グレイトフル・デッド
俺を乗せたバスは高速を降りて、人家もまばらな田舎の下道に入った。
窓からは初夏の日差しが舞い込み、容赦なく影と日向を分けている。
この電気駆動式のバスは完全自動運転なので、運転手はいない。ただし非常時に備えて運転台だけは備えてあるので、ハンドルがひとりでに回っている。俺ぐらいの世代だと、それがどうしても不気味に見えて、いつまでたっても馴染めない。
乗客は中年以上の男ばかり。いや、乗客という表現はふさわしくない。むしろ、刑務所へ護送されている受刑者の方が近いだろう。
彼らの行先は、公営安楽死処分施設。
このバスに乗っているヤツらは、誰もかれも、これから死にに行くのだ。
203X年。いい時代になったものだ。生きるのが嫌になったら、簡単に安楽死できるんだからな。
今の時代、ホワイトカラーの仕事はほとんどAIに取って代わられている。案の定、仕事の口は3K仕事を除いて極端に少なくなり、深刻化する高齢化と相まって日本政府は社会保障費の増大に耐えきれなくなった。そして、政府はやむなく、国民の一部を安楽死処分する決断を下した。
しかし、問題はその「国民の一部」の対象者だ。たとえば、ある年齢に達した年寄りを一律で安楽死処分する場合、社会通念上でも宗教感覚的にも人情的にも抵抗がある。そうでなくても若い世代に「将来への希望」がなくなるし、なにより、「必死で働いてきた代償がこれか!」と猛反発をくらうのは火を見るよりも明らかだ。
かといって特定の民族や人種、障がい者やマイノリティを安楽死の処分対象にしようものなら、今度は世界から袋叩きに遭うだろう。場合によっては戦争にもなりかねない。女性、お年寄り、障がい者、LGBT、マイノリティ、外国人への差別は、絶対にあってはならないのだ。
だが、政府にとって僥倖だったのは、日本には差別してもかまわない、安楽死処分の対象にしてもかまわない、一定の層がいることだった。
つまり、この世で最もいらない人間、孤独な独身中高年男性である。
なぜ女性が入っていないのかというと、理由は簡単で、世界からの非難が怖いからだ。女性様は弱者なので、保護しなければならない。現に、ある議員が「公平の観点から独身中高年女性も安楽死の対象にすべきでは?」と発言したが、非常識極まりない失言だとメディアがヒステリックに騒ぎ立て、あっという間に所属政党からの除名と議員辞職に追い込まれた。やはり女性様は無条件で偉いのだ。
その点、独身中高年おじさんは安心して処分できる。なぜなら、結婚もできない、子孫も残せない、生産性の低い、最低ランクの男性である「非モテ弱者男性」には生きる価値なんてこれっぽっちもないし、努力を怠った結果の自己責任だと誰もが納得できる。
いや、一応反対の声は、あるにはあったのだ。与党に反対するのがお仕事の野党が、「それはおかしい」と反発したのだが、「弱者男性は面倒くさいネット右翼になる傾向が高いので、弱者男性が減れば、リベラル派の割合が増えて、平和な世の中になりますよ」と説得したら、
「じゃあ賛成で」
と実にあっさり矛を収めたのだった。
ともあれ、今や全男性の二人にひとりは未婚の時代なので、弱者男性どもがいなくなれば社会保障費が浮いて、政府としてもハッピーだ。しかも、孤独な独身中高年男性の数が減れば、就職先を奪い合う苛烈な椅子取りゲームの椅子が空くので、女性の社会進出が進み、ジェンダーギャップ指数の世界的順位も上がるので、フェミニスト様はお喜び、国連人権理事会様もお喜びだ。さらに独身中高年男性が吐き出す二酸化炭素排出量も確実に減るので、環境保護団体の皆様もニッコリと、いいことづくめだ。
ただし、よくあるディストピア物のように、安楽死を強制するというのは現実的ではない。
政府は、条件を設定した。
その条件とは、40歳以上で、両親が他界しており、子供がいない男性に限ってのみ、安楽死の医療措置を無料で受けられるというものである。それ以外の人間が安楽死を希望する場合は、今のところ裁判に訴えて最高裁までの長い戦いを続けるしかない。
こいつはうまいやり方だった。競争社会の敗者たる弱者男性が安楽死を選択しても、それは自己責任なので世界からとやかく言われる筋合いはないし、たいていの弱者男性は自殺念慮を持つので、勝手に減っていってくれる。政府としても不要な人口を処分できるので、みんなが幸せになれる。ウィンウィンというやつだ。
そもそも、AIのせいで仕事がどんどんなくなっているのだから、これは当然行うべき行政サービスだ。冷たい社会で路頭に迷うよりも、楽に死なせてやった方が良いし、苦しみから解放されるだろう。
世界からも、非難の声は上がらなかった。
やはりそういうことなのだ。弱者男性は「いらない存在」なのだ。相も変わらず人権だ、LGBTの権利だとうるさい世の中だが、弱者男性には人権はないのだ。
まあ、俺は違うけどな。
このバスの中で、俺だけは断じて弱者男性などではない。
俺はこいつらがトラブルを起こさないように見張る監視員。今日はその初仕事の日だ。
俺は支給の作業着を身にまとい、バスの最後部のシートにどっかりと腰を落ち着け、乗客たちに睨みを利かせている。
どうも人手不足で、なり手がいないらしく、俺はすんなり面接に受かった。簡単な講習を終え、今日を迎えた。結構な給料を貰えるし、危険手当も付くので、なかなか美味しい仕事だと思う。
しかしどうだ、他のヤツらの顔。みんな見事に目が死んでいて、希望のかけらもない。
これから安楽死を受けるというヤツらなので、無理もない。
この中で俺だけは違うから、高みの見物。実にいい眺めだ。安全であることの愉悦!
俺はかねてから思っていた。絶望して死にたい死にたいとわめくが、そのくせ実行には移せないまま、働きもせずに無駄飯を喰らっている甘ったれが多すぎる。そういうヤツらにとっては、死こそ救いなのだ。どうせ社会に不必要なのだから、さっさと死んでくれた方が断然いい。
そんなところに、渡りに船とばかりに、安楽死政策が施行された。
たとえば、電車に飛び込んで自殺でもされた日には、電車は止まるわ、復旧に時間がかかるわで、社会的コストがハンパない。アパートの一室で孤独死されても、管理人が困るし、事故物件になって市場価値が下落し、大損害だ。その点、安楽死処分なら、苦しまずに死ねる分、有情だし、他人に迷惑をかけずに死んでくれるので、コストパフォーマンスに大変優れている。
そういう面では社会貢献が計り知れない。
ところで、安楽死安楽死と連呼しているが、行政的には「リセット」と呼ぶ。俺が若い頃、ご多分に漏れず好んでプレイしたテレビゲームの人気RPGでよく使われた単語だ。ボス戦の攻略に失敗して死んだら、ゲームをリセットしてセーブポイントからやり直す、あれだ。「リセット」と言い換えしたことで、「死」の持つ不吉で忌まわしいイメージがだいぶ緩和される。政府の意向で報道関係や出版関係が右へ倣えで使い始め、今では誰もが自然にリセットと言うようになった。
正式名称「社会的基準未達男性の生命停止幇助に関する法律」、通称「リセット法」が施行されると、全国に続々と、リセットセンターという名の公営安楽死処分場が建設された。
しかしいくら安楽死を「リセット」と言い換えたところで、その施設の従業員になって安楽死志願者のケアをするというのは、誰しも心情的に抵抗があるらしい。
実際、当初のリセットセンターは病院を改造したものが大半だったのだが、やはり人間を死に追いやる職業というのは精神的に大変辛いものらしく、安楽死を司る医師や看護師に、メンタルをやられる者が続出した。
そこに救世主として登場したのは、やはりというか、AIだった。
新たに建てられたリセットセンターは、AIがあらゆる設備の稼働を管理する施設となった。
嫌なことは全部AIに押し付ければいいとばかりに、現在、AI管理のリセットセンターは、普段は無人で稼働する。
しかし、いくらAIが発達したとしても、人の手が必要な仕事はどうしても発生する。そのひとつが俺のような、リセットセンター送迎バスの監視員で、他には数日おきに技術者と市職員がメンテと清掃に来るようになっている。
施設で稼働する安楽死用の機械、通称リセットマシンは、2017年にオーストラリア出身のフィリップ・ニチケ博士が発表した安楽死マシン「サルコ」をルーツとする。リセットセンターでは、このリセットマシンが何台も並んで稼働し、今日も今日とて弱者男性減らしに勤しんでいる。
バスの前方にしつらえられたディスプレイで、ベートーベンの交響曲第6番「田園」をBGMにしながら、そのリセットマシンの紹介動画が流されている。リセット志願者が、遊園地のロケットかロボットアニメの搭乗マシンなんかを思わせるリセットマシンのカプセルに乗り込み、ハッチが閉まると、内部が徐々に窒素で満たされ、苦痛もなく眠るように息を引き取ることができるそうだ。その後カプセルは、まるで遊園地の乗り物のように施設の裏手に移動し、そこで遺体が海に投機される。
火葬はされない。弱者男性ごときの火葬なんかで温室効果ガスが無駄に排出されるのは困るという理由からだ。しかも、リセットされた弱者男性は、墓を建ててもらえない。とある海外の環境保護活動で有名なインフルエンサーが、弱者男性の墓のために土地を無駄遣いするより太陽電池パネルを置くべきだと、お気持ち表明した結果、諸外国に良い顔をしたい政府がそう決めたのだ。
うんうん。その通りだと思う。そりゃあ、弱者男性より環境の方がはるかに大事だし、環境活動家様のお言葉に逆らえるわけもない。
そういえば、遊園地の遊具メーカーが少子化の影響で息も絶え絶えになっていたところ、リセットセンターのリセットマシンの受注で、業績がV字回復したというのを、ニュースサイトか何かでちらっと読んだことがある。ほら見ろ。リセット政策は世の中に確実に幸せを振りまいているじゃないか。
これから死にゆく男たちを乗せたバスは、I県のT村にあるリセットセンターに向けて走っている。安楽死処分をするセンターの建設はどこも誘致したがらず、必ずといっていいほど住民の反対運動が起きるものなので、大体のセンターは原子力発電所の近所の海沿いに建てられている。だから窓から見える景色もだんだん人家が少なくなり、だだっ広い草地ばかりになってきた。
俺以外のバスの乗客たちは、皆一様に白一色の、作務衣のようなユニフォームを着せられている。役所でリセットの手続きをするときに、これに着替えるように命じられるのだ。言ってみれば死に装束である。ユニフォームの下にはオムツをはかされている。なんでも、リセットマシンで息を引き取るときに漏らす奴がいるそうで、マシンを汚さないための配慮らしい。
このユニフォームの上下は100%木綿で、靴も生分解性プラスチックを使った自然に還る素材で製造されている。
そんなふうに、地球環境への配慮もバッチリだ。リセットは、SDGsの輝かしい未来の一翼を担っている。俺はそう無邪気に確信していた。
後で、あんなことになるとも知らずに――――