12 気に入らない
セオの目の前に、彼よりも優に頭一つ分は小さな少女・アンジェリカが立っていた。僅かに半身になっただけの姿勢だが、向き合ってみれば引き締まった隙の無い構えであるようにも感じられる。アンジェリカの厳しく怜悧な視線がそう感じさせるのかもしれなかった。
ソーテール施設の一角に設けられた、屋根のない石張りの広間――訓練用のスペースの一つ――で、セオとアンジェリカは向かい合っていた。お互い、簡素な運動着姿で。
「では、はじめましょうか」
視線と同じく冷え冷えとした声が、セオに向けられる。
(なんでこんな状況に)
と思わなくもない。セオは脳裏に、ここに至る経緯を思い返す。と言ってもつい先日のことではあるのだが。
ヴィクトールとの会話の翌日、セオの元にクラン経由でメッセージが届いていた。送り主は、アンジェリカ・アウトフュエース。先日セオのフォローに入り、戦闘後には欠点を正面から指摘したあの少女だった。テキストのみで簡潔にまとめられたメッセージの内容は、訓練への誘いだった。
ソーテールのグノーシスプレイヤーは、当然ながら出撃時以外にも様々な訓練教練学習の類を求められる。グノーシス化して武装の扱いに慣れたり、新たな戦術を試したり、あるいはもっと基礎としてアルコーンの細かなスペックや動作を頭に叩き込んだり、あるいはただ単に体力作りに励んだりと平時には平時の活動がある。
アンジェリカが誘ってきたのは、主にプレイヤー側にとって重要な訓練の一つである、格闘技能の研鑽のためのプレイヤー同士での自由な徒手格闘形式の訓練――要するに組手や乱取りや地稽古だった。
グノーシスプレイヤーは戦いの際、全長三十メートルの超常機械となるため、生身で戦闘を行う機会は存在しない(あってもアルコーンの巨体に踏みつぶされて終わりである)。ただしグノーシスはプレイヤーの身体であり、プレイヤーの意志で動かす第二の肉体である。接近戦にしろ格闘戦にしろ、プレイヤー自身の技能がそのまま反映される。特に、センサーなどが活用できる銃器類に比べて近距離戦格闘戦は己が技と動作のキレが重要となる。
故に、格闘訓練は特に接近戦を好むプレイヤーにとって日常的に行われる。
なぜ自分が、と思いつつも、セオは誘いを受けることにした。理由なくサボれるものでもないし、相手は上位ランカーの著名なプレイヤーである。セオ自身の立場の悪さを考えると、逃げた時に買うかもしれない相手や周囲からの反感は怖いものがある。
セオは眼前に立つアンジェリカを見据える。公開プロフィールによればまだ十四歳になったばかりであり、全プレイヤーの中でも最年少の一人である彼女は、見た目だけなら格闘向きとは到底思えない。手足も首も腰も細く、煌めき輝く髪は今は細かく編み込まれてまとめられているがどこまでも繊細である。
と、お人形然とした繊細さの塊が、すっと動き出す。
絶妙に無駄な力の抜けた、自然極まりない動作で踏み出し――一瞬で懐に迫ってくる。
(鋭い――)
ぞっとしながら、セオは咄嗟に半歩だけ下がって左腕で自らを庇う。素早く連続して突き出された二度の拳を手の平と肘で受けて逸らすが、相手は即座に逸らされた腕の勢いを利用して体を捻り、腹を狙ったコンパクトな蹴り足を振るってくる。
セオは一歩踏み出して距離を詰め、蹴りを旋回させ切らずに背中側で受けながら左手でフェイントを入れつつ右手を貫き手にしてみぞおちを狙う。
動作の流れからセオの動きを読んでいたのか、アンジェリカは突き出された手を冷静に見てタイミングを合わせて、自らの腕でブロックしながら絡めとろうとする。腕の伸びきる瞬間に完全に合わせられたため、上手く力を入れて逃れられず抱え込まれそうになり、考えるより先にセオは小さく跳躍していた。相手の背中に回り込むような方向に地を蹴り、抱えられかけた腕をそのまま体の大きな動作に追随させる。
一歩間違えば自ら腕を折らせるような危険な動きだったが、側面から背面に回り込むような動作の方向が逆に相手の腕に無理な方向の負荷をかけ、拘束を緩めさせることに成功する。
と、ほとんど出し抜けに、視線も向けずにアンジェリカの放った後蹴りがセオの肩口を掠めていた。意識の向いた腕の攻防を囮に放たれた爪先が首や顔に当たらなかったのはセオもまたそうした奇策を予想していたからである。
伸びた足を空いた右手で強く払い、体勢の崩れたところに間髪入れずそのまま拳を打ち降ろす。ほとんど同時にアンジェリカは振り向きながら最小限の動きでセオの顎を狙って掌底を突き上げるところだった。
一瞬セオの拳が早く、アンジェリカの頭部に届きかけて――止まる。アンジェリカの攻撃もまた、微かに遅れてセオの喉元で止まっていた。
お互いに視線を合わせ、ゆっくりと構えを解く。
「さすがに、強いですね」
「いや、今のは筋力や体格で勝っただけで……グノーシス同士ならいいとこ相討ちだった」
驚きと共に、セオは上がりかけた息を整える。
アンジェリカの格闘技能は、予想以上のものだった。セオより四つほども年下で、しかも物理身体は女性であり、パワーも何もかもがセオに大きく届かないはずである。にも関わらず、力押しで何でもありでやり合って辛勝とは尋常ではなかった。
それから数度、同じように拳や蹴り足や関節狙いと何でもありの訓練を続けて行う。
繰り返すたびに、アンジェリカは的確にセオの動きを見切り、予測し、より鋭く挑みかかってくる。彼女はセオと異なり正規の訓練を受けた人間らしく、動作に美しい合理と型が見えたが、型にはまりきるわけでもなく、適度に実戦的な動作で攻め立ててくる。
グノーシスプレイヤーの格闘訓練は、「自己身体動作の制御・認識」という点を直接実戦に役立てるためのものであり、細かなルールも規制も存在しない。一歩間違って大怪我を追ってもソーテールには「再生槽」もある。ギリギリの訓練の方が優先されるというわけである。
セオはしかし、アンジェリカとの訓練に奇妙なほどの安定感を感じていた。限界まで攻めあいながら、決着は綺麗につき、お互い止め所が分かっている。
「少し、休憩にしましょう」
とアンジェリカが口にするタイミングも、セオが同じ提案をしようと思ったタイミングにぴったり合っていた。
数度の格闘を経て、戦績はセオがあらかた辛勝できる、といったところだった。男女差・年齢差から来る身体性能の差込みでこれというのは、実際とてつもないことである。
これがランカーの実力なのか、とじわり実感するセオに、額の汗を軽く腕で拭ったアンジェリカは何か考えるように目を伏せて、
「やはり、あなた自身の技能に問題があるわけではなさそうですね」
と言ってみせた。
「グノーシス側の性能もバランス型で悪くないものに見えました。そうなると、問題はプレイヤーとPC間の関係性、ということになります」
「ヴィクトールにも、同じことを言われたよ」
「先の戦闘の様子を見れば、大体分かりますから。でも、私は実際に確かめたかった」
「で、わざわざこの訓練を? 一体なぜ?」
つい最近入ったばかりの新人、しかも悪い意味で注目を集める難民出のプレイヤーをわざわざ訓練に呼び出したのは何故なのか。技能を確かめるために実際に格闘訓練を行うなど、どうにも大げさではないのか。
アンジェリカは少し迷うように口ごもった後で、聞こえるかどうかの小さな声で「気に入らないからです」と呟いた。
「気に入らない?」
「ええ。気に入らない、ですね。正直。伝説とまで謳われるPCを得て、ようやく華々しくグノーシスプレイヤーになったのにあの程度の戦いしかできない。普通に気に入りません。他のプレイヤーたちにだって見下げられるんじゃないかと思いましたけど、実際、案の定皆に失望されたり、エルマーをはじめ色んな人間に馬鹿にされたりしてる」
正面から言われると、さすがに心に重く感じるものがある。セオ自身、自覚はしているのだ――ソフィアなどという、ゲーム時代を終わらせた伝説のPCがどこからともなく現れ、前代未聞の男女間ログインまで成し遂げて、昨日の難民が今日のプレイヤーとなったのである。
どうやってもセンセーショナルで、劇的な展開である。
なのに蓋を開けてみればいいとこ下の中レベルの活躍しかできていない。
アンジェリカは真っ直ぐセオを見つめて、厳しい視線で射貫いてくる。
「デミウルクであそこまで戦える人間が、あの程度の戦い方しか出来ないはずはないんです。どうしてあんな段階で行き詰まっているんですか」
「どうしてと言われても」
勢いよくテンポよく放たれる言葉に、たじたじになってしまう。それが分かれば苦労はしないのだが。詰められて口ごもっていると、アンジェリカは壁際の庇の下のベンチに腰掛け、「こちらへ」と手招きしてくる。
他にどうすることもできず従い、隣に腰かけると、小さな少女は前を見たままでぽつりと語りだした。
「私はプレイヤーにならなければ今頃、幼児の頃から決められた相手との婚姻に向けて準備を進めているはずでした」
「は?」
唐突な話の向きに間抜けな声が出てしまう。構わずアンジェリカは続ける。
「うちはゲーム終了戦争で名を上げた家で、多くの名家と呼ばれる家がそうであるように今も自分たちの権勢を維持し、拡大し、財を成しよりその名を確固とした名声で飾ることに余念の無い家です。私は次女で、基本的に家督の類は長女である姉が継ぐことになっています」
「アウトフュエース家、か……そう言えばここ数代はもうグノーシスプレイヤーを輩出していないはずだったな」
思い出す。有名なプレイヤーのプロフィールはあらかた頭に入っているのだが、アンジェリカの家はゲーム終了後の争いが収まるにつれてプレイヤーとしての名声から商いや流通に関する大きな権利と組織を有する一族となっていた。
「はい。でも私は、グノーシスプレイヤーを目指し、実際にログインを果たしてソーテール入りしました。家からは勘当扱いですけど」
「勘当、って、どうしてそんなことに」
「家の意向を無視して逆らったからです。家は、私に最初から役割を決めていました。姉を助けるために静かに穏やかに都合よく「価値ある相手」に嫁ぐ役を。私が勉学や他のことでどんな成果を上げても、父や母から返ってくる言葉は全部同じ、即ち『そんなことはしなくていい』です」
決められた芸だけを期待される動物みたいなものですよ、と吐き捨てるように――実際吐き捨てたのだろうが――アンジェリカは冷たく何かをにらむような視線を宙空に向けていた。まるでそこに過去が浮かんでいるかのように。
「私はずっと、『正当な評価』に飢えてきました。プレイヤーになったのはそのためです。生きるか死ぬか、都市を守るか焼かれるか、極限的な状況で戦うグノーシスプレイヤーなら、必然的に正しい評価が得られると思ったからです」
プレイヤーの評価に関しては、セオにも理解できた。グノーシスでの戦いに、おかしなおべっかや不当な貶しを多く入れる余裕はない。弱いものをえこひいきすれば、そいつがアルコーンに抜かれて街が襲われるのだ。
「狙いは正しかったみたいで、私は今それなりに真っ当な評価を受けていると思っています。十二歳で初めてログインして、二年でトップランクにまで昇り詰めました」
「改めて、とんでもない経歴だな……」
空を仰いで、セオは唸った。ほんの子供でしかない少女が、大きな力を持つ家を出奔し、プレイヤーとなることで生きるか死ぬかの戦いの場に自らを置き、結果として世界トップクラスの実力を周囲に認めさせたのである。
感心するセオに、しかしアンジェリカはどこか不満そうな目を向けた。
「でもこんなのはあなたに比べれば楽勝な人生です」
と、何かを断ち切るような勢いで述べる。
「楽勝って。別に比較するようなものでも」
「比較するものなんです。私にとっては」
分かるような分からないようなことを言われて戸惑うセオに、アンジェリカはさらに言い募る。
「あなた自身も身一つで生きてきたはずです。ずっと、デミウルクで死に物狂いで戦って。なのにようやく、強力なグノーシスを――憧れのPCを手に入れた途端に、あの体たらくでは」
ヒートアップして、よく通り良く響く声を続けざまに吐き続ける彼女の口元に、突然、背後から二本の腕が伸びた。
「はい、そこまでですアンジェ」
もごむぎゅ、と口元を抑えられたアンジェリカが無理やり後ろを向くと、そこには二十歳ほどと思しき容姿の女性が立っていた。まるで影から自然と生えてきたような気配の薄さで、セオはぎょっとして僅かにのけ反ってしまう。
「ヘードネー、か」
「はい、その通りヘードネーです。ちゃんとご挨拶するのは初めてですね、セオドアさん」
くるりと顔を向けて、ぺこりと一礼される。戦場でセオをフォローしたグレーのグノーシスの、PCとしての姿。長く伸ばした黒髪とそれを抑えるホワイトブリム、何故か着込んだロングのエプロンドレスが特徴的だった。じろじろ見てしまったからだろう、セオの視線にヘードネーは「ああ」と頷き、
「この格好はですね、趣味です」
「趣味か……」
ほかにどうとも言えずにセオは無理矢理納得した。と、ぐいと掴まれた腕をどかして、アンジェリカが立ち上がる。
「ヘードネー! なんでここに」
「もうお昼ですから。一緒に食事でもと思って捜していたんですよ。というかアンジェ、いけませんよ」
「何が」
「突然訓練に突き合わせて、突然あれこれ話して、突然追い詰めるようなことを言って。もう色々と、順番もやってることもおかしいですよ」
う、っとアンジェリカが何か言葉を詰まらせて呻く。順番とは何か、おかしいとはどういうことか、セオには分からなかったが。
「私は、別に」
どこか言い訳するかのようにもごもごと呟いた後で、彼女はセオに向き直る。
「とにかく、早く『それらしい戦い』を見せて下さい。今のままじゃ、あんまりです」
と言い残して、背を向けて歩き出してしまう。
何なんだ一体、と呆然としていると、ヘードネーがセオに近づき、そっと囁いた。
「すみません、どうもあれこれ一方的で」
口元だけで小さく微笑んで、アンジェリカのPCたるヘードネーは続けた。
「あの子はですね、グノーシス操縦に関してはとても器用で天才的なんですが、自分や他人に対してどんな態度をとってどんな言葉を投げればいいのか、みたいな部分に関しては雑魚雑魚下手っぴーなんですよ」
だからあんまり悪く思わないであげて下さいね、と言われて、セオはとりあえず「はあ」と気の抜けた声を返すばかりだった。
アンジェリカを追ってその場を離れるヘードネーの背中を見るともなしに見ながら、セオはアンジェリカの言葉を反芻する。
「あの体たらくでは、か……」




