学ぶ土曜日
コンビニから出て辺りをぐるりと見回した。きっと近くにいるはず。
そう思って探すと、道路の向こう側に見かけ十五歳ぐらいの男が腰に手をあてて立っていた。周りの重心が不自然な人たちとは明らかに違う。
時を止めたのはこの人に違いない。
その人は僕を見つけると、まっすぐこちらに歩いてきた。
「はじめまして、俺は黒関 真。」
わざとらしく一礼すると、そう言った。
「君は、時葉 勇玖くん、だね?」
「! なんで……?」
「君の名前を知っているかって? まあ、俺が知らないことはないってことかな。」
黒関と名乗った男は、得意気に笑って、勝手に話を進めていった。
「君、もしかして、こういう状況は初めて?」
「こういう? あ、そうだ、あの時のあれも、お前だろ。」
「ん? あの時? いつの?」
「えっと……昨日の、夕方。」
「! おお、そうか、やはり君はそこにいたんだ。ふーん。俺の勘も、まだまだ捨てたものじゃないね。」
「……勘?」
「まあいいや。見たところ、ほとんど初めてみたいだね。それじゃあ、ついてくるといい。」
そう話を戻すと、彼はくるりと後ろを向いて歩き出した。ちょっと待て。僕はまだ、なにも返事をしていないぞ。
「なんで、いきなり、お前なんかと……!」
「君の知りたいことも教えてあげるよ?」
振り返りもせずに軽く答えられてしまった。どうしたものかとわずかに躊躇ったが、確かに聞きたいことはたくさんある。
ここまできたのだから、この状況をすべて説明してもらおう。
着いた場所は、本当にすぐの近所の公園だった。しかし、彼はどんどん奥へと進んでく。いわゆる、人目につかない場所だ。大丈夫か……?
「さて、と」
結局、公園の隅の樹が生い茂っているところまで行き、ようやく彼は足を止めた。そして、体の向きを変え、僕の顔を見て不適ににっこりと笑い、一言言った。
「解除!!」
その途端、一瞬で世界に音が戻り、すべてが何事もなかったかのように動き出した。
だが、
「う! …………おえええぇぇ」
僕は途端に気持ち悪くなり、思わずその場にしゃがみこんでしまった。突然ひどい船酔いにでもなったよう。動悸がして、あまりの不快感に、目をつぶると涙が落ちた。
「ぶっ……くくっ……あはははははは!!」
その原因をつくった張本人は、まったくもって平気な様子で、僕を見て大笑いしやがった。
「……はぁ……ま、まさか、本当になにも知らないなんて!」
奴は木に凭れて、まだ笑いを堪えていた。そういうお前は何を知っているんだよ。
僕はというと、声を出そうとすると、まだ吐き気がしてきた。
「いやぁ、ゴメンゴメン。悪かったよ。」
ちっとも詫びれた風ではないんだが。
「大丈夫。もう何の前触れもなしに、今みたいなことはしないから。」
「……本当、に?」
ようやく動悸がおさまってきたが、返事をすると、ひどく情けない声が出た。しゃがみこんでいた状態からゆっくり立ち上がり、深呼吸して呼吸を整える。それから僕も背を木に預けた。
「……今はね。」
「今は、って後でやる気かよ。」
またあの笑みを返された。
「さあ、どうだろうね。ま、俺はウソを吐かない主義だから、約束どおり、さっきのことを説明してあげようか。それじゃ、君はさっきのことをどう思ってる?」
「どう、って……君が時を止めて、動かした?」
「うん。まあ、その通りなんだけど、」
「ど?」
「大事なところが抜けている。」
「?」
「なぜ君は時差酔いを起こして、俺は平気だったのか。」
「時差酔い?」
「ああ、ま、それは俺が勝手に呼んでいるだけなんだけど。正式名称なんか知らないし、多分そんなものはないんじゃないか?」
知るか。疑問に疑問を返すな。
「で、どうしてだよ?」
「まあ、そう焦らずに」
そこで彼は一旦言葉を切って、大きく息を吸った。
「なぜか。その理由は、俺は世界に認められ、君はそうでないからさ!」
「は?」
ナニソレ。もしかして、この人の頭は相当バカなのか?
「えっ、あ、おい、引くなよ。別に俺がウソを吐いたりデタラメなことを言っている訳じゃないからな。……ちゃんと説明すればいいんだろ。」
初めからそれを言えよ。
「まず、時が止まる、というのは、人も物も空気も全部、そこから動かないってことだろ? だが、俺たちが動き回るせいで、歪みが生じるんだ。一番分かりやすいのは空気だな。時葉くん、時が止まった中で何か感じなかったか?」
何かとは、やはりあのことだろうか。
「ああ、確かに、膜みたいな何かに覆われたのかと思った。」
「そう、それだよ。俺は勝手に『空気圧』なんて呼んでいるけど、それは本来そこにあるべき空気が押し出されたってことなんだ。そして、この『空気圧』をなくす方法が二つある。」
「なくす方法?」
「そうだ。一つ目は元いた場所に戻ること。でもこれは、現実的には不可能だ。時が止まったそのときとまったく同じ体勢で、寸分の狂いもあってはならない。一度動いてしまえば、そう滅多に元の場所には戻れないからね。」
なるほど。彼の言う『空気圧』を昨日は感じなかったのはこのためか。