Prologue1
‐2006 male S‐
僕は唄う。
貴方への愛を込めて…
僕は、唄う。
狂おしい程の、貴方への愛を込めて。
手を伸ばせば届く場所に居る筈なのに…
どんなに手を伸ばそうとも届かない貴方へ…
ありったけの想いを託して。
今日も僕は…声にならない貴方への愛を唄う。
ただ、貴方の為だけに…
午前2:00‐
防音設備が完璧に整えられたプライベートルーム。
中央に置かれた白いグランドピアノに向かい、翔は鍵盤を無心に弾いていた。
流れるメロディーはどこか儚気で寂しいバラード。
翔自身の作曲で、あえて歌詞は付けられていない。
この曲が好きだと言ってくれた『あの人』が歌詞は必要ないと言ったせいである。
『あの人』の為だけに創られた曲。
だから翔はその意向のままに歌詞を付けずにいた。
どちらにせよ、歌詞を付ければ内容は一つの想い一色になってしまう。
そうなれば『あの人』はこの曲を好きだとは二度と言ってくれないだろう。
それが分かっているからこそ、メロディーだけのままとなっている。
翔はふと鍵盤から顔を上げる。
ピアノに寄り添い、翔をじっと見つめる女性。
白い肌に長い黒髪。
女性は優しい笑みを浮かべている。
貴方は僕がピアノを弾く時、いつも傍にたたずみ優しく微笑んでいる。
貴方はゆっくりと手を差し出す。
僕は鍵盤に置いた手を貴方に向かって伸ばす。
だが、僕の指は虚しく宙をかすめる。
いつもと同じ。
いつもと同じ『幻』
現実の貴方は決して僕に優しく微笑んではくれない。
手を差し伸べてはくれない。
痛いほど理解している筈なのに…
僕は眠れない。
現実から眼を背けてしまいたい。
だから、ずっと眠っていたい。
だけど…幻よりも現実に微笑む貴方を見たい。
矛盾・絶望・希望・ジレンマ・愛情・憎悪。
入り交じる様々な想いと葛藤しながら。
僕は結局、今夜もピアノに向かっている。
眠れない永い夜が明けるのを待っている。
厚いガラスの窓越しには紅い満月が輝いていた…