マッシュ家
リュベンが案内された場所。
立派なお屋敷だ。
マッシュ家のお屋敷だ。
マッシュ家の長女ジャンナは騎士である。女騎士だ。
とある事件で右腕が不自由となる大怪我を負った。
その事件にクロも関わっていると言えば、10人中10人がクロの犯行では? と答えるだろう。事ほど左様に、人は信頼が大事だと言う戒めが込められている逸話である。
そして現在。
聖騎士リュベンが、ジャンナの患部に手を当てているところだ。
普通でないところをあえて探すとすれば、リュベンの掌が青く光ってる点かな?
信頼できる、かつ口の堅い者だけがジャンナの部屋に詰めている。
椅子に座り、机に右腕を預けたジャンナ。
筋が切れた部分を右手で握るリュベン。リュベンの後ろに立ち、肩に手を置いている笑顔のクロ。それを見守るジャンナの両親と年老いた執事長とジャンナの乳母だったこともあるメイド長という構図である。
リュベンの手から溢れんばかりの炎が漏れる。青い炎は熱くない。女神様の火は治癒の奇跡。
見た目、リュベンが独力で女神様の火を顕現させている。
しかしその実態は、クロによる魔力=聖神力ブーストである。大司教様が顕現させる女神様の火の4.5倍は激しく燃えている。
ジャンナの腕一本まるまる焚き火にくべているかのよう。豪快な絵面だ!
ちょっとやり過ぎではないのかと思いでリュベンの顔が引きつっている。引きつっても美形は美形。危ないレベルで女神様の火をコントロールしている風に見える補正が入っている。
お陰でジャンナの腕は目に見える速度で良くなってきている。醜い縫合跡も、薄くて細い筋にしか見えなくなった。
誰が見ても大司教様レベルを超えている。
ちょっとまずいんじゃないの?
後ろで聖神力を送り込んでいるクロに対し、いろんな手法で懸念を伝えようとするリュベン。その悉くを無視し、めいっぱい聖神力を送り込むクロ。
もし、アレッジやザラスあたりが全て事情を知っていて、この情景を見ていたと仮定したら、口を揃えてこう言うだろう。
「「人体実験だな」」
熱を持たないはずの女神様の火であるが、なんだか部屋が暑くなってきたぞと誰もが思いだした辺りでクロから聖神力の供給が止まった。
リュベンはすかさず女神様の火を断った。もうコツは掴んだ。慣れたものである。きっと大司教様より扱いは上手くなってる自信がある。
「は、はい終了です!」
痰がらみしゃがれ声のリュベンであるが、美形補正により侘び寂び的優雅な疲労感に聞こえてしまう。
「さすが聖騎士リュベン様! 女神様の火をいつもより3割り増量しておいででしたね」
これはクロ。ハ虫類の目で。何が面白いのだろう?
「すごい、腕が動く。前のように、いえ、前の腕より思い通りに動く!」
ジャンナは腕を曲げ指を曲げ、カップを掴んで振り回す。患部に力を込めても痛くない。神経まで繋がったようだ。
「奇跡だ!」
これに喜んだのは両親である。
「聖騎士リュベン様! このご恩はマッシュ家が潰えるまで忘れることはないでしょう!」
父母、共に両の膝を突いて頭を下げる。
「金銀、地位、土地、その他我らに用意できる物は何でも寄進いたします!」
「いや、それはその、要りません。お気遣いなされませぬように」
冷や汗を流して断るリュベン。ここでも美形補正が掛かり、何とも奥深い遠慮としてとらえられた。
「そんなことを仰らずに!」
「いやいや」
押し問答が続く。
これでは話が進まないので、クロが口を出した。
「報償をと仰るなら、お願いがございます。聖騎士リュベンの奇跡の業をどうか黙っておいてください。ここに居られる皆様の心の奥底にしまい込み鍵をかけ、死するまで秘していただきたい。これが騎士リュベンのたっての頼み」
「そんな! 何故です?」
食い下がる父に対し、クロは悲しそうな憂いを秘めた目をして首を左右に振った。
「賢明なる皆様方ならもうお解りのことでしょう。騎士リュベンの御業は常軌を逸しております。これがもし、聖教会幹部に知れたら、それこそ嫉妬の嵐。よくご存じのはずです。聖教会という組織を! ご存じないでしょうが、聖騎士リュベンはこれまで数多くのか弱き者達の力となってきました。このことが明るみに出れば、聖騎士リュベンは女神様の炎で貧しき者達を救うことができなくなるからです。どうか、どうか聖騎士リュベンの、貧しき力なき者達を1人でも多く救いたいという、気高き御心をお汲みいただいて、是非とも今日のこの奇跡を心に秘めていただきたい。御業の恩恵を受けた者達は皆感謝し、事実を秘してくれております。聖騎士リュベンだけが救える、まだ見ぬ不幸な方々のためにも。皆様もどうかご協力を!」
と、クロは一息に言ってのけた。言ってのけられた。
「おお、そういうことなら! しかし、内々に我が家の末代まで語ることをお許しください。けして外へは漏らしませぬ!」
手を祈りの形に組んで潤んだ目で見上げるジャンナパパ。
「これでよろしいですか? 聖騎士リュベン殿?」
クロは、マネージャーよろしくリュベンにお伺いを立てる。
「う、あ、まあ……」
「聖騎士リュベンはこれでよいと申しております。かたがた口外すること無きように!」
「はっ! ははーっ! 女神に選ばれし真の聖騎士リュベン様、その御心のままに!」
ジャンナ、パパ、ママ、執事長、メイド長が一斉にひれ伏した。
執事長とメイド長は流れ落ちる涙を拭こうともしない。慕われているんだね、ジャンナ。
うんうんと満足げに頷くクロ。
どうしてこうなったと強い念を飛ばすリュベン。
「では、我らはこれで失礼いたします」
「いやそんな! せめてお食事でも!」
「今日はまだ2件残しております。聖騎士リュベン様を待つ民がいるのです。それでは、以後、道であってもただの顔見知り程度の挨拶で。ごめんくださいまし」
リュベンとクロは挨拶もそこそこ、マッシュ家を後にした。
「クロさん! どういう事ですかこれは!」
「不幸な女性を助けた。おまけに美人だ。聖職者冥利に尽きるとはこの事でしょう。何かご不満でも?」
「奇跡は、ちょっと手伝ってちょうだい、で起こすものではありません! そこは反省してください!」
「バイト代の話をしなかったのは申し訳なく思ってる。時給80セスタでいいかな? そこんところ反省してるよ、ごめんなさい」
「そこじゃない! いや、そういうところです! いいですか?! そもそもクロさんは――」
帰り道、リュベンの説教は小一時間つづいた。
「ふー、まあいでしょう。これ位にしておきましょう。これ以上注意しても全然反省しないでしょうから」
「助かるよ、女神に選ばれし真の聖騎士リュベン様」
「あのねクロさん!」
「それにしても、清廉潔白石部金吉の聖騎士殿も、あんな顔して感情剥き出しにすることもあるんだ。驚いたよ」
「え?」
リュベンは意表を突かれた。意表を突かれた顔も感情豊かだ。
「うふふふふ、聖騎士殿もわたしの知らない顔があるんだね」
「知らない顔って……いや、僕は特に変えてない。これが普通だ」
自分は子供の頃から変わってなどいない。腹が立てば怒っていたし、面白ければ笑っていた。
……っていた? なぜ過去形で思い返すのだろう?
「これが普通だった。が正解だろ? いつから鉄仮面を被るようになったんですか?」
「鉄仮面だなんて……」
誰にでも冷淡な顔をするようになったという意味であることは理解できる。
こんなのは自分じゃない。自分はもっと人と話していた。喧嘩もしていた。友達と悪戯もしていた。
「いいかい、聖騎士殿。女性として言うよ。今のあなたは魅力的だ。自信を持ちたまえ」
「自信は持ってる!」
「あ、そう?」
思わず言い返してしまった。今朝までの僕だったら、言い返すことなく、言葉をかみ殺していただろう。
「いや、なんというか、……クロさん、ありがとう」
「よく分からないけど、どういたしまして。お礼なら甘い物が良いな」
「ハハハハ、クロさんらしい」
眉をハの字にして笑うリュベン。我ながら情けない顔をしていると思う。
「おっ! 聖騎士殿! 夕焼けになる手前の微妙な西の空ですぞ!」
「ああ、綺麗な空だ」
空を見上げるのも久しぶりな気がする。微妙な空の色を見たのは初めてだ。
「ああ、見ている間に空が茜に染まっていく。東の空はまだ青いのに」
「青いと言えば、そうだ、思い出した!」
クロが腰に付けたポーチをゴソゴソしている。嫌な予感がするのは気のせいであって欲しい。
「あー。やっぱり。ごっそりと抜けている」
クロが取り出したのは透明の石。
「なんですかそれ?」
「魔晶石。一番多く魔素、もとい、魔力が詰まってたのに、青い火を顕現させたらスッカラカンになってしまった。ちょっと勢い付けすぎたかな?」
「ちょっと待ってくださいよ、クロさん! いま何と?」
リュベンの顔色が優れない。夜の色になっている。
「魔晶石ですね。あれだけ派手に燃やしたらスッカラカンになったと言いましたが、それがなにか?」
ぐぐっと堪えるリュベン。どうにか声に出す。
「だいたい解りましたが確認します。あの聖神力は、クロさんの中に入ってた力じゃなかったのですか?」
クロは目を点にしている。珍しい表情だ。
「わたしが聖女に見えますか? 一般人の体中にあれだけの聖神力を溜められるわけないでしょ?」
「だとすると、クロさんから流れ込んでいた聖神力はどこから来たのでしょう?」
「わたしが魔力に念を込めると聖神力になるんですよね。なぜか。不思議だなー」
とりあえずクロはとぼけてみる事にした。
一方、とぼけられないのが真面目に人格を持たせた男、リュベンだった。
「これ、ほんと、聖教会が根底からひっくり返る大事案ですよ!」
次話で「転」の章、終了です。
次章「結」の章まで、数日のお休みを頂きます。




