第24話 戦友に捧ぐ挽歌2
宿場町ラドラスにある『肝っ玉食堂』。傭兵風の三人連れが食事中だった。
「やっぱりおばちゃんの料理美味しいわ。皇都のレストランより、私はここが好き」
赤髪の女が言った。
「ありがとよ、嬢ちゃん」
「しばらく食べ納めになるかと思うと、余計名残惜しいわ」
「ありゃ、旅にでも出るのかい?」
「ちょっと仕事で東方にね」
女将のトルアは合点がいった様子。
「ああ、東方じゃ大きな戦の真っ最中らしいねぇ。戦場稼ぎにでも行くのかい。傭兵稼業も大変だねぇ」
その時、一人の男が息せき切って店に飛び込んできた。
「おかみさんおるか!」
「おや、町長じゃないか。どうしたんだい、そんな慌てて」
「それがな、広場に魔皇国の徴税吏が来とるんだが」
「今年の納税は済んだはずだろう? 誰か脱税でもしやがったのかい?」
「そういうのじゃねえ。戦時の徴発で金を出せと言っとるんだよ。出さなきゃ課役で、若い男女を連行するって。オークの兵隊たくさん引き連れて、えらい剣幕なんだ」
「はぁ? この不景気なご時世に徴発だと? 魔皇国の役人は頭湧いてんのかい」
町長はトルアを拝んだ。
「おかみさん一緒に来てくれよ。自警団の野郎どもはオーク兵にびびって腰が引けとるんだ」
「使えない男たちだね。行きたいのは山々だけど、お客さんほっぽって行けないよ」
「んじゃ、おかみさんとこの若い者貸してくれ。ほれ、あの腕っ節の強そうなあんちゃんいただろ」
「生憎セルドは隣町まで買い出しに行ってるよ。ったく、しょうがないねぇ。オーク兵は何人くらいいるんだい?」
「三十前後はいるかな。街道筋にも屯してたから全部で百人もいるかもしれん」
「一個中隊か。とっとと全員ぶちのめして町から叩き出すかね。お客さんがた、すまないけどちょっくら野暮用片してくるよ。ゆっくりしてっておくれ。不用心だから竈の火落としとくけど、鍋のスープは自由におかわりしていいからね。お代は適当に勘定台に置いといとくれ。不味かったらお代は結構だ。よっしゃ町長! 腐れ役人のところへ案内しな」
危険な闘気を発し始めたトルアを、慌てて止める町長。
「違う違う! それじゃお上に弓引く事になっちまう。なにも反乱おっぱじめようってんじゃねえんだ。相手に位負けしないよう、おかみさんにゃ俺の後ろで相手を威圧してほしいんだよ」
客の一人、赤髪の女が手を挙げた。
「私が一緒に行こうか? そのおばちゃんが威圧振り撒くと、大抵の相手は泡噴いて卒倒するわよ」
「いつまで待たせるつもりだ。四の五の言ってないで金を用意せよ! 金がないなら人を出せ。あまり反抗的な態度を取っておると追徴金を加算するぞ」
オークの徴税吏がいきり立っている。
「お言葉ですがお役人様、先々月正規の納税が済んだばかりでございます。事前の回状もなく、急に徴発と申されましても……私どもにも上納金の工面ができませぬ」
「フン、回状など回した日には、悪知恵に長けた下民どもが、こぞって財貨の隠匿に走るであろう。私の目は誤魔化せんぞ。このラドラスの町は、冒険者相手の商売で随分潤っておるようではないか」
「しかしですなぁ」
「黙れ! あくまでも出し渋るなら、課役として町人を連行する。兵士ども、仕事にかかれ。労働に適していそうな壮士、見目麗しい娘あたりを見繕え。反抗する者は斬り捨てる許可を与える」
「やれやれ……奴隷狩りの手口が露骨になってきたな。余程追い詰められているとみえる」
赤髪の女が進み出てきた。
「なんだと貴様! 私を愚弄するか! 魔皇国政府の代理人たるこの私を!」
「まさに虎の威を借る狐だな。いや、豚野郎か」
赤髪の女が嗤う。
「お、おのれ、言わせておけば……この女を斬れ! 私への侮辱は、アルヴァント魔皇陛下への侮辱も同然――え?」
オーク徴税吏の首が転がり落ちた。
「軽々しく陛下の御名を口にするでない。慮外者が」
しばしの時を経て、状況を飲み込んだオーク兵たちが恐慌に陥る。
「こ、殺した……政府の官吏を」
「反逆者だ! ひっ捕らえよ!」
「見苦しい。静まれ!」
大喝する赤髪の女。
「この者はみだりに魔皇陛下の御稜威を持ち出し、冒涜する言動があった。よって、この魔将カルマリウスが手討ちにした」
「なっ……カルマリウス――将軍、閣下」
一斉にひれ伏すオーク兵たちを睥睨する。
「ガルシアに伝えておけ。奴隷商売もほどほどにしておかぬと、そなたもグリードの二の舞になるぞ、とな」
「ここは下手に触れるべきではありません。近隣に町や村はないのでしょう? ならばさしあたり実害もありませんし、放置するのが賢明かと」
「むう、そんなにヤバいんですか、この城のアンデッド」
ヘルミナは身震いした。
「それはもう尋常な妖気じゃありません。聖堂騎士団の精鋭でも調伏しきれるかどうか」
「ヘルミナさんの浄化魔法の有効範囲ってどれくらいなんですか?」
「未熟者なので、半径二十ケルディくらいが関の山ですね」
(ケルディ……そういやこっちの度量衡そんなのだったな。地球のメートル法に慣れてたから忘れてたわ。換算するとどれくらいだろ)
その昔ゼラール帝国中興の祖、武帝カンナートが、占領地の測量や新兵器の開発など軍政上の必要に迫られて乱立する度量衡を統一したと聞く。この時策定に当たった御用学者たちの座長の名が、ケルディだったはずだ。
「あたしの強化魔法重ねるにせよ、一網打尽にするには敵を集中させる必要があるかな。よし、作戦が決まりました」
「どうあっても敢行されるんですね……」
ミリーナとヘルミナは唾を飲み込み、クッコロを見詰めた。
「まず三人で固まってトルーゼン城の中央広場に転移します。ヘルミナさんはそこで浄化魔法の準備を。ミリーナちゃんはヘルミナさんの護衛お願い。大丈夫。二人を結界魔法で厳重に覆いますので、敵に襲われる心配はありません。あたしは敵の注意を引き付けて、一ヶ所に集めます」
「ええと、ずいぶん大胆な作戦に思うんですが……大丈夫なんでしょうか」
不安を隠し切れない様子のヘルミナに、ミリーナが言った。
「こう見えてクッコロ様は、かなり凄腕の魔法使いなんです。きっと大丈夫です」
「あたしが育った国には、案ずるより産むが易しって格言がありまして。まぁやってみましょう」
言うや否や転移魔法が発動し、三人はトルーゼン城中央広場に降り立った。すかさず結界を展開するクッコロ。
「ちょ、ま、まだ心の準備が――ぎゃああああ」
侵入者を察知した骸骨兵士たちが、剣や槍を振りかざして蝟集してきた。
「いっぱいいますね……討伐難易度レベルいくつくらいだろ。たぶん一番雑魚の骸骨兵士でも、金級のあたしじゃ歯が立ちませんね」
「……」
クッコロは悲し気にアンデッドたちを見渡した。なにしろ彼らは、故国のために散った戦士たちの成れの果てだ。
「ざっと見たところスケルトン型七割、レイス型三割といったところですね。ゾンビ型が皆無なので、それだけ年数を経ている証左かと思います」
悲鳴をあげていたヘルミナも事ここに至って腹を括ったのか、専門家としての分析を始める。
「む、城館の車寄せに一体リビングメイルいますね。ひときわ強大な妖気で手強そうです」
「ぼんやり発光してますね、あの甲冑。ミスリル製かな。どこの国の紋章かしら」
クッコロが答えた。
「ゼラール帝国の国章だね」
かつてリムリア大陸で最も有名だった紋章も、今や歴史書や史跡でしか目にする機会もないのだろう。巷の庶民であるミリーナが知らないのも無理はない。
(そしてあの甲冑は、ゼラール帝国近衛騎士団の制式プレートアーマー)
見紛うはずもない。遠い昔、自分自身で装着していたのだから。
(ナーヴィン。君なの)
クッコロはリビングメイルが立つ城館車寄せへ向けて、真っ直ぐ歩を進めた。次々と襲いかかってくる骸骨兵士たちは、結界を纏った拳骨で粉砕していく。触れると精神に負の作用をもたらすレイスたち。クッコロめがけて突貫してくるが、結界に阻まれて周章狼狽。
(剣も握れなくなっちゃったし、荒事と無縁な魔法使い目指そうと思ってたのに。なんだかやってることがラディーグさんじみてきたんですが……どうしてこうなった)
生前の彼らは、調練好きの城将に感化されて相当に勇猛果敢な兵士たちだったのだろう。クッコロのでたらめな戦闘力を前にしても怯まず、仲間の骨片を踏みしだいて襲いかかってくる。あるいは生存本能に由来する恐怖や怯懦といった類の感情は、亡者の彼等には無縁のものなのかもしれないが。
遂に城館車寄せへ到達し、白銀のリビングメイルと対峙するクッコロ。クッコロを敵と認識したか、ゆっくりと抜剣するリビングメイル。
「……」
ゼラール帝国近衛騎士団の模擬戦の作法に則って一礼すると、臆せず相手の剣の間合いに踏み込んで佇むクッコロ。作法通りならば、ここで相手方と遺恨を残さぬという意味の誓いの金打を行う流れだ。普通は剣と剣で金打を打つが、クッコロは無手なので右手の拳を突き出して静かに待った。しばしの静寂に包まれるトルーゼン城内。骸骨兵士やレイスたちも、両者を遠巻きにして静観の構え。
一礼して進み出るリビングメイル。金打にも応じてきた。互いに頷くと同時に、熾烈な戦闘が始まった。両者とも終始無言だが、あたかも饒舌に語り合っているかのようだった。
「クッコロ様! ヘルミナ様の準備整いました!」
ミリーナの叫び声でリビングメイルの動きが止まった。
『くっころ……ヤハリオ前ナノカ』
対峙するリビングメイルから発せられる念話。
「よく分かったね。いかにもあたしだよ、ナーヴィン」
『亡者トナッテ星霜ヲ閲スルトナ、魂魄ガ判別デキルヨウニナルノダヨ。……久シイナ。ヨモヤ、コンナ形デ再会スルコトニナルトハナ』
「そうだね」
『教エテクレ。ぜらーる帝国ハ、我等ノ祖国ハドウナッタ?』
「……」
『時折迷イ込ム冒険者ヤ盗賊共ヲ捕エテ尋問シタノダガ、皆口ヲ揃エテ、ソノヨウナ国ハ存在シナイト言ウ』
「残念ながら事実だよ。あたしたちの仕えた国は二百年以上前に滅び去り、今はもうどこにもないんだ。いや、そういや帝室の末裔が治める都市国家がいくつかあるって聞いたな」
湖畔の墓守モーガンの言葉を思い出す。
『ソウカ。万物ハ流転シテ、トドマルコトガナイノダナ。くっころ、オ前ハ我等ノ鎮魂ノタメ、コノ地ヲ訪レタノカ』
「実は偶然通りかかっただけなんだけど……これも縁というやつなのかね。長い間現世でお勤め果たしたんだし、もうそろそろ安らかな眠りに就いていい頃合いだと思うんだ」
『マダマダ心残リモ多イガ……ソウダナ、ソロソロ潮時カモシレン』
「やけに聞き分けいいじゃない」
『俺ハトモカク、部下タチガナ……イイ加減帰天サセテヤリタイ。コノ忌々シイ地縛カラ解キ放ッテヤッテクレ』
「簡単に言ってくれるね」
『オ前ニハソノ力ガアルヨウニ見受ケラレルノダガ』
「まぁ最善は尽くしてみるけど、ナーヴィンたちにも協力してもらうからね」
『感謝スル』
戦闘を中断してミリーナたちの元へ戻ってきたクッコロ。
「浄化を受け入れてもらう方向で、アンデッドたちと話ついたよ」
固唾を飲んで成り行きを見守っていた二人に、あっさりとそう告げる。
「す、すごいですね……どうやって説得したんですか」
「説得というか、あのリビングメイルさんが、部下思いのいい奴だったって感じかな」
クッコロ、ミリーナ、ヘルミナが立つ結界の周囲に群がるアンデッドたち。神殿の宗教画を彷彿とさせる場面だった。
「な、なかなか壮観ですね……」
「もうこちらに害意はないから大丈夫」
リビングメイルがクッコロを向いた。
『ナァくっころ。ぜらーる国歌ヲ憶エテルカ』
「ん。もちろん。調練の後でへばってる時にも歌わせられたよね」
『歌ッテ聴カセテクレナイカ。俺タチハ肉体ガ朽チテ久シク、モハヤ発声ガカナワン』
「別にいいけど、あたしあんま歌上手くないよ」
ミリーナたちには、クッコロが頻りと独り言を呟いたり、急に歌いだしたように見えたことだろう。
「もう気は済んだ?」
『アア。縁ガアレバ、来世デマタ邂逅シヨウ。サラバダ、戦友ヨ』
クッコロは頷くと、ヘルミナに強化魔法をかけた。
「ヘルミナさん、お願いします」
自分本来の実力からは決してありえない規模に増幅された『浄化』に驚きつつも、ヘルミナは術を完成させた。アンデッドたちを包む浄化の光。
骸骨兵士たちから黒い靄のようなものが剥離してゆき、続々と崩落して動かぬ骨片へと変り果てる。レイスたちは悶えるように宙を舞いながら徐々に希薄になってゆき、やがて消え失せた。そしてナーヴィンだったリビングメイルは、結跏趺坐の姿勢で動かなくなる。残されたミスリル製のプレートアーマーが、月明りを受けて光っていた。
(さようなら、ナーヴィン。安らかに眠れ)
クッコロはゼラール式の敬礼をした。
「……終わりました」
吐息をつくヘルミナ。
「ありがとうございます。お見事でした」
「自分でも信じられません。こんな強大なアンデッドを調伏できるなんて……」
ミリーナが白銀の鎧を見て感嘆した。
「年代物だろうに、疵ひとつありませんね」
「自己修復の魔法かかってるからね。たぶん以前は、着用者を死に至らしめた攻撃による損傷もあったんだろうけど」
「魔法の鎧ですか、道理で」
「さて、この鎧、どうしたもんかな。墓標代わりにここに安置しとこうか」
「それは……確実に盗まれますよ。盗賊や冒険者がこんなの見つけたら、放っておくはずがありません」
「じゃあ持ってくか」
プレートアーマーを撫でるクッコロ。
(あたしにはもう鎧なんて必要ないしな……売り払ったらナーヴィンの奴、苦笑いして夢枕に立ちそうだな。そだ、陛下のお墓の傍に埋めたげよう。近衛騎士の鎧だもんね。皇帝陛下の霊廟を守るなら本望じゃない)
 




