動き出した土曜日
いつもよりちょーっと長めです。
「そして二つ目。」
そう言って、彼は僕をまっすぐ見た。また勿体つけるのかと思ったけど、今度はすんなり教えてくれた。
「その方法こそ、さっき俺が言った、世界に認めてもらうことだ。分かりやすく言うと、時が止まったその瞬間には、もう今いるところ、つまり新しく移動したところにいた、と認めてもらうんだ。あ、もちろん動きながらはちゃんとはできないけどね。もし――」
「どうやって?」
「え?」
「それ、どうやって認めてもらうんだ? 僕が見た限りでは、君が特別に何かをしたようには見えなかった。」
「おっ! いいところに気がついたね。簡単だよ。自分はここにいるという意志を持って、心で思うだけさ。まあ、君みたいな初心者にでも、言霊の力を借りれば、すぐにでも出来るよ。」
「言霊? だからどうすれば――」
「言っただろ、簡単だって。声に出して言うだけ。俺はいつも『承認』って思うことにしてる。君にも分かるようにやってみるか……『停止』。」
そう呟くや否や、またもや世界は動きを失った。
「さあ、少し歩いて。」
言われるままに、前に数歩。例の膜を感じる。これを空気圧というのか。覚えておこう。
「言霊を。」
「し、『承認』……?」
恐る恐る言うと、すうっと圧が消えた。
「本当だ……! すごい。」
「だろ。もしこれをしないと、停止前との位置関係がおかしくなって、歪みがその原因自身に降りかかる。」
そういうことだったのか。でもなんで彼はわざわざ僕にこんなことを丁寧に説明してくれたのだろう。
「あっ! あともう一つ。時計は……持っているね。今何時か見て。」
どうやら、まだ何か説明をしてくれるようだ。彼はそう言ったあと、僕の腕時計を指差した。家を出てからかなりの時間が経っている気がしていたが、時計は一時ちょうどさしていた。そっか、ほとんどは時間が止まった中での出来事だからか。
「そのまま目を逸らすなよ……。」
そう命令して、彼は僕の肩にとん、と触れた。何事かと思って瞬きした瞬間……。
「えっ……!?!!?」
さっき見たばかりの時計は、一時五分をさしていた。顔を上げると、先ほど僕の肩に触れたはずの彼は退屈そうに少し離れたところの木に凭れていた。
「お前! 今、僕に何をした?!」
「ん? もう五分経ったのか。俺、今は何もしてないよ。」
「? どういう……?」
「何かしたのは五分前の俺だよ。これを『時間の圧縮』という。ついでに言っておくと、これはシロウトには難しい。俺もまだ五分とか十分そこらしか飛ばせないわけだし。」
それから彼は一通り説明し終わった、という風に口をつぐんでしまった。
「……なあ、お前は、僕にこれを教えるためだけに、時を止めたりしたのか?」
微妙な沈黙に耐えられなくなって、僕はさっきからずっと気になっていたことを訊いた。まさか善意だけってわけではないだろう。
「! よく気づいたな。楽しくて、当初の目的をすっかり忘れていたようだ。」
え? 楽しい? もしやあのバカにして笑った辺りのことだろうか?
「そうだな、初めは君を探していたんだ。このあたりに住んでいるって話を聞いたからね。だから見つけるために時を止めた。そして俺は君に聞きたいことがある。」
黒関くんは急に雰囲気を変えた。こっちの方が地の性格な気がする。
「……なんだ?」
「時葉くん、君は『石』を持っているんだろう? 寄こせよ。」
「『石』……?」
なんのことだろう。そう思ってすぐ、ああ、そういえば、ポケットの中にいつも入れていたやつか、と思い出した。パッと見、何の変哲もないツルツルとした石だが、光にかざすと中が透けて見えるのだ。もちろん、顔には出さなかったけど。
「なんのことだ?」
それらしい反応をしておこう。
「とぼけんな。君は時が止まったのに気付けたし、自分で力も使えた。『石』がないわけないだろ。」
「だから知らないって!」
「そんなはずは……ん? もしかして血が濃いとか? え? 聞いたことないけど、まさか先祖がえり……??」
最後の方はひとり言のようにぶつぶつと言っていたので、あまりよく聞こえなかったが、彼の中での僕の設定がなんかすごいことになっているのは分かった。ごめんなさい。石はちゃんとあります。
でも、石のことは誰にも言うなと母さんからきつく言われていたし、こんな怪しい状況で、はいどうぞなんて渡せるはずがない。それくらい空気を読めば分かる。
だがしかし、その石は今も僕のポケットの中にあるわけで、少しでも探されたりしたらほぼ確実に見つかってしまう。さて、どうしたものか……。
「おい、聞いてたか?」
「えっ? あ……何?」
「何じゃねえよ。どっちにしろ、家にはあるんだろ? お前、石のこととか聞いてないのか? ほら、お父さんとかから――あ。」
…………あ、じゃないんだけど。
「ああ、そっか。そりゃあ、知らないよな。」
勝手に納得するな。
「それなら、なお更君には不要だな。……んー、お前、本当に持っていないのか?」
うーん、結局そっちに話が戻ったか。
彼は相当疑っているような目で僕をねめまわし、身体検査さながら、手で触れて僕を調査しようとした。反射的に伸びてきた手をはらう。
「何すんだよ!」
さすがにこの状況はヤバイ。
「何って、持っていないんだろ? 確かめるんだよ。」
逃げないと。でもどうすれば……そうだ!
僕は息を吸い込み、唱えた。
「停止!」
意志を持った声が響く。それと同時に、僕は動きを失った世界を走り出した。
「はぁ?! おまえバカか? 俺にも血は流れているんだ。俺も動けるんだよ!」
何無駄なことをしているのだと驚きあきれた様子で、当然ながら彼は追ってきた。
動けるのは百も承知だよ。
僕は角を曲がったところで、そっと唱えた。
「――承認、解除。」
角の向こうで、うっとうめく声が聞こえた。成功だ。
「停止――。」
再び唱えて走る。自慢できるほどではないが、足は速い方だ。前に友達から、見かけによらず速いと言われたことがある。失礼な。
「――――承認。解除。……はぁ……停止。」
走りながらなので、多少は僕にも影響がある。でも、さっきなにも知らずにやられたのと比べたら、よっぽどマシだ。
時差と言ったっけ……? どうでもいいや。
そういえば、彼は先ほど「家にはあるだろう」的なことを言っていたから、もし自宅の場所がばれてしまったら元も子もなくなる。
僕は必要以上に角をぐねぐねと曲がったりして、なんとか自宅に辿りついた。……疲れた。
中に入ってドアに鍵をかけ、昼間だけど念のため、部屋中のカーテンも閉めた。