため、孤児たちへの教育に熱心だった。孤児たちに十二柱神殿の教義を刷り込むためという裏事情もあるにせよ、歴代院長は良心的な人物が多かったので、孤児の将来的な自立を慮ってのことだった。
おしなべて識字率が低い世界にあって読み書き算術ができる孤児たちは、知らず知らずおおきなアドバンテージを手にしていたと言える。
「冒険者証も手に入れたし、これでいつでも旅に出れるな」
「やっぱり家出するの? あと一年ちょい我慢して、円満に卒院してから冒険者稼業始めたら?」
「それじゃあ遅い。俺は今すぐにでも冒険者活動を始めて、経験を積みたいんだ」
大人になりかけている子供が陥りやすい謎の焦燥感に衝き動かされるまま、二人は出奔することにした。
「アレク大森林の南にラドラスって町があって、ギルドの支部もあるらしい。そこを目指そう」
「最初はリスナル拠点にした方いいんじゃない? ラドラスは大森林の近くだから、銀級くらいなってからじゃないときついような」
「そうなんだけどさ、リスナルには居づらいしな、やっぱ」
「そだね……」
これまで愛情をもって養育してくれた院長のヘルミナ。後ろ足で砂をかけて去るような真似には、さすがに忸怩たる思いがあった。
決行の日の早暁。ルファートとシルヴィは金貨満杯の革袋と置き手紙をテーブル上に見つけ、涙した。
「院長先生は全部お見通しか……」
ヘルミナの手紙には、食事を疎かにするなだの水あたりに注意しろだの睡眠を十分に取れだのといった諸注意が、懇々と綴られていた。随所に推敲の跡が散見される。きっと長い時間をかけ、文面を吟味しながら書き上げたのだろう。
「おふくろかよ……」
「まぁ、あたしらにとっちゃお母さんみたいなもんだよね、院長先生」
流行り病で亡くなった前任の院長を祖母とすれば、ヘルミナは二人にとって母のような存在であった。
「餞別けっこうあるね……やり繰りたいへんそうなのに大丈夫なのかな、こんな奮発して」
「二月くらい前、覆面の女冒険者が来てただろ。俺たちよりすこし年上くらいの。そいつがけっこう大口の寄付くれたらしいぜ」
「へぇ、そんな若いのに金回りいいんだ。冒険者業界ってやっぱ景気いいんだね。あたしも稼げるようなったら、古巣に寄付しよっと」
涙を拭った二人は想いを断ち切るように踵を返し、長年住み慣れた孤児院を後にした。
「まずは武器屋かな。冒険者つったら、やっぱ剣だよな」
「あんた剣術素人じゃない」
ルファートはむくれた。
「これから玄人になるの! ギルド横の酒場でくだ巻いてたおっさん冒険者が、御高説垂れてたぞ。武器に投資を惜しむなってさ」
「生兵法は大怪我の基じゃないの。まぁ護身用とか採取用にナイフくらいは持つとして、メイン武器は飛び道具にしといたら?」
「武器屋見てから決める」
そんな訳で、二人は冒険者ギルド近くの武具屋街を見て回った。
「剣って高いんだな……」
陳列棚に並ぶ剣は、どれもこれも手の届く値段ではなかった。隅の木箱へ十把一絡げに放り込まれた剣を見付け、手に取る。
「そういうのは訳あり品じゃないの。死体から剥ぎ取ったとか、見習い職人が練習で鍛えたとか」
「なまくらじゃなきゃいいんじゃないか。お、これなんかよさそう」
「店の人に訊いた方いいと思うけど」
ルファートは首を振った。
「今の俺たちの外見じゃ、舐められて変なの掴まされるか、足元見られてふっかけられるのがオチだろ。せめて自分の目で選んだほうがいい」
「そんなもんなのかな」
吟味して選んだナイフとブロードソードを勘定台に置く。
「おっちゃん、これ売ってくれ」
店主は胡乱な目で二人を見た。
「お使いか、坊主。金は持ってるんだろうな?」
「あたぼうよ」
ルファートはドヤ顔で革袋を出した。シルヴィが幾分慌てて周囲を気にしている。
「ほう。なかなかの大枚じゃねえか。出処は訊かんが、厄介事は御免こうむるぞ」
「心配いらねえよ、真っ当な金だ。こう見えても俺たちゃ冒険者なんだ。ほら、冒険者証」
ルファートの冒険者証を矯めつ眇めつする店主。
「ふむ、偽造品じゃねえな。こりゃ失礼した」
冒険者ギルドの金看板は効果覿面だ。みすぼらしい少年少女二人組といえども、これさえ所持していれば一端の客として遇されるのだから。
買い物を終え武器屋を出ると、シルヴィがルファートの手を引いて雑踏の中を駆けだした。
「ちょ、おい! いきなりどうしたんだよ」
「馬鹿、早くここ離れるよ。不用心に大金見せびらかさないでよ。店にいた人相悪い男たち、こっちの方じっと見てたよ」
「マジか」
「案の定尾行されてるみたい」
「お前勘いいな。狩人の素質あるんじゃね?」
「下町の方で撒こ。あの辺なら地の利はあたしたちにある」
下町の廃屋に隠れ潜み、追跡者をやり過ごすルファートとシルヴィ。
「初っ端からトラブルてんこ盛りだね」
「武器屋にいた奴らも冒険者だろ。盗賊じゃあるまいし、こんな街中で追い剥ぎみたいな真似していいのかよ」
「生き馬の目を抜く業界だからね。こいつはカモだって目ェ付けたら骨までしゃぶろうとするロクデナシは、いっぱいいると思うよ」
ルファートは嘆息した。
「子供の純朴な夢を、いきなり木っ端微塵にしてくれるな。なんてこった」
「もう寝よ。明日朝一で城門出よう」
「おい、あんまくっつくなよ。寝にくいだろ」
「なーに照れてんの。冷えてきたからこのほういいって。ほら、野良猫も密集して暖取ってるじゃん」
「そ、そうか。これも冒険者の知恵ってやつか」
「そうそう、冒険者の知恵。あたしらは無知な駆け出しなんだから、これから色々経験して学んでいかないとね。あんただって、念願の冒険者になれたのに早死には嫌でしょ」
「そうだな……」
少年と少女は体を寄せ合って、毛布に包まった。
早朝。開門と同時に皇都リスナルを出立し、街道の道標を頼りに宿場町ラドラスを目指した。
「そこの子供ら、止まれ!」
道中オーク憲兵の一団とすれ違い、誰何される。
「その方ら流民ではあるまいな。身分証は持っておるか――なんだ、冒険者か。行ってよいぞ」
ここでも冒険者証が大活躍だ。
「ふぅー焦った」
「あたし、オーク憲兵大っ嫌い。あいつらリスナル近郊の村で、奴隷狩りやってるらしいよ。うちの孤児院にも逃散農民の子けっこういたじゃん」
「関わらないほういいな。早いとこ離れようぜ」
クッコロ・ネイテール湖を回り込む東方街道を道なりに進み湖畔の森に入ったところで、今度は二頭の魔獣の角逐と遭遇。
「なんていうか、禍々しい猪だね。縄張り争いとかかな」
「ちょ、ありゃヴィルボアールじゃねえか……」
湖畔の森は比較的安全で、時たま一角兎が出るくらいだという事前情報だったのだが。
「あんた、どんだけトラブル体質なのよ」
「俺のせいにすんな!」
「戦ってみる? この状況なら漁夫の利狙えるかも?」
「……逃げようぜ。色気出して死んだら元も子もねえや」