ターミネーターを見ていない君へ ~老害回避大作戦~
「あ、ターミネーター、観たことないっすね。あのアレですよね、シュワちゃんが『アイル・ビー・バック』って言って溶鉱炉に沈むやつ」
その瞬間、スタジオの空気が一瞬だけ氷点下まで下がった気がした。
私の名前は佐藤健三。四十五歳。一応、世間では「渋い脇役」としてそれなりに顔を知られている俳優だ。今は、八十年代の田舎町を舞台にした青春ノスタルジー・ドラマ『僕らのカセットテープ』の宣伝インタビューの真っ最中。
隣に座っているのは、主演の中学生・ハルト役を演じる、期待の超新星、十五歳のレオ君だ。
私の脳内では今、巨大な警告音が鳴り響いている。
(……今、なんて言った? レオ君、今なんて言った?)
「溶鉱炉に沈むのは『2』だ。しかも、観てないのに結末だけ知ってるのか。というか、一作目こそが至高のホラー・アクションであり、あの革ジャンの無機質な恐怖があってこその……!」
喉元まで出かかったその言葉を、私は全力で飲み込んだ。
危ない。非常に危ない。
ここで「信じられない!」「非国民ならぬ非映画民だ!」などと叫ぼうものなら、明日にはSNSで『佐藤健三、老害パワハラ発言で炎上』という見出しが躍るだろう。令和という時代は、情熱と説教の区別がつかない人間に対して、ターミネーター以上に冷酷なのだ。
「……あ、そうなんだ。いやぁ、羨ましいなあ」
私は、顔面の筋肉を総動員して、仏のような微笑みを作り出した。
「え? 羨ましい……ですか?」
レオ君が、不思議そうに首を傾げる。その瞳は、汚れ一つない液晶画面のように澄んでいる。
「そうだよ。だって、これからあの衝撃を、何の予備知識もなしに――あ、いや、結末は知ってるみたいだけど――初めて体験できるんだから。真っ白なキャンバスに、キャメロン監督の魔法が初めて塗られる瞬間を味わえるなんて……最高のご馳走を前にしているようなものだよ」
我ながら、完璧な「物分かりの良い先輩」の対応だ。心の中の私が、スタンディングオベーションを送っている。
「へぇー。そんなに面白いんっすね。でも、なんか映像とか古くないですか? CGとか浮いてそうっていうか」
グサリ。
胸に、ストップモーション・アニメーションの金属骨格が突き刺さった。
「古……。いや、それが『味』なんだよ。あの手作り感こそが、当時のクリエイターたちの血と汗の……」
「あ、すみません。そろそろ次の現場の準備なんで」
レオ君は、爽やかな笑顔を残して立ち上がった。マネージャーに連れられて去っていく彼の背中を見送りながら、私は控室の椅子に深く沈み込んだ。
羨ましい。
本当に、心の底から羨ましい。
だがそれは、映画を観ていないことへの嫉妬ではない。
「名作を知らなくても、堂々と生きていける」という、その若さと無敵さへの嫉妬だった。
私は、独り言をこぼした。
「……アイル・ビー・バック。俺も、あの頃に戻りたいよ」
しかし、私の願いは虚しく、令和のスタジオの自動ドアは、音もなくスムーズに閉まった。




