第25話 ケット・シーの隠れ里
「あれま。魔将さんだったか。こりゃどうも不調法しちまったね。今後とも御贔屓にね」
トルアを見てにやりと笑うカルマリウス。
「おばちゃんもなかなかしたたかね」
「今日日の年寄りはみんなしたたかなのさ。乱世の荒波を乗り越えて来とるからね」
カルマリウスの後ろに控えた側近が具申した。
「閣下。そろそろ本隊と合流しませんと。副官殿が気を揉んでおられましょう」
「そうね。リューゼルの小言が煩いから戻るか。おばちゃん、またね」
馬上の人となったカルマリウスに轡を並べてくる側近マルセラス。
「あの食堂の女将。前からなかなかの遣い手だと思ってたけど、やはりかなりの腕だわ。草莽にも強者が隠れ潜んでいるものね」
「姉上。あれでよかったのでしょうか」
「ん? 徴税吏を斬り捨てたこと?」
「はい。ガルシア将軍はここぞとばかりに姉上の失脚を企図して、我等の留守中に蠢動しますよ」
「捨て置きなさい。どの道あの豚とは、いずれ雌雄を決する時がくる。今は好きなように策動させておけばいいわ」
マルセラスは懸念を隠せなかった。実姉カルマリウスは比類なき武人だが、政治に無頓着で脇が甘いところがあった。
「ガルシア将軍は凡俗な男ですが、謀略にだけは長けております。用心するに如くはないかと」
「奴のような者を君側の奸と言うんでしょうね。けど、アルヴァント陛下は英邁な御方。きっと何か深い御叡慮があって、ガルシアを放任しているんでしょう」
カルマリウスは馬の腹に拍車を当てた。マルセラスも倣う。
「陛下の敵を悉く撃滅して、早いとこ引退したいものだわ。よし、決めた。ゴルト・リーア大公国を征伐したら、あなたに家督を譲って私は隠居する」
「昨今の情勢下で、陛下が姉上を手放すとは思えませんが……」
「引退したら、念願の世界食べ歩きの旅に出るの」
「やれやれ……仮にもサキュバスの族長が、色気より食気ですか」
カルマリウスの端正な顔が赤く染まった。
「だからこそ、私よりマルセラスが族長に適任だと思うわ。は、裸で男と乳繰り合うなど……私には無理。恥ずかしくて死んでしまう」
マルセラスが嘆息した。
(戦場では鬼神と畏怖される姉上が、こんな残念な人だなんて……政敵たちには絶対に秘匿しなければ。そもそも、サキュバスの族長が未だに生娘だなんて前代未聞だわ)
あのいずことも知れぬ森のアンデッド騒動以来、ヘルミナは軽い酩酊感に悩まされていた。
(これって噂に聞く魔力酔いなの? まだクッコロさんの強化魔法の効果が残ってるのかしら)
思索に耽っていると、年長の孤児の一人が血相変えて部屋に飛び込んできた。
「院長先生! スーが怪我した! 早く、こっち!」
手を引かれて玄関ホールに急行する。孤児たちの輪の中、腕白坊主の代表格スーラン少年が、ずぶ濡れで泣きじゃくっていた。骨折しているようで、右膝から下がありうべからざる角度に曲がっている。
「スーラン! なんだってこんなことに」
「川向うの浮浪児たちともめたんだ。んで、橋の欄干から突き落とされた」
「スーくんは悪くないよ。川向うの奴らから絡んできたんだ。スーくんはチビたちを庇って、あいつらと取っ組み合いになったの」
年少の孤児たちは異口同音にスーランを弁護した。
「川でスーくんが溺れかけてたんだけど、このおば……おねえさんが助けてくれたの」
軽微な威圧を向けられ、慌てて訂正する孤児。ヘルミナはこの時初めて、扉の前に立つ部外者の存在に気付いた。隻腕の女。帯剣しているので、傷痍軍人か冒険者だろう。
「私は当孤児院の代表ヘルミナと申します。この子を救助していただき感謝申し上げます」
「ご丁寧にどうも。あたしは冒険者のメルダリア。なに、偶々通りかかって、気紛れに助けただけだよ。早くおチビちゃんの手当てしてやったら」
ヘルミナは隻腕の女に一礼すると、スーランの診察にとりかかった。
(右足が重傷だわ。私の魔操級回復魔法じゃ応急処置にしかならない。もっと高位の治癒士に治療してもらわないと後遺症が残りそう)
医薬神殿は少額のお布施を納めることで、身分の隔てなく診療してもらえる。謂わば貧民向けの施療院的な性格を帯びているが、魔操手クラスの治癒士がほとんどで、魔術士より高位の治癒士は滅多にいない。
民間診療所は冒険者を引退したヒーラーが経営しており、技量が玉石混淆で、大概治療費は高額だ。時折魔律使クラスの回復魔法の遣い手がいるので侮れないが、怪しげな詐欺療法でぼったくる者も多いので要注意だ。
(とにかく応急処置だけでもしなきゃ)
念を込めて魔法陣を展開すると、学んだ覚えのない膨大な情報が頭に流れ込んできた。
「え? なに、これ……」
謎の力によって魔法陣の術式が目まぐるしく変換され、魔操級から魔術級のそれへと昇華してゆく。スーランが治癒の光に包まれ、右足の骨折はもとより全身の擦過傷に至るまで綺麗に完治してしまった。
「院長先生しゅごい……」
「院長先生、こんな魔法使えたんだ」
「いえ、これはその、私の力じゃなくて」
ヘルミナは混乱していた。こんな高度な魔法、自分に扱える訳がないのだ。
(もしかして、開闢したの?)
多くの経験と研鑽を積んで高次元の魔法境地に到達することを、魔法使い界隈では『開闢』と通称する。俗にいうレベルアップだ。
(あり得るわ……あれだけ多くの高位アンデッドを調伏したんですもの。あのアンデッドたちは、明らかに私には分不相応な相手だった)
様子を見ていたメルダリアが口笛を吹いた。
「あんた、なかなかの腕ね。もしかして、あたしの左腕も治せたりする?」
「先天的な欠損ですか?」
「うんにゃ。ちょっと仕事でしくじっちゃってね。まぁ冒険者が下手打って片輪になるのはよくある話で、完全に自業自得なんだけどね。もし治せるならお願いしたいわ。謝礼もはずむわよ」
「申し訳ありませんが、私の力では不可能です。遥か大昔には、四肢切断すら元通りに治す魔法や魔法薬が存在したという話ですが……現代では、神話とか伝説の扱いになってますね」
「そっか。しゃあない、諦めて義手誂えるか」
「ごめんなさい。お役に立てなくて。この子を助けてくれた御礼をしたいのですが」
「たいしたことはしてないわ。川から引き上げただけだもの。でもそうね、御礼と言うなら、ひとつ情報を無心しようかしら」
「情報、ですか?」
「クリーガーって魔道具屋の爺さん、知らない? この辺りに店構えてるって聞いて来たんだけど」
「ああ、存じ上げてますよ。当院の子供たちが、時々配達の仕事を頂いておりますので。川向う商店街の裏通りにお店があります。ですが……」
申し訳なさそうなヘルミナ。
「何か不都合あるの? もしかして店主がおっ死んで廃業したとか?」
「いえいえ、矍鑠としたもんですよ。それはもう元気すぎて旅に出てます。大陸西方のリグラト王国で大きな蚤の市が開催されるとかで、先週からご不在のはずです」
「一足違いか。しゃあない、出直すわ」
メルダリアは頭を掻いてぼやいた。
「切った張ったは当分の間お預けか……ったく、体が鈍ってしょうがないわ。初心に返って薬草採取でもやろうかしら」
いくつもの洞穴を抜けた先、忽然と開けた盆地にその村はあった。周囲は峻険な山岳地帯の銀嶺が連なっている。
「クッコロ様。頭痛とか手足のむくみはありませんか?」
「うん。大丈夫」
「さすがですね。平地の人間はこの辺りに来ると、大概音を上げるんですが。体調に異常を感じたらお知らせください」
なだらかな丘陵の小径を並んで歩く。村の門櫓が見えてきた。
「姿見えないけど、包囲されてるね。まぁ気持ちは分からなくもない。あたしみたいな怪しさ満点のがウロチョロしてたら、そりゃ警戒するよね。ミリーナちゃんいなかったら、もうバッサリ斬られてたんじゃないかな」
「あなたをあっさり殺れるような猛者がうちの部族にいたら、こんな山奥で逼塞してませんよ。きっと今頃天下に覇を唱えてます。ちょっと先行して、話通してきますね」
「はーい。ここで一服してるね」
クッコロは『空間収納』から絨毯やらテーブルやら椅子やらを引っ張り出し、日除け傘を宙に浮かべて、好物のジャコル茶を淹れはじめた。滞在する先々の市場で買い集めていたものだ。ミリーナはクッコロの振る舞いを見て何か言いたそうだったが、黙って門の方へ走っていった。
(景色も気候もいいし、いい所だな。なにか珍しい物売ってるかな、あの村。そだ、転移門設置しとこう)
クッコロを包囲する者たちの殺気が膨れ上がった。大胆不敵に寛ぐ様を見て、敵愾心を煽っていると思われたのかもしれない。
(遠巻きに隠れてる人たち、すごいキレまくってるんですけど……無理もないか。あたしみたいな小娘が舐めた態度とってりゃ、そりゃカチンとくるよね。いかんな……どうも転移魔法覚えてからこっち、危機意識が希薄になってきてるなぁ。いつでも逃げられるんだもの)
この油断で、いつか足を掬われるかもしれない。クッコロは反省した。前世でも地球でも散々見て来たではないか。過激な武装勢力や犯罪組織が跋扈する政情不安な異国を、観光気分でほっつき歩くお花畑思考な駆け出し冒険者や見習い行商人――彼らが如何なる末路を辿るのかを。
そそくさと調度品を『空間収納』に仕舞うと、入れ替わりに質素な茣蓙を取り出し、正座。
(たまには瞑想でもするか。ローエルさんは毎日やれって言ってたけど、なんやかんやでここんとこさぼってたし)
クッコロが神妙な面持ちで正座していると、毒気を抜かれたように包囲の殺気が萎んだ。
しばらくしてミリーナが戻ってきた。
「何やってるんですか?」
「ちょっと瞑想をね。あたしも魔法使いの端くれだし」
「端くれ、ですか……」
「それより首尾はどう?」
「それが……あまり芳しくありません。胡乱な余所者を里に連れてきおってと、上役に厳しく叱責されまして。危うく斬首されるところでした。長老がとりなしてくれて事なきを得ましたが」
「うえー気が重いな。そんな尖った人いるんだ。もしかして、すんごい武闘派だったりする? ケット・シーって」
「まぁ長年暗殺と諜報活動で食べてきた種族ですからね。かのアサシンギルドも、元々は我々ケット・シー族に対抗するために結成したのが起源らしいですよ」
「おうちに帰りたくなってきたよ」
ミリーナは逃すまじとばかりにクッコロの手を握った。
「さあ、参りましょう。長老がお会い下さるそうです」
土塁と木柵に囲われた里に入ると、みすぼらしいあばら家が軒を連ねていた。リスナルの貧民窟のほうがまだ人がましく見えるだろう。最も奥まった木造の家に案内され、板張りの広間に通された。御簾の奥に人の気配。
「遠路はるばるようこそ、お客人。儂はケット・シー族を束ねる評議員の一人、カルムダールと申す」
嗄れた声の主が言った。
「面会の機会を頂きありがとうございます。あたしは冒険者のクッコロ・メイプルといいます」
「ミリーナの命を救ってくれたそうだな。この子は先代評議員の孫娘。部族を代表して感謝申し上げる」
「いえいえ。たいしたことはしておりません」
クッコロは左右に控える精悍な猫耳オヤジたちを盗み見た。いずれも皆親の仇を見るような目で、クッコロを睨んでいる。
(ええと、今回どんなミッションだったっけ。この頑固そうな猫耳たちを説得して、オータムリヴァ商会に雇用するのか……難易度高くない?)
クッコロは早々に尻尾を巻き、弁が立ちそうなミリーナへ丸投げすることにした。




