神鎧
黒くどろっとした重たい煙を吐き出しながら、首が溶けていく。溶け出した煙の中に赤い人工物が徐々に姿を現しつつあるのが見て取れる。
「なんですかこりゃ?」
「さ、さあ?」
ニール君の問いにクロは答えられないでいる。クロも初めて見る現象だ。
やがて煙は床に四散し、赤い何かが残った。
おそるそそる近づいてみると……。
「赤い……鎖でできた布? ……のような?」
「えらい細くて細かい鎖で編み込まれた……袋か?」
「あれ? これってドロップした? レアアイテム?」
ニール君とジェイムスン教授はおっかなびっくり、遠くからのぞき込んでいる。
クロはずかずかと近寄り、シャラリと音を立てる鎖の繊維を手にした。
「おいおいクロ君!」
教授の怯えた声を無視して、クロは堂々と広げた。
「うーん、赤いチェーンメイルか? 鎖帷子?」
広げてみると、人が着るベストのような形をしている。V字首のノースリブTシャツだ。
鎖の細さはタコ糸並み。細さに相当した細かい目。大変軽い。大変頼りない。
「おや? なんだこれ? 5番のナンバーが振られている?」
右胸に相当する部分に人差し指の爪ほどの金属プレートが嵌められていて、そこに曰くありげなフォントで小さく「5」の数字が刻印されている。
「細すぎて頼りないね。でも色が綺麗だ。いくらで売れるだろう?」
「ちょっと待ちたまえ!」
ジェイムスン教授が赤い鎖帷子のナンバープレートを手で摘んだ。
「赤くて防具でナンバリング。これって、神鎧じゃなくね?」
教授の台詞にはニール君も強ばった笑みを浮かべている
「まさかぁ! ……5番ってことは第5番剛天使エヴィフのアレで守備力?」
「え? なんで今この時にドロップしたの?」
「守備力なのに薄地?」
クロ、教授、ニール君はもとより、助手一同全員が言葉を無くし固まった。
「え? なになに? おしえておしえて?」
チョコちゃん1人がピョンピョンしているだけだった。
最初に我に返ったのはジェイムスン教授だった。
クロの手から赤いチェインメイルを奪い取り、あっという間にニール君に着せた。
「チェエェーストォ!」
護身用に持っていたショートソードを思い切りニール君の肩口に叩き付けた!
「うわわわわーっ! って、あれ? 痛くない? ポヨンとした衝撃だ!」
「確かに神鎧じゃ! すぐに脱げ、ニール君!」
「え、はい、脱ぎ脱ぎ。ってか教授、今殺す気で来ましたよね?」
「何事も本気でなければ光は見えん。君も研究者なら憶えておくがいい!」
業が深い。
教授は、5番目の神鎧・赤いチェインメイルをクロに手渡した。
「これはクロ君、君が持つべきだ。君が欲しがっていた軽くて高い防御力! まさに魔界の謎を解くため、神が遣わした戦天使の世界を救えという意志の現れであろう。第5の戦天使の神鎧、守りのチェインメイルを受け取るがいい」
「確かに。これは私が必要としていた物。軽くて動きやすくて高い防御力を持つ防具」
クロは神鎧を受け取った。
それを頭上に掲げる。
「まさにチョコちゃんにうってつけの防具!」
「そっちに使うん?」
ジェイムスン教授が素っ頓狂な声を出した。
「ほら」
「わーい! ぴったり!」
チョコちゃんにすっぽりとかぶせた。すると、大きさが変わりチョコちゃんのサイズにジャストフィットした。おまけに色がピンク寄りに変色し、大変可愛くなった。
「うむ、神鎧にも意志があるようだね、はっはっはっ!」
「よもや神鎧も、幼児に使われるとは思わなかっただろうな」
クロと教授は落ち着いたものだが、助手達はざわついている。それで良いのだろうかと。
「案外、これで良いのかもね」
ざわつきに終止符を打ったのはニール君だ。
「クロさんは、その速度が防御力ゆえ、堅い鎧は必要ないでしょう。むしろ、一番の弱点であるチョコちゃんの防御力を増すべき。これでクロさんはチョコちゃんを気にすることなく戦いに専念できる。ブラックチョコレート全体の底上げができたということです」
上手くまとまったようだ。
「それはそうと、ここで教えて欲しい事がある」
クロがニール君に向き直った。
「なんでしょう? クロさん」
「神鎧は9つあると聞いた。知っているならそれぞれの機能を教えてくれたまえ」
「そうですねー。自分は教会の教えについてあまり知識がありませんけど……」
ニール君は記憶の引き出しを開けているようだ。
「1番から順に9番まで並べますとですね、知・天・なんとか・破・剛・炎・なんとか・かんとか・疾を表すと言われています」
教授にも聞いてみたが、ニール君より酷かった。そんな教授に率いられた助手達はもっとだった。
科学の遵奉者だから仕方ないよね。
「チョコのが5番目の剛だね?」
「はい。現在出現しているのが剛以外に4番の破と、えーっと6番の炎と、9番の疾です」
指を折々数えるニール君。
「神鎧は勇者ご一行様に独占されていると聞いたが?」
「9つの内の3つだけですよ。破壊力を司る破の完全鎧がブローマン。炎を司る炎の胸鎧がマデリーネ。そして速度を司る疾の鎧が勇者アロン、音速アロンの元になってます」
「そして、堅さを司る鎖帷子がチョコちゃんか。凄いねチョコちゃん!」
「チョコちゃんスゴイ!」
お気に入りになったらしく、魔王の間をスキップで跳びはねているチョコちゃんである。
「お姉ちゃんは、どれがいい?」
「はっはっはっ! 神がわたしに差し出すとしたら、さしずめ知の神鎧だろうね? はっはっはっ!」
性格が良くなる鎧とか無かったかな? 真剣に考えるジェイムスン教授と助手のニール君であった。
いずれにしろ、剛の神鎧を手に入れたことで、クロは戦いに集中できるようになった。チョコも、お姉ちゃんに守られてばかりの状況から脱却できた。ブラックチョコレートは、これまでより格段に魔界を攻略しやすくなったのである。
「ついでにニール君」
「はいはい、何でもどうぞ」
ニール君は笑顔を絶やさない。
「第5番剛天使エヴィフって言ってたよね? 天使と神鎧に関係あるのかい?」
「不信心者ですから詳しくはありませんが、戦天使が9柱おりましてですね、それぞれが司る御業に神鎧の機能が合致するらしくて、戦天使と神鎧を結びつけるのが一般的ですね」
「ふーん。詳しくは神官に聞いた方がよいと?」
「ですね。お知り合いがいれば……クロさんだったらお知り合いがいそうですよね? それも上の方の」
「だねー」
いたよな。青臭い聖騎士様が。
クロはハ虫類がごとき冷たい目で笑っていた。
して――
助手達の手により、ブーブー言いながらも床が掘り起こされていた。
床より下も土だったが、石が混じるようになり、1メートルも掘り下げると岩塊に当たった。
それでも苦労しながら岩を砕いて掘り進めていく。魔素の水脈みたいな、魔素がみっちり詰まった空間だとか、砂利だとかが出て来るかなと期待していた。正午まで掘り進めたが、助手達の体力が尽きてしまった。
これ以上はもう無理だ。
「何も出てこんな?」
穴の底に降りたジェイムスン教授。足下の岩盤を撫でている。
「代わってください」
クロが降りた。
床を観察する。岩盤は砂岩ぽい。ずいぶんと……。
遠隔感知力場を最大出力で下方向へ向ける。
濃厚な魔素の反応があった。
確証はない。無いのだが、つい先ほどまで表面に魔素が届いていた気配がする。
割れ目だった形跡が有った。既に塞がれた割れ目だ。パイプのように地下深くから地表に向かって伸びている。
それはこうあって欲しいという希望だったのかもしれない。その形跡を都合言いように解釈したのかもしれない。
だけど否定はできない。跡がある。
誰かが塞いだ跡だ。
蓋の下は……。ヒビが口を開けている。遠隔感知力場が、蓋の下1メートルあたりで間隙を見つけた。
移動してない、固定されている。
――これ、見たこと有るぞ――
鉱物系の魔界へ潜ったときだ。石の亀みたいののボディにヒビが入っていた。ヒビがパイプとなって魔素を流していた。
「鶴嘴を貸してくれ!」
クロは鶴嘴をふるった。
岩が砕け、その分、穴が深くなる。
遠隔感知が伝えてくれる。穴が10㎝深くなると、ヒビも10㎝下降した事を。
岩盤が修正されている。
クロ以外の生物にそれを知る術はない。言い換えれば、クロのような能力を持つ者が調査すると想定されていない。
では、だれが想定したって?
「教授」
「何だねクロ君?」
「硬い岩に入った亀裂を柔らかい粘土のように圧力をかけて塞ぐことはできますかね?」
「地上じゃ無理だ。魔界なら常識を疑うべきだ。どれ、代わってくれないか?」
クロが上がり、教授が降りた。床に指を這わせ目を近づける。
「これか? 岩盤の組成にしてはあざとすぎる。かといって自然な成形とも取れそうだが……」
教授は穴の底からクロを見上げた。
「ここは魔界。魔界なら常識を疑うべきだ」
「その通り」
教授は穴から飛び出した。
「それを想定して説を組み立てる。おいおい! 選択肢は無限に広がるぞ! 面白いじゃないか! この世はなんて不思議と理不尽に満ちているんだ! 褒めてやる。素晴らしいぞ世界よ!」
マッドサイエンティストは自由にさせておいて……。
あのヒビは魔素の通り道で確定だな。地下の魔素水脈(仮称)から魔素を汲み上げるパイプだ。
その証拠を消す。
岩のような堅い代物を変形させる力。犯人は魔素で間違いない。
掘り下げた穴に反応して硬い岩を瞬時に変形させる。人間にバレないように。
魔素がその作業を行った? まさか、そこまでできるのか?
それではまるで魔素が意志を持っていると――。
――あるいは、こうとも考えられる。蟻や蜂のように集団が個として機能するのが魔素だと。
――もしくは、知能を持った何者かが魔素を操っている。それも魔法や女神様の火などの低レベルではなく、もっと高度に自由自在に!
魔界なら疑うべきだ
存在しても良いはずだ。地上の生物以外の”巨人”がいても……
「……悪くはないね」
クロはいつものハ虫類の目をし、口角を笑いの形につり上げた。
チョコとクロは、休憩の後、魔王の間を後にした。
教授達調査メンバーは残って調査だ。これからが本番である。すでに青息吐息だが。
魔界の貸し出し期間は4週間の28日。この間、何度でも魔界を出入りできる。攻略チームの代表が、攻略終了を告げるまで、攻略チーム以外の人間は何人たりとも立ち入りできない。ただし緊急時は除く。
教授達は借し出し期間をめいっぱい使って調査するつもりだ。クロ達は攻略担当なので、最後まで付き合わなくていい。早く魔界を出て、体力その他の回復に努めればいい。分業の利点だ。
クロとチョコは途中に設置されたベースキャンプで寝食し、食料や水を次のベースキャンプに至るまでに必要とされる分だけ補給し、安全に、かつ荷物を軽くして魔界を出ることができた。
「さてチョコちゃん、明日は休暇だ。のんびりしよう」
「うん!」
魔界から帰ってきてもお気に入りのベスト……もとい、神鎧を脱ごうとしないチョコちゃん。気の済むまで着ればいいと、クロの方も放任している。
これ実はクロが思っているより、チョコにとって大事な品物なのであった。
今まで、チョコの服にしろ、持ち物にしろ、全てクロが買い与えた物だ。
この神鎧はクロとチョコによる2人の冒険の結果、得られたアイテムである。チョコにとって、自分の頑張りが幾ばくか形になったと実感できた初めての品物なのだ。満足感が違う。




