紹介
ハドス伯爵は、クロに続きを促した。
「君ならどうする?」
「逃げる」
この間、きっちり3秒。
「……は?」
間抜けな声がハドス伯爵の口から出た。
伯爵よりの問いは、二択を迫るクローズ話法であった。クロは、クローズ話法が大嫌いだった。その気があってもクローズ話法を使われると、第三の答えを探り、それを選択してしまう捻くれた心の持ち主なのだ。
「逃げます。攻略者の資格を今日これからでも返上し、荷物をまとめて今晩にでも旅に出ます」
しれっと答えたクロは薄笑いを唇に浮かべている。
ハドス伯爵の最大の武器である権力を無効にする方法。そして拘束からするりと逃げる方法。その名を逃亡と呼ぶ。
ハドス伯爵にも訳が分からない負の感情が心の奥から滲んで出てきた。無責任、侮辱、敗北、恥、生意気、利益、自制心、いろんな感情だ。暴力を振るいたくなる衝動と打算が戦っている。
こう見えて、伯爵は若い頃、攻略者として活躍していた経歴がある。荒事も手慣れているのだ。
ハドス伯爵の顔色が赤を通り越して黒くなっていく。
クロはそれをさぞ愉快という目で観察している。
ここで伯爵が権力を使うならしめたもの。どの程度の勢力を掌握しているかが分かる。戦力を調べ上げ、端から夜毎に潰していけばいい。ビバ、個人への暴力!
金なら有る。一悶着起これば外国へ高飛びして、チョコと小さなお店を――
「ねえお姉ちゃん、あいじん、ってなぁに?」
「「は?」」
ハドス伯爵とクロの気が抜けた。
今まで黙ってお菓子を食べていたチョコだ。済んだ話として気を抜いていたワードだ。
続いて2人の目が泳いだ。なんて返事をすればいいのか、頭が回らないでいた。
「魔獣よりつよいひと?」
これにはクロも苦笑するしかなかった。さすが相棒である。最良の援護射撃。上手い具合にオチを持って来れそうだ。
「愛人を魔獣と同じテーブルに載せてやるのはどうかな?」
「じゃレニー君とは?」
「愛人の方が強いね! 遙かに! それは横に置いといて!」
透明な箱を横に置く仕草を入れて、クロが椅子から立ち上がった。腰に手を置き、ハドス伯爵を女の目できつく睨む。
「チョコちゃんが変な言葉を覚えてしまったじゃないの!」
これより別次元の攻防が始まる。
「私のせいですか?」
「他に誰が居るんです?」
まさか、こんな展開になるとは想定外だったのだろう、ハドス伯爵は素で狼狽えた。その時の表情がちょっと可愛かった。
「話を変えましょう伯爵」
もう充分気を削げた。貴族をからかうのはこのへんでやめておこう。
「確かに魔界は成長する。これはご存じですか伯爵? 小魔界は1日あたり奥へ約1メートル成長する。横方向は平均18センチだ。アリバドーラだけの数字を見ると、魔界の増殖数が攻略数を10%上回っている」
とはいうものの、年で奥へ360メートル。10年でたった3.6キロ。中魔宮には全然届かない。成長に天井がある可能性も考えられる。小魔界だけを10回や20回潜ったところで統計が取れるはずも無し。
でも、それは言わない。伯爵がどの程度知っているか分からないから。魔界の成長をどうように利用しようとしているのか判断がつかないから。
「君、調べたのか?」
「毎回調査して記録しています。もともと、わたしは研究者上がりなのですよ。アキツシマでは大学の研究所に所属していました。武道を囓ったのは体力を付けるためです」
研究者なのは事実。「大学に所属していました」は過去形。体力云々はウソ。でも真実を一個だけでも入れておいた上で小ウソを重ねると本当に聞こえるから不思議。
「中々やるじゃないかクロ君。是非我々に協力して欲しい!」
伯爵が椅子から立ち上がった。
伯爵の目の色が……なんだろうね? 一番近い色は「野望」かな?
怒りの感情が野望に勝ったのであろう。
これは高く売るチャンス!
「協力をするつもりはありません」
「なぜ? どうして!」
伯爵が身を乗り出してきた。やはり、スイッチが入ると激昴するタイプだったらしい。
「伯爵、これは個人の研究なのです。いわば趣味の領域。他者の思惑を入れると、やりたい事ができなくなる。わたしが一番避けたいパターンです」
「む、むう。どうにかして君の研究成果を知ることはできないだろうか?」
落胆した伯爵は、椅子にどっかと腰を下ろした。
「そうだ、君の研究に金を出そう! 金ならいくらでも用意する。必要な額を言ってくれ!」
クロにつけいる隙を見つけたと思ったのだろう。ハドス伯爵は、再び身を乗り出した。
「お金は足りています。こう見えてわたしは超速のクロ。魔界攻略家業で面白いほど儲けています」
「むう!」
伯爵の手がつきた。
権力も金も通用しない相手は初めてだ。
「ならばこうしましょう伯爵。魔界研究の第一人者って誰でしょう? 紹介してくれませんか?」
「その件なら!」
伯爵が、三度身を乗り出した。
「王室博物館のジェイムスン教授を訪ねると良い。わたしが話を付けておこう。きっと実のある話ができるはずだ」
「良いお話です」
クロも微笑んだ。心の中で舌を出しながら。伯爵が掌で転がってくれたからだ。
伯爵から一切の援助をもらわず、干渉されず、魔界の情報が手に入る。情報は値千金。金で買えない情報も有るというのに。
「教授は論文を出せといってくるぞ」
「望むところ」
それはクロの得意分野だ。洗練された現代式論文記述法を縦横無尽に駆使してやろう。
それに論文を出せということは、論文を書いているということ。記録の宝庫だ。教授の論文を読んでみたい。
最後の最後に、最も有意義な情報を聞き出せた。
充分な成果を上げた。今日お茶会へ招かれて良かったと思う。
そして、クロはこっそりチョコに合図を出した。
「お姉ちゃん、もうおなかいっぱい!」
「そうかい? あ、もうこんな時間だ! 若い女の子はおうちへ帰らなきゃママに叱られちゃう! それじゃぁ伯爵、そろそろお暇します。ご馳走になりました。おーい、ウエイター君! お菓子の残りを包んでくれたまえ!」
立ち上がって軽く頭を垂れるクロ。チョコはスカートに付いたお菓子クズをパンパン払っている。帰る体勢だ。
ハドス伯爵はあきらめ顔で口元をシニカルに歪めてた。
「馬車を用意しよう」
「いえ、それには及びません。送り狼が怖いですから、歩いて帰ります」
馬車に乗せられ、店へ連れてこられた事への意趣返しだ。
「これは! 信用を無くしたものだ。今後の参考にさせてもらおう」
伯爵はもう少し粘る人かなと思ったが、あっさり放してくれた。今回の会合はこの辺でよしとしたのだろう。
……こりゃ2度目が有るな……
お貴族様の利用には細心の注意が必要です。
クロの利用はもっと注意が必要です。
店を出ると、日がだいぶ西に傾いていた。宿に着く頃には日が沈んでいるだろうな、などと考えながら二人して街を歩きだす。
「ねえ、お姉ちゃん」
チョコが手をつないできた。
「チョコ、役にたった?」
見上げる顔は不安が8割、期待が2割。入り交じった複雑な、そしてかわいそうな表情だ。
「もちろん大助かりさ! チョコちゃんのおかげで話が望んだ方向へ進んだ。もう一人前だね!」
「よかった! お姉ちゃん大好き!」
ガバリとクロの足に抱きつくチョコ。満面の笑顔だ。
……自分の対応は正しいのだろうか? チョコを歪めてないだろうか? チョコの精神的外傷が少しでも癒せたのだろうか?
クロは物理学を修め、相対性理論の不完全部も補った。
だのに、こんな弱い生き物の心に自信がもてない。解らない。それが辛い。
これは、クロが完全主義者である事に起因している。本人に自覚がないのだが、優秀すぎる頭脳・能力が高度な結果を導き出し続けていた。常道的に求める答えの水準が高いのだ。
だが、しかし、少しずつ、少しずつであるが、クロはチョコの傷を治している。まだそれを体感してないだけなのだ。
「ククククッ、おぼえておきたまえチョコ君。悪事を企てる者に悪党が寄ってくるように、策を弄する者には策を弄する者が集まってくるのだ」
「へー。じゃぁ、いつもエッチなことばかり考えてるレニー君には、エッチなおんなの人ばかり集まってくるの?」
「いきなり理論が破綻したねぇ」




