表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/21

前橋彰子からの薫陶。

-まずは、笑いなさい。


彰子姉様がそう言いました。

だから、壇上の彼女と目が合った時、ただただ笑いました。


-色々と伝手を使って調べてみたけど、彼女はあれね。私の予想通りの子だったわ。

いい?あの手の女はね、世界中の人々の幸せよりも自分の幸せ、自分が考える通りに世界は自動的に動くものだと思っているの。

自分の幸せの為に奈落に落ちる事こそが役目だと思っている相手が、足蹴にされようとも笑っていられると、自分の考えとの齟齬に混乱して、意味が分からな過ぎて恐怖を感じるものだから。

きっと、彼女は一通りの流れが終わったら、貴女を見るわよ。自分の幸せを確かめる為に、貴女の顔に表れる憎しみと苛立ちと、悲しみと絶望、それを確認しようとする。

そんなもの私は持っていないのっていう、余裕綽々な笑顔を見せてあげなさい。

未練なんて、そんなものあるわけ無いでしょうって、そう見せつけてやるの。


はい。彰子姉様。

彰子姉様に参考にしなさいと観せて頂いた漫画やアニメ、ドラマの方々のように、私は上手に笑ってみせます。

あぁいったものは「低俗」と宮成の先代当主夫人、宮成清花刀自から禁じられていましたから、彰子姉様に渡されて初めて観ることになりました。はらはら、どきどき、とても面白くて熱中してしまったそれらは、とても参考になりました。


一つ目の作品を観ている間は、清花刀自の言いつけを破ってしまったと罪悪感に苦しみましたが、彰子姉様が根気よく言い聞かせて下さったおかげで、私はその罪悪感を振り切ることが出来ました。

婚約が解消されれば、清花刀自の言いつけを、幼い頃から叩き込まれてきた宮成家の嫁の心得なんて、守らなくて良くなるんだって。

気づいてみれば、どうしてすぐに気づかなかったのかと、自分の頭の悪さを呪いました。

宮成に嫁ぐ身として、しなくてはならない事、してはいけない事などの心得。修めておかなくてはならない、夫となる当主を支える為に必要なスキル。努力も足りず、基も良くない私では不甲斐なくも、清花刀自が求めるレベルにどれもこれも達することは出来ず、何度も諦めたい、辞めたいと思ったそれらにもう悩まなくていいのだという喜びに、どうして気づく事が出来なかったのか。


-洗脳みたいなもの。

そう彰子姉様は慰めてくださったけど、本当に情けない。


-婚約解消が終わったら、そんな情けない自分を捨てて、誰の支配下でも無い自分を新しく見つけていけばいい。

そんな励ましの言葉を改めて噛み締め、もう一度強く意識して笑顔を作り、その笑みを崩さないようにゆっくりと口を開く。


「宮成様、川添様。」


面白いことに、彰子姉様が仰っていた通りでした。

彼女は顔を強張らせて、私が呼びかけたら、とても驚いた様子を僅かに見えました。


「正式な結納などは大学四年と成った時点で、という取り決めではありましたが、私が宮成様の婚約者であったことは幼い頃から周知のことでしたわよね。五歳の砌に病床であった宮成の曾御祖父様が両家の親族、深く関わりのある方々をお招きしての席で発表しておりますし、これまでも何度も何度も、あまり付き合いのない方々の集まりに出席する際にも私は貴方の婚約者として隣に立っておりましたから。最近でも、宮成様がお忙しく御欠席なさった宮成家の関係にあたるパーティーにも婚約者として、宮成の小父様や小母様とご挨拶周りをさせて頂きましたから。」

生徒会の仕事などがお忙しかったらしい宮成様は、此処最近-そういえば川添様を傍に置くようになられてからでしたかしら-家同士の付き合いや宮成家の跡継ぎとして顔見せを行っておくべき場への欠席が目立っておりました。小父様や小母様は私などの申し訳ないなどと仰って下さっておりましたが、清花刀自は私などでは頼りないものの、妻となる身なのだから、お忙しい彼を煩わせることなく、彼の代役をこなして場を収めるのは当たり前のことだ、と教えて下さりました。

だから、頑張りました。

貴方の不在は何故かと問う方々にも、動じる事無くご挨拶をして。

学校が終わった後、休日、自分自身に用事が出来ている日、母の命日であろうと、あっちへ、こっちへ、と出掛けてまいりました。


「その事からも、結納はまだだとしても、12年の婚約関係は確かにあったと証明されるのだと、そう判断されるのだということです。ですから、この度の婚約の解消を成すにあたって、私、春乃透子は周知の事実である婚約者としての正当な権利として、お二方から慰謝料を受け取らせて頂きますわね。」


眉を顰める彼と彼女。

あぁ、他の皆さんも、ですね。


「もちろん、どれだけ努力しても認めて貰うことも出来ない、御祖母様と呼ぶことも許しは貰えなかった私などよりも、よほど優れていらっしゃるお二人ですもの。そんな常識程度の権利を知らない訳が御座いませんわね。申し訳ありません、私などが偉そうに。」


目を落として、申し訳ないと落ち込んだ、頼りない姿を見せる。

-出来るだけ自分を卑下した物言いをしてみなさい。

これも、彰子姉様の教え。



-自分を貶して、貶して、どうやったって貴方達の足下にも及ばない女なんだって、彼らに、そして周囲に味合わせるように話すの。

彼らがそう思えば思う程、いえ、彼らがそう思わなかったとしても、周囲に居る全員が「そうだよな」と思い込んでくれればいい。そうすれば、その後に宮成貴一と川添沙希に注ぎ込む毒の威力が増すわ。

ほらっ!仕込みは丁寧に、そして完璧にすればする程、料理は美味しくなるでしょう?そういうことよ。

あっ、でも…、貴女が嫌じゃなければよ?無理強いはしないわ。他にもやりようは幾らでもあるのだから。


いいえ、彰子姉様。

私の名など、とうの昔に地の底に墜ちておりますから。

自分でもどうしてだか、今更思い返しても分からないのです。あの頃は、貴一様に親しげに近づき、私には見せて貰えない笑顔を向けられて、優しく手を差し伸べられて、寄り添っている彼女が許せないという思いばかりが沸き起こってきて、彼女を罵っていたり、彼女のちょっとした言葉に手を上げていたり、怒りのあまり学校の備品を壊してしまっていたり…、覚えてはいないのですが私は彼女を階段から突き落としたりもしたのだそうです。

今更、貶したって、醜聞を晒したって、地の墜ちるような私ではないのです。


-ねぇ、透子。貴女の話や調査したことを色々と考えて、そして調べてみたのだけどね?

 貴女の、それって…。



「結局それか。」

彰子姉様の助言を思い起こして、次に言うべきことを口にする為の勇気を湧き起こしていると、宮成様の声が静かな会場に響きました。

「まったく、お祖母様の仰った通りだな。我が宮成家の家柄と資産が目当てなだけの婚約。どうやって曾御祖父様をお前達春乃家が騙して取り入ったのか知らないが、何もかもが相応しからぬお前の本性が、正式に籍を入れてしまう前に分かって本当に良かった。」


えぇ、確かに家柄も、財産も、経営する会社の規模も、何もかもが宮成家とは比べ物にならぬ程に劣っております。その上、私や璃玖を生んでくれた母は幼い頃に亡くなってしまっている、片親です。

母親がいないのならば躾も行き届かぬ、と私の教育を引き受けた清花刀自にも、何度も何度も、身の程を弁え、宮成と縁付けることを感謝しろと言われました。


確かに、私達の婚約に伴って、持ち会社同士で提携し新たな企画を世に出したり、無償に近い条件で春乃は融資を受け取ったりもしました。それを考えれば、お金目当てなどと言われても仕方ないのかも知れません。


でも、私は確かに、貴方を愛していました。

貴方の婚約者であれることが誇らしかった。

だからこそ、何が何でもと砕ける心を繋ぎ合せながら頑張ることも出来たのです。


残念です。

さようなら、貴一様。

初恋が実らないって、本当なんですね。


婚約破棄は免れないのは分かっていても、その言葉だけは聞きたくありませんでした。

彰子姉様は「絶対に言う」と、御自身の宝物全てを賭けてもいいと仰る程に自信満々でしたが、それだけは信じたくはありませんでした。


「宮成様。今の言葉は、ご存知かも知れませんが、侮辱罪、というものに当て嵌まるやも知れませんよ?」

「は?」

「それと、この状況。名誉毀損に当て嵌まるやも。その場合、その二つに関しても、慰謝料を請求させて頂く事になります。」


-俺様坊ちゃまなら、こう言うわ。

その時は、こう返すのよ?

実をいえば、それらの罪に当てはめることが出来るかは微妙。

公衆の面前で、婚約破棄した直後に、他の女と婚約する。私としては勝つだろうと思うけど、あぁいうのは言葉遊びだから。腕の立つ、口の達者な弁護士がついて裁判官をねじ伏せることが出来れば取れるし、あちらが弁護士を雇って握り潰しにくるかも知れないから。専門家ではない私には「確実に」なんて言葉は使えないわ。そこは、うちのお兄様に丸投げしてしまえばいいわ。

まぁ多分、お家が大事なら、正式な記録に残ってしまう前に示談に持ち込みにくるでしょうけど。


彰子姉様の嘲笑が頭に浮かびます。


-正式な記録に残らなくても、これだけの大騒動に自分達で仕立て上げた醜聞、世間は喜んで記憶に残すでしょうけど。

絶対に、何処かから漏れるものだもの。

ましてや、自分の家で秘密裏にしたわけでもなく、此処までのことだものね。

特に、昔から色々と懇意にしているフリーライターが何人か居るのだけど、彼らは上流階級に関する鼻がとても利くのよ。…あぁ、大丈夫、貴女の名前は絶対に出さないように五寸釘あたりを刺して置くから。情報が流出したとしても、安心して?



「川添様。私という婚約者が分かっていて、宮成様をお付き合いを始められたのですから、もちろん慰謝料を頂きます。」

「えっ…」

「付き合ってなど無かったなんて、言いませんよね?少なくとも、春休みには付き合いを始めていた筈です。」

これを確かに証明するものは、彰子姉様が何処からか入手してきて下さった、二人がデートを何回も重ねている写真、彰子姉様が説得して証言してくれると約束して下さった一部生徒達、そして彼女の友達だった璃玖の証言。

「それとも、腕を組んで遊園地や、巷でデートスポットとして有名な場所に行かれたり、キスをされたり、宮成の御家に他のお友達が一緒ではないお一人で遊びに行かれるのは、お付き合いしていない状況なのでしょか。そうならば、申し訳ありません。愚かな私の無知をお許し下さい。」


「黙れ!!ごちゃごちゃと、見た目だけでなく、中身まで醜い女だな、お前は!いいだろう。お前に相応しい程度の慰謝料如きで、この俺が動揺して醜態を晒すとでも思ったのか?」

ハッ。

鼻で笑って、慰謝料を支払うと宣言される宮成様。

「安心しろ、沙希。あいつが何を言い出そうと、俺が護る。慰謝料を請求されたとしても、俺が全て請け負うさ。」



そんなところまで、彰子姉様の予想通り。

私の後ろで、璃玖が「うわぁ」と引き攣った声を出しているのが聞こえてきました。


ふっふふふ。

これは予定外です。

ここで私が笑うなんて、予定には入っていません。

後ろで璃玖が驚いた声で「姉さん」と嗜めるように口にしています。

でも、仕方ないと思うのです。あんまりにも彰子姉様が仰る通りなんですもの。思わず、笑ってしまいました。

何でしょうか。こんな風に可笑しさの余り笑ってしまった事が、久しぶりな気がします。


「何が可笑しい。」

格下の私に笑われた事で、宮成様が凄い顔で怒っている。

その隣で、川添様も不快だという顔をしている。


あの二人にそんな顔をさせたと思えば、少しだけすっきりとした感じを覚えました。


さぁ、彰子姉様の言う"毒"を注ぐ為にも、早くこの話は終わらせましょう。


「申し訳ありません。小賢しい口を聞いてしまいましたが、所詮は愚かな小娘の戯れ言です。私などでは、慰謝料などの詳しい金額を出す事は出来ません。私などとは違って、宮成様や川添様は算出することも簡単ではあるかも知れませんが、私が不安ですので、この件については弁護士におまかせすることにしますわ。何より、私達はまだ未成年でしかありませんから。」


扶養されている立場の未成年が、あれこれと話し合ったところで何の力もない。

今頃、宮成家、春乃家、川添家の三家が顔を突き合わせて、話し合っている事でしょう。


「婚約による提携、融資なども話し合いは私達がしていいものではありませんものね。丁度、宮成清花刀自から呼び出されたと、今日、父が出向く予定でした。きっと、この婚約解消の件だろうと弁護士を連れて、不備が無いようにと宮成の現・当主である小父様や小母様にも連絡を入れて、川添様の御家にもお誘いをかけておりました。今頃、その件を色々と話し合っているのではないでしょうか。」


全て、彰子姉様が調べてくれました。

この婚約について、少し仕事中毒なところがお有りで、お忙しそうに国内外を飛び回って、家でゆっくりされることが稀になってしまっている小父様小母様だけが、宮成の家で知らされていなかったこと。

川添様のお母様の御実家が、名家として知られている香月家であること。


今、香月家の当主と、その後継である御子息、そして川添様のお母様で、壮絶な戦いが始まっているそうです。

当主は、名家とはいえ年々資産を食い潰す一方な実態を打開する為に、宮成家と縁続きになることを望み。

御子息は、宮成家と縁続きとなるのは概ね賛同するが、突然の話には慎重にならねばと訴え。

お母様は、政略結婚と世間が見るであろう縁談には昔、御自身がした苦労を思って反対という立場。

その戦いは、三日経った今も続いているそうです。


どうやってお調べになっているのでしょうか。

どういうやり取りなのかも事細かに書かれている報告書を見せて頂いた時は、呆れるどころか、凄いと感心してしまいました。

本当に、私も何時か、彰子姉様のような強い人間になりたいです。


「親父と…お袋が?」


「えぇ、ご連絡を入れましたら、とても驚いていらっしゃる様子でした。」


「……」


「川添様の御両親は、お母様は御実家の方に行かなくてはいけないと、お父様だけがお見えになると仰っておりましたよ?」

香月家のことを口にしたら、強張っていた川添様の顔色が明るいものとなりました。

「えっ、香月のおじさんの所に!?ど、どうしよう…伯父さんに迷惑をかける気なんて無かったのに。」

川添様のお母様は、好いた男性と駆け落ちをなさった方。

家の為の政略結婚を蹴ってのそれは、当主である父親を怒らせて、勘当となった。

でも、お兄様だけは父親には隠しながら、妹夫妻とその子供達との交流を持ち、川添様も何くれと可愛がっておられたのだと、彰子姉様の報告にありました。

「大丈夫だ、沙希。祖父である香月の御当主が、俺達の仲を認めて下さったんだ。」


静かに様子を見守るに徹していた生徒達からザワメキが起こりました。

流石に皆、名家に名を連ねる香月の名を、その当主の名前は存じておりますのね。


彰子姉様が教えて下さった、彼らを最高に苦しめる"毒"の仕込みは、これで完成しました。

私が今まで、我慢に我慢を重ねて、努力してきたからこそ、造り上がった"毒"。


上手く機能すれば、宮成家の血を断絶してのけるその"毒"を、私は今から放ちます。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ