第100話 グレイプニル
青の月に転移し、禁書庫のライセルトを訪ねた。先日の【血鎖】戦で鹵獲した分銅鎖を鑑定してもらうためである。
「ほうほう。面白アイテム手に入れたね」
「やっぱ魔法具の類いですか」
「この鎖生きてるよ。生きてると言うと語弊があるかな。自我が芽生えている。所謂インテリジェンスウェポンてやつだね」
宙を漂う結界玉の中に封じ込められた分銅鎖をまじまじと観察。鈍い光沢を放つそれは、一見何の変哲もない。
「クッコロが戦った【血鎖】とかいう冒険者は、おそらくただの操り人形に過ぎないよ。本体はこの鎖のほうだね。銘はグレイプニル。製作者は例によってミューズだよ」
「ミューズ様謹製ですか……」
「あの子、暇に飽かせて魔法具作ってたからね。職人気質というか何というか」
「やっぱ何かいわく付きのアイテムなんでしょうか」
「神話級の大魔獣を弱体化する隠し効果が付与されているね」
「なんでまたそんな隠し効果が」
「ミューズはネイテルが実験で召喚した異世界の魔獣をペットとして飼っていたからね。殺処分は可哀そうとか言って、よくネイテルと揉めてたよ」
「魔創神同士の喧嘩なんて想像を絶しますね」
「そういやヴァレル爺さんがアルヴァントの手下のフェンリルを討伐した時も、このアイテムをミューズから借りて使ったみたいだよ。百戦錬磨のヴァレル爺さんもフェンリルは手強かったみたいで、グレイプニルがなければ危なかったとか零してたな」
「アルちゃんの手下?」
「昔アルヴァントの臣下にラジールというリカントロープ族の男がいたのよ。ヴァレル爺さんの追撃からアルヴァントを逃がそうと必死だったんだろうね。リカントロープからフェンリルまで驚異の五段階進化を成し遂げていたよ。正直、殺すには惜しい逸材だった」
分銅鎖が収容された結界玉を杖で小突くライセルト。
「私たちの話が聞こえているでしょ、グレイプニル。返事をしなさい。狸寝入りするようなら鋳潰すよ」
ややあって念話が脳裏に響いた。
『平に御容赦を……よもや御二方が栄えある観星ギルドメンバーとは露知らず。ご無礼の段、何卒お許しくださいますよう』
「おお、鎖が喋った。変な感じ」
「私はともかくクッコロは不愉快な思いをしたかもしれないよ。今後の貢献で償うことね」
『は。心得ております』
「という訳でグレイプニルはあなたが持っておくといいよ。そのうち役立つこともあるでしょ」
結界玉の中の分銅鎖がクッコロに向かって器用に点頭した。お辞儀のつもりらしい。
『よろしくお願いいたします、クッコロ様』
ドレイク家母娘の差配で立派なオータムリヴァ領主館がこのほど落成し、ようやく公文書からも仮設の文字が消えた。
アーベルトとメルヴァントのためにもっと大きな宮殿を造営するべしという意見もあったが、魔皇国政府としては将来のリスナル還御を見据えているのだろう。現下の情勢ではそれがいつになるか見通せないが。
いちおうノルトヴァール伯爵家の邸宅ということで、真新しい城館各所には丸に隅立四目の紋章が豪華な彫金細工で配されており、苦笑いするクッコロだった。
(リムリア風のお城に秋川家の家紋か。変な感じ)
その領主館の厨房。ミリーナやウェンティらを交え、甘味レシピの改良に余念がないクッコロ。ロックバードプリンとコカトリスアイスを皆に振る舞ったところ女性陣がはまったようで、時々こうして甘味作り指南をおねだりされている。
ケット・シーメイドが厨房にやってきた。
「お取込み中失礼いたします。竜爪団のリュートル様がクッコロ様に面会を求めておいでです」
「リュートルさんが? 何だろ」
「おそらくエスタリス絡みの案件かと。エスタリスは竜爪団の主要拠点の一つですし」
ウェンティが推測を述べる。
「なるへそ。まぁ会ってみるか。応接間へお通しして。ミリーナちゃんお茶の用意お願い。お茶請けに今作ったプリン出してみようか」
「かしこまりました」
応接間で久闊を叙すクッコロとリュートル。
「久しぶりだな、クッコロ殿」
「お久しぶりですリュートルさん。景気はどうですか」
「お前さんの免状交付でいろいろ儲けさせてもらってる。景気はぼちぼち――と言いてえところだが、例のエスタリス騒動でかなり損害を被りそうな雲行きだ」
「あれま」
「今日の面会もエスタリス絡みの陳情なんだが」
(ウェンティちゃんの予想通りか。さすがに慧眼だな)
プリンに手を付けたリュートルが目を瞠った。
「変わった菓子だが美味いなコレ」
「試作中のお菓子です。皆さんに好評なんですよ。将来的にうちの名産にしようと目論んでまして」
「砂糖けっこう使ってるな。かなり高価な菓子になるだろ。……いや、お前さんがその気になりゃ僻地の稀少食材だろうと現地で買い付けできるのか。交易に携わる者は商売上がったりだな」
「市場を荒らすつもりはないですよ」
一頻り交易談義に花を咲かせたところで本題に入る。
「耳の早いお前さんのことだ。既にエスタリスの情勢は掴んでいると思うが」
「ええまぁ」
重臣たちの侃々諤々を横で聞いていただけだが。
「オーク方はエスタリスの混乱を好機と見て出兵の準備を進めているらしい。エスタリスの住人は近隣の街へ避難するってんで、上を下への大騒ぎだ」
「あらら」
すぐさまエスタリス上空の結界玉で状況を確認。家財道具を荷車に満載した人々が街道に列をなしていた。
「エスタリスにゃうちの身内や顧客が多くてな。オータムリヴァへの移住希望者から口利きを頼まれてんだ。なんとかならねえかな、クッコロ殿」
「かまいませんよ。魔皇国民の保護はうちの領地設立の趣意ですし。なんなら念書でも書きましょうか?」
「そうしてもらえるとありがたい」
リュートルの目の前で念書を認め、封蝋を施す。
「だいぶ貴族作法が板に付いてきたじゃねえか」
「揶揄わないでくださいよ~。ゼノンさんの見様見真似ですし」
「何事も模倣から始まるもんだ。なんにせよ助かったぜ。これにてお暇する」
慌ただしく席を立つリュートル。既に心ここにあらずの様子。
「今からエスタリスに向かわれるんですか」
「ああ。情勢が逼迫してるからな。グズグズしてたら助けられるもんも助けられなくなる」
「あたしも付き合いますよ。快速船よりずっと早く往来できますよ」
「なるほど。噂の転移魔法ってやつか。だがいいのか? 魔皇国の機密と聞いたが」
「今更ですよ。リスナルから何万人もオータムリヴァに転移させてるし」
「……ではお言葉に甘えさせてもらう」
「で、エスタリスのどこに跳びましょう」
「そうさな、カモメ亭って酒場知ってるか? 港湾区の倉庫街にあるんだが」
「知ってますよ。海賊の溜まり場でしょ」
昔アルヴァントと二人で訪れ、ごろつき相手に大立ち回りを演じた思い出の場所だ。
(大立ち回りちゅうか、アルちゃん一人で無双してたような気もするけど)
「んじゃカモメ亭で頼む。そこのマスターが情報屋でな。まずは奴と繋ぎを付けたい」
「合点承知」
(咄嗟に合点承知とか口走る現役JKって、世界広しといえどもあたしくらいのもんじゃないの。これもおじいちゃんの薫陶よろしきってやつか)
カモメ亭に転移。転移魔法初体験のリュートルは茫然自失の様子。
「……でたらめすぎて言葉にならんな」
袖を引いて注意を促すクッコロ。
「マスターさん接客中みたいですよ」
「ん? なんだ、ツヴァン一家の女狐じゃねえか」
「聞こえてるわよリュートル」
カモメ亭マスターのバルシーズと面談していたのは、エスタリス裏社会三頭目の一人と目されるツヴァン一家棟梁ターリスだった。
クッコロの姿を認識するや席を立って遜るバルシーズ。
「これは。ご無沙汰しております、クッコロ様」
「あ。おひさです」
この遣り取りを興味深そうに観察するターリス。
「バルシーズ。あなた、その子の子分にでもなったの? 公正中立が売りの情報屋としては悪手じゃなくて?」
「生計すなわち方便なんでな。妥協や変節も起こり得るってもんだ。そもそも、ターリスの姐御ともあろう者が情報屋に幻想を抱き過ぎだろう」
「ほーん……後ろ盾を得たからって随分生意気な口利くようになったじゃない。情報屋風情が。まぁいいわ。夜道には気を付けることね」
ターリスはクッコロとリュートルを見比べた。
「反骨で鳴るリュートルまで手懐けるとはね。なかなかの人たらしぶり、おみそれしたわ」
バルシーズが注意する。
「姐御。こちらの方は――」
「知ってるわ。クッコロ・メイプルさんでしょ。去年の三頭会談の席以来ね」
「ご記憶でしたか」
「忘れたくても忘れられないわ。どこぞの謎の組織の総帥とかいう設定だったかしら? 正体は魔皇国魔法相にしてノルトヴァール伯爵、でしょ」
「ありゃ。バレてましたか」
「本職の情報屋ほどではないけれどね。裏社会の顔役なんてやってると、色々耳に入ってくるのよ」
(諜報力を誇示してマウント取ろおっての?)
手の内を晒すことには何らかの意図があるのだろうが、生憎クッコロはこの手の駆け引きの経験値が足りない。
「エスタリスのシマを引き払ってオータムリヴァに拠点を移したいんだけど。うちにも便宜を図ってくださらない、伯爵閣下」
渋面のリュートル。聞こえよがしの声でクッコロに耳打ち。
「やめとけって。ツヴァン一家は賭博と麻薬の元締めだ。オータムリヴァの風紀が確実に乱れるぞ」
「人のこととやかく言えないでしょ。竜爪団のシノギだって密貿易と海賊稼業じゃないのさ」
「まぁカジノ開帳くらいは大目に見ますけど、麻薬はダメです」
「そこは上手くやるから大丈夫よ」
「いや、上手くやられちゃ困るんですけど……」
「領主に清濁併せ吞む度量があれば領地は発展するものよ。損はさせないわ。ところで、あなたの側近の金髪の子は元気にしてる?」
(金髪の側近? 誰だろ。ランタースさんのことかな)
クッコロの戸惑いを見て取り、補足してきた。
「三頭会談の時、クッコロさんと一緒にいたじゃない」
「ああ、アルちゃんのことか」
「そうそう、アル・チャンさん。彼女いいわよね。極上の美少女な上、肝が据わってるし機転も利く。うちの一家に引き抜きたいくらいだわ」
(そういやアルちゃん三頭目と丁々発止で交渉してたな、あん時)
リュートルがうんざり顔で説明した。
「この女の表看板は置屋でな。綺麗どころと見るや見境なくスカウトしてくるんだ。あんたも気を付けたほうがいいぞ」
「へぇ。女に無頓着なリュートルにそこまで言わせるとはね。その覆面の下の素顔はかなりの上玉と見た」
「ターリス、その辺にしとけ。つい忘れがちになるが、この人ぁ魔皇国の大貴族だ。テメーが逆鱗に触れて墓穴掘るのは勝手だが、俺までとばっちりで粛清されたらどうしてくれるんだ」
「しませんて。そんなこと」
「結論から言うと、アルちゃんは亡くなりました」
「あら、そうだったの。惜しい人を亡くしたわね」
リュートルやバルシーズも驚いている。
「マジか。病気とか事故か?」
「裏切り者に闇討ちされまして」
「あれほどの強者が……」
「貴族界隈も大変なのね」
あの時のことは今思い出してもはらわたが煮えくり返る。
「んで、その裏切り者とやらに返しはしたのか?」
「いえ。いろいろごたごたしてたんで特に何も」
硬直して脂汗を流すリュートルとターリス。バルシーズに至っては青ざめて慄いている。知らず知らず殺気が洩れていたようだ。
「鬱憤溜まってるなら早めの報復をお勧めするわ」
「そのうちきっちりケジメ取りますよ」
「ま、まぁほどほどにね」
「勢い余って世界を滅ぼさんでくれよ。あんたなら可能だろうしな」
(失礼な。あたしのこと何だと思ってんの、この人たち……)




