Chapter7
翌朝、昨日からの雨は今だ降り続いる。
神威はベッドの中でただ雨音を聞いていた。
昨夜はまったく眠れず、かと言って何もする気にはなれず布団に包まったまま昔の事を思い出していた。
【昨夜、私が見たモノは私の心が生んだ幻か?それとも…】
考えても答えは出ない。
紅く燃え上がる蒼一郎の姿が脳裏に浮かぶ。
ベッド脇の時計はデジタル表示で7月7日・AM8:00と示している。
【夢をうなされずに眠れなかったのは久しぶりだな…】
重い体を起こし、室内にある小型の冷蔵庫に向かう。
ミネラルウォーターに口を付けながら閉め切られたカーテンを開ける。
窓の外は薄暗く重い雲が空を支配し、無数の水滴を地上に落としている。
ふと窓ガラスに映った自分と目が合う。
「ひどい顔だな…」
すぐに目を逸らしバスルームに向かう。
少し熱めのシャワーを浴びていると、ゆっくりだが頭がはっきりとしてくる。
しかし体はまだ重いままでタイル床に座り込む。
頭上から降り注ぐ水滴は全身を伝い、排水溝へと吸い込まれていく。
【このまま何もかも、記憶も感情も、流れて逝ってしまえばいいのに…】
排水溝をじっと見ていると背中に軽い痛みが走る。
斜めに走る一本の大きな傷跡。
神威は傷跡に触れる。
「そんな事、許される訳ないな…」
呟くとシャワーを止めバスルームを後にした。
「もう最悪!!」
蒼龍邸の広いリビングで洋介は窓の向こうの空を睨んでいる。
「日頃の行いの現れだね」
「そうだ。お前の日頃の行いが悪いからだ」
旬と竜也が交互に言う。
「うるさいな!二人で連呼するなよ!」
悠をちらりと見て洋介は言葉を続ける。
「日頃の行いなら…悠のせいだよ!」
悠は眉間に皺を寄せて尋ねる。
「何で俺のせいなんだよ?」
「だって…いっつも俺に柔道技かけたりするじゃん…俺をいじめるじゃん…」
悠は呆れた風に両手を上げる。
「馬鹿かお前。あれはお前がうるさいからだろ?それにいじめじゃなくて愛の鞭だ」
「うぅ〜雨、止まないかなぁ〜天の川〜!織姫ちゃ〜ん!」
「だ・か・ら!織姫はお前の知り合いかって!?」
悠が窓に張りついている洋介の頭をこづく。
旬と竜也は笑いながら二人を見ていた。
翔は朱雀邸の最上階にある自室でピアノに向かっていた。
‐洋介・竜也・悠そして翔は通常はこの朱雀邸に住んでいる。
蒼龍邸は神威と旬の住居で、何人かの使用人が通いで行き来している‐
何も弾く気になれず、鍵盤の上に置いたままの指を見つめている。
翔は昨夜の出来事を思い出していた。
神威はうたた寝で悪い夢をみただけだと言っていたが…
尋常ではない、そんな感じだった。
【何かを見たのだろうか?】
おそらく強く問いただしていたとしても、神威は何も話さなかっただろう。
【いつも、そうだ…】
神威は肝心な事は話さない。
弱みを見せる事も決してしない。
いつも一人で抱え込む。
神威が自分達に心配をかけない為にそうしている事は痛いほど分かっている。
でも、それが逆に無性に歯痒い。
傍にいるのに何も出来ない。支えたいのに無言で拒否される。
どうにもならない感情。募るばかりのジレンマ。
翔は深い溜息をつくと鍵盤の上の指を動かし始める。
流れるのは物悲しいバラード。音色が部屋を漂う。
ただ一人、愛しい人の笑顔を夢見て曲を紡ぎ続ける。
午後3時。
蒼龍邸のリビングに神威が姿を現す。
「神威、遅いご起床だね」
にっこりと笑いながら旬が入ってきた神威を見る。
「朝から起きていたさ。自室で本を読んでいた」
答えながら一人掛けのソファーに腰を降ろす。
「コーヒーでも入れようか?出来たてだよ」
「あぁ、頼む」
旬はカップにサイフォンからコーヒーを注ぎ、神威に渡す。
「ありがとう。翔はどうした?」
「さぁ?まだこっちには来てないよ」
旬が首を傾げる。
「そうか…」
素っ気なく答えるとカップのコーヒーに口を付けた。
「何かあったんですか?」
そんな様子を見て竜也が声をかける。
神威は視線を動かさずに
「何もないさ」
と再びコーヒーを啜った。
カップをテーブルに置いた瞬間、今度は翔がリビングに姿を現した。
「翔も遅かったな」
今まで黙って映画のDVDを見ていた悠がいつもの場所に座ろうとしていた翔に目線を移す。
「あぁ、部屋でぼんやりしてたんだ。神威様、おはようございます」
「今頃、おはようはないだろ?」
翔は苦笑する。
「はい、コーヒー」
旬が翔の前にカップを差し出す。
「すまない。それにしても…静かだな」
悠の隣で黙ったままテレビ画面を見ている洋介をちらりと見る。
竜也がうんざりした顔で説明を始める。
「さっきまで喚いていたよ。雨が止まないってね。今はいじけてるんだよ」
「ガキだな…」
「まったくだ」
翔と竜也は顔を見合わせ苦笑する。
「ガキで悪かったな…」
それまで黙っていた洋介がテレビ画面を見たままでぼそりと呟く。
悠は
「また始まった」
と言いながら翔の隣に移動する。
神威はカップを手に悠の代わりに洋介の隣に座る。
「大丈夫だ、洋介。今夜は雨も止むさ。天の川も見れる」
「本当に?」
体操座りの洋介が上目遣いに神威を見る。
「私が言うんだから間違えない」
優しく笑う。途端に笑顔になる洋介。
「うん!神威が言うんだから間違えないね!」
洋介は嬉しそうに立ち上がるとリビングの隅に立て掛けられた笹に走り寄る。
「織り姫ちゃ〜ん。早く逢いたいなぁ。早く夜になんないかなぁ〜」
上機嫌で笹を揺らす。
「だからさ!織姫は知り合いか?っていうか、織姫は彦星のもんだろ?」
悠が突っ込みを入れる。
「なんだよ!織姫ちゃんは皆のアイドルなの!」
他の全員が苦笑する。
「神威、あんまり洋介を甘やかしちゃダメだよ」
旬が洋介を面白そうに見ていた神威を軽く睨む。
「本当に単純な奴だな」
悪戯っぽく笑いながら元いたソファーに戻る。
「あのままどんよりされてたら逆にうざいだろ?」
「神威、悪い…純粋な少年を手玉に取ってさ」
旬がにやりと笑う。
「まぁ、あれはあれでうざいがな」
全員で笹を片手にはしゃぐ洋介を見る。
「馬鹿だな…」
悠はコーヒーを飲み干すとぼそりと呟いた。