第32話 毒刃衆
魔将ロゼルの夜襲が失敗に終わって以降、レグリーデ要塞を巡る戦況は膠着していた。
ここはゴルト・リーア大公国軍本陣の天幕。書状に目を通している皴深い老人は、総参謀長ドルティーバ。なにやら沈思していたが、おもむろにテーブルベルを振った。音もなく現れて跪く黒衣の小男。
「ヴィスロダル、御前に」
「魔皇国軍の兵站を潰そうと思ってな、索敵網を拡げておったのだが――思わぬ獲物がかかった」
黒衣の男に書状を放る。
「拝見つかまつる。ほう……これは」
「ケット・シー族の蠢動が活発になっておるようだ。隠れ里を五つ発見したとの報告が寄せられておる」
「近年にない成果ですな。猫獣人どもはなかなか尻尾を掴めませぬゆえ」
「現在、ルーヤ山中のとある里に集結しつつあるようだ。そのほう、毒刃衆を率いてケット・シーどもを一網打尽にせよ。出来るか?」
ヴィスロダルが頭を垂れた。
「容易いことでございます」
毒刃衆――この物騒な通称の者たちは、非正規の特殊作戦に従事するドルティーバ直属の秘匿部隊だった。
「あまり舐めてかかるなよ。彼奴らはかつて、アサシンギルドと並ぶ暗殺者の代名詞だったのだ。往年の剛の者が生き残っていないとも限らぬ」
「まともに闘えば、確かに手強い相手でしょうな。しかし我らは毒術の遣い手。御懸念にはおよびませぬ。猫獣人を酩酊させる毒も心得ております」
「ふむ。伝承に通じていそうな長老どもは殺すなよ。必ず生かして捕らえるのだ。アレの在り処を吐かせねばならん。他の猫は毒刃衆への褒美といたそう。殺すなり売るなり嬲るなり、好きに処分するがよい」
「ありがたき幸せ。被験体が不足しておりましたので助かります。これでまた毒薬の研究が捗りましょう」
「アサシンギルドで思い出した。その後、【首狩り】から連絡はあったのか?」
「消息が途絶えました。おそらく生きてはいないかと」
「まぁ相手はあの魔皇だ。仕損じるのもやむなしだが、そうか、逃げおおせなんだか。あれほどの手練れがの。少々惜しいな」
ドルティーバは眼光鋭くヴィスロダルを睨んだ。
「とまれ、そちも失態続きでそろそろ首筋が寒かろう。ぬかるでないぞ」
「ふふふ。【首狩り】如き半端者と一緒にしてくださいますな」
物見櫓に登って村の広場を見下ろすクッコロとミリーナ。
「いっぱい集まったねー」
「隔年開催の最高評議会の時でも、これほど同胞が集まったことは記憶にありません」
「他の隠れ里の場所教えてくれたら、あたし迎えに回ってもよかったんだけど」
今も村へと続く丘陵の小径には、家財道具満載の荷車を牽く他部族のケット・シーたちが引きも切らない。
「お年寄りとか小っちゃい子もけっこういるのね。ここ来るの険しい山道続くから、移動たいへんだったでしょうに」
ミリーナは朗らかに言った。
「どこの部族の者でも、ケット・シーはみんな山歩き慣れてますから平気ですよ」
「けど、今住んでるとこ捨ててお引越しなんて、よく皆さんすんなり同意したねぇ」
「まぁ評議会はだいぶ紛糾したって聞きましたけど、オババ様の説得が功を奏したみたいです」
「鶴の一声ってやつね」
日本の諺がミリーナに通用するはずもない。
「? まぁオババ様は、ここなん百年かで唯一キャスパリーグに進化した、生ける伝説ですからね。あの方の言葉には重みがあります」
クッコロとミリーナを見つけた腕白盛りのちびたちが、わらわらと物見櫓の下へ集まってきた。
「おーい、クッコロねえちゃん。いっしょにあそぼうぜ」
ミリーナが笑った。
「懐かれてますね」
「部外者が珍しいだけなんじゃない?」
「いいよ、遊ぼ。何して遊ぶの?」
「ん~ニンゲンごっこかな」
所謂助け鬼的ルールのケット・シー族伝承遊びらしいが、名称がいかにも彼らの世相を反映していた。
「クッコロねえちゃんニンゲン役ね」
「えっと、こないだやったやつね?」
猫耳のちびっ子どもが気炎を吐く。
「クッコロねえちゃんつよいからもえるぜ」
「今日こそかってやる」
じゃれ合って狩りの素養を磨く野生の幼獣さながらに、ケット・シーの子供はこの遊戯を通じて、体術や格闘術の感覚を養うらしい。ちびたちの無手の攻撃は、舐めて身体強化を用いなかったクッコロが思わずたじろぐほどの鋭さを持っていた。
「こらこらあんたたち、クッコロ様は里の大切なお客様なんだからね。迷惑かけちゃダメよ」
「ちぇっ、うるさいのがいた」
「ミリーナねえちゃんばっか、クッコロねえちゃんとあそぶなよな。ずっけーぞ」
「あたしはクッコロ様に雇ってもらったもの。お仕事だから」
ミリーナを揶揄しはじめるちびたち。
「そうやって仕事ばっかしてると、オヨメに行きおくれるぞって、うちの父ちゃん言ってた」
「ミリーナはかわいいけど、仕事ばっかでとっつきにくいって、うちのアニキも言ってた」
ミリーナは笑顔だったが、額に血管が浮いていた。
「な・ん・で・す・と……もういっぺん言ってみ? ン?」
「まぁまぁミリーナちゃん――と言いたいとこだけど、さすがに今のは擁護できないかな。妙齢の女子にそういう事言っちゃダメだって」
不用意な発言をしたちび二名に、クッコロの脳天締めが炸裂。もちろん、壊れ物に触れるように手加減している。
「あだだだだ」
「頭割れる、頭割れちゃう」
「ちょ――く、クッコロ様! そ、その辺で」
クッコロがこめかみに指をあてた。
「む。アルちゃんから呼び出しだ」
「魔皇陛下からですか」
「仕立ての御用職人が城に来てるんだって。叙爵式典で着る宮廷服誂えるから、採寸に来いってさ。ミリーナちゃんも行く?」
「うーん……皇宮の人たちの謦咳に接するのは気疲れするので、今回は留守番させてください」
クッコロが転移するのを見送ったのち、ミリーナとちびたちはニンゲンごっこで遊んだ。
「ミリーナねえちゃんもなかなかやるな」
「こう見えても現役冒険者だからね。あんたたち如きに後れは取らないわよ」
「あのさ、ミリーナねえちゃん、本当にこいびといないのか?」
「いないわよ、そんなもん」
ちびたちの一人ペルート少年が、真っ赤な顔で口早に言った。
「オレがなってやってもいいぞ」
他の少年少女たちが囃し立てた。
「コクりやがった」
「ペルートすげえ」
「おとなのカイダンのぼったわ」
「ゆうしゃだ」
ミリーナは思わずふき出した。
「物好きな子だな。そうね、あんたが一人前になって気が変わってなかったら。そして、あたしがその時まだ生きてたら、恋人にしてもらおうかしら」
「よし! やくそくだぞ!」
浮かれ燥ぐペルートを見て和やかな気分になっていたところ、何処からともなく甘い香りが漂ってきた。広場に屯していた他部族のケット・シーたちが次々と卒倒。ミリーナと遊んでいたちびたちも膝から崩れ落ちる。
(何が――)
ちびたちに駆け寄ろうとして、地面に突っ伏している自分を見出す。平衡感覚がおかしい。
(魔物の攻撃? 敵襲?)
急速に混濁していく意識。思考がうまく働かない。
クッコロが皇城の庭園に転移すると、ディアーヌが出迎えてくれた。リントヴルム族らしいが人化は完璧で、見た目は可憐な貴族令嬢だ。
「陛下は北の離宮にてお待ちですわ。ご案内いたします」
「ありがとうございます」
クッコロの背後を見やる。
「ミリーナ殿は本日随伴されませんので?」
「ミリーナちゃんはお留守番です」
「ミリーナちゃん……クッコロ様は、従者でも気の置けない朋輩のように扱われるのですね」
ディアーヌの物腰に、微かだか非難めいたものを感じた。生粋の貴族であるらしいディアーヌからすれば、クッコロの言動は多くの非常識に溢れているのだろう。
「あたし、出自が庶民なものですから。それに、とてもいい子なんですよ彼女」
前世知識の引き出しには、ゼラール式の宮廷作法も収蔵してある。かりそめにも侯爵令嬢と呼ばれる身分だったのだ。その気になれば貴族然と振る舞うことも可能だろうが、窮屈な宮廷社会に迎合してストレスを溜め込むこともあるまい。現代日本の価値観を知る者としては尚更だ。
「わたくしも、ミリーナ殿とは親睦を深めてまいりたいですわ。クッコロ様に仕える僚友同士として」
(どうも居心地悪いなぁ、こういうの。ベルズ陛下とかアルちゃんみたいな、生まれながらの主君気質の人なら慣れたもんなんだろうけど)
貴族に列することになれば、きっと大勢の人に傅かれ、忠誠を捧げられることになるのだろう。
(安請け合いだったかな……失敗しちゃったな)
裁縫の御用職人たちがクッコロの採寸を行い、ディアーヌがあれこれと要望を出す。当のクッコロはされるがまま俎上の魚状態。アルヴァントはすこし離れた席上で、優雅に茶を飲みながら見物中。
アルヴァントの指示で、クッコロが封魔の頭巾を脱ぎ素顔を晒したところ、ディアーヌが目を輝かせ俄然張り切りだしたのだ。
「そういえばクッコロよ、メイプル家の紋章はどうするのじゃ?」
「んー考えてなかったな」
ネイテール家の竜爪の紋章が一瞬頭に浮かんだが、子孫の海賊たちが使っている様子だったので遠慮しておく。
(めんどうだし、秋川家の家紋でいいや)
という訳で羊皮紙と羽ペンを拝借し、さらさらと丸に隅立四目――秋川家の定紋を描いた。
「これでお願いします」
「ほう。なかなか斬新なデザインじゃな。シンプルだが洗練されておる。そなたの生国のものかや?」
「うん。まぁそんな感じ」
羊皮紙を受け取ったディアーヌが、紋章院の官僚らしきコボルトの男に何事か指示している。アルヴァントの推挙だけあって、有能な人らしい。
職人たちによる採寸が終わったところで、そのままアルヴァントと茶会になった。
「今日はケット・シーの従者を連れてきておらんのか? ディアーヌがあの娘を気にかけておったぞ」
「そういや、これからミリーナちゃんと仲良くしたいようなこと言ってたな」
「あの者は猫好きじゃからの。屋敷で稀少なゼディーク猫を飼っていると聞いた」
(なるほど。ミリーナちゃん連れてこなかったから、さっき少しご機嫌斜めだったのかな)
アルヴァントがソーサーを撫でた。
「さて、叙爵式の日取りじゃが、こちらに一任してもらってもよいかの」
「うん。全てお任せします」
「そなたならば何時何処であろうと連絡がつくし、一瞬で駆け付けられるであろう? してみると便利な奴じゃなぁ、そなた」
「てへへ。たまたま転移魔法使えただけだよ」
アルヴァントは言いづらそうに目を伏せた。
「宮廷雀どもが囀っているのが耳に入っての。魔皇が怪しげな素浪人を取り立てるつもりらしい、誰かお諫めせよ、とかの」
「まぁ、そういう方々は一定数いるでしょうね」
「そこでじゃ、妾は一計を案じた。クッコロの実力を顕示して、廷臣どもを黙らせようとな」
なにやら嫌な予感。
「叙爵式の後、魔将メーベルトと試合ってくれぬか。そなたらが実力を遺憾なく発揮できるよう、厳重な結界を施した舞台を用意するぞ」
「うえ~……あのおじさん、見るからにヤバそうで怖いんだけど。あたし、バッサリ斬られて死んじゃうよ……公開処刑じゃん!」
「そう謙遜するな。妾の見るところ、両者の実力は甲乙付けがたい。かなりよい勝負になると思うぞ。そなたが気乗りせぬ様子なのも分かるが、ここは妾を助けると思って協力してくれぬか」
「むぅ……あたし死にそうになったら、ちゃんと試合止めてよ?」
「無論じゃ。そなたらは妾にとってかけがえのない忠臣と親友、どちらも失いとうないからの」
叙爵式の日程を打ち合わせ、クッコロは皇宮を辞去した。
噎せ返る血の臭いと散乱するケット・シー族の死体に、ヴィスロダルは顔を顰めた。
「ガンティル、ほどほどにしておけよ」
「しかしお頭。抵抗してくる奴ぁ、しゃあんめえ」
「お前は殺しを愉しむから困るのだ。死体では売り物にならんではないか」
「けどよぅ、キッチリとどめ刺しとかねえと足を掬われるぜ。俺ぁ何度も痛い目見てきたからな」
ガンティルは傷だらけの顔に凄惨な笑みを浮かべた。
「まったく、何のために幻惑香を使用したのか少しは考えろ。ここはもういい。館の制圧は私とパルーの隊で当たる。お前の隊は広場で雑魚の掃討でもしていろ。お前がいると、捕縛目標の長老どもまで殺してしまいかねんからな」
「へいへい。分かりましたよっと。俺もドルティーバの旦那に折檻されるのは懲りてるからな。御命令に従いますとも」
「あーあークソつまんねぇ任務だな。昔はアサシンギルドともタメ張ったっつうから、どれほどのもんかと楽しみにして来てみりゃ、てんで歯応えがねぇ。しゃあねえ、憂さ晴らしに子猫どもをいたぶって遊ぶとするか。いくぞおめえら」
配下を率いて村の広場にやってきたガンティル。
「お。お誂え向きに、ガキどもを庇って奮戦してる娘っ子がいるじゃねえか。手始めにあれから殺るか」
昏倒したちびたちを守りながら、襲撃者四人を撃退したミリーナ。あらゆる感覚が麻痺するなかでの獅子奮迅ぶりを、我がことながら褒めてやりたい。
(でも、そろそろ限界ね……)
顔中傷だらけの残忍そうな大男が、蹲り肩で息をするミリーナの前に立ちはだかった。
「ち、情けねえ奴らだ。こんな娘っ子にてこずりやがって。俺が相手になったる。毒刃衆三番隊隊長ガンティルだ」
大男はにやにやと酷薄そうな笑みを浮かべて名乗りを上げた。
(こいつ、今までのやつらと違うわね。まずいな、もう意識が飛びそう……けど、あたしが戦わなきゃ子供たちが)
死力を振り絞って立ち上がろうとするミリーナ。体中の創から血が滴る。立とうとするも叶わず、つんのめる。
(ここまでか。悔しいなぁ)
吹き渡る一陣の風。ミリーナとガンティルの間に、黒覆面黒マントの少女が忽然と現れ、立っていた。
何者だ――そう誰何しようとしたが、声を発することは出来なかった。黒覆面の少女を一目見た瞬間、ガンティルは戦慄し、恐怖を制御できずに斬りかかった。
クッコロは無造作に平手打ちを放った。大男の頭部が爆散するように弾け飛ぶ。首の無くなった躯がゆっくりと倒れ、痙攣しながら血を撒き散らした。