第一話
あまり長くならない予定です。
しばらくお付き合い下さい。
学院に首席で入学し、在学中も首席のまま卒業するのは、まだ誰も果たしたことのない偉業。
それを成し遂げられるかもしれないと今最も期待されているのが、私だ。
貴族学院へ首席入学して以降、試験と名の付くものはほぼ満点を取り続けて、学院始まって以来の秀才の名をほしいままにしている私は、最高学年なって益々近寄りがたい雰囲気を醸し出すようになったと言われている。
おかげで、ついたあだ名は鉄仮面令嬢。
他人と一線引いているのは自覚しているけれど、こちらにも事情があるので勝手なことを言わないで欲しい。
……と思いながら、逸る気持ちを隠して、他人を寄せ付けない立ち居振る舞いで向かったのは校舎の入り口。一番目立つ掲示板に張り出されているのは、年に二度の学期末試験の結果だった。
最終学年の最後の学期末。
張り出された順位表を見上げて、ホッとしながら心の中で快哉を叫ぶ。
よしっ、しっかり一位。
溢れそうになる感情を深く呼吸することで押さえつけ、傍目にはなんの感情も浮かんでいないような涼しい顔をして、賛辞と羨望で花道を作る生徒の間を抜け、帰宅のために馬車留まりへ向かう。
途中、おめでとうと声を掛けられる度、淑女の顔で会釈を返した。
ふぅ……と小さく吐息を零し、ぐっと握った拳を胸の前に持ち上げて、小さくガッツポーズ出来たのは、馬車に乗ってからだった。
後一回。一月後の卒業試験で首席を取れば、前人未到の記録が達成出来る!!
よし、今日も帰って勉強だ!!
帰ってからすることをあれこれ考え、御者に出発の合図をする前に、ココンと馬車の扉がノックされた。不思議に思って車窓のカーテンをずらすと、外に制服姿の端正な顔立ちの男性が立っていた。
「まあ、アーダルベルト殿下」
同級生の王子殿下が、にこやかにこちらに微笑み掛けている。
慌てて馬車から降りようとする私を、そのままでいいと押しとどめた殿下は、まずはおめでとうと先程の試験結果への賛辞をくれた。
そのお顔に含みはない。
……が、素直に喜べない理由もあった。
「また君に負けてしまったな」
「今回も僅差でしたわ。次回は判りません」
「……そう言い続けて六年、僕は一度も君に勝ててない」
寂しそうに笑う通り、彼は私と一緒に貴族学院に入学して以降、常に次席だった。
そこより下になることはないが、常に一番は私。
そのため殿下は殿下で<万年次席の殿下>と不名誉なあだ名を付けられた。
次席といっても点数差は僅か、決して成績が悪い訳ではない。
それに歴代王族方が皆、貴族学院で首席を独占していた訳でもなく。そこに忖度や不正がない証拠として、掲示板にも載らない方もいらっしゃるし、殿下の兄上方も成績の上下はあったはずだ。
ただ王族として恥じない成績を取るように努力もなさっているだろうし、そうであるようにと常日頃から言われてもいるはず。そんなプレッシャーの中、六年間二位を維持し続けただけでも充分凄いことなのだが、私の次席だった所為で、とにかく印象が悪い。
私の記録の前では、殿下の努力は霞んでしまう。
………それに、私がいなければ間違いなくこの方が、前人未到の偉業を達成されていたはずなのだ。
たまたま同じ年に私がいたからこの方は……。
取り繕った表情の裏、申し訳なさが浮かぶ。だがそれを素直に表情や声にする訳にはいかない。ここで謝ったりする方が不敬だ。
だから私は不敵にも見える淑女の顔で、賛辞をただ受け入れる。
判ってくださっているのだろう、私の態度に不快感を表すこともなく殿下もいつもと同じ表情で同じ言葉を言った。
「次こそ負けない、卒業試験は必ず僕が首席を取るよ」
「私も負ませんわ。何せ、学院開設以来の大記録が掛かっているのですもの。お互い頑張りましょう」
「ああ」
「ではごきげんよう」
殿下が一歩後ろへ下がったのを確認して、出発の合図を出す。馬車が走り出して大分経ってから、堪えていた溜め息を吐き出した。
「すみません、殿下……」
誰もいない場所だから、つい謝ってしまった。
……否、謝る類いのものではないのは理解している。
でも、私の所為で、万年次席の殿下という不名誉なあだ名を与えてしまい、彼の人生に陰りを落としてしまっているのが申し訳なかった。
だって正直私は、勉強が大好きな訳でも、前人未到の大記録にとんでもない執着がある訳でもないのだ。
我が国には極端な男尊女卑な考え方はなく、平等に教育の機会を与えられてもいる。だが、それでも何処かで、女の子はいずれお嫁に行くし、お勉強は恥ずかしくない程度でいいよ……と言う風潮があるのも事実。
だから、大体掲示板に乗るような成績を残す女子は、自国他国問わず王族と婚約を結んでいるような高位貴族の令嬢で、そうであるように育てられた女性だった。
だが、私は違う。
しがない伯爵家の、しかも三女。因みに兄も弟もいる七人兄弟の五番目で、未だ婚約者もない私は、家に対してなんらかの責務を負う必要もない。
更に我が家は領地無し貴族、領民の生活すら背負ってない。
……でも、私には絶対に勉学で身を立てなければならない理由があった。そのために、学業の実績はあればある程いい!!
何故なら、私は卒業したら必ず、淑女として嫁ぐのはなく、女として働くのだ。
「ごめんなさい殿下、でも私手は抜きません……」
私自身と家族のために……。
◆◆◆◆◆
『お前の秘密を知っている』
放課後の教室でその文字列を見た瞬間。ゾッと肌が粟立って、全身の血液が足先へ下がっていくのを感じた。
………何、これ?
椅子に座っていなかったらきっと倒れてしまっただろう。
それくらい動揺し、スカートの中の足が無様なくらい震えた。
一日の授業終わり、帰る前に手洗いをすませようと席を外したのはほんの数分。戻って、帰り支度をしようと机に出しっ放しだった筆入れを引き寄せたら、その下に紙片があった。
何かの伝言だろうかと気負いなく開けた瞬間、飛び込んできたのがその文字だった。
『お前の秘密を知っている』
無機質な白い紙に、同じく無機質に、癖のない字の一文だけがある。
私の、秘密? まさか?
いや待って、何か相手の勘違いかもしれない。
でも、もしも、もしも本当に、この人物が私の<秘密>を知っているとしたら?
……<秘密>は、ある。
そのことを、誰か他人が知っている。
思い浮かべた途端、怖気は恐怖に変わって、足だけでなく指も唇も震わせた。やがて鼻の奥がツンとして熱いものが込み上げてくる予感がした。
それを瞼を固く閉じ、唇を噛み締めて必死に押さえ付けやりすごす。どれ程の恐怖があろうと今ここで感情を露にする訳にはいかない。収まれ、収まれと唱えて深呼吸し、波立つ感情と共に溢れようとする雫を必死に押し止どめた。
だって、そうしなかったら私は、この場で自ら<秘密>を暴露することになるのだから……。
私の秘密。
それは<泣いたら髪が伸びる>という、なんの得にもならない体質のことだ。
……否、体質といっていいのかも判らない。
ただ、事実として、私の髪は私が涙を零すと勝手に伸びる。
悲しかろうが、痛かろうが、嬉しかろうが関係ない。
泣いたら、伸びる。
泣きやむまで伸び続ける。
その事実にちゃんと家族が気付いたのは幼い日、私が庭で転んで骨折したことだった。手を突いた拍子に手首を骨折してしまった私は、ずっとずっと泣いていたらしい。
そしたら、朝は肩を少し越えたくらいだった髪が、治療を終えて痛み止めが効き始めた夕方には、お尻に届くくらいまで伸びていた。
『魔法のようね』
なんて、お母様は言っていた。
もしかしたら、遠くご先祖様の時代にはそんなものもあったのかもしれないが、今はない。なので、結局私のこれは、特異体質という結論が付けられた。
まあ髪が伸びるだけで他害はないのだ。
寧ろ大変だったのはその後、何せ、泣いたら髪は伸びる、何処までも……姉妹と喧嘩しても、物語を読んで感動しても、例外なく涙を切っ掛けに髪は伸びた。
だから両親は、予定より早く私に淑女教育を施すことにした。淑女教育では、貴族令嬢の嗜みとして感情を表に出さないようコントロールすることを覚えさせられるから、簡単に泣かないようにする訓練として他の子より早く始めることになった。
ごめんなさいね……と当時お母様に謝られた時にはどういうことか判らなかったけど、泣かないというのは子供にはなかなかに難しいことだった。
何しろ涙というのはいつどんな切っ掛けで零れるか判らない。悲しみはいうに及ばず、怒っても、喜んでも、笑っても、何かの感情が極まると不意に零れようとする。
それは淑女教育を受けてからも変わらず、結局幼い私に出来たのは、泣かないためにすべての感情を表に出さないよう、隠してしまうことだった。
そうやって感情を隠すことに慣れた表情筋は固く、成長した今では愛想笑いを浮かべることすら難しい。
どんな状況、どんな事態にも心乱されず、いつも同じ顔で澄ましている私は、完璧な淑女教育を納めた令嬢……鉄仮面令嬢と呼ばれるようになってしまった。
別にそれを不幸だとは思っていない。家族は、長年の付き合いで微妙な私の表情の変化に気付いてくれるし、なんだかんだ表に出ないだけで、心の中に感情は溢れている。寧ろ、私はとんでもない激情家だとは家族の言だ。
ただ、それを表に出さないだけ。
だって、もし一つを表して、それから次々と溢れて、そしてもし、誰かの前で泣いてしまったら<秘密>が秘密でなくなってしまう。
それは絶対に避けなければならない。
そもそも、この体質を隠しているのには理由がある。
確かに、泣いたら髪が伸びるだけ、他害はない。
今は……。
そう、この先も害がないとは誰にも言えないのだ。
そして今のところこんな症状があるのは私だけだが、原因が判らない以上、この体質だか何だかが遺伝しないとも、言えない。何も判っていないのだ。
血を重んじる貴族の家が、そんな変わった家族のいる家のものを喜んで迎えてくれるとは思えない。
この秘密が知れたら、家族のみならず、親戚縁者すべての未来を潰すことになるかもしれない。だから私と家族は、このことを必死に隠していた。
……なのに、誰かに知られてしまったらしい。
涙と共に恐怖も押さえ込み、クシャリと手の中の紙片を握り潰して、帰り支度をしているクラスメイトを窺う。誰も私に注意を払っている様子はない。
でも、この中の誰かがこれをここに置いたのだ。
窺いながら、一人、また一人と帰っていく生徒達を見送る。私が一人になれば犯人が接触して来るかもしれないと思っていた。
その時の私は、冷めた顔で何かを思案しているようにしか見えなかっただろう。
そう取り繕えているという自負があったのに、思いも掛けない声が掛かって飛び上がる程驚いた。
「メロディ嬢、真っ青じゃないかっ、どうかしたのか?」
教室の入り口にいたのはアーダルベルト殿下。
因みに、メロディは私の名前だ。
随分昔、初めて殿下と言葉を交わした時に名前を呼ぶ許可を求められて……以後、彼は私を家名では呼ばない。まあ、当時は姉達も在学中であったし、今は妹がいる。同じ家の令嬢が複数いる不便さの所為だ。
だから、吃驚したのは名前を呼ばれたからじゃない。
私の異常を一目で見抜いた彼に吃驚した。
私はいつも通りのつもりだったのに、家族以外で異変に気付く人がいるなんて……。
慌てて駆け寄ってくる彼は私の真横に立って、もう一度どうしたのか問う。
……なんと答えればいいのか判らなかった。
何かはあった。
でも今私を動揺させているのはそのことじゃない。
どうして私の異常に気付いたの?
……など聞けず、困って俯いた私の横、殿下はなんと膝を突いて、顔を覗き込んできた。
「何かあったのか?」
殊更優しい声で促され、無視出来ずにそちらを向くと、吃驚する程整った顔と真面に向かい合ってしまった。
……改めて見つめ合って、思う。
本当にお美しいお顔。
短く切り揃えた黒髪から覗く、凛々しいという言葉がぴったりの涼やかな藍色の瞳の目許に、整った鼻梁、形のよい唇。
そのお顔いっぱいに今、私を気遣う感情が宿っていて……。
不意にドクンと大きく心臓が音を立てた。そして何かがきゅーっと胸を締め付ける。気が付いたら口の中がカラカラに乾いていて、声を発することも出来なくなっていた。
何かを言わなければいけないのに。
いつもの顔で、いつものように、そう淑女の顔で。
……判っているのに出来ない。
心配そうにこちらを見る殿下の顔を見つめて、一瞬で込み上げてきたのは、瞳を覆う水の膜だった。
なんで!?
それまで以上に動揺して、慌てて両手で顔を覆おうとした。
その瞬間、手のひらから滑り落ちたのは握り締めていた紙片。カサリと音を立てて床に落ちたそれを、殿下が拾い上げようと手を伸ばす。しかし、少し皺の寄っただけの紙片の文字は、そのつもりがなくとも全文読めてしまったのだろう。
手を伸ばした形のまま殿下は、動きを止めた。
ああ、どうしよう!!
次々に起こる不測の事態に、両手で顔ではなく頭を抱えたくなった。
急に泣き出そうとしている自分も、謎の脅迫も、殿下も、一遍に事が起こり過ぎている。
……いっそ泣いてしまいたい!!
でも、泣いたら髪が伸びてしまう。一番隠さねばならない秘密をここで曝けだしてしまう訳にはいかない。
どうしようもなくて、涙を堪えるため瞼を閉じ、更に顔を俯けて殿下の姿を振り払った。
「……メロディ嬢、何か困っていることがあるなら僕に相談してほしい」
しばらくして聞こえたのは、そんな言葉。
まるで請うような囁きだった。
けれど身動ぎも出来ない。少しでも感情を揺らしてしまったら全部が涙になって零れてしまいそうだ。
そうしないため、両手で口許を覆ったまま深呼吸を繰り返し、先刻も繰り返した動作で感情を押さえ込む。
やっと目を開けられたのは、どれくらい時間が経ってからだったのか……暮れるのが早い冬の日はもう沈み掛けていて、教室は西日のオレンジに染まっていた。
でも、殿下は目をつぶる前と変わらぬ姿勢で私の隣にいた。だから、思ったよりも時間は経っていなかったのかもしれない。
やっと口許から離せた手を太腿の上に下ろし握って、あまり殿下の方を見ないように告げた。
「放課後、少し席を外して戻ってきたら、それが筆入れの下にあったのです。それで動揺してしまっていて……申し訳ありません」
「この、君の秘密……心当たりがある?」
小さく、でもしっかり首を縦に振った。
「それは他人には絶対知られてはいけないような、重大なこと?」
もう一度同じ仕草で肯定した。
「……犯罪的なものではない?」
それは強く首を横に振って否定する。
その瞬間、判ったと短く言った殿下は、スッと立ち上がって拾った紙片を小さく畳むと制服の胸ポケットにしまって、力強く言った。
「ならこの件は僕に預けてほしい。責任を持って調査しよう」
「ですが……」
本来なら父や兄を頼るべき事柄。
まずは家族に相談すべきだ。
無関係な殿下に迷惑は掛けられない。
即座に断ろうとしたのを察したのか、殿下は再び私のそばに跪こうとして、私は今度こそそれを阻止しようと椅子から滑り降りた。
二人で地面に蹲って、先刻までよりずっと近くまた見つめ合ってしまう。ドキンと鳴った胸の音が煩い。それを隠すため、両手を胸の前で重ねて彼に立つよう促した。
「殿下、お願いです。お立ちになってください」
「メロディ嬢、淑女の不安を取り除くのも紳士の役目、僕に任せてくれ」
真っ直ぐ目を見てもう一度。
私の言葉などまるで聞こえなかったかのように言うこの人はもう、否は受け入れる気はない。
そして私も、真摯なまなざしで心配してくれるこの方を……頼りたいと思ってしまった。
「……ありがとう、ございます」
「僕の方こそ、信用して打ち明けてくれてありがとう」
そう言ってやっと立ち上がった殿下は、私にも立つよう促し、手を差し伸べてくださった。
その手を取るために見上げた柔らかな微笑は、西日に照らされ神々しいまでに光り輝いている。否、その所為だけではなく、殿下のすべてが眩しくて、凛々しくて、格好よくて、目が離せない。
殿下は、こんな素敵な方だったかしら?
不敬にもそんな事を思い浮かべた瞬間。
私この人が好きだ、と唐突に思った。
読んで頂きありがとうございました。




