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交渉


 クロが書き上げたレポートを学会に出さないかというお誘いがあった。


「願ってもないお申し出ですが、わたしの名は学会に通じるものではありません」

 例えジェイムスン教授のルートで学会に論文を届け出ても、平民の市井のぽっと出では無視されるのがオチだ。

「儂の名前を貸そう。儂と共著にすれば通るぞ!」

 そう来たか。あの論文を自分の名で出したいのが本心だな。なかなかに手強い学者だ。

「考えておきます。相談する人もいますので」

 相談する人がいる、つまり論文のことを知ってる人がいる事を示唆し、勝手はできないと匂わす。

 相談する人はチョコちゃんだが。

「うーん、考えておきたまえ」

 残念そうな声が聞こえてきた。やけにあっさりしている。どうも、悪いことを考えている人ではなく、単純に助力してやろうとしているだけのようだ。

 マニアックであるが、悪い人ではないらしい。

 ……てか、どこにでもいるよね、こう言う人。



 ソファに並んで座るクロとチョコ。物珍しさに周りをキョロキョロ見回している。四面の壁が本棚で埋まっている。

「ねえねえ、お姉ちゃん、あの高いところのご本は、どうやってとるの? 大人の人でも手がとどかないよ?」

 チョコが指さす先。ほぼ天井にまで本が並べられている。

「あそこを見てごらん。何があるかな?」

 クロが指さす方向。

「あ、はしご!」

「そう梯子。足に車が着いていてね、目的の場所まで楽に持ってこれるんだ。後は階段を昇れば手が届く」

「すごい! ここのきょうじゅ、てんさいだ!」

 チョコちゃん(5歳児)は感動した。

 

「はっはっはっ! 若い娘さんから褒められると嬉しいね」

 姿を見せた教授は、気持ち悪いくらいご機嫌である。カミソリのように鋭い目が笑ってる所なんかが特にブキミだ。

 ワゴンに乗せて持ってきたカップを、各自の前に置く。前もって暖めてあるようだ。湯気が立ち上がるサーバーから漆黒の液体をカップに注いで回る。大きめのピッチャーにミルクが入っていて、砂糖壺も用意されている。

「珈琲ですか?」

 先ほどからの音と香りで分かっていた。

「ほう! 分かるかね!」

 ニンマリと微笑む教授。ニンマリと微笑むクロ。確認ヨシ!

 珈琲好事家の扱いは得てして簡単だ。


「フィルターは布ですか、紙ですか?」

「ほほー! リネンを使っておるよ」

「紙は手軽さが利点ですが、紙の匂いが移りやすいので、逆に淹れ方に気を使うんですよね。頂きます」

 この言葉に教授の目が光った。

 クロはカップを手にとって、そっとゆらし、立ち上がる香りを楽しむ。口を付け、一口だけ飲んだ。クロ的にかなり濃かった。

 だけど――


「美味しい! 深煎りの中曳きですね。浅煎りだったらどうしようかと思ってました」

「浅煎りを飲む奴の気心が知れぬよな! 珈琲は漆黒を持って良しとなす!」

 教授も優雅にカップに口を付けた。機嫌が良い。クロがミルクと砂糖に手を出さなかったのが、特に良かった模様。

「悪魔のように黒く、天使のように甘い。ですか?」

「言い得て妙である!」

 教授の目が生き生きと輝きだした。掴みはOK! さらに懐へ飛び込む。なんなら地獄車をかけようか。勢い優先、後先考えずがコツ!


「こちらではどんな豆が主流なんでしょう? わたしの古里は酸味に優れた豆が主流ですが」

 クロの個人的感想である。

「アリバドーラでは香りかな? 苦みと甘みのバランスが大事とされている」

 *ジェイムスン教授の個人的な感想です。

「この香りは、里のアリババ種じゃ出せないな!」

 注)現世にアリババ種などという種は存在しません。

「南の山脈の麓で取れる何の変哲もない種だよ。安物だが、煎り方と淹れ方を工夫すれば一級品になる。それをみんな知らないから安く旨く飲めるって話だ! ウハハハハ!」

「そりゃいい。後で店を教えてください」

「いいともいいとも!」

 よし、掌にのった! あとは転がすだけ。


 クロは珈琲を飲みきるまで話をしなかった。熱いうちに飲みきった事もまた、教授のお気に入りリストに加わった。

「さて、わたしの論文は未完成です。むしろ報告書。教授ならお見通しだと思いますが」

「フフフ、そうだね。推論と仮説が多い。だが、目の付け所が新鮮だ。内容についてだが、提唱された事柄の可能性は高いと思われる」

 教授も珈琲を半分ほど飲んだ。

 チョコちゃんも恐る恐る口にした。苦かった。評価は厳しい。


「さて、クロ君が提唱した魔界の成長について、の方だが――」

 教授はいきなり本題に入ってきた。回りくどい事が嫌いなようだ。

「――最後の章で記述していたように、データーが小魔界だけで全てを推測するのは危険だ。確かに中魔界と大魔界のデーターも取ったほうがよい。せめて中魔界だな!」

「では、わたしの説は?」

「魔界生物説。儂の説とほぼ合致する。1人でそこまで辿り着いた努力を賞賛したい!」

 教授がクロのカップに珈琲を注いだ。お代わりのサービスだ。

 チョコちゃんはカップにミルクと砂糖を沢山入れている。


「魔界は生物だ。増殖し、成長する。攻略するより増殖する数の方が上回っている。未来に関して、実に悲観的な見解を述べざるを得ない」

 クロは教授の手を見ながら口を開いた。

「魔界を生物とするにあたり、わたしが最も気がかりとするのは、餌の存在です」

「餌?」

 教授は片方の眉を器用に上げた。

「魔界という生物の形態や習性の解明にも興味がつきぬ所ですが、教授、生物の定義をどうお考えですか?」

「生物の定義か? ふむ」

 教授は足を組んで手を顎に当てた。

「君が言いたいのは、石と魚の違うところかな? 石は自分で動けない。魚は自分で動ける」

「それだと植物は生物ではないことになります」

「君は植物を生物のカテゴリーに入れているのかね?」

 教授はきょとんとした表情を浮かべたが、クロの定義に興味津々の模様。

「植物は成長します。子孫を増やします。光と水と空気から栄養をとりだし、新しい空気を作り出します。また、枯れると腐る。植物の死ですね。わたしは生物の定義を、成長する、子孫を作る、刺激に反応する、食べる、排泄する、修復する、死ぬ、この7つとしています。石は成長しないし、子孫を作れないし、叩いても動かない、何も食べないし、何も排出しない。ひび割れても自動修復しない。死という状態がないので腐らない。だから生物じゃない」

 クロは両手を広げ、如何ですと目で問いかける。

「面白いアプローチだ。続けてくれたまえ」


 では、ということで――


「魔界というか魔宮は成長する。増えます。魔王を攻略すると死にます。侵入した攻略者を排除しようと対応する。魔王の怪我は治る。7つの内、5つをクリアしています。魔獣を排泄と見なせば6つ。わたしは排泄と免疫の両方と見ていますが……、残り一つは『食べる』。これが見あたらない」

 教授は眉間に皺を寄せ顎を引いき、じっとカップを見つめている。そしておもむろに口を開いた。

「うむ、餌をコントロールすることで魔界の増殖や成長を抑えられる可能性がある。餌を知ることができれば……餌か……」

 なるほどなるほど、と教授は唸りながら思考の海に沈んでいく。

「教授は、魔界の食べ物に心当たりがありますか?」

「……ないな。人か? いや、魔界ができてから人が入る。前後が逆だ。やはりすぐには思いつかぬ」

「実は餌に心当たりがありまして。そして、教授のご意見をお聞きしたいところでもあるのです」

「なにかね?」

 教授が身を乗り出した。

「わたしが魔界に興味を持ち、研究に乗り出した第一歩。そう、あれは……」

 クロは、顔を持ち上げ遠い目をした。そして口を閉じる。もちろん演技だ。撒き餌とも言う。

「クロ君、もったいぶるなよ」

 教授が餌に寄ってきた。

 ここでクロがニヤリと笑う。ハ虫類の目をしつつ。

「できたてホヤホヤの魔界を攻略したのが始まりでした」

「なんだと?」

 珈琲を飲む手を止め、クロの顔を見つめる教授。目が丸く見開かれていた。そして珈琲に再チャレンジするチョコちゃん!


「実はですね……」

 クロはチョコと出会った獣人の村の魔界のことを詳しく話した。特に魔王の部屋は念入りに。魔王のエネルギー源、もしくは餌についての考察まで入れて。


「なんと! 君は始まりの魔界を攻略したのか!」

「声が大きいです教授!」

「うっ!」

 声を荒げた教授をクロは窘めた。

「このことは、ギルドの大幹部にしか話していません。口止めっぽいことをされています」

 嘘です。

「口止めされているのに良いのか? ここで言って?」

「口止めっぽいこと、ですから大丈夫です」

「おぬし、悪だよな?」

 教授がにんまりと笑って言葉を続けた。

「クロ君、研究するにあたり一番邪魔なのは何だと思うね?」

「それは法律です」

「クロ君とは長くつきあえそうだ」

「教授もたいがい悪ですね?」

 2人はお互いの顔を見つめ合ってニンマリと笑った。

 どちらからともなく手を出し、2人はがっしりと握手。チョコちゃんはコーヒーの3口目を諦めた。


「君のように、フィールドワークに基づいた推理を私は評価する」

「ええ、足で手で目で鼻で耳で採取した物こそが真実! できれば複数人による確認をしたいところですが、なにぶん、我らの攻略チームは2人。調査は遅々として進みません。続きはしばしの猶予を」

「それは悔しかろう! だがフィールドワークは大切だよ。儂の弟子共に、何度フィールドワークの大切さを説いても、全く実にならん! 他人が調べて書き留めた本の中身をまとめる事を研究だと思っとるらしい。嘆かわしいことだ!」

「へぇー。本が間違ってたらどうするつもりでしょう? そうだ! いっそ魔界へ放り出せば?」

「それは考えた。だが、青びょうたん共に魔獣と戦わさせるのも酷というもの」

 あ、一応は考えたんだ。


「ならば……教授のことですから、攻略者と共同で魔界へ望むというケースも、既に考慮なされたのでしょう?」

「当然だ! だが、全て断られた。チームの人員枠に余力が無いのと、分け前が減るのと、邪魔になるのと、足手まといのどれか、あるいは複数、または全部を理由に断りを入れてきおる! 学問の発展に犠牲は付きものだと言うに!」

 教授にとって、人命より学問が上なんだな。


 ここでクロはティンと来た。天啓と言っていい。僅か瞬き一瞬の間に、あらゆるケースを想定し、長所短所を洗い出し終えた。

「ならば、教授。わたしに提案がございます」

「なんだね?」

「わたしが安全なフィールドワークの場を提供いたしましょう。教授のチームがわたしの研究を引き継いでください」

「しかし君!」

「よくお聞きください。わたしは攻略者です。チーム名はブラックチョコレート。メンバーはわたしと、このチョコの2人だけ」

 教授の目が狐みたいになった。教授の地位にいるものがバカなハズない。クロがこれから言わんとしていることがティンと来たのだ。


「クロ君、たしか攻略者ギルドの規則だと、チームメンバー数は12人までだったな? すると、入れる頭数だけで10人もの枠が空いていると?」

「さすが教授。計算が速い。そうです。魔界内部に入れる者の残り枠は10人。ただし営利目的でない外部のスタンバイ要員は考慮されていません。ご飯、お弁当を作って協力してくれる奥さんや恋人とか養う家族などは除外。そこがチーム制度の穴」

「き、君ぃ!」

「そして、魔獣は全滅させてから前進するというのが我がブラックチョコレートのモットー。後方を一定の距離、離れて付いてくるだけなら、安心安全!」

(チミ)ィー!」

「元々、わたし達は魔王の魔晶石のみの一点狙い。途中の魔獣の魔晶石はほとんどを捨てています。それでチーム経営は成り立っています。……ということは?」

「くくく、クロ君の言いたいことは全て判るぞ! 攻略はクロ君が、研究は我々が。独立採算制で住み分けすれば良いのだな?」

「ご明察! そして、助手の方々には心おきなく魔界内部の調査を。わたしは結果を知り、知識欲が満たされればそれでよし。教授は研究を進めていただければそれでヨシ!」

 そう言えば、あの安全確認猫。安全靴も履いてないし、尻尾巻き込み対策も取れてないし、あっ、顎紐締めてたか? ヘルメットから生の耳出てたぞ!


「ならばクロ君。クロ君のチームは、中魔界も攻略可能か?」

「小魔界のみの攻略にとどめているのは物資運搬がボトルネックになっているからです」

「みなまで言うな! フィールドワークチームが食料及び生活物資を運べば、中魔界も攻略可能なのだな?」

 クロは立ちあがり、教授に近づいた。

「ブラックチョコレートの実力から行けば……」

 そっと口を教授の耳元に近づけて、肉感的な唇がこう囁いた。

「余裕です」


「フィールドワークにあたり、チームの人員枠に余力が無いのと、分け前が減るのと、邪魔になるのと、足手まといの否定的要素が全て消えた! いける! これはイケるぞ!」

「それから教授、わたしは論文を書いている時間が取れません。デスクワークは教授に一任したい」

「よろしい! ならば儂とクロ君の共著と言うことで良いな?」 

「答えはノー!」

「なんだと!」

 一気に教授の顔が険しいものとなる。そしてチョコは砂糖壺から角砂糖を出して食べ出した。


「わたしは攻略者。著者は教授お一人で。ですが協力者としてブラックチョコレートの名を巻末にでも記載していただければこれに勝る幸せはございません」

 破顔一笑。クロの演出を理解した教授は「こいつめ!」と言って殴る振りをして笑った。もうすっかりうち解けている。

「クロ君! その話、乗った!」

 クロの策にも乗った。ブラックチョコレートのメンバーの1人はチョコちゃんだ。獣人が学会に名を残すことに教授は気づいてない。これは後年になってから爆発する時限爆弾だ。獣人の地位向上だったら大した策だが、残念ながら、クロは悪戯にしかとらえていなかった。


「契約成立ですね」

「共に未来のために! 早速、人選を行おう!」

「攻略者登録を忘れずに。補充要員を含め、人数は10名以上で。準備ができれば連絡ください。チーム登録へ一緒に行きましょう」

「善は急げ。明日にしよう。明日の朝10時に攻略者ギルドで待ち合わせだ!」


 とんとん拍子に話が進んだ。

 

 

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