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デッドエンド・グノーシス  作者: 深津 弓春
第一章 手に入れるべき力 
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1 ゲーム終了後の時代


 エレノア・モノゲネスという女性は、漆黒の髪と瞳をもっていた。


 どちらもセオが産まれ暮らしてきたトキオウという都市国家では珍しかった。明るい砂色の髪と翠の瞳を持つ住人ばかりの中で、外からやってきたグノーシスプレイヤーたる彼女の見慣れぬ色合いに、幼い頃のセオは憧れていた。彼女の傍らには常に、彼女によく似た容姿のマカリアと言うPCが存在し、二人ともがまだ幼い子供だったセオに優しく接してくれていた。


 人々を襲う無人兵器アルコーンより都市を守る強大な力とその行使者。PCとそのプレイヤーは人民の尊敬の対象であり、時には崇敬する者さえいた。にも関わらず、その一員たるエレノアとマカリアは、偶然自分たちの宿舎の傍に住んでいた子供であるセオに気さくに接し、打ち解けて後は弟のように可愛がっていた。ウルフカットの髪や細く長い手足、滑らかな声音、彼女を構成する多くのものが、セオに安らぎと喜びを与えていた。


「人を人として見て、世界を世界として見てね、セオ」


 時に笑いながら、時に真剣な顔で、エレノアは何度もセオに同じ言葉を囁いた。活発さと繊細さを併せ持った、やや吊り気味の猫のような大きな瞳に彼を正面から映して、大事なことだと語る。彼女の信条、あるいは哲理。人間を人間として見ること。世界を世界として見ること。二つで一つなのだと彼女は語った。


 言葉の意味を理解するために数年を費やし、セオが十一歳になった頃、トキオウはアルコーンの大群の襲撃に遭い滅び去った。

 言葉の主とはそれきり。残った言葉だけを抱えて生き延びたセオは何度も「大事なこと」を反芻することになった。何度も、何度も。


   *


「どうやら、駄目みたいだ」


 目の前の勤勉な文学青年然とした外見の男に言われて、セオは「そうだな」とだけ返した。他にどう言えるわけでもない。相手も同じなのだろう。何度も試して、その度に同じようなことを言われ続け、同じような言葉を返し続けてきた。

 セオがいるのは、「ソーテール」と呼ばれる組織の建物内の一角だった。新しく発見されたり抜け殻状態から新たに人格に目覚めたりした、プレイヤーを持たないPCが待機し、新たなプレイヤーを求めるための会場だ。


 PCとは、プレイヤー・キャラクターの略称である。過去に世界の主役であった者たちの、抜け殻のことだ。セオたち世界の住人のほとんどは、これに対してNPC――ノン・プレイヤー・キャラクターという名称を持ち、今ではそれが種族名でもある。この世界、惑星プレロマにおける最高の力たるグノーシスは、NPCとPC、二つが完璧に手を取り合うことで初めて成立するのだった。


「『ログイン』は二人の心が本当にぴったり合わないと、できない。ゲーム時代には一人だったものを、疑似的に二人で構成するから、それこそ二人で一人くらいの相性が無いと」

「知ってるよ」


 他に言いようもないのだろう、と思っていたのに予想を裏切り言い訳めいたことを――あるいは慰めめいたことを――言う相手から顔を背けて、セオは席を立った。テーブルの向かいに座る男から離れてその場を立ち去る。

 歩きながら嘆息し、「ゲーム時代ね……」とセオは独り言を呟いた。

 セオの歩く施設内は、おおむね無機質で装飾が少なかった。床や壁材こそ板張りや壁紙で最低限整えているが、天井はコンクリートや、場合によっては金属材がむき出しで、武骨な役所めいた雰囲気がある。


 「グノーシス」の元となる、人格に目覚めたPCを擁し、これにプレイヤーをマッチングさせ「グノーシスプレイヤー」として戦力化し、運用する。それが「ソーテール」の役割だった。世界の各都市国家に今セオのいるような施設が置かれ、無人機アルコーンの脅威から人々と都市を守っている。ゲーム時代から受け継がれた組織ではないために、関連施設はゲーム時代が終了した約百年前以後にNPC達が新たに作ったものであり、だからこそ武骨で実用的で簡素な造りになっていることが多かった。


「これで何度目だっけか……また皆をがっかりさせるな」


 窓際に近寄って、セオは壁に背をもたれさせて外を見やりながら呟く。世界最大の都市「ティムガッド」の、北端の山々に続く丘陵部に立てられたこの施設からは、街の全景が一望できた。ゲーム時代に作られた都市であり、こちらは歴史的美術的様式をもった建物がぎっしりと並んでいる。都市は幅の広い河川が広い市街を南北とその中間の広大な中洲地帯に分けていた。


 ロマネスクやゴシック、バロック、ルネサンス、アールヌーヴォー……ごった煮の建築様式の群れ。セオたち世界のNPC住人の誰もが見たこともない、旧人類の故郷の惑星にかつて存在した歴史的な街並みの再現だというそれらをざっと見まわして、都市の南部の一角にある他よりもみすぼらしい土地に視線を向ける。

 他の市街と異なる、貧しい簡素な建築の並ぶ特殊なエリア。貧しく、他の市街への道も少なく、窮屈に押し込められて今にもそのまま海に流れ出して沈みそうな港湾近くの小さな土地。難民居住区――誰が定めたわけでも、行政上そうした区分があるわけでもないのに、経済と権力と格差が積み重なり生まれた場所であり、セオにとっての戦う理由そのものだった。


(グノーシスプレイヤーにさえなれれば、まともな地位も権利も稼ぎも得られる。今よりもずっとマシなものが手に入れられる。PCとのログインさえ成功すれば)


 何百回も繰り返し頭の中で唱えた文言を今一度想起する。PCを得て力を手にすること。だがその貴重な機会をセオは逃し続けていた。ログインテスト――プレイヤーを持たないPCにプレイヤー志望者がログインを試すこと――の失敗は既に数年間で十度以上も続いていた。審査と抽選を経て未だプレイヤーを持たない貴重なPCに見える機会はそうそうないというのに。


「なあ、知ってるか、新しい奴の話」


 声に振り返ると、すぐ傍で見知らぬ二人組のNPC達が雑談していた。セオは自分と同じようにログインテストに失敗した人間か、と見当をつける。


「新しいって、何、PCの話?」

「そう、PCの話。新しいPCがここに追加されたってんだけど」

「そりゃ知ってる、ってかだからこそ来たんだろ俺たち」

「いやそうじゃなくて。今ここにいる奴じゃなくてだな。別の奴で、ちょっと凄いのが来たらしい。まだテストに参加はしてないみたいだけど」

「凄いって、何が」

「名前だよ。既に都市のPCリストに入ってるから検索してみろよ」


 無言のまま、セオは視界にHUDを表示させてプレイヤーリストのウィンドウを開いて検索をかける。NPCもPCも、この世界に生きる人々は当たり前のこととして、フォークやスプーンを使うような当然さで視界にHUDを表示させてメニュー操作を行い、チャットや音声・映像通信や所持品の管理やマップの閲覧やナビゲーション表示やクランコミュニティへのアクセスやその他諸々を行う。HUDとは元々ゲームと関係ない用語だが、原始的なゲーム画面におけるオーバーレイ情報表示の名称として使われ、現在のセオたちの時代にまで続く言葉となっている。視界に重ねて透過表示される情報やメニューたち。ゲーム時代にゲームを支えたゲームの為の仕組みであり、そして現在に至っても人々の生活の基礎となっている技術だった。

 PCリストを新規順に並べると、確かに新たなPCが追加されていた。PCネームを確認して、セオは微かに驚き、それから苦笑した。


「『ソフィア』……これ、伝説のアレと同じ名前か」

「原初の自我を持ったPC、世界を解放したPC、あるいは虐殺機。そうだな、同じ名前だ。もしかすると、お前も伝説のPCと組めるかもな」

「百年前のPCと? 笑えるな。名前が同じってだけだろ、箔付けたい奴が思いっきり大層な名前引っ張ってきて偽称してるだけだってのどうせ」

「夢がねぇな。PCは老化しねぇんだ、可能性くらいあるだろ」

「ねぇよ。あのな、ゲーム終了後に姿消して今まで音沙汰無しのPCだぜ、そんな奴の名前騙るようなPCと組みたいと思うか? つうかそんなごりごりに自己愛強そうな奴とじゃ、精神的に合わないだろうからどのみちログインテストも成功しないだろうよ」


 雑談を聞き流して、セオは窓際を離れて歩みを再開した。

 どんな奴だっていい、ログインに成功してグノーシスに乗れるなら――これ以上留まればそんな言葉が口をついて出そうで、足早に部屋の出口に向かう。




 かつて世界は、ゲームだった。


 古い古い時代に宇宙のどこぞの青い惑星で奇跡的な発生と進化と進歩を重ね繁栄し、尚飽き足らず宇宙に飛び出しいくつもの星系に植民した種族がいた。話し・戦い・食い・考え・描き・産み・栄え・滅び、知的生命種としてあれもこれもやった末に彼ら「旧人類」は大型の野生動物に手を焼いていたひ弱で無知な生き物から、光速の壁すら超えて宇宙を貫き、千年生きる肉体も自己意識のコピーも朝飯前、それどころか完全情報生命への変貌すら可能な種族となった。

 彼らはありとあらゆる価値を求めて宇宙で様々なことを成したという。惑星間戦争、星系間戦争、ゼロからの生態系の創造、恒星の完全資源化、惑星丸ごと規模の超広大超精密なシミュレーション仮想空間の創造……そして膨大なあれこれの中の内のごく一部、とてつもなく些末な一つの行為の結果が、セオたちの世界の始まりだった。


 多人数同時参加型ロボットアクション対戦ゲーム「アイオーン」。旧人類がまだ故郷の惑星内でのみ生きる生物だった頃から、その手の娯楽は存在した。最初はテーブルの上の遊戯として、それから原始的なブラウン管や液晶の画面とコンピューター上で動く遊びとなり、体感型のゴーグルやVR機器がそれに代わった。それらの系譜の末にあるのが「アイオーン」であり、旧人類の住まう宇宙の物理原則が完全にそのまま存在し、プレイヤーが意識をゲーム内のPCに移して行動する、現実模倣式ゲームの究極系の一つだとされている。


 旧人類の科学力を考えれば、こんなゲームは児戯に等しい存在どころかレトロ極まりないマイナーな代物、もしくは考古学的再現だったとすら言われている。星々を渡り宇宙の構造を解き明かし続けた彼らには古臭い遊びだっただろうと。

 ともあれ、ゲームは作られ、惑星プレロマが「アイオーン」というタイトルの下で運営され始め、旧人類のゲームプレイヤーがログインし、巨大ロボット「グノーシス」同士で時に戦い時に協力し時に無人機相手に資源狩りを行い時にNPC達と交流した。


 そして時は過ぎ、遊びは飽きられ、どんなゲームにも存在する終わりの時がやってくる。サービス終了の時期、世界の終わりの時。管理者が去り、サポートが打ち切られ、最後の時を待つゲーム内で、プレイヤーや一部の管理者はこのゲーム世界で無茶苦茶な行動に出たという。積み木の城をおもちゃ箱にしまう前に崩して壊すように、終わることの分かっている世界をどうせ終わるのだからと適当に壊したり暴れたりしたのだ。まるで子供の癇癪か悪戯のような行為だが、グノーシスによって振るわれる力は冗談事ではない、悪夢的なものだったという。


 だが、そんな時代に、一人のPCが立ち上がった。かのPCはプレイヤーを持たず、なのに自立した心を持ち、不条理な仕打ちをプレロマに向けるプレイヤーや管理者に反抗した。伝説のPCとも呼ばれる彼女――女性型だったとされている――は、旧人類ではなくNPCが疑似的にゲームのプレイヤーと同じ存在になり、PCに「ログイン」することで正規のプレイヤー=PCと同じくグノーシスの力を行使可能にする秘儀――または非正規のプログラム――を世界にもたらしたとされる。


 時が経つうちに、プレロマ内に放置されていた「抜け殻」のPC、つまりプレイヤー不在のまま取り残されたPCの中にも自我を芽生えさせ、反抗に賛同するNPC達と次々に「ログイン」を成立させるペアが現れた。彼ら彼女らはグノーシスを駆って古き人々、ゲーム世界から見て上位の世界に住まう人々――本来のプレイヤーの手から、プレロマを守った。

 戦いは長く続き、しかしいつしか収まり、旧人類のプレイヤーや管理者は姿を消し、世界は終わらず、後には大量のNPCと自我に目覚めたPCが残った。


 「ゲームの時代」が終わり、「ゲーム以後の時代」が始まったのだった。NPCの時代が。


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