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弱者男性をころす機械  作者: 黒い大きな狗
2/6

坂井さん

 俺はふと、バスの窓の外を見た。一人の男が草地を走っているのが見えた。その服装は乗客たちと同じ白い「死に装束」だった。

 なんだ……あいつ? こんな場所で?

 しばらくするとまた一人、さらにもう一人、荒れ地を走ってゆく「死に装束」の男が見えた。


「ありゃあ、途中で怖気づいて、リセットセンターに着くやいなや逃げ出したんでしょうねえ」


 俺の右隣に座っている、初老の男がつぶやいた。

 そうなのか。しかしいくらなんでも土壇場で逃げ出すとは。覚悟が足りなすぎる。リセットを志願するからには、すっかり覚悟を決めて、穏やかに死を迎える準備を万端整えるべきなのに、あいつら、あんなにまで生に執着するとは、まったく情けない。

 しかし、不謹慎だと思うが、あいつらと俺との境遇の差を思うと、ゾクゾクといい気分になった。自分より下の奴を見下すことぐらい楽しいことはない。


 隣の初老の男は続けて言った。

「ああいう逃走者を狙って猟銃で狩りをするのが半グレ連中の間で流行っているそうですよ。「ゾンビ狩り」などと呼ばれているそうです。私ら、リセット志願者は、最終手続きをした瞬間に法的には死人の扱いですから、言ってみればゾンビなんですよね。一応、死体損壊罪が適用されるそうですが、政府はとにかく生産性の低い余剰人口を減らしたいものですから、警察には見て見ぬふりをしておくよう指示しているそうです。それにしても、逃げたところで行く当てはないのに……ホームレスになるのはまだ良い方で、大抵は不良や半グレどもの狩りの標的になるか、臓器を抜き取られて、殺され捨てられるしかないらしいです。哀れなものですね」

「ゾンビ狩り……そんなことになってるんですか」

 そうか。こいつら、法的にはゾンビか。実感は全然無いが。


「こんな話もあります。政府がリセット政策を推し進めたとき、国連人権委員会あたりから何も抗議が無かったこと、不思議だと思いませんでしたか? あれは、世界中の国が、多かれ少なかれ、失業者や高齢者の社会保障費増大に悩んでいるものだから、いわば日本を地雷原に突っ込ませて、どうなることか試させているそうですよ。その代わり、表立って日本のリセット政策を非難しない、そういう裏取引があったらしいです」

「へぇ……」

 ファースト・ペンギンというやつか。ペンギンの群れの中で、危険か安全かわからない海に最初に飛び込むペンギン……日本はその役割を押し付けられたのだな。

「で……なんだかんだリセット政策が表向きは機能していて、中高年人口は確実に少なくなっているので、社会保障費も年々下がっているそうです。ただ……」

「?」

「国の収支は一向に改善しないらしいです。中高年男性を安楽死処分するということは、とりもなおさず納税者と消費者の数をも減らすことになるんですから、当然ですよ。それに、出生率も向上の兆しが見えなくて、政府としてはずいぶん焦っているらしいです。あくまで仮説ですが、出産適齢期の女性たちが、自分の子供が弱者男性になってしまっては困るということで、みんな生み控えしているようですね。それもあってか、GDPは下落の一途をたどっています。まさに、あちらを立てればこちらが立たず……政府内では、リセットを任意ではなく、いっそ強制にして、社会に不要な人間を片っ端から口減らししろという一派と、そもそもリセット政策に無理があるのだから即刻廃止しろという一派が与野党問わず角突き合わせているみたいですよ」

 この男、なかなかの事情通のようだ。

「ずいぶん裏事情にお詳しいようで」

「まあ、これでも一応、報道稼業の端くれでしたから。いろんな伝手から、情報をいただけるんですよ」

 報道? 俺は隣の初老の男を見て、どこかで見た顔だと思った。有名人か? そうだ。思い出した。


「坂井さん? あの元アナウンサーの……」


 その男、坂井さんは、俺の声を制するように口元に人差し指を置いて「シッ」と静かにいった。身バレして騒がれるのが嫌なのだろう。まあ、リセットセンター行のバス車内で身バレしたところで、もう意味はないのだが。


 坂井健一郎(さかいけんいちろう)さん。元テレビ局アナウンサー。今は相当老けてはいるが、間違いなく、テレビでお馴染みのあの顔だった。全盛期には、ニュース、朝のワイドショー、バラエティと八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍で、10年くらい前まではテレビで顔を見ない日は無かったような印象さえある。

 爽やかなイケメンで人気だったが、アナウンサーとしては、ちょっと噛み癖があって、バラエティでは、よくお笑い芸人にそこのところを突っ込まれていたものだ。そういえば数年前から見かけなくなった。

「光栄です。こんなところで、あなたのような有名人に会えるなんて」

 俺は少し声を押し殺しながらいった。

 有名人に会えて、なんだか得した気分だ。この仕事に就いてよかった。

「いやお恥ずかしい。でも、やっぱり不安は不安ですから、こうして人と話して気を紛らわしたくなるもんでしてね」

 坂井さんは元アナウンサーらしく、深みのある美声で答えた。


「あなたほどの方が、どうして……」

「まあ……よくある話ですが、AIに仕事を取られたというのがいちばんの理由ですかね」

 坂井さんは穏やかさの中に、ほんの少しの悔しさを滲ませながら言った。

「ベテランと言われる歳になって、管理職への配置転換の話もちらほら出てきたんです。でも私はあくまで現場にいたかった。しゃべるのが好きでしたから。そんなある日、私はスタッフの何気ない会話を聞いてしまったんです。『AIさえあれば、坂井さんみたいな噛み噛みアナはいらないよな』って。確かに噛み癖があるのは認めます。でも私は仕事に誇りを持っていた。それなのに、スタッフから見たら、私はAI以下の老害でしかなかったのですよ」

「そうだったんですか」

「自分の存在を支えている土台が音を立てて崩れていくようでした。それからはほとんど鬱状態になってしまって、仕事どころではなくなってしまいました。だから定年を待たずに早期退職したんです。……妻には先立たれていたし、子供もいなかったので、もう生きている意味はありませんでした。政府がリセット制度を施行してくれたのは非常にありがたいタイミングでしたね。寿命を待たずして妻に会いに行けるんですから」

「あなたのような有名人の方でも、リセットを志願してしまうんですか……」


 ちなみに、弱者男性なら誰でもリセットできるわけではない。リセットを志願する人間は、役所に申請書を提出した後、氏名がオンラインで公開され、そこから3か月間待たされる。これは主に、借金を残したまま「死に逃げ」されるのを避けるための措置だ。その3か月の間に、債権者がリセット志願者の名前を見つけると、リセット申請は却下される。加えて、障がい者、LGBT、外国人が自殺したいと思い詰めてリセットを申請しても、大体は然るべきNPO団体や保護団体が却下を申請してリセット中止となる。これは、マイノリティが安楽死処分されて、人権的にああだこうだ言われることを防ぎ、マイノリティは保護されているというアリバイを世界に示すためだ。しかし、借金もなく健康な独身中高年男性は、たとえどんなにセレブであろうとも、条件を満たしていれば、リセットを邪魔されることはない。


「今はすっかり、肩の荷が下りた気分ですよ」

 坂井さんがリセットを志願した理由は、美しすぎた。なんだか映画やドラマの登場人物のキャラ設定のようで、俺と比べたら圧倒的に「上位」に居るようだった。

 俺は監視員で、坂井さんはリセット志願者。それなのに、引け目を感じた。


 俺はといえば――――

 以前は、世間では大手と見られている商社の、人事部にいた。

 だから面接官をよくやっていた。

 中途採用に応募してきた、半端に年配の奴ら相手に、よく圧迫面接をかましたものだ。

「その年になるまで何をしてきたんだ?」だとか、「お前みたいな奴を社会のゴミっていうんだよ!」だとか、「そんなんじゃ前の会社をクビになるのも当然だよなあ!」だとか、「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ!」だとか罵倒してやったら、あいつら涙目になってやんの。俺はその度に気分が高揚して気持ちよくなった。


 あの頃は楽しかった。


 いや、圧迫面接だって意味はあるのだ。長時間勤務と休みなしの連勤に耐えられる強靭な根性を備え、常に経営者目線で仕事に臨む、インサイト発見能力を持ち合わせた、優れた人材を発掘するためなのだ。この程度の圧迫面接に耐えられなければ、グローバリズム社会を生き抜くことなどできない。


 で、ようやく人事部長、果ては役員への出世が見えてきた頃、思いもかけない落とし穴が待っていた。

 ある応募者が面接を隠し撮りして、ネットにアップしやがったのだ。

 その動画には俺が履歴書を握りつぶして応募者に投げつけたシーンがきっちり映ってしまっていた。

 案の定の大炎上。おかげで俺は、会社のイメージ悪化の全責任を負わされ、あえなくクビになった。長年の会社への貢献の果てがこれである。


 それがきっかけで妻は俺と口をきかなくなった。最低限必要なコミュニケーション以外は、沈黙を貫くようになってしまった。部屋に出入りするときは、これ見よがしにバタンと大きな音を立ててドアを閉める。息子もちょうど反抗期がかぶって、冷たい目で俺を見下ろすようになった。これには参った。家の中は針の筵で、まったく居場所がなくなってしまった。


 しょうがないので、長年隠れて付き合ってきた愛人に癒しを求めようとしたら、俺が失業した事実を知った途端、

「私たち、お互いに大人になるべきだと思うの」

 とかなんとかぬかしやがって、俺は捨てられてしまった。あの女、俺が地位と収入を失ってからの手のひらの返しっぷり。鮮やかすぎて笑うしかねえ!


 一応、雀の涙ほどの退職金は出たが、貯金も日に日に目減りする一方だったから、俺は焦って就職活動に奔走した。だが前の会社で競業避止(きょうぎょうひし)義務の契約を結ばされていたため、同業他社に再就職できなかった。背に腹は代えられず、慣れない業種の職を探したが、面接に行く先々で今度は自分が圧迫面接をくらうハメになった。

 屈辱だった。さんざん他人を見下して生きてきた自分が、こんどは見下される立場に落ちたことを、否応なくわからされた。


 そんなとき、この、リセットセンター送迎バスの監視員の募集が目に止まったのだった。

 世の中、捨てたものではない。

 とりあえず無職ではなくなるので、妻子に蔑まれる日々も終わるはずだ。


 というわけで、俺は役所の臨時職員として、この仕事に就いたのだ。

 坂井さんに比べればどうにも情けない俺の境遇。だが、坂井さんが身の上話をしてくれた以上、こちらも境遇を打ち明けなければならない雰囲気だったので、適当に脚色してみた。

「私の場合は、その、毎日家と会社を往復する人生に虚しさを感じて、辞めてしまいました。けれど、息子を大学にやらないとならないんで、とにかく働き口をということで、この仕事に就いてます」

 一応、ウソは言っていないが、どこかで聞きかじった友人の身の上話を借用したものだ。

「そうですか。お互い、人生ままならないものですな」

 坂井さんはそれ以上踏み込んでこなかった。

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