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第一話 全てのはじまり

 僕、朽掛天太郎(くちかけ てんたろう)は憂鬱だった。

 文化祭、合唱祭、体育祭。学生生活において感情が動くイベントはたくさんある。

 今日、僕が学校を休もうかと思うほど憂鬱に思っているもの────生物の校外学習だった。

 校外に出て街にはどんな野花が咲いているか学習しましょうね! なんて小学生じみた校外学習。

 机に向かってばかりいる高校生の学生生活の中ではオアシスとも呼べる憩いの時間。クラスメイトはうまくサボる方法でも考えているのだろう。

 僕はその授業がたまらなく憂鬱だったのだ。その原因は班員にある。男子一女子二という班。男女比を友人から羨ましがられたが、実際はそんなにいいものでもない。アウェーな空間は陰キャにはむしろ辛くもある。しかし、男女比だけならここまで憂鬱じゃなかった。羨ましがっていた友人も実際のメンバーを告げれば引きつった笑顔を浮かべ「ドンマイ」と力無く言ってきた。

 

 校外学習が憂鬱で現実逃避をするために机にうつぶしていたところ


「オイ、タラタラしてんじゃねぇよ」


 某駄菓子のタイトルのようなことを素で言いながら現れた女子生徒、藤見風蘭(ふじみ ふうらん)

 制服の上からパーカーを羽織り、堂々とガムを噛みながら、金色に染めた髪をくるくると指に巻いて不機嫌そうにしている。校則違反のトリプル役満だ。


「す、すみません、すぐ準備しますので……」

「なんで敬語なんだよ」


 あなたが怖いからです。なんて口が裂けても言えない。

 見た目通り、この人はこの学校では有名な不良生徒だった。小柄だが、「孤高の狂犬」「生ける鬼神」「小型ゴリラ」「なんかちいさくてこわいやつ、ちいこわ」などの通り名がつくほどだと聞いたこともある。僕とは違う世界の住民だ。

 いつもは授業などサボってばかりいるはずが、今日はやけに積極的なのは、きっとこの授業がそれなりに得点が高く授業の出席率が低くてもこの校外学習への参加とテストの点数さえあれば良い成績がもらえるからだろう。


「藤見。無闇に威圧を与えるな。怯えているだろう」


 そう言って割って入ってきた女子生徒、久遠名華(くどう めいか)

 ワイシャツを第一ボタンまでしっかり留め、スカートは膝丈、黒くてまっすぐな長い髪をポニーテールにして凛とした立ち振る舞いをしている。藤見さんとは全てが対照的だ。


「あ、ありがとうございます」

「何故敬語なのだ?」


 あなたが怖いからです。とはやはり口が裂けても言えなかった。

 この人も見た目通り、この学校では鬼の風紀委員長として有名な生徒だった。相手が先輩だろうと不良だろうと先生だろうと、風紀を乱しているとあれば果敢に立ち向かう藤見さんとは違ったタイプの狂犬だ。気高い女武士を思わせるその口調や仕草の通り、剣の技も大したもので剣道部部長も務めているらしい。この人の前で悪さをしたらきっと一刀両断されるのだろう。

 さて、この二人のパーソナリティで、大方察しはつくだろう。


「貴様! そんな校則違反の姿で校外に出る気か!? 許さんぞ! 我が校の恥だ」

「相変わらずうっせぇな先公かよテメェ」

「イキっていられるのも今のうちだけだ。違反行為をした途端即両断するからな」

「やってみろよ。良い機会だ先公の目がないところでテメェをボコすのも悪かねぇな」


 この二人、水と油の関係なのだ。

 先生の無造作な抽出によって組まれたこの班はさながら火薬庫。ちょっとした火花で大爆発を起こしかねない。


「あ、あのその辺にして出発しないと授業の時間が終わってしまいます……」


 僕が恐る恐るそう言うと、キッと二人の鋭い瞳が僕を刺す。思わず縮こまってしまった。


「……ま、この時間だけだし我慢してやるよ」

「この軟弱者を怯えさせては悪いからな」


 久遠さんの言う通り、軟弱者の僕ではこの二人を御しきれる気がしない。何事もなく二時間すぎてくれ~! と祈りながら教室を出た。

 まさか、この後二度とこの教室の床を踏むことがないなど、その時の僕は思いもしなかったのだ。

 

 ◆◆◆

 

 街に出て生物の写真を撮り、場所や種類、生育環境を記録する。そんな単純な作業ではあった。しかし、この一触即発の二人が喧嘩をしないように僕が間に立つことにした。


「ナガミヒナゲシ……っと……」


 オレンジ色の花の写真を撮り、レポートに記録する。そんな僕のレポートを無言でじっと見つめる藤見さん。


「この花、茎折ると黄色の汁が出るんですよね、僕、昔、それでかぶれちゃって」

 気まずさに耐えきれず、世間話をしてみる。

「……そいつは毒だよ」

「毒!?」


 藤見さんは無愛想に返事をしたと思えば、突如僕の手を取った。


「へ!? て、て、てててててて!?」


 狼狽える僕のことなんて一切気にせず、すすっと指で手の平を撫でた。


「?? え?? あの??」


 小さい、女の子の指先だ、なんてキモいことを考える僕だが、藤見さんはなんてことのないように顔を上げた。


「ん、荒れてんな。お前肌弱いだろ」

「へ?」

「この花、アルカロイドって毒があんだよ。肌が弱いやつは負ける」


 そう言って、藤見さんは僕の手を離すと、観察対象であったヒナゲシを根っこから抜いた。いくら雑草とはいえ勝手に抜いて良いのだろうか?


「繁殖力が異常に強ぇ特定外来種だから、見つけたら即攻ぶちのめせ。周りの花のエネルギーも吸うんだよ」

「く、詳しいんですね……すごい……」


 授業には滅多にでないしヤンキーだから勉強なんて一切できないという偏見を持っていた。僕は素直に感心した。そう言えば自宅にあった枯れた花もこういった雑草が原因だったりするのだろうか。


「藤見さんって……そのかれ」

「おーい! こちらにヨモギがあったぞ!」


 その問いかけは、久遠さんの声によってぶつ切りになった。「枯れた花があったんだけどそれもヒナゲシが原因なのかな?」なんて他愛もない話題を振るつもりだったが、大した話でもないしまた今度にしよう。意外と話しやすいことが知れてよかった。


「……オイ、今なんて言おうとした」


 ふと、右を向くと藤見さんが鬼の形相でこちらを見ていた。


「ひっ、な、なんでもないです!! すみませんっ!」


 前言撤回。やっぱり怖い怖い。僕は自分よりも遥かに小柄な少女に怯えながら逃げるように久遠さんのもとへ行った。


「おお、朽掛、来たか」

「あ、はい、今写真撮りますね」


 僕はスマホを取り出す。


「その、朽掛……先ほどはすまなかった。つい頭に血が昇ってしまって貴様にまで不要な罵倒をしてしまった」


 バッと勢いよく四十五度の最敬礼をした。僕は何のことだかわからず、あわあわする。


「軟弱者など不要な罵り言を……」

「いえ本当のことなので!! ね!! 顔をあげてください!」


 少し、潤んだ目で僕を見上げた。


「ありがとう。藤見に何かされたら私に言ってくれ」


 女の子に怯えて女の子に守られるなんて格好がつかないなぁ。もっとしっかりしなきゃ。

 そう思った時。手が滑った。


「あ」


 口を開いた時にはもう遅い。手にあったはずのスマートフォンが用水路にぼちゃんと音を立てて沈んだ。


「あぁぁ!! しっかりしようとした矢先に!!」

 慌てて手を突っ込んでスマホを救出する。

「あぁ……画面は割れてないがしっかり水没しておるな」


 久遠さんが憐れむように手元を覗きこんでくる。


「電源つくかな……」

 僕がそう呟いて電源ボタンを押そうとしたところ、「待て!!」と切り裂くような声によって動きを止められた。

「え、えっと」

「ちょっと良いか?」


 久遠さんは僕の手からスマホを取ると、電源を長押しし電源を落とした。


「水分がある状態で電源を入れるのは一番よくない。基板がショートしてしまうからな! 不便だろうがしばらく乾燥させるとよいぞ」


 意外だ。久遠さんってなんならスマホすら持っていなさそうなイメージがあった。女子高生だもんな。

 久遠さんはポケットからハンカチを取り出すと僕のスマホの水滴を拭き始める


「あぁ! 汚いですよ、綺麗なハンカチが汚れてしまいます!」

「これぐらい構わないぞ」

「ありがとうございます……あの、僕のものに」

「オイ! テメェらダラダラしてんじゃねぇよ次行くぞ!」


 今度は遠くで腕を組んでいる藤見さんが会話を遮った。「僕のものにそこまで親身になってくれて申し訳ない」と言おうとしたところを止められてしまった。後でしっかりお礼をしよう。


「今、緊急事態だったのだ。空気を読め」

「テメェに空気読めって言われる日が来るとはな」

「どういう意味だ」

「そのまんまの意味だよ。いつも空気読まずにガミガミガミガミだからダチがいねぇんじゃねぇの」

「なっ! 貴様こそ子分ではなく対等な友達一人でも作ればいいではないか!」


 まずい。二人とも喧嘩を始めてしまった。

 それにしてもお互いのパンチラインが図星だったのか、二人の口論はヒートアップしていた。意外だ。お互い友達がいないのか。格好いい雰囲気で女性からモテそうだが、さすがに怖すぎたのか。でも、別々にいればこんなに話しやすいのに勿体ない。

 

 ────その時、急展開が起きた。

 

 口論をする二人の奥から猛スピードでこちらに向かってくるトラックが目に入った。

 ただの住宅地でトラックが爆走する意味がわからない。ぐんぐんトラックが近づいてくる。まさか、止まる気がない!?

 

「危ないっ!!」


 僕は二人の間に割って入り、力任せに壁へ押し付けた。報復が怖いのは承知だが、ここで二人を失う方が怖い。

 これで僕も避ければ、あるいはトラックが僕たちに気づいて止まってくれれば何事もなく終わる。

 

 しかし、トラックの運転手は僕が思ってるよりも正気を失っていたらしい。

 次の瞬間、体が潰れるような衝撃。痛みが断続的に襲い、視界が暗く沈んでいく。


「っう……つき……あ……て……欲しかった」


 ──急に突き飛ばしたこと謝らせて欲しかった

 

 そんな言葉も言えず、僕はここで意識が途絶えた。

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