麦茶
今年も彼女のもとに、手紙が届いた。
趣の異なる便箋。四通それぞれに綴った相手の性格を表した文字が躍る。
白地に赤花が散った華やかな便箋に、流れる細字。
紙の端がくしゃっとシワになった、元気いっぱいの字。
つるりとした手触りの紙面。対照的な、型に納めたようなかっちりとした文字。
どこで売っているのかはわからない漆黒の紙にふにゃりとした青白い文字。
時候の挨拶がつづられる手紙や、用件が一文だけ記されただけのもの。
今年の夏も彼女のもとで過ごすという内容を、四通とも伝えてきた。
くすりと笑いながら、彼女は支度を始める。
夏を共に過ごすための。
「ここらへんにしまったと思ったんだけど」
扉が半分開け放たれた物置の中から女性の声が押しだされる。ガタゴト、中で物を動かすたびに、吐き出される砂埃理と共にだ。
「一回休憩しよ。まだ時間はあることだし」
弱り切った声音とともに現れた女性は、首にかけていたタオルで流れる汗をぬぐった。
頭の上で結い上げられた黒髪に埃がまとわりつき、二度見せずにはいられない凛とした顔立ちには砂埃が。すらりと伸びる手足に、纏うシャツや七分丈のパンツにも、錆びやシミなどがついている。
それでも、彼女の美しさは損なわれてはいない。逆に汚れが際立させていた。
「あー、喉乾いた」
パタパタと手を動かして自分へと風を送る。庭を横切り縁側へと向かいながら、ぼやいた。
サクサクと雑草を踏みつけて歩く。視線の先には太陽の光を反射し、鈍く輝く廊下。暗い影のかかる場所で避難するように盆がチョンと鎮座していた。
その上にはひっくり返されたグラスと、小さめのやかんが置いてある。
「あ、やっぱりグラス熱くなってる」
彼女は手を伸ばして盆を引き寄せると、グラスを持った。ため息を吐きつつやかんの取っ手を握ると、中身を注ぐ。
ドポン、と勢いよく硝子の中に飛び込む麦茶は、香ばしい独特の香りをふんわりと立ちのぼらせる。
彼女は表情を緩めながら、廊下に座った。
「いただきます」
ある程度の量を注ぐと一気に煽った。白い喉がごくごくと動く。目を閉じ、美喉を鳴らしながら彼女は飲み干していく。
「あーおいしい」
ぷはぁと、感嘆の声を漏らし満面の笑みを浮かべる。額から流れ落ちる汗を手の甲で拭ってから、二杯目を注ぐ。
硝子の中に音を立てて注がれる、煮出された麦茶。小麦色には濃く、褐色というよりは薄い色だ。
その色を太陽にかざしてじっと見つめ、香りをたっぷりと吸い込むと、二杯目をゆっくりと口に含んだ。
独特の苦さと甘みの混じった味、夏の味を楽しむようにゆっくりと。
ジリリリン
ジリリリン
廊下の奥から突如呼び出し音が響いた。それは、家中に広がるような音で、彼女へ連絡が来たことを伝える。
履いていたサンダルを蹴飛ばすように脱ぎ、パタパタと電話のもとへ駆け出す。
麦茶を注いだグラスをもったままでだ。
「はい、もしもし?」
古風な呼び出し音を鳴り響かせる黒電話の受話器を取る。
応答をした彼女の耳に一拍間が空いてから男性の声が流れ込んできた。
『もしもし、涼さん?』
「あら、水瀬さん! どうしたの?」
『あー、その』
電話の相手、水瀬は言い淀んだ。言い辛いらしく、妙に歯切れが悪い。
涼は、彼が話し出すの待った。グラスを持ってきてしまったことに気付き、ペロッと舌を出して。
『流華様のことなんだけど』
「流華さんが、どうかしたの?」
『今年も涼さんの所にお世話になるよ、な?』
「ええ、手紙が来たわ。流れるような文字に、綺麗な便箋。相変わらずセンスがいいわ」
うっとりとした声音で相槌をうちながらも、涼は続きを促す。持ってきてしまった麦茶で喉を潤しながら。
『その、さ。お世話になるって言っても、もうちょうい先のことのはずだろ』
「ええ。一週間後にお邪魔しますって」
電話の上にかけられたカレンダーに目を向け、日付を数えてから頷く。あちゃーと、電話の向こうで水瀬が困ったような声音を出した。
涼のきりりとした柳眉の間に、しわがよる。
ただ事ではないと感じ取ったからだ。
『それが、さ。こっちの予定がバタバタになっちゃって、さっき流華様が……』
「え!? まさか!」
『そのまさかなんだ。流華様、涼さんの家に行くって言ってうちをでちゃったんだ』
「ええええ!」
含んでいた麦茶を吹きかけたのをこらえながら、驚愕の声を上げる涼。ゆらゆらっとグラスの中身で動揺を揺れた。
「ま、まだ何も用意できてないわよ!?」
『俺だってそう言ったさ! そうしたら、「たまにはお手伝いするのもいいわ」とか言って止める暇もなくヒラヒラーっと』
「水瀬さんの家を出てしまったと」
『はい』
「どれくらい前のこと?」
『十分ほど前だ。すぐに連絡できればよかったんだが、こっちも立て込んでいて』
申し訳なさそうな水瀬の声の背後から、バタバタと人がせわしなく動いている音がした。何かを指示する大声や、それにこたえる声がひっきりなしに響いている。
なんとなく状況を察した涼は、こつんと額にグラスを当てて深呼吸をした。気持ちを落ち着けるために。
「わかったわ。流華さんのだけは用意しておく、あとは宣言通り手伝ってもらうことにするわ」
『わりぃな、涼さん。この件に関しては、後日埋め合わせする』
「流華さんについては、いつもどおりだから気にしなくていいわよ。もっと、突飛なことされたら怒っていたけどね」
くすくす笑いながら、準備があると涼が伝えれば、詫びの言葉の後に通話が切れた。
チン、という音を立てさせながら受話器を戻し、汗をかいたグラスの中身を一息で飲み干す。よしと呟くと、彼女はパタパタとまた廊下を走った。
グラスを盆の上に置くと、ピョンと庭に飛び降る。足裏が汚れるのも構わずに、散らばったサンダルに足を入れ庭をかけた。
つんのめりながら物置の中へと飛び込む。
中は、変わらず大中小の様々なものが乱雑に積まれていた。が、彼女の視線は吸い寄せられるように天井近くへ向けられる。
段ボールが積み上がるてっぺん。そこにあるもの目掛けて、彼女は腕を伸ばす。
つま先立ちをするが、あと少しというところで、彼女の手は届かない。
とれるものならばとってみろというように、涼のほうへと傾いているが、指は掠めるだけだ。
彼女はムッと言う表情をしながら、一度、しっかりと足を床に着けた。首を傾けて、じっくりと角度を観察する。
「せいっ!」
狙いをつけると、彼女は一番下の段ボールを蹴った。下から上と衝撃は大きくなっていく。
ぐらっと一番大きく揺れると、ゴロリと目的の物は落ちてきて、伸ばした腕の中におさまる。
「ふー、やれやれ」
一息つきながら物置から出た涼。蹴り落とした物を太陽へとかざす。
それは、砂埃でくすんだ金魚鉢だった。彼女の顔がすっぽりと入ってしまいそうな大きさで、波形の縁はほんのり青い。表面には、うっすらと模様が掘りこまれている洒落たものだ。
「まずはこれを洗って、砂利を入れて。あ、水草買ってこないと」
縁側へと移動しながらこの後の手順を並べる涼。が、彼女の思考を途切れさせるように、呼び鈴が鳴った。
「まさか……」
聞き間違えだよねと呟きながらも、玄関へと向かう。金魚鉢を落とさないようにえっちらおっちらと。
また呼び鈴が鳴った。
今度はせかすように、何度も。
「はーい!」
返事をして小走りに玄関へと向かう。砂利に足をとられつつ、表へと回れば。
そこには華やかな浴衣をまとった女性がいた。
その姿を認めた涼は苦笑いを浮かべる。
気配に気づいたらしい女性は、くるりと涼の方を向いた。
「ひさしぶりだね、涼。今年の夏もお世話になるよ」
艶やかな美貌に笑みが浮かぶ。
「いらっしゃい、流華さん」
歓迎の言葉をかけながら、涼は思った。
今年の夏も始まった、と。




