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彼女と夏の風物詩達  作者: 零夜
2/6

 金魚

「おやおや、別嬪さんが台無し。汚れまみれじゃないか」


 からころと、下駄を鳴らしながら流華は艶然と笑った。夏の太陽にも負けないくい眩しい笑顔だ。涼はくらりとした頭を振り、今回の召し物に視線を流す。

 

 うねりを帯びた腰まで伸びる朱髪は一つに束ね、白い牡丹の花飾りが添えられている。華奢な体を最大限に魅せるために纏っているのは白地の浴衣。大輪の朱華と金糸の流れが躍り、彼女をさらに華やかに見せていた。


「誰かさんのせいで、大急ぎで用意していたのよ」

「おや、誰のことかしら?」

「あなたよ、流華さん」

「それは失礼」


 鈴を転がすような声で笑う流華は、ぱっちりとした丸い目をきゅっと細めた。朱を塗った切れ長の目じりが下がる。


「それに、まだこれだけしか用意できてないの」


 涼が指先で金魚鉢をつつけば丸い跡がぽこんとついた。

 つられるように流華の細い指が伸びてきて表面をなぞる。硝子の色は薄くなり、白い指先が茶色に染まった。


「水の用意もないし、水草も買ってきてないのよ。砂利はなんとかなるけど」

「水は自分で用意できると言っているだろう、あと」


 しゃべりながら淡い緑にたくさんの雫をつけているものを突き出す。

 それが何かを理解した涼はぎょっとした表情になり、おもしろかったのか、流華は声を上げて笑った。


「どこから持ってきたの?」

「うちからに決まってるじゃないか。まさか、道中で引っこ抜いてきたと思ったのかい?」


 早とちりだねと笑われて、涼はぺろりと舌を出す。ごまかしつつ足を伸ばして引き戸を開けた。行儀悪いねと言われても、どこ吹く風だ。


「立ち話しててごめんなさい、どうぞ中へ」

「涼、招き(・・)をしてくれないと、私らはこの平屋に入れないんだよ」

「忘れてた」


 あきれ気味に注意され、またぺろりと舌を出した。

 そそくさとに中へ入ると、流華と目を合せる。逆光でもはっきりとわかる、鮮やかな緋色の髪と金色の目を見つめ、すっと息を吸った


「『いらっしゃい』 流華」

「世話になるよ、涼」


 さっと二人の間を涼やかな空気が流れた。それが合図のように流華は中へと入る。彼女の表情には強張りがあったが、一呼吸するとそれは水泡のように溶け去った。

 その表情を見て、涼もほっと息をつく。 


「さーて、お手伝いしようかね」

「え、いいわよ。お客様なんだから」

「なーにいってるのさ。のんびりしようにも、部屋がまだ用意できてないんだろう?」


 ぺたぺたと廊下を歩く流華の目が動いた。真円の月に浮かぶ黒目が目ざとく、隅に積もる埃をとらえる。部屋を仕切る襖や障子戸、ガラス窓、日の光がなくともわかる薄い汚れに、彼女の口元に苦笑が浮かぶ。


「やっぱり、一人だと掃除が大変みたいだね」

「一応、生活に使う場と部屋の中は綺麗にしているつもりなんだけどね」

「廊下の真ん中や、窓は綺麗にしているようだけど」

「手が回らないのよ」

「そりゃ、失礼。でも、ついつい目が行ってしまう。私は汚いのが隙じゃないからね」

 

 苦笑を浮かべた流華に申し訳ないと思う涼。もう少し掃除をしておけばよかったと、気落ちした声音がつい漏れた。

 が、ぺしんと背中を叩かれる。


「涼、毎年同じこと言わせるんじゃないよ。私は大丈夫、ここならね」


 パチンとウィンクをされ、ふふっと笑い声を漏らす。うんと頷き、突き当りの居間へと案内した。

 居間の真ん中にはちゃぶ台が鎮座して、存在感を放っている。その上へと一旦金魚鉢を置く。


「ここに水草をいれておく? これから洗うし」

「そうしようか」

 

 ぽんと、軽く投げ入れられた水草の先端は緑が少ない。涼は、それに気づいたが何も言わなかった。うーんと伸びをして庭を見る。


「じゃ、やりましょうか」

「そうだね。洗うのは私がやってしまうから部屋をお願い」

「部屋はもう整えてあるのよ、それに」

「どこになにがあるかは知ってるから。分担した方が早いだろう?」

「違うは、流華さん一人だと……」


 遊ぶじゃない。という涼の小言から逃れるように、流華は金魚鉢を持ち上げて庭へと向かってしまった。ひらひらと金魚のひれのように裾が揺れる。

 

「自分の都合が悪くなると、逃げるんだから」


 浴衣を汚さないと良いんだけど、とぼやきながらため息を吐く。

 伸ばした手をこめかみにあて、ぐりぐりと揉みながら庭へと向かう。

 バシャバシャと水を使う音を聞こえてくる。


「流華さん、水使いすぎ」


 庭ではありえない光景が広がっていた。流華はホースを持ち、そこから水を大量に流している。その水が、彼女の手の動きに合わせて舞うように動くのだ。まるで一本の帯のように。

 普通の人が見れば摩訶不思議な光景に腰を抜かすだろうが、涼は慣れているので、あきれるだけだ。

 

「水道代がかかるって?」

「庭もびしょびしょになるしね」


 それに浴衣もと苦言を続けるが、素知らぬ顔で水球の中に漂う金魚鉢を洗っていく。まるで、洗濯機に入れられているみたいだと涼は思った。


「砂利も洗ってあるよ」

「もう!?」

「暑くて敵わないからね。さっさと居場所を作って(・・・)涼しくなりたいんだ」

「だったら部屋の中で涼んでればよかったのに」


 やることがなくなってしまったので、縁側に腰掛け、プラプラとサンダルを引っ掛けた足を揺らす。

 流華が手を動かすと、水の帯からいくつもの水球が生まれた。それは手の動きに合わせて形を変えていく。


 現れたのは金魚だった。

 水できた透明の金魚が長い優美なひれをひらひらと動かしながら庭を泳ぐ。

 ぱちぱちと瞬きをする度に、一匹また一匹と増えていった。

 

 様々な大きさの金魚は群れになると涼の周りをぐるぐると旋回する。 

 袖をまくった腕に擦り寄ってくる金魚に小さく笑みをこぼす。


「涼、パス」

「わぁ!?」


 透明な群れを見て楽しんでいた涼は、その壁を突き破るように飛んできた金魚鉢をキャッチする。勢いが強すぎたせいで、危うくうしろに倒れかけた。

 ジャラリと中で斑色の砂利が鳴る。真ん中には水草がしっかりと根を張っていた。


「びっくりした」


 落とさなかったことにホッとしつつ、恨めしげに流華を睨む。睨まれた彼女はニコニコと笑いながら、ホースを片付けている。


「まったくもう」


 曇り一つなくなった金魚鉢を、日の光にかざすとキラキラと虹色の輝きを放つ。砂利や水草も光を帯びているように見えた。

 

「お入り」


 美しい声が響いた。その声に導かれるように群れが動く。冷気と飛沫で涼の周囲を冷やしていた水の金魚達は、掲げられている金魚鉢の中に飛び込んでいった。


「全部入った?」


 最後の一匹が飛び込んだのを見て、膝の上へとおろす。たぽんと澄みきった水が金魚鉢の中で揺れる。細かな気泡が表面でぷくぷくと弾けていく。

 手の平に伝わるつるりとした感触と、ひんやりとした冷たさに目を細める。


「この金魚鉢は、流華さんの居場所となる」


 ぽつりと、水面に波紋を起こすように言葉を涼が落とす。それに呼応するように、ちかりと金魚鉢全体が青い光につつまれた。

 その眩しさに目をつぶった瞬間、ぱしゃんと中になにかが入る。


 そろりと、目を開いて涼は微笑んだ。


 青い光につつまれた金魚鉢、その中に一匹の金魚が泳いでいた。

 朱色の体は華のように鮮やかで、長く伸びる白いヒレはひらひらと水の中でたなびいてる。きょろりとした金の目はつぶらで、どことなく笑っているように見えた。


「居心地はどうですか?」


 ゆっくりと水を揺らさないように持ち上げて、涼は金魚に親しげに声をかけた。

 くるりと優雅に水中を待った金魚はぱくぱくと口を動かす。すると、


『いい気分だよ』


 すこしくぐもった流華の声が水の中から響いてきた。性格には、金魚からだ。


『ここは相変わらず居心地が良いね。早く来てよかったよ』


 くるくると円を描くように動く、金魚こと流華。その言葉に苦笑を浮かべてそれはよかったとつぶやく。

 

「お祭りまでは、まだ時間があるし。ゆっくりしていってね」

『今年はあと何人来るんだい?』

「あと、三人よ」

『そうかい。なら、来るまでのあいだ涼の視線を独り占めしようかな』


 ぱしゃんと、一度飛び上がると水しぶきがパラパラと舞う。それは、小さい金魚になり涼の周囲をくるくると泳ぐ。

 その涼しげな形と、流華の気持ち良さそうな姿に夏の暑さをわすれ魅入る。


 目で見る涼しさを持ってきた金魚の流華。


 次は誰がくるんだっけと呟きながら、涼は夏の音を聞いた気がした。

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