中魔界 魔王
ジェイムスン教授の口から言葉が漏れる。
「三首の……トカゲ? まさかドラゴン?」
太い胴。それを支える太い足が四本。後ろに長い尾が1本伸びているようだ。
そして、クロと教授を高みから睥睨している蜥蜴状の首が3つ。長い首が胴から出ていて上空の頭に繋がっている。頭は体の割にさほど大きく無いが、虎ほどの大きさはある。
胴体の大きさは、サイかカバクラス。そこに長くて太い尻尾と蛇のように長い首を付けて。
3つの頭が口を開いた。真っ赤な口腔。ナイフのような牙がずらりと一列並んでいる。牙と牙の間から、黄色い汁が流れ落ちている。
「教授。左右どちらかへ避難して!」
クロは既に三首オオトカゲに突っ込んでいる。トカゲも攻撃を開始した。
「シャァアァー!」
中央の首が叫んだ。右の首がクロに襲いかかる。教授は目にもとまらぬ速さで左の隅まですっ飛んでいった。教授という目標を無くした左の首が目標をクロに切り替える。だが、クロの初動の方が速かった。先見したチョコちゃんのお陰である。
最初に牙を立て噛みついてきた首は軽く飛ばされて宙を舞う。遅れて噛みついてきた首も後を追って空を飛んだ。3つ目の首は天井近くまで上げたまま動かない。
動かないならと突っ込みかけたクロであったが、急制動をかけた。
「どうしたクロ君!」
教授が叫ぶ。首は残り1つ。電撃作戦は魔王を圧倒した。滅多にないチャンスではないか。
クロはある1点を凝視している。それは――
「クロ君、首の切断面なんか見て何を――」
ジュブリと水っぽい音がして首の切断面より血と共に肉が盛り上がり、新たに頭を成形した。それも一つの首に対し2つずつ。まん中の首を入れて合計5つになった。
「首が倍に再生した? まさか、こいつはヒュドラ!?」
「これはまた面白そ……めんどくさい相手だ。ちなみにチョコちゃん、正解だったよ!」
僅かに首を後ろに向けるクロ。入口でチョコちゃんが、ちっちゃい親指を上げてサムズアップしている。
ヒュドラは間合いを計りつつ、攻撃の機会をうかがっている。クロが攻撃できるのは一つの首だけ。クロが動いたら残りの首で攻撃するつもりだ。教授は全く相手にされてない。戦闘力の無さが身を救う。
「教授、気をつけてくださいよ。こいつ毒持ちだ」
牙の間を抜けて滴り落ちた涎。床から酸っぱい匂いのする煙が上がっている。
無事だった頭は上空で動かない。たぶん、この高みの位置で戦闘の状況を確認、指示するのだろう。
残った頭が黄色い涎が滴る口を開いた。1列だった牙が3列にまで増えている。頭が大きくなっている。戦闘力が上がった証拠だ。
「ク、クロ君!」
教授の不用意な言葉が戦闘再開の合図となった。両者、背中を押されるように飛び出す。
クロが狙ったのは中央の首。そうはさせじと、左右から4つの首がクロに迫る。
上下左右からクロへ同時に噛みつく。クロはそれを紙一重ですり抜ける。すり抜けるだけではなく、踏み込んだついでに首を落とした。
ズシンズシンと血の飛沫を上げ落下する首。後退するヒュドラの体。見る間に傷口の肉が盛り上がり、4つずつ8個の首が生まれ、計9個となる。
「どうすんだクロ! きりがないぞ! 攻撃が当たれば当たるほど不利になる! これ以上首を落とすな!」
こいつはダメージを喰らえば喰らう程強くなる魔獣だ! 教授はアドバイスを与えているつもりらしい。
――問題は戦力強化じゃない。どこから再生のエネルギーを得ているかだ――
ドスン! ズチャァー!
新生になり、四つの頭を生やしたった首が落ちた。クロがまた切断したのだ。切断面から首が枝分かれして伸び、新たに8つの頭を実らせた。
「なにやって! クロ! おい!」
「いやね――」
たくさんの首による攻撃を軽やかにかわしながら、手近の首を落としていくクロ。当然、切り口から首が伸び、頭が増えていく。
「――どこまで増えるのかなー、なんて思って」
ドスン、ゴロゴロ。
また首が落ちた。どうやらクロは左へ左へと回り込みながら、迫ってくる首を片っ端から落としているようだ。
「増えるかなー……なんて呑気なことを言っ取る場合かぁ――って、あれ?」
教授の突っ込みは途中で中断された。
クロは左回りで攻防している。首が落ちるのも増えるのも、全部左側の首だけ。
数周する間にどれほど首を落としたのか、左側にだけ首が鈴なりになっている。ワシャワシャいってる。左側に重心が移動してる。見た目にバランスが悪い。
ズズン!
とうとう増えすぎた片側質量を支えきれなくなって、向かって左側の膝を突くヒュドラ。足によるフットワークはふさがれた。首は重くて短くていまいち動きに精細が見られない
「とう!」
ズン!
素早く後ろに回ったクロは、尾を根本近くで断ち切った。
「ギャース!」
最初の1本の首から悲痛な叫びが上がった。
複数の首と頭を支える為、尻尾にはある程度の重量が配分されていた。シーソーのように、重い首を重い尻尾がカウンターウエイトとしてバランスを取っているのだ。
その尻尾が切り取られた。もう首を支えるウエイトはない。まして、首が片一方だけ増えてバランスがおかしくなっているのだ。
「立ち上がれないだろ? 教授、とどめを刺しますよ!」
「うむ!」
ゆっくりと胴に近づいていくクロ。ヒュドラの首は叫ぶばかり。クロに届かないのだ。
首の射程圏内に入る直前、クロは超スピードで懐に飛び込んだ。
各首が、司令塔である首すらがクロを見失い、攻撃が遅れた。この空いた時間で、ヒュドラの胸に戦斧を叩き込んだ。心臓を内包する部分に。
「ゲブゥッ!」
クロの一撃は心臓に届いたようだ。数えるのも面倒なほどの首達がそれぞれに麻痺し、順番に力を無くし床に垂れていく。
最後まで抵抗していた初代の首が床に落ち……重力落下を利用してクロに向かって突っ込んできた。
ハ虫類がごとき冷たい目をしたクロは、正面唐竹割でこれを迎撃。見事下顎を切り裂いた。長い首の下に潜ったクロは足を踏ん張り、返す斧でアッパー逆袈裟に思い切りよく振り上げる。
笑うように歪めた目でクロを見つめ続ける首が、放物線を描いて宙を舞い、床に落ちた。2度3度とバウンドしたのち、動きを止めた。ヒュドラは生きる力を無くし、静かに横たわる。
「最後のは余計だったかな」
偶然か? 飛ばされた首は、クロの目を見据えたままで事切れていた。
「はい、一丁あがり! 皆様、お疲れ様でした」
「おねーちゃーん!」
勢いよく飛び込んできたチョコは、3歩めでクロの腰にがっしりとしがみつく。
ジェイムスン教授は部屋の隅から、冷静な目で全体を観察していた。
「魔王が死んだ直後に明度が落ちたな」
魔界全体で言えることだが、魔王を倒すと魔王の間を含む全魔界の照明が一段暗くなる。
教授はその現象を確認した。
「タイミングとしては魔王の心臓が動きを止めた瞬間だ。という事は……」
教授はなにやら考え込んでいる。つい今し方まで、生命の危険に晒されていたにしては肝が据わっている。
「……餌は、この部屋にある。上か、右か、左か、前か、後ろか……」
部屋の周囲をぐるりと見渡す教授。ふと、足下に視線を落とした。
「……あるいは下か?」
教授は足を上げ、靴の裏を見た。
「わたしも地下が怪しいと睨んでいます。獣人の村の魔王が地下に根を張ってましたし」
クロが床を指さしている。
「うむ……掘るか? ニール君! 入ってくるがいい。床を掘るぞ! 道具を忘れるな!」
「おや、魔王は爬虫類でしたか? 意外性を優先したんでしょうかね?」
何なんでしょうかね? 脊椎動物縛りの魔界だったんでしょうかね? と小首を捻るニール君。
ニール君の太い神経は置いといて、ぞろぞろと入ってきた助手達は、一様にヒュドラの死体を見て怯えていた。
「しゃっきりせんか! それでも研究者か! 魔王の肉は学会を昇る階段じゃ! 魔王の血は、ただの研究用試料じゃ!」
教授の渇もあって、気を取り直した助手達は仕事に取りかかった。部屋の中央で硬い石をめくり始めた。ニール君と教授は、クロとチョコの側にいた。
クロとチョコは、魔王の体に取りかかっている。心臓部にナイフを入れ、魔晶石を取り出すのだ。
「これはでかい。さすが中魔界の魔王!」
取り出した魔晶石はソフトボールより大きい。サッカーボールより小さい。小魔界で取れる魔晶石はテニスボールほどだった。さすが中魔界と賞賛して良いだろう。
早速、専用袋へ放り込む。
「あれ?」
ニール君が何かに気づいたようだ。
「あっ! 教授! クロさん!」
「どうした?」
ニール君が指さすところ。それは最後に落とされた首。最初から最後までねばった首だ。
首が煙を吐き出しながら溶けていく。
そこに何かがあった。




