第106話 エギルスピア襲来
翌日。手分けして情報収集に当たるリーザパーティの面々。
旅費を浮かせるべく商船の護衛依頼を探したが、条件に合う全ての依頼が銅級以上のランク指定だった。木級はお呼びでないらしい。
「しゃあない。時間もったいないし、普通に船賃出して定期便乗ろ。どのルートで行く?」
「駆け出し冒険者のお財布にも優しいルートで」
「商業ギルドで訊いてみるか」
商業ギルドへ乗船券を買いに行ったリーザが渋い顔で戻ってきた。
「直近出航の船便どれも満員だった。空きあるのは最短でも半月後だってさ」
「そんなに混んでるもんなの」
「今便数減ってるらしいよ。なんでも立て続けに難破事故あったんだって」
「沖に海棲魔獣でも出没してるのかね?」
考え込むアルノー。
「波止場でダフ屋探す? 割高なるけど、たぶん買えるよ乗船券」
「足元見られてぼられそうだな」
「あたし阿漕な転売屋大嫌い。けど背に腹は代えられないか……」
紆余曲折あったがどうにか六人分の乗船券を入手した。現在は雁首揃えて船尾楼甲板から水平線に沈む夕日を眺めている。
「綺麗だねぇ」
「珍しく感傷的だな」
「別に普通でしょうが。雄大な自然は誰しも琴線に触れるってもんよ」
「俺は船初めてだから、ぶっちゃけちょっと怖いな」
「世界を股にかける冒険者になるとか大見得切ってたじゃん。この渡世で食べてくなら船旅くらい慣れないと」
「俺泳げねえし。船乗りたちもよく板子一枚下は地獄って言ってるだろ」
リーザとラウルの遣り取りを横で聞き流しつつ物思いに耽るクッコロ。
(豪華客船とは言わないけどさ、もうちょっと何とかならないかな)
リーザパーティは雑魚寝の大部屋だった。こうなると以前竜爪団のランザー号に乗船した時のように、船室へ引き籠って気儘に転移しまくる訳にもいかない。
(不潔、メシ不味、不快の三拍子か。転移でおうちに帰りたいよ)
船内は饐えた悪臭が漂い頗る空気が悪い。かと言って甲板は苛烈な陽射しに晒される。
真水は貴重なのでもちろん風呂も水洗トイレも存在しない。飲食物といえば保存性の高い乾物や塩蔵品や蒸留酒。生鮮食品など寄港するまで望み薄だ。
(まだ乗船して数時間だけど、既に体中痒いんですけど。絶対へんな虫そこら中にいるよね……ああああお風呂入りたい)
前世のクッコロは過酷な環境への耐性が高かった気がするが、現代日本の快適さが身に沁みついた今のクッコロには期待すべくもない。
(ちゅうか、おしっこしたくなってきた……)
水夫や乗客の男たちが舳先に立って用を足すのを見て顔を引き攣らせる。帆船の船首は大概風下を向き、よしんば排泄物が舷側に付着したところで海水に洗い流される。これはこれで合理的な作法なのだろうが、クッコロ的にはやはり抵抗があった。
(羞恥心どこかに置き忘れてるな殿方の皆さん。こちとら花も恥じらうJKなんですけど?)
一応婦女子になけなしの配慮はあるらしく、船首像裏付近の個室に用便のための小窓があった。
(これに慣れろと? ダメだ、無理。転移!)
(船乗りは短命だってリュートルさん言ってたけど納得だな。不衛生な環境で不摂生な生活してたらそりゃ体も壊すよ)
スッキリして船に戻ったところで環境改善に取り組むことにした。何日か滞在するので快適に越したことはない。
船全体に魔力波走査をかけ、ダニ、蚤、虱、鼠といった類いの生物を悉く検出。転移魔法で全てお引き取り願った。帆船で伝統的に飼育される船乗り猫のやりがいを奪うことになるかもしれないが、ここは目を瞑ってもらおう。
「なんか知らんが昨夜は爆睡しちまったな。危うく号鐘聞き漏らして甲板長にどやされるとこだったぜ」
「お前もか。実は俺もだ。いつもは体中痒くて眠りも浅いんだがな」
クッコロの極秘掃除の翌日、船内各所でそんな会話が交わされていた。
なお魔力波走査をかけた際、エルフ娘セレスがかなり挙動不審に陥っていたのは余談である。
(セレスさん魔力感知に長けていそうだもんね。危ない危ない)
船上生活三日目ともなるとさすがに暇を持て余す。
アルノーとテレーニャはキャビンで武器防具の手入れ。セレスはハンモックに揺られて寝息を立てている。リーザとラウルは甲板の片隅で鍛練に汗を流していた。水分補給に制約があるので、日射病に気を付けろと老甲板長に注意を受けている。
(瞑想は初日で飽きちゃったしな。釣りでもやるか)
以前エスタリスの古道具屋で買い求めた釣り道具が空間収納に死蔵されている。金貨六枚となかなかの値段だった。店主のセールストークによると、釣り糸が殊に稀少でアラクネーなる蜘蛛の魔物の糸を紡いだ逸品らしい。
(無粋な素人的には、実用性しか興味がないわけですが)
釣り餌は船底に付着したフジツボもどきを利用する。固有名は知らない。釣り餌として有効かも不明だ。
(ま、暇つぶしだしいいや)
「お客さん釣りかい。大物釣れたら厨房で買い取るよ」
(久々に魚捌いてみたかったけど、しゃあないか)
「釣れたらね。そしたらお売りしますよ」
供給が限定される船上生活。不愛想な司厨長が愛想よく商談を持ちかけてくる程度には、新鮮食材への引き合いが強いようだ。
漫然と釣り糸を垂れていたがアタリらしき反応はない。外洋航路上なので大型回遊魚ばかりなのかもしれない。
(となると、この竿と仕掛けじゃ蟷螂の斧もいいとこだな。魚群探知がてら魔力波走査かけてみるか)
船の全方位に向けて放たれる魔力波。
(魚群探知機ちゅうかソナーだよねコレ。む?)
船に向かって一直線に迫る多数の反応を感知。
(生物じゃありえない速さ。魔法具の類い?)
自分のことは棚に上げ、そんな感想を懐くクッコロ。
結界玉を接近させ観察を試みた。さしもの結界玉も水中では摩擦抗力により動きが鈍る。かなりの魔力を注入し、力業で目標捕捉に成功した。
(魚の魔物か。名前知らんけど)
鋭利な槍先のような口吻を持つ巨大魚の群れ。
(魚雷も真っ青だね。こんなんに突っ込まれたら、どんな大型船もイチコロじゃん)
水の抵抗を排して尋常でない高速を発揮していることに興味を惹かれた。結界や強化魔法を使っているのだろうか。結界玉を基点に魔力波走査で観察。
(結界……じゃないか。気泡の層で全身覆ってる? 推進力は魔素の相転移で得てるっぽいな。ふむふむ、つまりスーパーキャビテーション効果との合わせ技か。ますます魚雷じみてるよ)
口吻そのものが気泡の発生器官になっているようだ。
展帆の差配をしていた船長を捉まえ報告。
「やっぱ出やがったか。――お客さん、右舷方向で間違いないんだな?」
「はい」
「相対距離は分かるかい?」
「おおよそ二万ケルディってとこですかねぇ。海の作法に疎いので海里換算は分かりません。相手の速度からして接敵まで三百秒ってとこかな」
「すげえな。そこまで分かるのかい。ま、どうやって索敵したのかは訊かねえ。手の内を詮索すんのは冒険者の仁義に悖るって聞くしな。情報提供感謝するぜ」
俄かに慌ただしくなる甲板。
「おう野郎ども、エギルスピアがおいでなすったぞ! デコイ投下用意! 取舵一杯。ヨーソロー」
謎巨大魚はエギルスピアというらしい。曲がりなりにも魔法を行使している様子なのでそれなりに危険な魔物と思われる。
(対処方法確立してるっぽいしお手並み拝見といきたいけど……あの数捌ききれるか微妙なとこだよね)
デコイには短艇を用いるようだ。エギルスピアが短艇に襲いかかったところで曳航索を切り離す段取りらしい。
(お。いい感じ)
かなりの数のエギルスピアが首尾よくデコイにつられたようだ。誘引剤でも仕込んであるのかもしれない。
(これだけひっぺがしたら上出来じゃない。取りこぼしはあたしのほうでこっそり処理しとくか)
大型の個体八匹がなお健在だった。デコイの欺瞞が通じないとなると知能も高いのだろうか。となると上位種の可能性がある。
(あらよっと)
転移で魔石核を抜き取り、瞬時に七匹を討伐。が、一匹に魔法をレジストされた。
(こいつ、上位種で間違いなさそう。群れのボスかな)
最後のエギルスピアは魔法攻撃を察知したようで、甲板上に屯する人間たちに敵意を向けた様子。正確にクッコロを標的に定めたかは不明。
(隠形の外套と封魔の頭巾あるし、あたしの仕業だって特定はされてないと思うけど)
「でけえの一匹こっち来てんぞ!」
「畜生め、戦闘準備!」
船に迫りくる航跡と背鰭を視認。甲板に居合わせた乗客のうち、飛び道具や魔法の遣い手が散発的に攻撃し始めた。海面から跳躍するエギルスピアの巨体。そのまま山なり軌道を描いて滑空し、甲板目がけて突撃してきた。
(セレスさん狙ってる? まぁここ居合わせた人の中じゃ彼女の魔力ずば抜けてるからな)
与り知らぬ理由で凶暴な魔物の敵意を向けられては彼女も傍迷惑だろう。
(体表面被膜結界展開。身体強化出力5パーセント。こんなもんか)
さり気なくセレスの横に位置取りし、突進してくる巨大魚の口吻を掴み取る。まさしく間一髪。口吻の先端がセレスの顔を串刺しにする寸前だった。
「……は?」
「マジかあいつ」
「体つき見た感じ、娘っ子だろ。なんだあの異常な膂力」
「高ランク冒険者ならやりかねんぜ。あいつら身体強化の魔法で、しれっと人間離れした芸当やらかすからな」
「それにしたってエギルスピアの突貫片手で受け止めるとかあり得ねえだろ」
「何者だあの覆面娘。二つ名持ちか?」
意図せぬ急制動の負荷か、エギルスピアはかなりのダメージを負った様子。拉げた体から夥しい出血。激しく身を捩って暴れるが、クッコロに掴まれた口吻は微動だにしない。尾鰭が激突し、圧し折れる船のメインマスト。
「ヤバ……ちょっと大人しくして」
クッコロがデコピンを放つ。爆散するエギルスピアの脳天。セレスのフードに降りかかる血飛沫。
「あ、ごめん」
「……」
セレスが胡乱な目を向けてきた。つい目を逸らす。
「え? ちょ、ちょっと待って。クッコロの腕力ヤバくない?」
「お前なんで駆け出し冒険者で燻ってんだよ。意味不明な奴だな」
呆れ顔のリーザとラウルに突っ込まれる。
「いやー無我夢中で体が動いてました。火事場の馬鹿力ってやつですかね、うん」
「余裕綽々に見えたけど」
セレスがクッコロに抱きつき、耳元で囁いた。一見、感極まって命の恩人を抱擁したようにも見える。
「セレスさん?」
「……誰の依頼?」
「? ええと、仰る意味が……」
「私を陰ながら護衛するよう依頼されたんでしょう?」
クッコロが言い淀んでいると、セレスの中で謎の解釈が進行中らしく、勝手にストーリーが構築されていく様子。
「……どうやら図星のようね。大方お父様かお兄様あたりの差し金でしょうけど。まぁいいわ。今は目を瞑ってあげる」
(何言ってんだこの子?)
クッコロの当惑は深まるばかりであった。




