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第五話











 姿見の前に立つ私は常と変わらなく見えた。

 瞼の腫れもすっかり引いて、化粧をする前なのに、うーんと鏡に顔を寄せなければ頬や鼻の下の荒れは全く判らない。


 ……大人の美容法って凄い!!


 感激してしまう程、お母様が特別に貸して下さったパックとナイトクリームの効果は絶大だった。

 たった一晩、否それにも満たない時間でツヤツヤピカピカに戻った頬に心底安堵して、凄い凄いと感謝する私とは逆に、若いと効果が出るのも早いのねぇ……とナイトクリームの瓶を持ったお母様は溜め息を吐いていらした。


 そんなお母様はさておいて、一つ憂いの減った私は、限られた時間を有効に使うために颯爽と準備を始めた。

 お風呂に、服選びに、おもてなしの指示、することはたくさんある。


 そのためにまず……髪を梳いている侍女に、そろそろお願いと声を掛けた。

 やがて少し頭を引っ張られる感触がして、じょきんと鋏の入る音がする。続けて同じ音がしばらく響き。

 終わりましたと声を掛けられてから、バスルームへ向かった。



◆◆◆◆◆



 お風呂で考え得る限りピカピカに全身を磨いてから、一番お気に入りのドレスは一昨日着てしまったので、二番目にお気に入りのドレスに着替えた。それから、ドレスにあう化粧を施して貰って、最後に髪に結ぶリボンを選んでいる最中。俄かに屋敷の中が騒がしくなった。

 侍女と顔を見合わせているとやがてノックが響く。返事をするとお母様が少し慌てた顔で入ってきた。


「ごめんなさいメロディ、殿下がいらっしゃったわ」

「え? もう?」


 まだ午前中、本来なら先触れがあろうと他人の家を訪れる時間ではない。


「私達も驚いたのだけど、とりあえずお父様と応接室にお通ししようとしたら、貴女に会わせないつもりかと叫ばれてしまって、困っているのよ。準備は充分ではないかもしれないけど早めに出られるかしら?」

「……ええ、私は構いませんわ」

「なら行きましょう」


 結局髪は結わないまま、お母様と一緒に部屋を出て玄関ホールへ向かう。

 近付くごとに誰かが、……というか多分殿下が、怒鳴っている声が近くなる。

 こんなお声も出せるのね……学院でしか知らなかった殿下の新たな一面に驚きながら、お母様に付いて角を曲がって、吹き抜けの玄関ホールが見渡せる廊下へ出た。

 階下では、お父様とお兄様と多分殿下の護衛の方が、殿下と揉めている。


「殿下、落ち着いて下さい!」

「オレは冷静だ!!」


 まるで酔っ払いのようなことを言って、殿下は護衛の方を押し退けてお父様に掴み掛かろうとしていた。

 早くお止めしなければと階段に駆け寄った私を、待ちなさいと引き止めたお母様は、不敬にも、その場から涼しい顔で階下に声を掛けた。


「旦那様、申し訳ありません。支度に手間取ってしまいました」


 その場にいた、父、兄、殿下の視線が一斉にこちらに向いて、母を通り越した私に突き刺さった。お父様とお兄様は現れた私を見てあんぐりと口を開け、なんで!? と言いたそうにお母様へ視線を移した。


 でも殿下はお母様には目もくれず、私を見つけた途端、真っ直ぐこちらに向けて進み始める。慌てたお父様たちが殿下の進路に立って妨害しようとするが、相手は王族、力では止められない。殿下が一歩足を踏み出したら、お父様たちが一歩後退る状態で、階段下まで来てしまった。

 どうしたらいいのか判らず、お母様を見るけれど、お母様はなんとも涼しい笑みを浮かべたままその光景を見下ろしているだけだった。


「メロディ!! あの手紙はなんだ!! 何故別れの科白なんて勝手に書く!! 僕は認めない!!」


 ダンと強く更に一歩を踏み出した殿下に気圧されて、お父様が階段に尻餅を突く。

 お父様も心配だけど、それより……殿下が私を見ても驚かなかったことに、逆に驚かされていた。



 なんで……、なんでこんなに髪が伸びているのに、気にしないの?



 私の髪は長いまま……床につくスレスレの長さを保っていた。

 流石に、引きずるのは不衛生だから余分な部分は切って貰ったけど、私の髪はまだ身長とほぼ同じ長さをしていた。



 もちろんそれは<秘密>を殿下に見せつけるため。

 一昼夜でここまで伸びる事実を突き付けて、私は相応しくないと彼を説得するつもりだった。



 藍色の瞳はひたすらにこちらを見上げているのに、殿下は私の異常など気にもせず、懐から出した紙束を付き出して、そして投げ捨てた。

 もしかして、あれ私の手紙?


「こんなものを寄越しても僕は絶対君を諦めないぞ!! もし君が本気で国を出るというなら……」

「殿下!!」


 つい悲鳴を上げて遮ってしまったのには、切実な理由があった。

 弟妹には離籍することはまだ内緒だし、使用人も知らないものの方が多い。

 勝手に知らせてほしくないと願うのに、そんな思い殿下は汲み取ってくれない。


「身分を捨ててでも僕も一緒に行く!!」


 ………嫌、無理でしょう。そんな簡単に王族を抜けられるわけない。


 無理無理と首を横に振る私の動作が勘違いさせたのかもしれない。悔しそうに歯を食いしばった殿下は、即座にその場に跪いた。

 悲鳴を上げたお父様とお兄様も慌てて殿下の隣に跪く。


 そんなもの無視して再び私だけを見上げた殿下は、そっと右手を伸べて、あの熱烈な情に満ちた目で見つめてくる。



「君が一言、僕を好きだと言えば、僕は君のためになんでもする。だから僕を選んでくれ、メロディ」



 来い! と力強く差し出される手。

 麗しい貴公子が私を求めてる。



 それはまるで舞台の一場面のようだった。


 その場面に自らが踏み込むのが怖くて僅かに後退る。トン、と背中に触れたのはお母様の豊かな胸の感触だった。


「貴女の望み通りになさい。みんなもそれを願ってる」


 促すように、お母様は視線を玄関ホールへ向けた。つられて私も周りを見渡す。

 もうお父様もお兄様も驚いてはいなくて、目が合うと肩を竦めて少し笑った。まるで、私の決意を促すように……。

 騒ぎに気付いてホールに集まった使用人達も皆、祈るように両手を組んで私を見上げている。


 でも踏み出せない私に、殿下は滔々と語り始めた。


「僕が君を最初に意識したのは入学式の日だ。僕を負かした首席の君が新入生代表の挨拶をしていて、緊張もない顔で堂々と壇上に立つ君に、見惚れた。一目惚れだった。それから君のことを調べあげて、ずっと君を見ていた」


 入学式? そんなに前から、見られていたの!?


「それから何度も君に声を掛けようとしたけど、きっかけが掴めなくて、……やっと声を掛けられたのは一年の後期試験でまた君に負けた時だった。僕を見て恐縮した雰囲気はあったのに、愛想笑いもないまま完璧な淑女の礼をする君が眩しくて、もっと好きになった。

 名前で呼んでいいか聞いたら君は、お好きにお呼びになって下さいと冷めた顔で言ったんだ。その媚びない態度に惚れ直した」


 それは内心あたふたしてたけど顔に出なかっただけ……必死に冷静さを取り繕ったのがそんな風に見えてたの!?


「学院で擦れ違えば挨拶する仲になっても、君はニコリともしてくれなかった。いつも事務的に返事をするだけで颯爽と去っていってしまう。……首席もとれない僕など君の視界には入れないのだろうと、その度、君に勝たなければこの想いは届かないと必死になったんだ!!」


 違います!!

 王族と親しく言葉を交わすなんて恐れ多くて恐縮してただけです!!

 だって、殿下の周りにはいつもお付きの方や婚約者候補の令嬢など多くの人がいて、しがない伯爵令嬢、ましてや敵役のような私が立ち入る隙などなかったから……お邪魔をしてはいけないと早々に立ち去っただけ、他意はない。


「なのに、結局僕は六年間一度も君に勝てなかった。どうやっても君と結ばれることはないと言われているようで、辛かった。このまま学院を卒業したら、君との縁は完全に切れてしまう。どうしようかと悩んでいた時だった、教室で青くなって震えている君を見つけたのは……」


 私が殿下への想いを自覚した日。

 あの時殿下は既に私のことを……。

 だから、この人は私の異常に気付いてくれた。


 あの日の疑問の答えを貰って、歓喜の嗚咽が漏れる。両手で唇を覆っても、漏れる呼気が抑えきれなくて、勝手に視界が滲んだ。


 家族以外でそんなに私を想ってくれている人がいたなんて……。


「あの脅迫状を見た時、もちろん怒りもあった。君を理不尽に怖がらせた相手が憎かった。だが同時に、まだ君との関係に望みがあると言われたようで、嬉しかった。物騒な繋がりだったけど、犯人捜しという口実で、君と話すのがどんなに心踊る時間だったか……もっと君に会いたい。もっとたくさん君と話したい。いつでも君を助け、守りたい。いつまでも君と一緒にいたい」


 殿下の言葉途中、もう息もうまく出来なくなって、私はその場に蹲ってしまった。

 泣いても、泣いても、尽きないものが貴くて……。

 こんなに純粋に、真摯に、真っ直ぐに、熱く請われて断るなんて私には出来ない。


 だって、同じ気持ちが私の中にもあるのだもの。

 殿下の抱えた六年に比べたら小さなものかもしれない。でもあの日芽生えた想いは、十何年も押さえられていた涙をこんなにたやすく零させる程、熱く強く、私の心を揺さぶる。



「頼むメロディ、君の不安を僕にも別けて。僕も一緒に悩むから、共に生きさせてほしい」



 酷く近く声が聞えて顔を上げると、階段を上りきった殿下が私の前に跪いていた。

 殿下のお顔にも綺麗な雫が流れていて、そっとそれに手を伸ばして、拭う。


 信じられないくらい綺麗な泣き顔だったけど……好きな方には泣かないで欲しい。

 私の言葉で貴方の涙が止まるなら、止めて差し上げたい。そして笑っていただきたくて……私も精一杯泣き笑いしながら告げた。


「……好き、です。私も殿下が好きです……本当は、殿下、と、ずっと一緒にいたい」

「では、共に生きよう、メロディ」


 抱き締めてくれた殿下も、家族も使用人達も、みんなが泣き笑いしていて、やがて聞えたのは拍手の音だった。


 その瞬間、私は泣いていたけど、……酷く幸せだった。


 抱き締めてくれる殿下の腕の中、喜びに促される涙に溺れて、どうしてだろう。そのまま意識を失ってしまった。



◆◆◆◆◆



「お嬢様、とてもお綺麗です」


 親しい侍女の声に、ふと意識が現実に帰ってくる。

 それ程遠くない過去へ思いを馳せている間に支度が終わったようだ。


 華燭の典に望むための真っ白な衣装に身を包む、鏡の中の自分。複雑に編み込まれた髪に飾られたティアラの中央には深く青い色の宝石が使われていて、あの日の彼の瞳を思い出した。


「ありがとう」


 手を引かれ立ち上がって、もう一度自分の全身を見る。

 鏡の中には、これが本当に私なのか疑いたくなる程に頬を緩めた、幸福そうに笑う女がいた。


 あまりに満面の笑み過ぎて、自分で見ても恥ずかしい。

 しかし表情筋はかつてと同じように全く私のいうことを聞いてくれなくて、引き締めても引き締めても、あっさり緩んで、勝手に笑う。



 <鉄仮面令嬢>だった私が、だ。



 その所為で最近では、実は私には影武者が複数いて、入れ替わり立ち代わり、その時に相応しいメロディが遣わされている……と噂されているらしい。


 そのくらい、殿下と婚約を結んで社交の場に出るようになった私は別人だった。


 殿下から二度目のプロポーズを受け入れて意識を失った後、日を改めて大規模な家族会議が開かれた。嫁いだ姉様たちも幼い弟妹も皆そろって、もちろん議題は、私が王族に嫁ぐことと<秘密>についてだ。

 謝罪を胸に家族会議に臨んだ私に、当然、誰もそんなもの求めなかった。


 ひたすらに祝福しかない家族を前にまた私の涙腺は壊れて……。

 でも、話し合いの最中、どんなに泣いても私の髪は少しも伸びなかった。



 ………なんで!?



 疑問は山のようにあった。一時に泣き過ぎて毛根が力尽きたとか不穏な考察もあったけれど、結局真実は判らないまま……あの日以来、私の髪は泣いても一切伸びない。

 でも自然には伸びているから、毛根が力尽きたのでは無いようで、それはちょっと安心している。

 おかげで我が家が抱えていた<秘密>自体消えてしまった。

 王家も、貴族学院始まって以来の秀才カップルの結婚を両手を上げて歓迎してくれた。

 なので、私は素知らぬ顔をして嫁ぐ。


 ……でも一抹の不安はあって。

 それを察知する度、殿下はいつも胸を張って同じことを言った。



『大丈夫、あれは僕たちに愛の奇跡を起こさせるための、神の試練だったんだ、害はない。そうとでも考えないと不思議すぎる。そもそも君の<秘密>が無ければ僕たちは出会うことすら無かった。なら、あれは僕たちを巡り合わせるために神が仕組んだ、髪の奇跡だ』



 そう言って自信たっぷりに笑う殿下は、知れば知る程、想像通りの王子様ではなかった。

 無駄に頑固だし、笑えない駄洒落は言うし、若干オレ様気味だし、ナルシストも入っている。……後、多分妄想癖もある。


『しかし、あの日の君は女神のように美しかった。身長を越える長い髪を翻した君が僕を見下ろしている様は……本当に、夢のように美しかった』


 そんなに昔のことではないのに、どうやったらそこまで美化出来るのだろう。

 殿下は学生だった六年間で、私に対して視界がぼやける程分厚いフィルターを掛けてしまっているのではないだろうか? ぼやけ過ぎて、ちゃんとした私が見えてないのかもしれない。



 ……だとしたら、恋というのは随分人を馬鹿にさせるものだ。



 でもその馬鹿さ加減が、私には頼もしくて愛おしくて、かけがえない。

 きっとそれはすべて彼の優しさで。私を不安にさせないために、守るために、あの方はいつまでも、あんなふうでいてくださるのだろう。




 聖堂での儀式を終え、殿下にエスコートされて正面扉から外に出る。

 王族の結婚式、外には多くの市民が集まり、祝福を投げ掛けてくれていた。

 待機している馬車まで続くカーペットの周辺に投げ入れられる祝福の花束を一つ拾い上げた殿下が、聴衆に手を振る。彼に倣って手を振ると、自然に頬が緩んだ。

 笑った頬に尖った感触がしてそちらを向くと、楽しそうに笑う殿下が私の頬をつついていた。


「君の笑顔が一番美しいね」

「やめて下さい、恥ずかしい。そう思うのは殿下だけです」

「もう殿下ではないだろう、メロディ」

「……はい、アーダルベルト様」


 応えると、満足そうに笑う。

 あの日恋した姿そのままに陽光を背負って微笑む夫が眩しくて、スッと目を細めた。そしたら何を勘違いしたのかクイッと顎を掬われ、そのまま緩んだ唇を奪われる。

 その瞬間、聴衆から一際大きな歓声が上がって、私の頬は日の光に焼け付いたように赤くなった。


 照れる私を攫うように、手を引いて先を行くアーダルベルト様は、楽しくて堪らないという顔で未来を語った。


「君が学生時代<鉄仮面令嬢>とあだ名されていたなんて、もう誰も信じないだろうね。いつか我が子に語って聞かせるのが楽しみだ」

「まあ! では私は、お父様は学生時代一度も私に勝てなかったと教えますよ」

「最後は同点だったじゃないか」

「でも私は六年間ずっと首席でした」

「では僕は、君が僕のために毛根尽き果てる程泣いたことも教えよう」

「尽きてませんっ。では、私は貴方が……」


 意地の張り合いになっていく会話はいつものこと。

 少し怒って拗ねて、でも最後には結局二人で笑って……。

 ああ幸せだ。



 鉄仮面と呼ばれるのにも理由があった。



 呼ばれていた間、なんの苦労もなかったといえば嘘になる。辛いこともたくさんあった。


 理不尽ではあったけど、アーダルベルト様の言う通り、あの<秘密>がなければ、私はこの最愛に出会えなかった。もし出会っていても、こんなに惹かれることはなかったろう。


 だからあれは、しがない伯爵家の小娘を、無理なく王弟の妻にするために、神様が苦肉の策で仕組んだ<カミの奇跡>だという、彼の持論に納得することにした。



 <秘密>はこの幸福に至るために必要な試練だった。



 見事試練を乗り越えて、笑顔と幸福を手に入れた私の髪は、どんなに泣いてももう伸びない。


 そう信じている。

 貴方が、それを信じさせてくれた。

















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