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第四話











 泣きながら私はまた眠っていたらしい。

 気が付くとお日様はもう高く上っていて、カーテン越しにも室内が明るかった。

 泣き過ぎた所為なのか妙に頭が重い、でも気分は悪くなかった。


 そういえば、いつか読んだ本に書いてあった。

 涙を流すことは心の洗濯になるのだと。

 だったら私は、昨夜生まれて初めて思いっきり心を洗えたのかもしれない。

 そのおかげか妙に晴れやかな気分で枕元のベルを鳴らした。


「お嬢様!」


 駆け付けてきた私付きの侍女は部屋に入ってくるなり、あんぐりと口を開けた。


 ……まあ気持ちは判る。

 私の秘密を共有するために選ばれ、人生の殆どを一緒に過ごした彼女でもここまでのものを見るのは初めてだろう。

 かく言う私も初めての体験、幼い日を振り返ってもこれ程の長さになるまで泣いたことなどなかった。


 人生最長に伸びた髪は身長を越えて床に流れている。


 それを見てしばらく言葉を失っていた侍女は、やがて自身も泣きそうに唇を噛んでから、無理に笑顔を作った。


「と、とりあえずお顔を洗って、何か召し上がって下さい。髪は……また後で考えましょう!」

「そうね、お願いするわ」


 彼女がワゴンに乗せて運んできたお湯で顔を洗い。食事の準備が調うまで、冷たい布で泣き過ぎて腫れた瞼を冷やした。その間に、話を聞き付けた家族が順番に部屋を訪れては、伸びた髪の長さに悲鳴だか歓声だか判らないものを上げる。

 慰めにきたのか、見物にきたのか……でも、本に出てくるお姫様みたい! 凄い! と無邪気に言う弟妹には慰められた。


 食事を終えてお風呂に入った後寛ぐ私のところへ改めて訪れたお母様から、昨日のことを教えてもらった。

 意識を失った私を心配する殿下から、そもそもの始まりである脅迫文のこと、求婚のこと、そしてご自分が秘密の一端を掴んでいることを聞いたそうだ。


「ごめんなさいね、こんなに我慢させてしまって……」

「お母様……」

「貴女のことが判った時爵位など返上してしまえばよかった。そうしていればこんなに苦しめることもなかったのに……」


 鏡台前の椅子に座った私の髪を優しくくしけずるお母様の声が濡れているような気がする。お母様の自身を責める言葉は聞きたくなくて、鏡越しに視線を合わせ勤めて明るく言った。


「いいえ、伯爵家の娘であったから私はたくさんのことを学ぶことが出来たのです。お母様達に感謝することがあっても、恨むことなどありえません。だからお母様達もどうぞ誇って下さい、王族に望まれるような優秀な娘を育てたことを。まあ今回は、ことわ、る、こと、……し、か、で……ま、せ……が……」


 それまでスラスラと綴っていた言葉が、それを思い浮かべた途端不自然に途切れる。その瞬間ボロッと音を立てて、意識しない涙が両目から零れた。

 突然泣き始めた自分に自分でも吃驚する。

 鏡に写る私の異常に気付いたお母様がブラシを取り落した音に正気に返って両手で顔を覆った。


 ああ、また泣いてしまった……。

 本当に、昨日までの鉄仮面な私は何処に行ったの? 家の中とはいえ、家族の前でも関係なくこんなにあっさり泣いてしまうなんて、情けない。


 私が己を叱咤しているのに気付いたのだろうお母様は、確認するように聞く。


「……メロディ、貴女も殿下のことが好きなのね?」

「いいえ、いいえ……そんな、恐れ多い」


 涙を拭って必死に首を横に振って否定する。

 願っても叶わぬ恋、私が認めたら困るのはお母様達も一緒だ。

 だから必死に否定する。


「……やっぱり、私は駄目な母親ね」

「お、母様?」


 そんなことないっ、お母様は、否、誰も悪くない!! 私が、私がっ……反論したいのに、涙で言葉が喉に引っ掛かる。


「だって娘がこんなになるまで泣く意味をずっと取り違えていたのだもの」


 こんなに……と言いながら、鏡の中のお母様は私の髪を一房手に掬い上げた。

 切るにしても整えてからと言うことで、侍女とお母様が上質な香油とブラシで梳かしてくれた髪は、ツヤツヤと輝きながら何処までも真っ直ぐ伸びて、持ち上げたお母様の手のひらをサラサラ滑っていく。


「私は昨日からずっと、貴女は殿下に<秘密>を知られた所為で泣いているのだと思っていたの。私達や一族への申し訳なさに苦しむ貴女を救ってあげられないのが辛くて、危うく殿下をお恨みするところだったわ。

 ……でも違うのね、恋しているから、貴女も殿下が好きだから切なくて、ままならないものが辛くて哀しくて、泣いてたのね」


 ひっくとしゃくり上げてお母様を見る。鏡越しに視線の合ったお母様は女神のように優しく微笑んでいて、背後からギューッと私を抱き締めてくれた。


「誰かのためじゃない、貴女のためだったらいくらでも泣いていいのよ、メロディ。いっぱい泣きなさい、だって好きなんだものしょうがないじゃない。お母様にだってそんな日があったわ」


 自分のためなら泣いていい……?

 そんなこと今日まで一度だって思ったことはなかった。


 ……否、許可を貰ったことは過去何度もあったのだ。泣かないために無表情になっていく私を心配した家族は、辛いなら心のままに振る舞えばいいとずっと言ってくれていた。


 でも、私は自分ですべて背負い込んだ。

 私一人のために爵位を捨てさせたり、家系を先細らせたりしたくなかったから。


 私が原因で家族を不幸にしたくなかった。

 ……でも、家族も同じ気持ちだった。


 誰一人、私一人に全部背負い込ませて幸せになりたいなんて願ってなかったのに……。

 家族全員で幸せになる道を探そうと提案される道を、私が拒否し続けていただけ。


 だって、ただ私が泣けないだけ、それ以外何も問題ない。


 家族と遠く離れるのは辛いけど、誰だっていずれ家からは巣立つ。

 その理由が少し特殊なだけ、その後ひっそり生きていくだけ、離れた先で不幸になるつもりはないし、人生の目的もある。


 殿下のことだって、私が諦めさえすれば……。


 思い浮かべた途端、また涙が量を増した。

 溺れてしまいそうになって、慌てて肩を抱くお母様の腕に縋る。


「お、かあさま……。ごめんな、さ、い……好き、なんで、す。殿下のことが、……でも、でも……」

「どうして謝るの? 私の娘が、こんなに泣ける程人を好きになったのよ。素晴らしいことじゃない」

「おか、ぁさま……」


 だって、でも……を繰り返す私にお母様は、希望的観測を綴る。


 結局原因は不明なまま。遺伝か、突然変異か、判らないことを考えるだけ無駄よ、と。


 それに、この異変が我が家だけのものとは限らない。もしかしたら隠しているだけで、今の若い娘はみんなこうかもしれない。

 そもそも遺伝的要素で私に現れたとしたら、それは連綿と受け継がれてきた血脈故で、子沢山な家系の我が家はそれを理由にありとあらゆる階層の家と血縁を結んできた。だからもうきっと手遅れよ、とお母様は言う。


「血筋に原因があるとしたら、きっとそれはもう国中にばらまかれている。貴女が何をしてもしなくても、異変が起こるならその日は必ず来る。でもそれは決して、私の娘の所為じゃないわ」


 だから、泣いていいし、殿下を想ってもいいと許してくれるお母様の腕の中は暖かくて優しくて、愛しくて……また私の涙は止まらなくなった。



◆◆◆◆◆



 また伸びてしまった髪をお母様に梳かして貰いながら瞼を冷たい布で覆うと、思考も一緒に冴えてくる。すーっと冷めていく頭で考えて、やはり変わらない答えをお母様に告げた。


「やはり王族は駄目だと思うんです。殿下は王家に残ることが決まったとおっしゃっていました。……もし何かあって殿下の子孫が王位に関わることなった時、そこに混じっているのが私の血なのは、不安なんです」

「本気? 我が家なんて領地も役職もお金もなしの名ばかり貴族よ。そんなに忠誠心厚く子供たちを育てたつもりはないのだけど」

「忠誠心というより、……これもやっぱり、殿下を好き、だから」


 改めて想いを口にすると頬が熱くなる。無表情なのに頬だけが染まっているのは変じゃないかな? と布をずらして頬にも当てた。


「あらあら、私の娘は本当に……」


 一途で可愛いわね、と囁いたお母様は、貴女の好きになさいと笑う。


「明日もう一度殿下がいらっしゃいます。そこで、自分の言葉で、自分の気持ちを伝えなさい。それがどんなものでも、私も、お父様も、他の家族も、受け入れるから」


 そう言ったお母様は髪を梳くのをやめて私の肩をしっかり掴んだ。

 私の決意を促す言葉……でも、私の意識を一番弾いたのは感動的なお母様の優しさではなかった。


「……お母様」

「なぁに?」

「そういうことはもっと早くおっしゃって!!」


 叫んだ私は、濡れタオルを引きはがして自分の顔を目の前の鏡に写した。

 泣き過ぎた所為で腫れた瞼はいわずもがな、ずっと涙と鼻水を拭っていた頬や鼻の下は皮膚が荒れて、良く観察するとささくれ立っている。指で撫でたらそれがもっとはっきり判って、ヒッと小さな悲鳴が漏れた。


 そもそも私は特別美しくも可愛くもないが、醜いとまでは言われない程度のごく平均的な女だ。だが、無表情。


 そんな私でも、せめて好きな人の前では綺麗でありたい!!


 だから、殿下の訪問が決まってからは侍女にも手伝ってもらって、入念に準備をした。あまり美容に興味のない私の気合いの入れように驚かれたけど、王族をお迎えするのだし失礼のないように備えていると言ったら納得してくれた。



 昨日はそうやって整えた私でお出迎えしたのに……。



 サッと目を走らせた時計はもう零時になろうとしている。

 今日はもう終わる。ちゃんとした訪問なら殿下がお出でになるのは午後だろうから、彼と会うまで単純計算で後十二時間。


 その時間に何が出来る!?


 真っ青になって考える私を心配したのだろう。

 お母様に肩を掴まれて、ハッとしたときにはもう、なりふり構わず、逆にお母様の手を掴み返して縋っていた。



「お母様、助けてっ。私、………こんな顔で殿下に会うのは絶対に嫌です!!」



 絶叫に少し驚いた顔をしたお母様は……やがて大人の女の顔で艶やかに笑って、任せなさいと胸を張っておっしゃった。
















読んで頂きありがとうございました。

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