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第二話









 この六年、私にとって殿下は、私の所為で功績を残せない申し訳なさを抱くだけの方だった。


 初めて掲示板の前で声をかけられたのはいつだっただろう?


 随分昔、首席の喜びを心の中で叫んでいる最中、声を掛けられた。もちろん同級生に殿下がいるのは存じていたし、その方が次席なのも知っていた。だから最初は身構えて、無礼にならないよう挨拶した。


 それから成績発表の度に互いの健闘を称える言葉を交わすのが恒例になって、学内で擦れ違った時には立ち話をすることもあった。

 そうやって、何度も間近でお顔を拝見する機会はあった。その度、美しい、整っていると思っていた。



 でも一度も、今日のように胸が高鳴ったり、頬が熱くなったりしたことはない。



 なのに、あのお顔……西日に照らされ、否背負って、優しく私を見つめるお姿が胸に焼き付いて離れない。思い出す度にジタバタと暴れてしまいたくなって、落ち着かない。


 間違いなく、私は、殿下に恋をしている。


「恐れ多い……」


 ベッドに寝転がって、今日の出来事を思い出しては枕に悲鳴を吸わせてを繰り返し、零れたのはそんな溜め息だった。


 相手は王族、対する私はしがない伯爵令嬢。

 身分の差は歴然で、憧れならまだしも本気の恋をするなんて、身の程知らずにも程がある。そもそもそんな夢を見る年でもない。


 身分を気にしないでいられるのは学院という鳥籠の中だけの話。

 卒業して、本物の社交界に出たらもう学友という肩書きすら通用しない。

 彼は王子殿下、私は伯爵令嬢。弁えるべき身分社会の中に身を置くことになる。



 ましてや私は、卒業したら伯爵令嬢ですらなくなる予定なのだ。



 <秘密>を隠したまま国内の貴族へ嫁ぐ危険を冒すつもりはなく。

 卒業後すぐ、親族のつてを使って国外へ出て、平民になるつもりだった。


 これはもうずっと前、学院に入学するより前に両親と話し合って決めたこと。


 それならどうして学院での実績が必要? といわれそうだが、別に私は平民になっても出自を意図的に隠すつもりはない。

 対外的な離籍の理由は、子沢山な我が家は全員を貴族に縁付かせるだけの持参金が用意出来ないので自立させることにした、で通す予定だ。

 一時は貧乏貴族と謗りを受けるだろうが、秘密が暴かれて一族郎党の未来を潰すことに比べたら……とこれには両親も納得している。



 貴族学院で優秀な成績を納めたという事実は、表情が死んでいる女が一人で生きていくのに必要なステータスなのだ。



 だって貴族のなかですら、私の表情のなさを完璧な淑女教育を納めた証と褒める裏で、愛想笑いすらしない鉄仮面は傲慢や冷酷の証と称する輩がいる。そんな心ない中傷にかつては傷ついたが、今は秘密を守るための鉄仮面よろいを守る、更なる防壁として優秀さが役立っていた。


 無心に、無情に、首席に君臨する私を見る人々はやがて、賢いからそうなのだ……と勝手に納得し始めた。


 天は二物を与えずという言葉通り、近年稀に見る優秀さを与えられたは私は、代わりに感情を与えられなかった。入学以来一度も首席を逃さない優秀さに裏付けられた自信が、あの孤高の無表情だ、と。


 更に悪意ある方の言葉を借りれば、学院の勉強など私にとっては児戯に等しく。それ程度にあくせくする生徒達は、通りすがりの足下の小石。

 誰が石に笑い掛ける? 愛想笑いを浮かべる対象ですらないから、常に冷めた顔でツンと澄ましている、……なんと傲慢な!! ……ということらしい。



 まあつまり、賢すぎて、何にも心動かなくて、無表情。



 それを怒る人もいるが、一定数、優秀だから仕方ないと受け入れてくれる人がいることを知って、平民になったらその方向で生きていくことにした。

 愛想笑いも出来ない私だけど、それを差し引いても雇いたいと思って貰える実力を前人未到の大記録で示すつもりだった。


 ただ国内でそれをひけらかして就職先を探したら、優秀なら鉄仮面でも持参金なしでも嫁に! なんて奇特な貴族に望まれてしまうかもしれないから、国外へ出る。そこで学院で学んだことを生かせる職にありつきたいなと思っている。


 無表情でも勤められる仕事って何かしら?


 卒業後のことを考えようとして、ふと自分が泣いていることに気付いた。意図的に話題を切り換えようとしたのに、自覚したばかりの恋心が悲しんで、それに促された涙が止まらない。


「馬鹿ね、相手は殿下なのよ」


 血筋を気にする最たるものが王家。


 <秘密>をもった私が、そんな方に恋するなんて愚かだ。

 駄目だ無理だと言い聞かせるのに、涙が止まらない。

 こんな調子では好きでいることすら許してはならないと強く思った。


 だって私は今こんなにたやすく泣いている。

 今日だって、殿下に少し気遣われただけで、安心して泣いてしまうところだった。


 つまり殿下を好きでいたら私の<秘密>はすぐにばれてしまう。


 この<秘密>がある限り、どんな奇跡が起きても決して結ばれない相手なのだから想っても無駄。

 ……判っているのに、その事実が悲しくて泣いている自分。


 止まらない涙を拭って決めた。

 やはり今日のことはなかったことにして貰おう。

 これ以上殿下と関わっても待っているのは身の破滅だ。

 あの紙片のことはお父様に相談してうちで対応して貰えばいい。





 殿下のことは忘れよう……。





 そう決意して登校したのに、殿下はわざわざ私の教室を訪れて、勉強会の名目で私を放課後カフェテリアに誘った。

 ……もちろん私に断る勇気などない。


 自分の意思の弱さに無表情の裏で嘆きながら、約束の時間にカフェに向かうと、適度に人目に付いて、でも会話は聞こえない距離の取れる席が既に用意されていて、護衛の方に案内された。


 まばらにいる生徒達が何事かとこちらを窺っているのが判るからか、私が席に着いてすぐ、殿下はこれみよがしに分厚い参考書をテーブルに広げた。心得て、私も参考書を覗き込むフリをして隣を窺うと、彼は一瞬何かに驚いてやがて小さく首を傾げた。


 その瞬間、ヒクリと喉が震える。

 殿下があまりに格好良くて眩しかったから……ではない。


 小さな変化に気付かれたかもしれないと今更恐れたからだ。


 昨夜、あのまま眠ったのが悪かった。どんな夢を見たのか覚えていないのだが、悲観的な考えは夢にも現れたのだろう。

 どうやら私は寝ながらも泣いていたらしい。

 寝る前にも泣いた所為もあるだろうけど、朝起きたら予想以上に前髪が伸びていた。

 本当ならすぐ整えて貰う。

 だけど今朝は、昨夜のうだうだが祟って寝過ごしてしまい時間が押していたから、ふんわりさせれば大丈夫かな? と横着してしまったのだ。


 実際伸びたのは親指の長さに足りないくらいだし、大丈夫と高を括っていたけれど……つい昨日だ。同じような距離で殿下と顔を見合わせていたのは。


 もしその違和感を問われたら化粧と髪形の所為でごまかしてしまおう! と決めても、短い時間に背中を冷たい汗が伝った。


「……これが今朝君の机にあった」


 結局殿下は違和感の確信を得ることは出来なかったのか何も言わず。

 視線を参考書に落とすと、世間話のような気安さでなんの変哲もない小さな紙片をテーブルに滑らせた。

 それを見た瞬間、昨日の怖気が蘇る。微かに震えた私を気遣ってか、手に取る前に殿下が二つ折りの紙片を片手で器用に開いて内容を見せてくれた。


『秘密をばらされたくなかったら卒業試験を受けるな』


「………これはつまり、私の記録達成を阻もうということなのでしょうか」

「そうなのだろうね」


 ……と言うことは誰か、成績上位者の仕業なのかもしれない。しがない伯爵令嬢ごときに大記録を達成されるのは我慢ならないのだろう。

 その気持ち判らなくもない。


「とりあえずこれはまた僕が預かっておくよ」

「そのことですが、やはり殿下のお手を煩わせるのは申し訳ありません。これは私の家にも関わることですので、やはりこちらで……」


 言いながら掴み掛けた紙片をサッと奪われる。


「いや、もう殆ど犯人も判っているから、僕の方で一気に片を付けるよ」

「もう……ですか?」

「ああ。だから君は何も心配しなくていい」


 昨日の今日でもう犯人の目星を付けられるなんて……流石王族。私などには想像もつかないツテや方法があるのだろう。住む世界の違いをひしひしと感じて、つい俯いてしまう。


 こんなに違う殿下を本気で好いてしまうなんて本当に私は身の程知らず。

 愚かだわ……と微かに顔をしかめた意味を取り違えたのだろう。


「試験勉強は進んでる?」


 気遣うように聞かれ、小さく頷いたが……実は昨日は一切勉強してない。それどころじゃなかった。予習も復習も一切しないなんてこと、入学以来一度もなかったのに、昨日だけはどうしても勉強をしようと言う気になれなかった。


 それも、不安が大きくて……ではなく、貴方の顔がちらついて……なんて言えない。言えるわけない、恥ずかしい。

 私の嘘に気付いたのだろう、名前を呼ばれて顔を上げると殿下は身体ごとこちらを向いていた。


「勝手な言い草だが、こんなものに惑わされた本気でない君に勝てたとしても僕は全然嬉しくない。君の秘密は僕が全力で守るから、君は全力で試験に励んでほしい。頼む」


 真っ直ぐに目を見て懇願されたのは、年頃の男女が見つめ合って交わすには随分と異質な、激励。

 だけど偽りなく、殿下の目には、真剣勝負に対する熱意だけがあった。


 澄んだ青い瞳に浮かぶ純粋な熱意。

 私へ向けられた純粋な願い。


 昨日自覚したばかりとはいえ、好きな人からこんなに熱烈に望まれて、その気持ちをないがしろに出来る女がいるだろうか? ……少なくとも私は無理だった。

 芽生えたばかりの恋心は、殿下のひたむきな願いを糧に、一瞬で明後日の方向へ花開いた。


 殿下は私との真剣勝負を望んでくださっている。

 私はこの方に失望されたくない。


 だって、やっぱり、好きだから!!


 真っ先に思ったのはそんなこと。

 脅迫状を送ってきた誰かの目的なんてもうどうでも良かった。


 私は、殿下の期待に応えたい。

 殿下と競うこの席は誰にも譲らない。

 だから絶対に次も首席を取る。



 殿下の望む形で勝負に決着を付けることが、私の恋心の証明よ!!



 強く決心した私にとって、最早今回の試験の目的は学院を卒業することでも、首席を守り抜くことでもなく。

 ただ殿下の期待に応えることになった。

 それからは恋に悩んだ夜が嘘のように、無心で試験勉強に励んだ。

 いつも必死だったけれど、それ以上に、完璧に。


 だって、卒業したらもう二度と殿下とこうして競い合うことは出来ないのだもの。


 これが私の最後の勝負。

 好きな方の望みを叶えたという自負を持って、卒業すると決めた。

 そして……この恋を抱いて、家と国から飛び立とう。



◆◆◆◆◆



 結果が張り出された掲示板を見上げた時、一瞬血の気が引いた。

 何故なら、私の名前の前に殿下のお名前があったのだ。


 あぁ……微かな溜め息と共に全身の力が抜ける。


 だが、力を失いかけた足をなんとか踏ん張って、もう一度よく掲示板を見て、零れたのは安堵の吐息。

 多分、一瞬の間に急降下、急上昇をした私の変化に気付いた人はいなかっただろう。でも、私は今心の底から安堵していた。


 私の名前が殿下の次にあっても、私達は精一杯競ったのだから……。


 名前を呼ばれてそちらを向く。

 いつの間にか、殿下が隣に立っていた。


「おめでとう、前人未到の大記録達成だな」

「殿下もおめでとうございます。ついに首席ですね」

「ああ、勝てはしなかったけど、今回は負けなかった」


 満足そうに微笑む殿下に、私も心からの笑顔を向けた。

 ……つもりだったけど、きっと私の表情の変化は伝わらなかったろう。


 だって私は鉄仮面令嬢だもの。

 でもいい、表情に表せなくても、泣きそうになるのを堪えたものでも、私は精一杯笑った。


 最高の結果に終わった私と殿下の勝負。


 私達の試験結果は、どちらも満点だった。

 それも学院始まって以来初めての、満点による同率一位。


 私は前人未到の六年間首席を。

 殿下は悲願の首席を。

 最高の形で共に達成した。


 その日私は、試験結果を見た生徒全員の賛辞を受けて、今までで一番晴れやかな気持ちで六年通った学び舎を後にした。
















読んで頂きありがとうございました。

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