Chapter11
人間とは。
あまりに愚かで下らない生き物だ。
他の生き物より少しだけ英知を持ち誕生したからといって…
まるで自分達が神であるかの如く、この地球を支配している。
それが当たり前かの様に。
自分達が地上で最も醜悪で低俗な種族だと気付きもせずに。
空、海、山、大地、空気、植物、動物…
この世界に存在する総て。
それらは与えられたモノに過ぎないというのに。
その事を忘れ、総ては自分達の産み出した『所有物』なのだと大きな勘違いをしている。
そして…
愚かで下らない人間達の作った『世界』もまた…
とても、愚かで下らない。
あまりにも醜悪で低俗だ。
その様を観て、真の創造主は心底から嘆き悲しんでいる。
人間という種族に英知を与えてしまった事に、深い後悔の念を抱いている。
『こんな筈ではなかった』
『こんな世界になってしまうとは』と…
だから今こそ…
正さなければならない。
過ちを犯したまま、進む時計の針を…
狂ったまま廻る歯車を…
君を救う為にも…
君がいつでも幸せに、笑えっていられる様に…
再び新しく美しい世界と未来を創り出す為に…
古く醜い世界と過去を破壊しよう…
粉々に…
跡形もなく…
二度と再生出来ぬ様に。
都心にそびえ立つ高層ビル。
都会特有の厚い灰雲の隙間から微かな太陽光がガラス張りの外観を照らす。
ビル内には様々な企業が入っており、正面玄関からは絶え間なく人々が出入りしている。
一台の黒いベンツが正面玄関に停車する。
紺の制服姿の運転手が降りてきて急いで後部座席のドアを開けた。
車内から二人の男女が現れる。
黒髪、白い肌、整った顔立ち。
黒いスーツを纏った高くすらりとした長身。
穏やかな物腰で車から先に降りた男は真っすぐにロビーに向かう。
後から降りた女は立ち止まり、うんざりとした顔で空を見上げる。
緩いウェーブのかかった長い赤茶色の髪に派手に化粧を施したハッキリとした顔立ち。
体のラインを強調したシルバーのワンピース。
細い足を飾るシルバーのピンヒール。
「嫌な空ね」
女は運転手を振り返りニヤリと笑う。
運転手は何も答えず運転席に乗り込むと走り去って行った。
「あいかわらず愛想が悪いヤツね」
女は不機嫌に呟くと男の後を追ってロビーに向かう。
「早くしろ」
ロビーの中央で男が振り返る。
「分かってるわよ。せっかちな男は女に嫌われるわよ」
追い付いた女が男の腕に手を回した。
男は冷たい視線を女に向けその手を振り払う。
エレベーターホールに踵を返すと再び歩き出す。
「本当、どいつもこいつも。愛想が悪いヤツばかりね」
女はますます不機嫌に眉間に皺を寄せた。
「ねえ?いつになったら私はあの子達に会えるのよ?」
先を行く男に問い掛ける。
男は無視し、エレベーターホールの隅にあるエレベーターに乗り込んだ。
小走りで女も乗り込む。
「ねえって?質問してるんだから答えなさいよ」
男はエレベーター内の操作盤にあるスロットにカードを入れる。
【指紋および網膜照合を開始します。操作盤のセンサーに右手を、カメラに右目を】
機械音のアナウンス通り、操作盤の画面に右手を押し付けカメラを右目で覗き込んだ。
青い光が男の右手と右目を照らす。
【認証を完了しました】
発せられた機械音と同時にエレベーターは地下に降りていく。
「無視するんじゃないわよ」
背を向けた男に女が尚も話し掛ける。
「いい加減にしろ。それは私が決める事じゃない」
男は前を向いたまま素っ気なく答えた。
「あぁ、そう!」
女の声と同時にエレベーターが目的の階に到着しドアが開いた。
ドアの目前には白の空間が広がっていた。
白い金属の壁、白い金属の床。
エレベーターから真っすぐに続く短い廊下の先には銀色をした重い金属製の扉が見える。
銀色の扉の上部には左右に一台づつカメラが取り付けられ、こちらに近づく人間を監視していた。
それ以外には何もない、白の空間。
男は無言で廊下を進んでいく。
女も無言で後を追う。
二つの異なる足音だけが廊下に響き渡る。
扉の前に着くと男は再び横にある操作盤のスロットにカードを差し込む。
右手を画面に押し付け、右目でカメラを見る。
【認証を完了しました。ドアロックを解除します】
機械音のアナウンスが言い終えると、空気音と共に重い銀色の扉が開いていく。
室内はひんやりと冷たい空気に包まれていた。
全体的に広く、上下二層に別れた造りになっている。
扉からすぐの上階には、数台のモニター・パソコン・素人には分からない精密機械の数々が設置されていた。
上階は全体的に薄暗く、機械達が発する音と微かな光が空間を支配していた。
奥には下階に続く数段の階段がある。
階段を降りた下階は上階とは違って明るい。
壁伝いに設置された無数の燭台。
その全てに絶えず白い蝋燭が立てられ、大きな炎が揺らめいている。
右側には黒革のソファーセットとオニキスで作られたテーブル。
左側には大きな黒い箱型の機械【スーパーコンピューター】が三台、壁添いに並べられている。
中央には球体をした巨大なガラスの水槽。
スーパーコンピューターから伸びる何本ものコードが球体に繋がっている。
そして、球体の何歩か手前には守るように球体全体に青い淡光のベールが張られていた。
そのせいで離れた所からは球体の中が何なのか分からない。
男と女は上階の機械達をすり抜け、階段を降りる。
二人の足音に気付き、背を向けてソファーに座っていた白髪の老人が立ち上がった。
「おかえりなさいませ、拓海様」
老人は体を杖で支えながら深々と頭を下げる。
男‐愛染 拓海‐は老人に無言で一礼すると、球体の脇に設置された三台のモニターの前に立った。
「ただいま、お祖父様」
女が老人に抱きつく。
老人は困った顔をしながら女を優しく引き離した。
「響華、おとなしくしていたか?拓海様にご迷惑をお掛けしなかったか?」
今度は女‐岬 響華‐が困った顔をする。
「私が拓海に迷惑かけない訳ないでしょ?ま、いつも通り無視されたけど」
そう言いながら拓海の隣に並ぶ。
「それは申し訳ございませんでした、拓海様」
岬老人は二人の背後に歩み寄る。
「構いませんよ、いつもの事ですからね」
モニターをチェックしながら拓海は答えた。
「それよりも。我が主に変わりはありませんでしたか?」
岬老人が中央のモニターに触れると画面は何かの波型グラフを映し出した。
「1時間ほど前までは軽度の覚醒状態を保っておりました。しかし…」
今度は右側のモニターに触れる。
「つい先刻から再び活動の全てを停止されております」
「再び眠りについている?」
拓海は腕を組み眉間に皺を寄せた。
岬老人は考え込む仕草を取る。
「おそらく先日の一件で力を使われてしまったせいでしょう。完全な覚醒まではまだしばらく時間が掛かるでしょう」
「ねえ?また眠っちゃったの?」
今まで黙って二人を見ていた響華がゆっくりと球体に近付いていく。
青い淡光のベールを潜り、球体に触れる。
「早く目を覚まして…」
生暖かいガラスに頬を寄せる。
「ねえ?私の声、聞こえてる?」
愛しそうに撫でる。
「早く目を覚まして。そして…私をあの子達に会わせてよ」
子供が何かをねだる様な目で球体を見上げる。
『…分かっている…』
響華の声に反応したのか、球体の中の温水がポコポコと泡を立てる。
「私の声、ちゃんと聞こえたの?」
『…聞こえている…』
さらに答える様に水面に波が浮き立つ。
『…もうすぐだ…』
今にも消え入りそうな男の声が直接頭に響いてくる。
『…もうすぐ、お前も、私も、あの子達に会える…』
声は球体から発せられていた。
「早く。早く。早く。ちゃんと目を覚まして」
響華は両手でガラスを軽く叩きながら呟いた。
『…それまでは良い子にしていろ、響華…』
諭す口調の声。
「そろそろ離れろ、響華。我が主に負担を掛けるな」
拓海が響華に厳しい言葉を投げる。
「聞いているのか?負担を掛ければ、完全な覚醒はまた遠くなるんだ」
だが、響華はまるで拓海の声が届いていないのか。
完全に無視している。
「早く。早く。早く…」
同じ言葉を呪文の様に繰り返している。
「…一刻も早く覚醒していただかないと困りますな」
岬老人が拓海の顔を覗き込む。
「確かに。しかし…誰よりも覚醒を望んでいらっしゃるのは我が主、御本人でしょう」
拓海が岬老人を振り返る。
「だからこそ、私達は覚醒の為に出来る限りの事を行う」
「その通りです」
岬老人は頷くと球体に近付いていく。
「響華。さぁ、こっちにおいで」
球体に張りついたままの響華の肩を掴む。
響華は我に返り岬老人に目をやる。
「我が主も良い子にしていろと仰っていただろう?さあ…」
小さく頷くとノロノロと立ち上がった。
差し出された岬老人の手を握り、並んで扉に向かう。
すでに待っていた拓海と合流し部屋を出ようとした瞬間、響華が球体を振り向いた。
「早く、目を覚まして…蒼一郎…」
扉が締まり人気をなくした部屋は静寂に包まれた。
『…あぁ…』
声と共に球体を包む光のベールが大きく揺らめく。
歪んだ光の向こうにある球体には…
目を閉じたまま水中に漂う人の姿があった…