第23話 戦友に捧ぐ挽歌1
時を遡ること三百五十年余。これはクッコロ・メイプルこと秋川楓の前世、クッコロ・ネイテールが十七歳だった頃の逸話。
当時クッコロは騎士叙勲されて間もなく、宮殿の警備が主な任務だった。その日の任務を終えて帰途に就こうとしていたところ、同僚の騎士に声をかけられた。
「ネイテール卿。退勤か」
「なんだナーヴィンか。ネイテール卿なんて呼ぶから誰かと思ったよ。なに気取ってるの」
「いや、おま――貴殿こそ自覚しろよ。俺た――私たちはもう近衛騎士なんだぞ。いつまでも幼年学校の学生気分でいたらまずいだろ」
「貴殿ねぇ。地が覗いておりますよ、ナーヴィン殿。慣れないことはやめときなさい」
ナーヴィンは溜息ついて耳打ちしてきた。
「明日非番だろ。今晩ちょっと付き合ってくれよ。ちょっとその、折り入って相談があるんだ」
「なんだ、らしくもなく奥歯に物が挟まったような物言いじゃない。まぁいいけど、飲酒はほどほどにしてよ。先日みたいに酔っ払いの介抱は御免こうむりたい」
「いつもの下町の酒場でいいか? それとも、たまには貴族街の高級店行ってみるか?」
「そういうところは恋人と行きなよ。あたしは下町のいつもの店がいいな。ドレスコードのある店は肩が凝って苦手だ」
「侯爵令嬢はなかなか庶民的なご趣味であらせられる」
「茶化すならいかないよ」
その時、回廊の端から廷臣たちの騒めきが伝播してきた。
「おっと。どなたか皇族が参られたようだ」
クッコロとナーヴィンは廊下の隅に寄り跪いた。近傍にいた廷臣たちも一様に跪く。未だあどけなさを色濃く残す少年が多くの側近を引き連れ、クッコロたちの前を通過した。
クッコロが肘でナーヴィンをつついた。
「あの方は?」
「お前、近衛騎士だろうが。主筋の御尊顔くらい憶えておけよ」
「面目ない。帝室の方々は人数が多くて……肖像画を見て日夜勉強してるんだけど、なかなか御尊顔と御尊名が一致しないのよ」
「ベルズ・リセアル皇太子殿下――先月、皇太子になられたばかりの方だ。つまり、次期皇帝となられる御方さ」
「あの方が。随分とその、お若く見えるんだけど」
「確か御齢六歳か七歳だったはず。しかし、特別儀式もないこの時期に、お住いの離宮から皇宮にお出ましになられるのは珍しいな」
ナーヴィンは声を一段とひそめた。
「もしや、聖上の御不予と何か関連が」
「おいナーヴィン。滅多なこと言わない」
咳払いが聞こえた。振り向くと、帝国第七軍総司令ザイル大将軍が二人を睨んで立っていた。クッコロとナーヴィンは直立不動で敬礼した。
「ここは宮中であるぞ。最近の近衛騎士は、少々規律が弛んでおるのではないかね?」
一頻り小言を賜ってようやく解放される。クッコロは苦情を込めてナーヴィンを睨んだが、ナーヴィンは心ここにあらず。頬を紅潮させ、ザイル大将軍に付き従う侍女の一人を目で追っている。熱い視線に気付いたのか、振り返る侍女。微笑んで軽く会釈。金髪紅眼の、息を呑むほどに美しい少女だった。
(ふーん。ああいう子が好みなのか。どこのお嬢さんだろ)
皇宮に行儀見習いとして上がる侍女は、下級貴族や豪商の娘など身元の確かな良家の令嬢がほとんどだ。上級貴族に見初められる場合もあれば、やんごとなき御方のお手付きとなる場合すらある。皇宮侍女はそうした意味において勝利が約束されたようなもので、玉の輿を夢見る乙女たち垂涎の働き口であった。
(まぁ頑張れ)
クッコロは心の中で声援を送った。
偶々近くに居合わせた貴族たちが、口さがない囁きを交わしているのが耳に入る。
「ザイル殿、だいぶ御機嫌斜めだったな」
「無理もあるまいて。彼の推していたクラース皇子殿下が立儲の選に漏れたのだ」
「クラース皇子殿下はザイル大将軍の甥だったな。外戚として権勢をふるう目算が外れて苛立っておるのであろう」
「ベルズ・リセアル皇子殿下を推していたのは、宰相ネイテール侯爵の一派だったか。当分の間、彼の宰相の座は安泰かの」
「だが、野心家のザイル殿のことだ。このまますんなり引き下がるとも思えぬ。これは一波乱あるやもしれんな」
「あな恐ろしや」
話題がきな臭くなってきたので、クッコロとナーヴィンは早々にこの場から退散することにした。
「では夜にな」
「了解」
「とりあえず乾杯」
「乾杯」
帝都下町の酒場の一席に、木樽ジョッキを呷る男女の姿があった。どちらも平民のような質素な服装なので、栄えある近衛騎士が退勤後に一杯ひっかけているなどと考える者はいなかった。
「で、相談って何よ?」
「実は、東方国境の第五軍の幕僚として赴任することになった」
「そうなの? なんか唐突だね」
「ああ。昨日辞令を受けたばかりだ。なんでも、フォルド連邦のケット・シー族暗殺部隊やグリフォン騎兵偵察部隊が、かなり厄介らしくてな。さしものアルネ閣下も手を焼いているらしい。そこで、ワイバーンに騎乗できる情報将校が必要なんだとさ。近衛騎士団の中でも下級貴族出身で独り身。戦死してもさして痛痒を感じない俺に、白羽の矢が立ったという訳だ」
「それは穿ち過ぎじゃないの? 平民出のあたしみたいなのだっている訳だし」
「お前は今を時めく宰相閣下の養女だろ」
「まぁそうなんだけど。近衛騎士団は、帝国軍の中でも比較的情実から縁遠い組織だと思うけどなぁ」
「事情がどうあれ、俺の出征は既に確定事項だ。そしたら実家がな、縁談を持ってきたんだ。今まで音沙汰なかったのに、騎士叙勲された途端に家門を絶やすなと容喙してきた。俺的には、もう実家とは絶縁したつもりなんだけどな。遠縁の上級貴族の伝手を使って、騎士団本部に陳情したらしい。ったく勝手な事を……」
何やら込み入った背景がありそうだ。
「外堀埋めに来てるね。まぁ出征前に妻を娶らせてやってくれとご実家から懇願されれば、人情としてなにがしかの配慮はするだろうね、騎士団本部も」
クッコロは串焼き肉にかぶりついた。
「部外者のあたし的にはとてもいい話に聞こえるんだけど、君的には不満があるわけだ」
「ああ。話が進まないから白状してしまうが、意中の娘がいる」
(なるほど。そういうことか)
「もしかしてあの子? 今日、ザイル閣下の後ろに控えていた皇宮侍女さん。金髪で紅い瞳の娘」
「なっ! 何故それを……さすがはクッコロ。炯眼だな」
「いやいや、あれは分かり易すぎでしょ。あの子に御執心なの丸分かりだったよ」
「むう」
「群を抜く美少女さんだったね。すれ違う廷臣たちも見惚れて、みんな鼻の下を伸ばしてた」
ナーヴィンは頭を抱えた。
「あああ、心配だ。彼女が、淫乱な貴族の毒牙にかかったりしたらと思うと俺は……ザイル閣下に目を付けられていないだろうな」
妄想に煩悶するナーヴィンを横目に、クッコロは料理と格闘中。
「そもそも色恋沙汰なら、相談相手の人選を間違えてる。あたしみたいな恋愛と無縁な唐変木の意見を聞いて何がしたいのさ、君は。自分で言ってて、なんだかむかっ腹立ってきた」
クッコロはエールを呷った。
「言っちゃなんだが、俺だってクッコロと似たようなもんだ。これまで剣一筋に打ち込んで生きてきたからな。異性の友人なんてお前くらいしかいない」
「で、あたしにどうしろっての」
「察しが良くて助かる。あの皇宮侍女の子の名前と連絡先が知りたい。男の俺が、宮中で女の情報を嗅ぎまわるわけにもいかないだろ」
「気が進まないなぁ。あたしには荷が重い任務だ」
「頼むよ、この通り! もし彼女を射止めることが出来たら、将来お前の恋愛成就にも粉骨砕身協力させてもらう」
ナーヴィンの必死な様子に、不承不承頷くクッコロ。
「やった! 紳士協定成立だな」
「あたしはいちおう女なんだけど」
「じゃんじゃん飲んでくれ。今日は俺の奢りだ」
あくる日、クッコロは早速皇宮侍女の控えの間に赴いて、友人のために聞き込みを開始した。が、侍女たちは異口同音に金髪紅眼の少女の存在を否定した。
「そのような身体的特徴の者は、現在皇宮勤めに上がっておりませぬ。おそれながら騎士様、何か勘違いなさっておられるのでは」
侍女頭にもそう明言された。
(奇妙だわ。誰も知らないなんて……認識阻害か洗脳の魔法でも使ったのか? 何者なの、あの娘。他国の間者か?)
その線がいちばんありそうだ。ゼラール帝国は四隣を敵国に囲まれている。
(ちょっと本腰入れて調べてみるか)
クッコロはその後も折に触れて金髪紅眼の少女の行方を調べたが、情報は少なく、捗々しい成果は得られなかった。虚しく時を浪費するうち、失意のナーヴィンは東方へと出征していった。
「ミリーナ先輩、アンデッド討伐経験豊富なんだっけ。どうやって倒してたの」
「先輩は勘弁してください。低級アンデッドなら普通に魔石核を砕けば倒せますが、あの城の年経たアンデッドには、この方法は通用しないでしょう。おそらく魔石核を砕いても、時間経過で復活すると思います。結局、聖職者による『浄化』の魔法で対処するしか思いつきませんね」
「ふむふむ」
「あとはそうですね、八属性付与を修めた格闘家は、アンデッド退治が得意という話を聞いたことがあります。もっともそんなのは、噂に名高い【千手拳】や【波動使い】といった、ごく限られた例外でしょうけれど」
(ラディーグさんか……あのお爺ちゃんにあんまし借り作ると、無理矢理弟子にされそうで怖いんだよね)
クッコロは腕組みした。
「うーん、聖職者の知り合いなんていないしなぁ……いや、一人いるか。ごめんミリーナちゃん。すぐ戻るから、アンデッドに見つからないよう隠れてて」
「え?」
振り向いたとき、既にクッコロの姿は消え失せていた。強大な死霊たちが彷徨う森に、一人取り残されるミリーナ。
クッコロが転移した先は、皇都リスナル貧民街にある孤児院『救国の家』だった。
「夜分申し訳ありません」
「おや、いつぞやの冒険者さん。その節は多大な御寄進をいただきまして。ええと、確かお名前は――」
「クッコロです」
「そうそう。救国騎士様と同じお名前でしたわね。こんな夜更けにどうなさいました?」
「実はあなたにお仕事の依頼がありまして。旅の途中、アンデッドの巣窟を発見したので除霊をお願いしたいのですが」
孤児院長の若い修道女は困惑している。
「アンデッドの調伏に関しては、神殿に専門機関がございます。そちらに依頼されたほうが確実で安全ですよ」
「いやー院長先生も御承知の通り、あたしは冒険者の渡世に身を置いておりまして。旅から旅の根無し草なので、神殿関係者の人脈を持っていないんですよ」
「なんでしたら一筆したためますよ。末端の修道女の紹介状なので、効果のほども推して知るべしですが」
クッコロは考え込んだ。
「実は、件のアンデッド巣窟というのが人里離れた山奥にありまして。煩雑な手順を踏んで、正規ルートの除霊依頼を神殿に出したとして、真摯に対応してもらえるのか……正直懸念を懐いてます」
「あー……そのケースですと、おそらく黙殺されますね。差し迫った危険はないとか判断されて。アンデッド調伏を担当する聖堂騎士団の人員も、かつかつらしいんですよ」
「あたしが見つけたアンデッドたちなんですが、実を言うと生前の彼らにちょっとした縁故がありまして。出来ることなら地縛から解き放って、黄泉の国へ送ってやりたいんです」
「うーん、以前多額の寄付もしていただきましたし、お力になりたいのは山々なんですが……未熟な私の『浄化』にどこまでの霊験があるのやら。また、この孤児院の管理がありますので、何日も留守にする訳には」
「それでしたら魔法で移動しますので、往復一時間もかからないかと。それと院長先生の安全は、この身にかえても保障いたします」
食い下がるクッコロに、とうとう折れた修道女。
「分かりました。私も神にお仕えする者の末席を汚す者。微力を尽くしてみましょう。支度をしてまいりますので、少々お待ちください」
「ありがとうございます。そういえば、まだ院長先生のお名前を伺っておりませんでした」
「医薬神殿の修道女ヘルミナと申します」
「おろ、医薬神殿の方でしたか」
「血が苦手なもので治癒士としては使い物にならないと謗られ、こうして『救国の家』に左遷されてきました。まぁ子供は好きなので、今の仕事が性に合ってるんですが」
固く目を閉じたヘルミナを伴って転移し、ミリーナと合流する。ミリーナは露骨にほっとした様子だった。
「ただいま。知り合いの修道女さん連れてきたよ」
「おかえりなさい。さすがに心細かったです……」
「ごめんごめん。ヘルミナさん、着きましたよ」
「え? もう? 人里離れた山奥と伺いましたので、てっきり――」
目を見開いたヘルミナが固まる。こんな際なので、転移魔法についての説明は割愛させてもらった。
レイスどもが乱れ飛び、骸骨兵士たちが徘徊する鬼哭啾々たるトルーゼン城を遠くから一目見た途端、ヘルミナは蒼白になって震えだした。
「こんなの無理です! 無理に決まってます! 私の手には負えません。これは大神官様か聖堂騎士団長クラスが扱う案件です!」