面白の見つけ方
繰り返しの毎日は意識しなければ、淡々と過ぎ去り、惰性と退屈に押しつぶされる。
朝の通勤電車。昨日と同じ顔ぶれ、同じ景色。
世界はまるで、巻き戻された映像のようだ。
でも、目を凝らせば違う音、
違う匂いが混じっている。
意外と日常は「面白」に溢れている。
たとえば、よくやる遊びとして、民家の顔がある。
家には、大小様々な窓があり、その窓を目と口だと意識すると、どれも人の顔に見える。
そして、その顔の人がその家に住んでいるかもと思うと、急に愛嬌がある。
古びた木造の家は、目尻に皺を寄せた老人のように笑っている。
新築の白い家は、無表情な青年のように黙って立つ。
見知らぬ道にはヘンテコな看板があったり、
お店の中は風変わりな装飾で埋め尽くされている。
それらは気づかなければ通り過ぎてしまう。
でも、一度目が合えば、もう離れられない。
耳を澄ませば、
遠くの工事音も街の呼吸の一部になる。
住宅街の匂いを嗅げば、
どこかの家で煮物の香りがして、
誰かの生活が確かにあることを実感できる。
風に触れれば、
季節が手のひらをすり抜けていく。
どこを見ても、心が揺れない場所などない。
世界は同じ顔をしていても、
見るたびに違う表情を見せてくれる。
意識と視点を変えれば、
それがどこにでも存在することを思い出せる。
面白とは、世界に残された“何かの息づかい”を感じ取る瞬間だ。
世界はあまり変わらない。
ただ、世界の見方は変えられる。




