第101話 ラミルターナ攻城戦
エスタリスのリュートル邸に滞在し、周辺地域の情報収集を進めるクッコロ。参謀としてディアーヌを伴っている。
「エスタリスのすぐ北にある都市が攻撃されてるみたい」
「ラミルターナですね。フォルダリア侯爵領の領都で、カルマリウス様の居城がある街ですわ。敵軍の編制などは分かりますでしょうか」
結界玉の性能についてはディアーヌに情報開示している。
「兵力の見積もりあまり慣れてないんだけど、俯瞰した感じ三万は下らないかな。種族はコボルトとリカントロープ。兵科はっと……不揃いだな。盾兵と徒手空拳の歩兵が多い印象です。弓兵はほとんど見当たらないな」
コボルト族やリカントロープ族は手の構造的に弓箭の扱いが不得手らしい。身体能力に秀でているため肉弾戦は得意らしいが。
「全軍に占める輜重の割合はどんな感じですか」
「ちょっと待ってね……一割前後ですかねぇ」
それが適正な割合なのかクッコロには判然としない。祖父の蔵書から得た知識では、旧日本陸軍でも二割以上を兵站専従に充てていたらしいが。
この世界には魔法袋のような便利アイテムがあるし、クッコロのように理不尽な空間収納を習得した者もいるかもしれない。輜重部隊が少ないからと言って一概には判断しかねるところだ。
「少ないですわね。やはりリカントロープ族は冷遇されている気がします。オーク族にとっては使い捨ての駒なのでしょう」
兵站学も修めているらしいディアーヌは、少ないという判断を下したようだ。
「そういやコボルトとリカントロープって近縁種なの?」
「コボルト族の上位種がリカントロープ族になります。それ故リカントロープ族はコボルト族を見下し、尊大に接すると聞きますわ」
「更に何段階も進化してフェンリルになるんでしたっけ」
ディアーヌの説明によると、コボルトからリカントロープ、スコル、ハティ、マーナガルム、マルコシアス、フェンリルの順番で系統樹が連なるらしい。
「犬獣人は――犬獣人というのは彼らにとってひどい蔑称らしいですが――おそらく進化し易い種族なのでしょう。それでもフェンリルに進化する個体は数千年に一体現れるかどうからしいですわ」
卓上の地図に兵棋を配置するディアーヌ。クッコロは専ら実況報告だ。
「ラミルターナ側はえらく手薄だな。城門の一つ破られそう」
「カルマリウス様始めサキュバス族主力は東方のリオール城に出払っておりますからね……」
ラミルターナが陥落すればエスタリスの維持は困難になるだろう。ひいてはリスナル奪還の戦略が軌道修正を余儀なくされる。
「しゃあない。ちょっくら梃入れしてくるかな」
「あの、クッコロ様。くれぐれもお手柔らかに――全力で暴れることのないようお願い致します」
「……分かってますってば」
どうもカリューグ平野の一件以来、誤解されることが多く心外だ。
(血に飢えた戦闘狂とか風評被害もいいとこだよ。ま、手加減しろってんならウェルス君に変身しとくか)
ディアーヌ情報によると、リカントロープ族はクッコロに対して含む所があるのだという。どうもリカントロープ族の凋落とクッコロの栄達をこじつけて逆恨みしているようだ。
(のこのこクッコロさんで出向いて敵愾心煽るのもね。サキュバスもクッコロさんには塩対応なくせに、ウェルス君だと比較的友好的だし)
そんな訳で居室にてトランスリングを発動。うっかり水高制服のままウェルス・リセールに変身して残念な気分になったのは内緒だ。
「あのような小城を抜くのにいったいいつまでかかるのだ! 役立たずの駄犬どもが」
ラミルターナを包囲するリカントロープ軍本営。オークの軍監がリカントロープの諸将を罵倒していた。
「はて、それがしの聞き違いかな。駄犬呼ばわりされたような気がするが」
「……軍監殿。いくら何でも言葉が過ぎよう」
「陪臣の分際でなんたる物言いか。口を慎め。コルヴィス様はリカントロープ族長ぞ」
「オーク族とリカントロープ族は対等の同盟者。軍監とは申せ、貴様如きにとやかく口出しされる謂れはないわ」
せせら笑うオーク軍監。
「笑止。いつまで対等なつもりでいるのか。時代は変わったのだ。おだを上げている暇があったら一刻も早くラミルターナを占領し、皇帝陛下への忠誠を示すべきではないのかね」
「おのれ、言わせておけば」
激昂した部将の一人が殺気を漲らせる。
「控えよ」
制止したのはそれまで沈黙していたリカントロープ新族長コルヴィスだった。
「軍監殿。ガルシア殿は――」
コルヴィスの胸倉を掴み、顔を寄せるオーク軍監。
「おい。皇帝陛下と呼べ。不敬であるぞ」
「……皇帝陛下は余程我等に信を置けぬご様子と見える」
「前族長グリードの前例がある。歴史は繰り返すという諺もあろう」
「コルヴィス叔父上! 何故あのような下郎をのさばらせておくのですか。彼奴は父上までも侮辱して。許せぬ」
姪のセリナがコルヴィスに食ってかかる。
「彼らオーク族と我らリカントロープ族……一昔前ならいざ知らず、今や彼我の戦力差は絶望的に乖離しておる」
「そんな……彼奴らの専横な振る舞いに、唯々諾々と従うしかないと仰るのですか」
「何故オーク族が近年奴隷狩りに力を入れてきたか、そなたに分かるか」
「金のためでは? オークは欲望への執着心がことのほか強いと聞きますし」
「金か。それも目的の一つではあるだろう。だが真の目的は繁殖のためだ」
「……噂の異種交配というやつですか。悍ましい」
「しかしガルシアの戦略はまんまと図に当たり、簒奪を実現するに至った。もはや我らが離反したとて、ラーシャント朝オーク帝国は何ら痛痒を感じぬであろうな。数だけではない。質でも我らを圧倒している」
「例の種族ごとハイオークへ進化した件ですか」
「さよう。どんな禁忌の技を使ったものやら。ともあれ今は雌伏の秋だ」
項垂れるセリナの肩を叩く。
「そう気落ちするでない。いずれ時節が巡ってくることもあろう。今はひたすら堪え忍んで牙を研ぐのだ。――ところでセルドの消息は未だ掴めんのか」
「はい……杳として」
「そうか。引き続き捜索を頼むぞ」
このところリカントロープ軍の攻勢が激しさを増している。
「城門は放棄する。全軍、領主館まで撤退せよ」
リュシアが命を下す。彼女は領都ラミルターナの留守を預かるサキュバスの若手将校で、カルマリウスの副官リューゼルの娘だった。
リュシアの家はフォルダリア家譜代の臣下で、フォルド連邦末期の知将イザベルは曾祖母、シャールランテに仕えたリューネ副官は祖母に当たる。
「リュシア様。もはやラミルターナの防衛は困難です。エスタリスまで退きましょう。エスタリスにはサイクロプスの残存兵力が未だ相当数駐屯しているはず。ノルトヴァール諸島からの後詰めも期待できます」
人間の部隊長が具申してきた。サキュバス軍とはいえ、サキュバス族だけで構成されているわけではない。サキュバスたちに魅了され下僕と化した人間の男もけっこうな人数が従軍している。
「この街を放棄するなど論外よ」
領都ラミルターナには先々代シャールランテと先代ラミルターナの墓所がある。全てのサキュバス族が崇敬措く能わざる英雄だ。
既に非戦闘員はエスタリスに退避させており、領都に残るのは軍人のみだった。
「御注進! 敵軍、城内に侵入せり! 繰り返す。敵軍、城内に侵入せり!」
「とうとう来たわね……全軍に通達! 領主館へ集結急げ!」
フォルダリア侯爵邸。領主館とはいえ歴戦の名将シャールランテが設計しただけあって、かなり堅固な防御機能を備えていた。
弓兵を連ね間断のない猛射を加えているが、リカントロープ兵は怯まず僚友の屍骸を乗り越え押し寄せてくる。極度の興奮状態でリカントロープ兵は皆狂犬と化していた。
一人また一人とリカントロープ兵の大波に飲み込まれ、四肢を引き裂かれるサキュバス兵たち。
(もはやこれまでか……カルマリウス様、母上、お先に)
リュシアが覚悟を決めたその時。リカントロープ兵の群れが弾け飛んだ。
「何だ?」
人間の若い男が戦場の真っ只中に佇立している。
「友軍か? 見ない顔ね。誰の下僕かしら」
「勇敢だけど、あんな敵中に突出したらすぐ殺されるわよ」
「武器も持たずに何をする気なの、あの男は」
「素手で戦ってるわね。てゆうか、彼強いわね」
「ちょ……強すぎない。何なのあれ」
突如現れた若者が暴れ出した。巨漢揃いのリカントロープ兵に比べると少年のように小柄だが、リカントロープ兵を虫けらのように蹂躙していく。
「手強いぞ。さてはサキュバス軍の切り札か」
「親衛隊でも歯が立たぬとは……」
「小癪な小僧め。どけ、俺が殺る」
「なりませんコルヴィス様! 危険です。あの者、普通ではありません」
「俺とて英雄ラジールの末裔だ。強敵を前に尻尾を巻いて逃げる選択肢などないわ」
側近たちの制止を振り切って若者の前に立つ。
「……リカントロープ族長コルヴィス推参。貴様も名乗れ」
「クッ……ウェルス・リセールです。ごきげんよう族長」
「残念ながらご機嫌とは言いかねるな。一族の戦士を数多殺しおって」
「戦場ですから是非もありません」
ウェルスに対峙して拳を構えるコルヴィス。弓箭だけでなく剣や槍の扱いも不得手なリカントロープ族は、手甲鉤を愛用する者が多かった。コルヴィスの得物もまた長い鉤爪のついた手甲鉤。
「それで引っかかれたら痛そうですね……」
「痛いでは済まんと思うが」
ぺろりと鉤爪を舐める。
「この鉤爪は幾多の強敵の血を吸ってきた。今日は貴様の番ということだ。しかし、サキュバス軍に貴様のような勇者がいるとは知らなんだ」
「いえ、僕はノルトヴァール伯爵家の所属です」
「ほう、ノルトヴァール伯とな。あの得体の知れぬ新興貴族のところか。貴様のところの覆面娘と我らリカントロープ族には色々と因縁がある」
「そうでしたっけ?」
「魔皇陛下の寵を横から攫ったばかりか、我が兄グリードを失脚させ、甥セルドを放逐せしめた」
「それって逆恨みなんじゃ……まぁいいや。族長ってことは、あなたが大将首ってことですよね。あなたをやっつければ、サキュバスの勝ちですね」
「そう首尾よくいくかな。俺はそこらの雑兵どもとは一味違うぞ」
刹那。ウェルスの姿がぶれてかき消えた。
(速い!)
横手に巨大な殺気。咄嗟に両腕でガードするも腕ごと粉砕され、頭部を殴られた。飛び散る血煙と脳漿と頭蓋骨の欠片。コルヴィスの身体がゆっくりと倒れた。
「叔父上ーっ!」
遠巻きに一騎打ちを見守っていたリカントロープ軍の中から一人の女将校がまろび出て、コルヴィスの遺体に縋り付いた。
「おのれ……おのれおのれ、よくも叔父上を!」
リカントロープの女将校を中心に渦を巻くように凝集していく魔力。甲冑や軍服が破れ、体が膨張していく。
(これってもしかして進化ってやつ? 進化し易い種族とかディアーヌさんも言ってたしな)
確かリカントロープの一つ上位種はスコルだったか。
(魔力量とかダンチでパワーアップしてんじゃん……こりゃあ油断できないな)




