Chapter4
春爛漫。
桜は薄桃の花を咲かせ、時折り吹く風にその花びらを舞い散らせる。
あまりに多くの桜の木々に囲まれているせいで、視界が花びらと同じ色をしている様に見える。
雪乃は母・綾乃に手を引かれ真直ぐな道を歩いている。
隣を見ると母は俯き加減で唇を噛み締めている。
十数年ぶりに実家に帰郷したというのに少しも嬉しそうではない。
それどころか、逆に辛そうだ。
黙ったまま歩く母からは怒りさえ感じる。
それにしても…母がこんな大きな家を持つ富豪の娘だったとは…
生まれてからずっと父の実家である朽木家に親子三人だけで暮らしていた。
母は決して自分の生まれ育った家の話はしなかった。
まだ幼かった頃。
周りの子供達が夏休み等に故郷に帰省したりするという話を聞いた。
朽木の家には早くに亡くなった為、祖父母がいない。
私は母方の実家というものや祖父母の事に興味を持ち、無性に知りたくなった。さっそく尋ねたら母は物凄い剣幕で怒りだした。
その姿を見て私は幼いながらも、聞いてはならない事なのだと悟った。
それ以来。母はもちろん、父にも何も聞けずにいた。
決して裕福ではなかったが、私は何不自由なく生活してきた。
父は穏やかに笑う優しい人だった。
母は逆に厳しく口うるさい人だった。私が悪い事をすると、それがどんなに些細な事でも凄い剣幕で怒りだす。
「母さんは極度の心配性なんだ。雪乃を心から愛している証拠だよ。だから、許してあげて」
その度に父は私の頭を撫でながら言っていた。
だが…私にはそうは思えなかった。
【母は何かに怯えているんだ…それを紛らわす為に私に厳しくあたるんだ!だたの八つ当りだ!】
一年中、極度に気を張っている母。
いつも周りに対して一線を引いている、そんな風に見えた。
私は母の、心からの笑顔を一度も見た事がない。
そして、私が12歳の時。優しかった父が突然、病気で亡くなった。
とても悲しかった。
『あまりに悲しすぎると人は泣く事さえ出来ない』
何かの本に書いてあった文章。そんな事はないと馬鹿にしていたが、まさにその通りだと痛感した。
母は父の遺影にすがりつき、意味不明な言葉を発しながら何日も泣いていた。
初七日が過ぎた頃。
私の悲しみはほんの少しだが薄れ、冷静に状況を判断できるようになった。
【これからは母と二人きりで生きていくんだ】
その事にやっと気付いたが、考えるだけでとても憂欝な気分に捕われる。
【今までは父がいてくれたから耐えられたのに…】
正直、私はすぐにヒステリックになる母があまり好きではなかった。
今だに周りを気にせず泣き続ける母の背中を、私はこれから先の事を考えながら複雑な想いで見つめていた。
父が亡くなってから1年ほど過ぎた頃。母はだいぶ落ち着き、日常の生活を取り戻そうとしていた。
そんなある日の夕方。家のチャイムが鳴った。
何気なく私が出ようとすると、もの凄い形相で母が私の行く手を遮る。
「あなたは二階に行ってなさい。良いと言うまで絶対に降りて来てはダメよ」
そう言うと真直ぐに玄関へ向かう。
私は母のただならぬ姿に好奇心を抱き、二階には行かず階段下からそっと玄関を覗いた。
開けられた扉の向こうには二人の男が立っている。
二人とも揃いの黒いスーツに白いシャツ、濃いグレーのネクタイ。
いかにも怪しい風貌の男達だった。
何やら言い争いをしてるようだが、小声なのか内容までは分からない。
「帰ってちょうだい!!」
母は男達を突き飛ばし、乱暴に扉を閉め鍵をかけた。
階段下にいた私と目が合う。
咄嗟にこちらへ駆け出してくる母。
【しまった。また叱られる】
そう思い身を縮めると母は意外な行動を取った。
「隠しておくのも限界ね…もう、あの人もいなくなってしまったんだもの…」
そう呟きながら、母は私を抱き締め泣いている。
私は訳が分からず、ただ母に身を任せていた。
1ヵ月後。
「お母さんの実家に戻りましょう」
母に突然そう言われ、詳しい事情など一切聞かされずに私は今ここにいる。
後ろにはぴったりと例の黒スーツの二人組が着いている。
進んでいる道の先には大きな日本家屋が建っていた。
家の玄関先には小柄な和服の女性と背の高い少年が私達を出迎えてくれている。
「よく戻って来てくれましたね」
和服の女性は私に優しく微笑みかけた。
母は相変わらず俯いたままだ。
「綾乃姉様。お疲れになったでしょう。とりあえず、今日はゆっくり休んで」
その言葉に母が顔を上げる。
「静。いい気味だと思っているんでしょう?結局は逃げる事なんて出来なかったわねって」
和服の女性‐静‐を鋭く睨み付ける。
静はそれでも微笑みを絶やさない。
「綾乃姉様の部屋はそのままにしてあります。とにかく今日は休んで下さい。明日、義兄様がお話があるそうです。雪乃ちゃん、明日また会いましょう」
静は私の頭を撫でると家の中へ入って行った。
「さぁ、行くわよ」
苛立ちを隠す事無く母が繋いだ手を強く引っ張る。私はされるがままに母の後を追う。
「雪乃、また明日ね」
それまで黙って私を凝視していた背の高い少年が声をかけてきた。
振り返ると、少年は優しく笑いながら手を振っている。
【これからはずっと一緒だよ】
ふいに直接心に響いてきた少年の声。
驚いて立ち止まる私を構わず母が更に強く引っ張る。
結局、私は何も話せないまま母が昔使っていた部屋に連れて行かれてしまった。