第102話 ラジールの呪縛
空気を読んで敵の変身を傍観するわけではないが、初めて目の当たりにする犬系獣人の進化シーンだ。貴重なサンプルとして観察に余念がないクッコロ。
星核紋を通じてアカシックレコード先生に照会したところ、現在スコル種からハティ種への進化が進行中らしい。
先日ゲットした曰く付き魔法具を、空間収納からカモフラージュ用背嚢の中へ引っ張り出した。念話で語りかける。
『おーい、グレイプニル君や』
『……何者だ。クッコロ様の手の者か』
(あ、そっか。グレイプニルはウェルス・リセール知らないのか)
『こんななりだけどクッコロだよ。トランスリングって魔法具で男の子に変身してるのだ。ちなみにこの姿の時はウェルスって名乗ってるよ』
『これはご無礼を。性転換も意のままとは。さすがは観星ギルドに連なる御方ですな』
『無機生命体にも性別の概念てあるの?』
『無機生命体が如何なるものか分かりかねますが、性別は弁えております。創造主たるミューズ様による設定では、私は男性らしいです』
『念話の声色、思いきしバリトンボイスだもんね』
『?』
言わずもがな地球文化由来の用語は通じないもよう。
『ところで君には大魔獣を弱体化する隠し効果が付与されてるって聞いたけど。あそこで絶賛進化中のリカントロープさんに有効かな?』
『ほう。あれはハティですな。昨今珍しい。ついにラジールの呪縛を破る者が現れましたか』
『ラジールの呪縛?』
グレイプニルによると、古のリカントロープ族長ラジールのフェンリル進化は、種族の潜在力を結集してかなり無理矢理行われたらしい。その影響か、後の世代の進化を阻害している可能性が高いのだという。
『とまぁ訳知り顔に語りましたが、全てヴァレル様の考察の受け売りでございます』
(ヴァレルさんちゅうと、あの白ローブの謎生命体か。確か昔アルちゃんとこのフェンリル討伐したんだっけ)
腑に落ちる話ではある。あれほど深い系統樹が人口に膾炙しながら、とんと進化の実例がすくないことに違和感があったのだ。
(リカントロープは進化し易い種族という割に、スコルとかハティに進化した個体見かけないもんね)
『成果と引き換えに代償を払う――魔法界隈ではありふれた事象です。リカントロープからフェンリルへの五段階進化という過大な成果を得るために、どれほどの代償を払ったものやら。呪縛とは言い得て妙ですな』
(あたしが観星ギルド入った時に剣術封じられたみたいなもんかね。おそらく何かの魔法契約が介在してるんだろうけど……なんかこれも呪詛っぽいな)
ふと魔法学院の同級生のことが脳裏をよぎった。
(解呪のヒントとかないかな)
『結論を申しますと、ハティ程度では私の隠し効果発現は困難です。フェンリルか、少なくともマルコシアス級の個体でないと十全な効果は得られますまい』
『ふむ。んじゃま、普通に戦ってみるか。ウェルス君の手に負えるかね』
『問題ないでしょう。ハティ如き雑魚、貴方様の相手にはなりえないかと。ウェルス様のお手を煩わせるまでもございません。なんでしたら私がやりますが?』
お手並み拝見も一興だが、敵は躊躇なく殺害しそうだ。クッコロが言えた義理ではないが。
既にリカントロープ女将校の人化は解け、禍々しい黒い靄を纏った魔狼が地面をのたうち回っていた。急膨張した魔力を制御しきれていない様子だ。
『なんか悶えてない? 見てるこっちが痛々しいんだけど』
『進化のひずみでは。制御にてこずっておるようです。これは我々が手を下すまでもありませんな』
リカントロープ上位種と一戦交えるのも不可避かと緊張したが、拍子抜けだ。
『魔法使いが開闢した時に感じる魔力酔いみたいなもん?』
『イメージとしては近いかもしれません。あの者は魔石核具有種なので、将来のマナファース病罹患は不可避でしょう。一思いに楽にしてやるのが慈悲かと』
背嚢からじゃらりと這い出たグレイプニルの魔力が高まる。
『ちょい待ち。あの子捕獲したいんだけど』
『なるほど。ラジールの呪縛を打破した稀少な素材。確かに殺処分はいささか惜しいですな。生きたまま捕獲を試みます』
(素材扱いかい。とっても悪役っぽいな今のあたし)
気を取り直して作戦を伝えた。
『グレイプニル君、こないだあたしとやりあった時マナドレイン使ってたよね。あたしがあの子拘束するから、その隙にあの子の魔力吸い取ってくれない』
『かしこまりました』
『死なない程度に加減してね。いくよ』
ラディーグ直伝の関節技はほぼ人型相手の技術だったので、七転八倒する獣型に若干戸惑う。
(まぁ頸椎極めりゃ落ちるっしょ)
モフモフの毛並みに平常心を乱されつつ身体強化の出力を上げ、背後から抱きすくめるように絞める。腕を咬まれた。被膜結界がなければ鋭い牙が食い込んでいたことだろう。
『グレイプニル君、お願い』
グレイプニルの鎖が魔狼の四肢に絡みつき縛めた。マナドレインが発動したようで、魔狼の魔力がしぼんでいくのが分かった。狼型を維持できなくなったのか、元の人型リカントロープの姿へと戻る。軍装は変身の際千切れとんでいたので素っ裸だったが。
(男子が裸の女子を羽交い絞めにしてるとか、絵面的にあれだな……)
マナドレインが程よく気付けになったのか、正気を取り戻した様子のリカントロープ女将校。己の状況を把握して俄かに激昂。
「ちょ、暴れないで」
「野蛮人め……叔父上を殺しただけでは飽き足らず、私を凌辱するのか」
「僕は淑――紳士ですからそんなことしませんて。叔父さんの件については苦情を受け付けませんよ。ここは戦場ですし」
「くっ……殺せ」
グレイプニルが念話で具申してきた。
『ウェルス様。犬獣人には強者へ恭順する文化があると聞き及びます。魔力で威圧してみては如何でしょう。この者は族長の連枝と推察されます。首尾よくいけばリカントロープ族こぞってウェルス様の軍門に降るやもしれません』
(オーク方に付いた裏切り者ちゅーても元々アルちゃんの臣下だしな。流れる血は少ないに越したことないか)
『魔力の出力上げればいいの?』
『魔力へ意識的に殺気を込めると効果的でしょう』
『ふーん。んじゃま、やってみますか』
仰向けのヘソ天でガクブル震えるリカントロープ女将校。グレイプニルの助言に従って威嚇した結果がこれである。
「し、死にたくない……こここ殺さないでっ」
「えぇ……」
『見事に心を折りましたな。さすがでございます』
「とりあえずこれで体隠して」
空間収納から浴布を取り出し、あられもない格好の女将校に掛けてやる。
遠巻きに顛末を静観していたリカントロープ軍から一人の将校が進み出た。長柄武器に白旗を結わえている。ウェルスの前に平伏。
「降伏いたします」
ラミルターナのサキュバス軍から歓声が上がった。
「それはリカントロープ族の総意?」
「総意と取っていただいて結構。族長コルヴィス様が討たれ、ハティへと進化を遂げられたセリナ様さえ屈服した今、貴方様に反抗する気概をもつ兵士はおりますまい」
(セリナってのはこの子か。そういやこの子、叙爵式ん時に魔皇宮殿で行き会ったような……めっちゃガン飛ばされたっけ)
「申し遅れました。私の名はシルマ。リカントロープ族長コルヴィス様の副官です。現在我が軍の司令官代行を務めております」
困惑するウェルス。
『あたしが独断専行で決めちゃっていいのコレ。確かゼラール時代の戦時国際法とかあったけど。今の時代も有効なん?』
『交渉は専門家に丸投げするのがよろしいかと。サキュバス軍にもリカントロープ軍にも参謀や文官はおりましょう』
『そだね』
「降伏を受諾します。両軍とも戦闘を停止するように」
夕暮れ時のラムラーザ。リーザパーティの面々が行き付けの飲み屋に集まり、集めた情報を持ち寄っていた。
「お疲れ。ギルドのほうどうだった?」
「今んとこ情報なし。もうこの街から飛んだんじゃね?」
「かもねぇ。二つ名持ちに目ェ付けられたんじゃあねぇ」
「あの【血鎖】っておっさんは?」
「そっちも情報なしだな」
「露骨に嗅ぎまわるとこっちも目を付けられる。程々にな。高ランカーは耳聡いっていうし」
「アルノーは心配性ね」
ラウルが愚痴った。
「ったく、あいつ一体何やらかしたんだ」
「……これはセレスが小耳に挟んだ話なんだけど、あの時クッコロと【血鎖】のおっさん、懸賞金がどうのこうのってやりとりしてたみたいなの」
「そうなのか」
寡黙なセレスがこくりと頷いた。エルフは聴覚が鋭敏だ。
「店の喧騒ではっきり聞き取れたわけじゃないけど」
「つまり何だ、クッコロはお尋ね者ってことか?」
「どうだろ。訳あり多い業界だし、身の上の隠し事あった場合詮索しないのがパーティの仁義だからねぇ」
「即席の野良パーティならそうかもしれねえけどよ。リーザは将来的にクラン設立目指してんだろ。前にも忠告したけど、あんまし裏ありそうな奴ほいほい勧誘しねーほうがいいぜ」
「あたしに人を見る目がないって言いたいわけ?」
「そうは言ってねえだろ。あんまとんがるなよ」
テーブルに突っ伏すリーザ。
「あん時無理にでもクッコロ引き留めるか、全員で付いてきゃよかった」
エールを呷ったアルノーが指摘した。
「そしたら俺たちも始末されてたかもよ」
「いやいや、二つ名持ちが駆け出し相手にそんな大人げないことしないっしょ」
「リーザってやけにあの子に入れ込んでるよね」
「女の子のソロだからほっとけないじゃん。あの子お上りさん丸出しだったしさ」
「確かに。切った張ったの渡世は向いてないかもね。将来クエストミスって奴隷落ちしなきゃいいけど」
「将来の話より今の話だ。ギルドに相談したほういいんじゃないか? パーティメンバーが【血鎖】と揉めて失踪したってさ」
「ギルドは【血鎖】の肩持つんじゃない? なにせ向こうは聖銀級の看板冒険者で、あたしらはぽっと出のぺーぺー。発言力全然違うっしょ」
「だよなぁ。う~ん、どうしたもんかね」
「あんたら【血鎖】を探してんのか?」
隣のテーブルで飲んでいた髭面の男が不意に声をかけてきた。身構えるリーザパーティ。
「すまんすまん。お前さん方の話が聞こえたもんでよ。【血鎖】なら今朝、東の森で行き会ったぜ」
リーザが勢い込んで訊いた。普段ならば警戒心が勝るところだが、八方塞がりで藁にも縋る思いだったのだ。
「マジで? 黒覆面もしくは黒髪の女の子一緒じゃなかった?」
「んーそういやいたなぁ。黒覆面の娘っ子が。なぁオイ」
同席の仲間たちに同意を求める髭面。
「ああ。確かにいたなぁ」
「どの辺で行き会ったの?」
「東の森の……ベイルの沼地辺りだったかな」
「そうそう。あすこら辺だな」
アルノーがリーザの袖を引いて目配せ。軽く頷くリーザ。
「おっちゃんたち情報ありがと。これでエールおかわりしてよ」
「おう、悪ィな。せっかくだからゴチになっとくわ」
店を出たところでラウルが言った。
「なんか怪しくね? あのおっさんたち」
「ぶっちゃけ胡散臭かったよね。まぁガセつかまされたにせよ、裏取りはしてみよ。まかり間違ってクッコロの足取り分かったらめっけもんじゃん」
「じゃあ明日はベイルの沼地の探索か」
「うん。宿に戻ろ。明日に備えなきゃ」
リーザから受け取った貨幣を弄びせせら笑う髭面の男。
「け。銀貨三枚かよ。しみったれめ」
「駆け出しのガキどもじゃそんなもんだろ」
「ところでおめえ気付いたか。さっきのパーティにいたフードのガキ」
「ああ。俺様の勘じゃ、ありゃエルフだな。フードでよく見えなかったけどよ、かなりの上玉と見た」
「エルフの時点で極上確定だろ。エルフ族の並玉下玉なんざ聞いたことねえや」
「……攫うか?」
「ったりめえよ。歩くオタカラ放っぽっとく手はねえ」
精霊魔法に長けたエルフ族は手練れ揃いで、順当に冒険者ランクを駆け上がる者が多い。なので奴隷狩りを生業とする者も普通は標的にしない。例外が駆け出し冒険者の若いエルフだった。
「おう、人数集めろ。大至急だ」
「あのパーティも気の毒になぁ」
「駆け出しパーティが狩場で消息を絶つなんてのはざらにあるだろ。冒険者稼業なんてのはそういうもんだからな。ガキが数人消えたところで誰も気にしやしねえ」




