七日目。今日は満月イブ。
アビスプリズン休憩室。
「はぁあぁああああ……」
「今日の溜息は一段と盛大だな、ギル」
大男ギルエスと皆の姉御アーリンはベンチに並んで座っていた。
二人の目の前の卓には、全く同じ桃風味の乳酸菌飲料入りペットボトル。
「そりゃ盛大にもなりますよ……拷問部屋に行くと奴が……ああもう恐ろしい」
「奴?」
「……何と言うか、すごいフレンドリーなムカデです」
「意味がわからんぞ」
そう言われても、これ以上『奴』を端的に言い表せる言葉は存在しない。
奴こと奇跡のムカデ、ムッチンは、異様にスキンシップを取りたがる。
ムッチン自体が人懐っこい性質なのだろうが、虫は基本的に温暖を好む。おそらく、人肌より少し暖かいくらいの温度が大好きなのだろう。
ギルエスは筋肉がモリモリな分、常人より代謝が激しく体温が高めだ。ムッチンから見れば超絶良い男である。
ギルエスは今朝の責問の際にもムッチンにホールドされかけた。
ギャパ奈が「あははははは! 何この子超ウケるんですけどー! おおー足がワサワサしててキモ気持ち良かですな~! もっと脇腹の方をくすぐっていただきたいんですが構いませんね!? にゃばははははは!」とムッチンを逆にホールドしなかったら確実にヤられていた。
もうあの喧シスターの同伴無しでは拷問部屋に行けない。
そう思うとお兄ちゃんは自然と溜息も出てしまう。
「一刻も早くエミリナ・スカーレットの責問を終えたい……」
「でも、確かお前の担当はまだ諜報部の情報調書も上がってないんだろう?」
「……そろそろ上がって来るとは思うんですけどね……」
そう、未だにエミリナの身辺調査レポートは上がっていない。
ギルエスは今「対象の詳細はわからないが、とりあえず軽めの拷問にかけて今聞き出せるだけ情報を聞き出しとこう」と言う前準備段階なのだ。
本番はエミリナの詳細な情報が上がってきてから。
彼女が関連しているだろう組織等の影を掴んだ上で、聞き出すべき情報を精査しなければならない。
「更に言えば、名前以外はまだ虚偽と思われる情報しか掴んでないとも言ってたな。進展あったのか?」
「……ありません……未だに、口を開けばフリーのスパイだと……」
「フリーランスが一国の王族に手を出す訳が無いしな」
エミリナを捕らえた警察官の話に寄ると、彼女が確保されたのは王宮の裏手。
王宮の塀を穴が空きそうなくらい見つめていた所を職務質問した所、ポロっと口を滑らせて御用となったらしい。
フリーランスのスパイなんて、一般認識で言えば探偵にパパラッチを足した様な存在だ。著名人のスキャンダルを、業界の裏側の何歩も踏み込んだ所まで探りに行ったりするのがせいぜい。
到底、国家機密レベルの情報に手を出す様な輩では無い。
相応のバックアップも無しに、個人レベルの能力やツテで国のガードを抜くなんて、絶対に不可能だ。
後援組織付きや国に雇われているスパイの働きを『大砲による砲撃』に例えるなら、フリーのスパイのそれなんて『輪ゴム銃での銃撃』。
その威力、そして狙うべき対象の差は明らかだろう。
「もし本当にフリーだとしたら…その女は相当の阿呆だな。身の程を知らな過ぎる。それも有り得ないレベルの阿呆だ」
城壁を崩そうと輪ゴム銃を乱射する奴を、阿呆と呼ばずして何と呼ぼう。
「……………………」
「ん? どうした?」
「……いえ。別に……」
ギルエスは少しだけ、エミリナに違和感を覚え始めていた。
それは、昨日のエミリナの反応。
ギルエスがムッチンを見て気絶した後、無事に起きた(ちょっと記憶飛んでたけど)ギルエスを見て、彼女は微笑んでいた。安心した、と自然に口角を緩めていた。
些細な事。僅かな表情の変化だ。だが、些細な変化だからこそ、そこには人間の素が現れると思う。
もしアレが彼女の本心から来る表情だったとしたら?
自分を監禁している拷問吏が倒れて、あんな自然な安堵の気持ちを見せる捕虜がいるだろうか。
普通なら、気絶してる間にトドメを刺して鍵を奪い、脱獄を謀るとか……とにかく、何かしら画策するだろう。
だのに、エミリナはギルエスをわざわざソファーまで運び、寝かせた後に何もせずただ見守っていた。
そして、ギルエスが起きた事を、無邪気な微笑みで喜んだ。
もしアレが神レベルな演技で無いとしたら、相当の阿呆だ。
それこそ、身の程も知らずに国家機密に手を出そうとするフリーのスパイレベルの阿呆だ。
「……………………」
まさか、彼女の言っている事は本当なのか……?
ふと、ギルエスの中でそんな疑惑が浮かぶ。
「そう言えば、その女も隣国の出身だったな。案外、ブラグリの関係者だったりしてな」
「……『黒い閃光』ですか……アレに付いては、一度カマをかけてみましたが関係無さそうでした」
初日に名前を出して見たが、エミリアは欠片も特別な反応を見せなかった。
「先輩は確か、連中の構成員らしき奴を拷問中でしたっけ」
「ああ。調書も上がってる。ほぼ確定で間違い無い。ジンロ・ガロ。お前の担当と同じ国の出身。ブラグリの幹部と見られる女との接触後、公的には行方不明になってた男らしい」
「どう考えてもクロですね」
「だが、責問は難航してるよ。かつてない程に面倒臭い相手だ」
「面倒臭い?」
「異様に爪が丈夫でな、全然剥げない。一番出力の高い電動ペンチでも駄目だった。何なんだアレはふざけるなもうクソが」
「先輩は本当に爪剥ぐのが好きですね」
「好きって訳じゃない。手っ取り早いから贔屓してるってだけさ」
普通の人間ならいくら手っ取り早くても多少は躊躇う手法だが、アーリンは生まれてから今までずっと加害者側として生きて来たため、人に痛みを与える事に躊躇いがない。
まぁ、そう言った加虐行為を愛好している訳では無い事だけが救いか。
加虐意図の一切無いスキンシップ感覚でギルエスはよく蹴られているが。
「皮膚も異様に硬くて、ロクにダメージを与えられない。精神攻撃も駄目。全くこっちの話を聞かん。何を言っても聞いてもニタニタ笑いながら『月が満ちたらオラァ』だのと意味不明な事ばかりだ」
「あの、ちょっと良いですか? ダメージを与えられない程に硬い皮膚って一体……」
アーリンの事だ。刃物や凶器の類を試していないとは考えにくい。この人は下手したら猟銃とか持ち出す人だ。
その上でダメージを与えられないなんて、有り得ない。
「……例の噂は、本当かもな。改造人間」
「いやいやいや……それは流石に……」
確かに、ブラグリは改造人間を作ろうとしてる、なんて馬鹿げた噂もあるが……本当に根も葉も無い馬鹿な話だ。
ブラグリの戦闘員の制服が黒の全身タイツに目出し帽と言う組み合わせだから、そう言う噂が流れているに過ぎない。
「いや、でもアレマジでビビるぞ。爆薬は少量だったとは言え、爆弾飲ませても平気な面してた」
「ちょっと待って先輩!? 先輩は拷問吏ですよね!? それ完全に処刑ですよ!?」
「何かずっとニヤけてるからイラッとしちゃって……」
「先輩!?」
「今日は趣向を替えて、水貯めた桶に一〇分くらい顔を突っ込ませてやろうと思ってる」
「先輩!?」
夜。
切れかけの蛍光灯が点滅照する、とある拷問部屋。
その中心に設置された鉄椅子に座り、大柄の影がただ静かに佇んでいた。
「アァアアアアア……感じるわぁ。こりゃ来てるわァアアァァ……」
断続的に点灯と消灯を繰り返す蛍光灯の光に照らされ、大柄な男のスキンヘッドが脂っこく光る。
灰色の顎髭は見るからに剛毛。勢い良く指を差し込もうとすれば、逆に毛が指に刺さりそうだ。
髭はすごいが、その浅黒く岩壁の様にゴツゴツの肌にはシワが無く、体格も太ましくしっかりしている。歳を食っていたとしても三十路前後だろう。
分厚く黄味がかった爪が生えた両手は、手首の所で手錠を嵌められていた。
「くひァ」
にんまりと、スキンヘッドの男は笑う。
自分の全身に生える産毛と言う産毛が逆だっているのを感じたからだ。毛穴と言う毛穴が疼いている。
「近い近い近い近い近い近いちィィィかアァァァイィィィィィイイ良ィイぜゴルァ……」
それは、予兆。
とある星が接近し、その引力が、彼の魂を刺激している。
覚醒を促している。
「…………こりゃ、『明日』だなオラァ」
男は、静かに天井を仰いだ。
同時、完全に蛍光灯が切れる。
暗闇に包まれても、眉一つ動かさずに男は天井を見つめ、ニヤけ続ける。
男は、楽し気に眺める。
この天井の遥か先。夜空に浮かぶ、満ちかけのつk…
「にゃっぱぱぱ~んッ! 華麗にビックリマーク大連打! アーリンさんの補佐さんは今日有給だそうなので、代打は皆さんご存知ギャパ奈が登場FOOOOOOOO!! そしてその手にはぁぁぁ蛍光TOOOOOOOOO!」
「………………………………」
「さてさて、はじめまし…って、あるぇ!? 超絶真っ暗リン!? ギリギリ間に合わなかった感じでうぃすなのですか!? オーマイゴォォォ! ギャパ奈一生の不覚! 不甲斐ない私を許してアーリンさんの担当捕虜さん! 死んじゃ嫌ぁぁぁぁぁ! 私を置いていかんといてぇぇぇぇ!」
「いや、蛍光灯切れたくらいで死ぬ訳…」
「なんつってってのてー! 蛍光灯切れたくらいで誰が死ぬかって話ですよねー! あはははははははは! ってな訳で蛍光灯替えマースなのデース!」
「………………………………」
「ちなみにビックリマークの正式名称はエクスクラメーションマーク! エクスクラメーションギャパ奈によるエクスクラメーション蛍光灯エクスクラメーションチェンジをご覧あれッ! あ、暗くて見えませんですねー! あははははははははは!」
「……………………外で会ったら覚悟しろよオラァ……」
この時、初めて男の顔から笑顔が消えていたと言う。