中魔界 戦闘
中魔界は小魔界に比べ、その名の通り大きい。
だが道幅は、想像していたより狭かった。小魔界の1.3倍から1.5倍ほどだった。
ただし天井が高い。小魔界の倍はある。本格的な飛行タイプの魔獣が予想される。
魔界へ一歩踏み込んだ途端、濃厚な魔素に包まれた。
小魔界中央部と比較し、小数点以下2桁を丸めて1.3倍。入口でこの差である。中央部に行けば2倍前後となろう。魔王の間は何倍の濃度であろうか?
して――、
いつも通り、チョコとクロが先行している。
今回に限り、クロの戦いぶりを見たいとの要望で、ジェイムスン教授がくっ付いてきた。チョコとクロと教授の3人組だ。隊列もこの順番である。
「信じてないわけじゃないが、中魔界攻略の確信が欲しい」
との事だ。クロも信用を得るため、同行を許可した。――丁度良い時期でもあるし。
早速、チョコの頭頂部にある三角の大きな耳が動いた。
「魔獣、4ほんあし。5ひき。300メートルはむこう」
「おい! どこに魔獣が居るというのだ?!」
ジェイムスン教授がチョコちゃんに食ってかかる。足音なんか聞こえないし、魔獣の姿すら見えない。所詮は幼女。遊ぶのも大概に――
「了解。教授はチョコちゃんと一緒に防御態勢」
腰から戦斧を抜き、右手に構える。左手には柄を短くした鉞。両手に武器を持って前に出る。
「クロ君! 冷静に――」
足音が聞こえる。姿が見える!
魔獣だ! でかい!
黒くて馬の様に大きい黒い狼、の様な魔獣が5匹。前に2匹、後ろに3匹。通路いっぱいに広がり、馬より速い足で走ってくる。面制圧の様相だ。
チョコの前情報が無ければ奇襲を受けていただろう。
「あああああ!」
恐怖に足がすくむ教授。
「チョコ!」
「りょうかい!」
チョコは教授の足にタックル。壁際に転がして上から盾を被せる。荷物と合わせた防御態勢だ。
クロは左手で鉞を放った。同時に駆け出す。
鉞の攻撃により襲撃の間合いをずらされた黒狼だが、右翼の先頭を走る1匹だけの被害で済ませた。
前列の2匹が飛び上がる。普通の攻略者なら飛んだ2匹に視線を向けるだろう。後ろに付いていた2匹が死角を突いて前に出る。クロ1人をめがけ、上下左右から4匹の黒狼が同時に飛びついた。
もちろんクロは、初歩的な視線誘導なんかに引っかかったりしない。
大きく踏み込み、上空の黒狼をかわす。向かって左の上下2匹に照準を合わせ戦斧を振る。黒狼とクロがすれ違った後に、首を飛ばされた黒狼と眉間を割られた黒狼が転がっていく。
無事だった方の黒狼2匹が振り向く。そこにちょうど振り下ろされつつある戦斧の刃先があった。
あっという間に5匹の黒狼は、動かぬ骸と成り果てる。
戻ってきた鉞を左手でキャッチ。腰に吊す。
「チョコちゃん!」
「もういないよ。あれでおわりだよ!」
盾の影から顔を出すチョコ。耳と鼻による探査で、魔獣の不在を確認していたようだ。
クロは手にしていた戦斧をベルトに吊す。戦闘態勢解除だ。
「教授、先に進みますよ」
「あ、ああ……」
ジェイムスン教授がのっそりと盾の影から出てきた。
クロの動きをジェイムスン教授の目で捕らえることが出来なかった。瞬きする間に5匹の黒狼をやっつけた。何をしているのかさっぱりだ。クロは瞬間移動していたのではなかろうか?
教授の認識はその程度だった。
なんにしろ、スんゴイ!
手練れの魔界騎士より遙かにスゴイ! 超速の二つ名は伊達じゃない!
クロはただ者ではない。人間的にただ者ではない。確実にオカシイ!
教授の見立てだと、クロ1人で一流攻略者10人分の戦力だ。一流攻略者を10人雇ったら、2人しか研究者を出せない。そのような環境でまともな仕事ができ得るはずがない。
言い換えれば、クロ以外の攻略者を擁立したライバル研究者に多大なアドバンテージを持てるという事だ。
クロを手離せなくなった。他人に取られたくない。クロの能力は絶対秘だ!
ハドス伯爵には研究成果だけ伝えればいい。ニール君は話せば解る青年だ。残りの助手達は脅しと褒美で手なずけよう。秘密を漏らした者は盗作の濡れ衣を着せた上で学会追放して社会的立場を抹殺。反対に物分かりの良い者達には焼き肉とビールと名声で手なずける!
「うはっ、うはははっ、うふっ、うへっ! うへへへーっ!」
ジェイムスン教授が狂博士そのものの笑みを浮かべていたところをチョコちゃんが怖がって見上げていた。怖かったら見なけりゃいいのに、怖いモノ見たさでずっと見ていたらしい。
「なあクロ君」
「何ですか教授?」
なんだか言いにくそうな教授である。
「君、鎧とか着ないのかね? 儂のカンが正しければ、君が着ている戦闘服は市販品の作業着だと思うのだが?」
「教授のカンは正しいです。重い鎧を着て動きを制限されるくらいなら、速さで攻撃を無効にするのがわたしの戦い方です」
「だから鎧は着ないと?」
「羽のように軽いのがあれば採用します。わたしも防御力について悩んでおりますので」
「なるほどのー、そりゃ道理だ」
魔界の研究に関して一言も二言も持ってる教授であるが、専門外の戦闘に関して、プロであるクロの見解に反対意見など持たないようにしている。分野が違うからね、と割り切れるのがジェイムスン教授の美点であった。
して――
午前の早い内に討伐できたところでクロ達の進撃はストップした。
現在教授は、クロが魔獣の心臓をえぐり出すところを熱心に観察している。えぐり出された心臓は、たちまち魔晶石に変わる。
「ほぉー! 聞いてはいたが初めて見ると、なるほどなるほど! この変化も科学的に解明されていないのだ! むうっ、この壁は魔力をよく通す様だな。魔力が壁の中を通る際、物質の抵抗値を代数でΩとして、うんぬんかんぬん」
教授の興奮が冷めやらない。ナイフで壁をこすり取り、サンプルを集めている。
チョコとクロは休憩だ。主にチョコちゃんの体力の回復を図る。休みを多く取れると、チョコちゃんの負担が減る。なんだかんだいって、チョコは無理をしているのだ。なにせまだ5歳児なのだから。
そうこうしているうちにニールの班が追いついた。
ここが第一キャンプ地となる。
丁度お昼時でもあるので、みんなでお昼ゴハンを食べた。ハムにパンに野菜にたっぷりの水。地上で食べるのと大差ない食事内容だ。
食事が済むと、ニール君達は教授の指示で作業に入る。
クロとチョコ(お昼寝済み)は、彼らを置いて先に進む。教授とは一旦お別れである。
「では、晩ご飯のあたりで待ってます」
「うむ、第2隊がここに到着次第、儂らも出発する」
「では、第2ベースキャンプで!」
「うむ! 気をつけてな!」
体力を回復し、疲労を落としたチョコちゃんとクロが魔界の奥へ向かった。
午後から2度、魔獣の群れと遭遇した。
三時のおやつまで、魔獣は出現しなかったが、その後、立て続けに2度、魔獣と遭遇した。
四つ足で、全身を長い棘に覆われた魔獣の群れと、棍棒を手にしたナックルウォークのゴリラっぽい魔獣だった。
棘が生えた牛っぽい魔獣の突進は、なかなかに迫力があった。
弱点らしき部分は、唯一棘の生えてない額の一部。そこへ一撃を見舞うには、周囲の棘が邪魔になる。針の穴を通す精度の一撃が必要とされる。
クロはそれをどうにかした。刺し殺しに来た棘を体術でかわしながら、致命的な一撃を脳天に加える。それを魔獣の数だけこなす簡単な作業である。
棍棒を持ったゴリラっぽいのは棘の魔獣より簡単に捌けた。
当たれば被害甚大だが、当たらなければただの大振り。紙一重どころか、三重ほどの差を開け、カウンターで戦斧をぶち込む。リモコン鉞が後ろより襲う。これも他愛なく片付けた。
「チョコちゃん、安全確認!」
「あんぜんかくにん……ヨシ!」
チョコは目と耳と鼻をフル動員して索敵した。結果、レーダーに感なし。
小魔界だったら、魔王の間の直前に位置する時間である。魔王の間の前の魔獣を倒せば、そこは安全地帯。魔界全部の魔獣をクリアしたということである。
で、あるのだが、ここは中魔界。先はまだ遠い。魔獣はまだ奥にいる。油断はできない。
「今日はここまでと致します。晩ご飯の用意をしましょう!」
「ばんゴハンー! ばんゴハンー!」
荷物を降ろすクロの周囲をピョンピョンと跳びはねるチョコ。
補給部隊が後からやってくるので、クロ達の荷物は軽めだ。一日分の食料しか入ってない。チョコには、重い荷物を抜いた軽いバックパックを背負わせている。
保存食を持っているが、これはあくまで保険だ。
いつものようにクロが食事の用意をし、チョコが腰を下ろす場所の用意をする。魔界内に雨風は存在しないので、テント等の必要がない。それだけでも荷物が少なく済むので有り難い。
ちなみに巡回騎士団の場合、活動場所が野外のため、テント含む野外サバイバル能力を必要とされる。そこが純然な魔界騎士団との違いである。
「はい、今晩は贅沢にハムと薫製したゆで卵です」
「わーい!」
ハムを分厚く切り分け、魔晶石コンロで軽く炙る。ジュウジュウと音を立てて油がにじみ出てきたら完成。
皿代わりのパンに載せる。
「うまうま!」
食べている間に湯を沸かしておく。ハムの堅いところを切り取り、鍋に放り込み、塩胡椒で味を付ける。僅かばかりの乾燥野菜も放り込み、茹で上がったらスープの出来上がり。
「ほー! 落ち着くね」
「おちつくねー」
食後のゆったりとした一時を過ごしていたら、補給部隊が到着した。
率いるのはニール君だ。柔らかな笑顔を浮かべながらクロとの再会を喜んだ。
「おや? ジェイムスン教授は?」
教授のことだ。先頭切ってやってくると思っていた。
「僕が出発する頃、第一ベースキャンプで魔獣を弄り回していました。おっつけ到着するでしょう」
ニール君達は先発隊だ。様々な測定機材を設置しながら、クロ達の後を追いかけてきた。
あえて、クロ達が休憩を取った場所と分かるように目印を残しておいた。そこが安全地帯だということだ。ニール君達、非戦闘要員は安心して体を休めることができる。自然と、歩く速度が速くなる。
クロとチョコは、補給部隊より食料などの補給を受け、明日の用意を整えてから床についた。
寝床も2人で攻略していた頃と違う。改善されていた。
重くてかさばるから持ってこなかったが、肉厚の毛布を補給部隊が運んできてくれた。2人は薄いマントの上ではなく、ふかふかの毛布の上で寝られるのだ。
ニール君達はキャンプの設営に動き回っていた。少々うるさくされても……チョコちゃんは電池が切れたようで、すぐに眠った。
ニール君達はこれから一仕事が待っている。大変だねと思いながら手伝うこともなくクロも就寝した。
分業の利点である。
翌朝。
「クロ君! なかなかのモノだねぇ、魔界とは! いやはや、これで中魔界なのだから、はたして大魔界はどの様な発見が待っているのだろうね!」
「大魔界は魔界騎士しか攻略できませんよ。攻略者ギルドの規則です」
「情けない! 規則とは進化を停滞させるためにあるものだ! 現状維持。人はそこに居心地の良さを感じる! 今まで通りだと楽だからの。何も起こらないから楽なのだ。いろんな刺激にその都度対応しなくていいからの。多くの人は、理性と合理的思考を持って居心地の良い人生を作り上げたのだ。生きるという合理性を突き詰めれば、食って寝るだけの人生に行き着く。それだけが生きるために必要なことだから。なら、捨てるのは理性と合理的思考。代わりに必要なのは狂気。狂気で理性と合理的思考を破壊するものである!」
「全くの同感です」
「クロ君とは話が合うね!」
朝からテンションが高い教授と、相変わらず通常運転のクロである。
教授はクロ達が就寝した1時間後に到着した。興奮冷めやらぬのか、夜遅くまで、そして朝早くから精力的に調査していた。
喜んでいただけたようで何よりである。
起床は7時。研究室の人たちと一緒に朝食を取る。みんなで軽い体操をした後、打ち合わせと修正+すりあわせを済ませた後、クロとチョコは出発した。
教授達研究者チームは、現場周辺の調査を済ませた後、後を追う。昨日とほぼ同じスケジュールである。
変更点は、計測機器の間隔を当初より詰めるという事と、クロ達が安全地帯に残す目印をより目立つ物に変えるという事などだ。
今回の調査はプレ調査の性質を持っている。調査ですばらしい結果が得られればそれに越したことはないが、調査方法の確認と計画のブラッシュアップが目的である。本格的な調査は、今回の魔界攻略が済み、諸々の検討を終えた後。つまり2回目からとなるのだ。




