伯爵
「チョコもブラがほしい! 黒いのがほしい!」
「うーん、まだ早いけど、その時のためにデザインを起こしておいてやるね」
「うわーい! チョコもおとなのおんなだー!」
帰りの馬車の中の一幕である。
お迎えの馬車を用意するのだから、お送りの馬車も用意する。執事長が御者補助席で同道する。貴族の嗜みである。
会場となったエーベル男爵亭を後にしてしばらく。上級街に入ってすぐのところで馬車が止まった。
御者席と客席を隔てる窓が開き、執事長が顔を出す。
「堅苦しいお茶会でお疲れでしょう。気さくにお茶を楽しめる店が御座います。ご休憩されていかれるがよろしいかと存じます」
「ふふん! だろうね。ではお言葉に甘えるとしましょう。チョコちゃん、休憩するよ」
「なんで?」
「また美味しいお菓子が食べられるよチョコ隊長。辛いだろうがこれも仕事だ。がんばってお菓子を食べてくれたまえ」
「隊長はがんばります!」
チョコを隊長に据えたままであった。
そして、隊長・副隊長の符号。それはお仕事。
チョコは敏感に感じ取った。お菓子が食べられるのなら、何ら不満はない。むしろどんと来いである。
さて、停車したのは小洒落た煉瓦作りの店の前。見た目は明るくて大きくなったイギリスのバー。
クロとチョコを降ろした馬車はどこかへ走っていった。
「ばしゃがどっか行っちゃったよ」
「駐車場がないんだ。片手落ちだな」
「それは失礼いたしました」
全く失礼に思ってない執事長の案内で中へ入ると――奥まった場所でお茶しているハドス伯爵と目があった。
「ああ、ここだクロ君!」
手を振る伯爵。口元に薄い笑いを貼り付けるクロ。
「お待たせいたしました伯爵」
「……君、全然驚いてないな?」
「驚く方がどうかしております伯爵。脚本を書かれたのはどなたでしょうか? 少々演出が稚拙だったようで」
「後で叱りつけておこう。さあ、こちらへ」
チョコの手を引いて席の間を抜けていこうとするクロ。全席がお客さんで埋まっている。
「ああ、申し訳ないが、ここは獣人禁止なんだ。その子は外で待たせてくれ」
びくりと震えるチョコ。不安そうな顔でクロをそっと見上げる。
「はっはっはっ! では、お話はこれまで。伯爵様とは縁が無かったと諦めましょう。大変残念です。では失礼いたします。もう二度と会うこともないでしょう。どなた様もごきげんよう」
何の躊躇もなく、クロは回れ右をして出て行く。
「待ちたまえ! 獣人の子も一緒に入ってくるがよい!」
「食事をとって良いのですか? 他のお客さんもおられますが?」
「かまわん」
多少のざわつきがあったものの、お客さん達はクロとチョコを無視して茶を飲み出した。
「なるほどね。チョコちゃん、みんなの顔を憶えておきたまえ。ここにいるお客さん達は全部伯爵のお仲間だ」
「へー、すごいね」
「どれ、わたしは迂闊な言葉を口にしないよう気をつけよう」
バレバレである。
伯爵は、わざわざ眉間に皺を寄せてから肩をすくめてみせた。
「そう言うことだ。皆の者、退席を願う」
お客さん達は一斉に席を立ち、順番よろしく店を出て行った。
「ずいぶん寂しくなってしまったね。営業妨害にならなければ嬉しいのですが」
「気にするな。全員、注文をとった後だ。そうだ、どうせなら、まん中の広いテーブルで話そう」
言うなり席を立った伯爵が、まん中の一番広いテーブルへ移動した。伯爵が着席する前に。ウエイターが素早く片付けた。テーブルまで拭き上げた手際は見事だ。
「遠慮無くかけたまえ。もう君たちとの茶会を邪魔する要素はないだろう?」
有無を言わさぬ物言い。確かに、邪魔者は居なくなった。
「居なくなったからと言って、わたしがテーブルに着かなくてはならない理由はありませんが? たとえば、美味しい物をおごっていただけるとか?」
なんだかんだ言いながらも席に着くクロとチョコ。チョコは椅子の上に立たねばテーブルに手が届かないが。
「……好きな物を頼み給え」
伯爵はメニューの冊子をとり、クロに向けて滑らせた。
ウエイターがスルリとやってくる。
「わたしはレモンティーを。砂糖多めで。それから、チョコちゃんにはホットミルクと、ここからここまでのお菓子全部」
「わーい!」
「さて伯爵。話をお聞きいたしましょう。なにやらご大層なお話がありそうですが?」
「フフッ! そのように手間を省いてくれると、こちらも話をしやすい。助かるよ。ああ、ウエイター君、私もレモンティを。砂糖は抜きで」
鼻につかない程度のキザな仕草で注文する伯爵。さてと、とテーブルに肘をついて組んだ手に顎を乗せた。
「まずはクロ君、君のことを知りたい。君のことを調べさせてもらったが……、君、実に不思議な女性だね」
探るような目でクロを見るハドス伯爵。
「ミステリアスな女性は魅力的だと死んだ祖母に教わりました」
いつものハ虫類の目で答えるクロ。
「クロ君が攻略者になって約一月。アリバドーラだけで7回も魔界に潜り、7匹の魔王を攻略している。新人なのに尋常でない数の攻略数と短時間の攻略だ。しかも、2人組で、片方は幼子。ハンデにしか見えない。昔何かやってたのかね?」
やっていたのかね? と聞きながら、穏やかな笑顔を顔に浮かべる。
この笑顔が伯爵の武器の一つなのだが、海千山千のクロはそれを見透かしている。
「性急な男は嫌われますよ。ですが、時間の価値を理解している人間は貴種だ。わたしも前置きはこれ位にしておきましょう。そうですね、多少の武術を囓ってましたとお答えしましょう」
クロは最小限の情報だけを開示するにとどめた。イエスかノーかの二択で求められた回答だ。答えはイエス。それだけの答えで充分だろう。
「何を習得されたのか、教えてくれるかね? 無理にとは言わないが」
やっぱり突っ込んで聞いてくるか。これには答えなければならない。
「ジゲン流という田舎剣法を少々。無手の格闘は、腕だけで殴り合うボクシング。それと似たムエタイ。アイキドーという投げ技も面白かったですね」
ちゃんと答えた。名前だけでは中身まで分からないだろう。手口は知られない方が良い。
ちなみに合気道は、合気道立ち技格闘技最強説を頑なに曲げようとしない老師匠をボクシングで滅多打ちにして破門されている。殴ってる最中、ちょっと待って、とか言われが聞こえないふりをしたのがいけなかったのだろう。武道不覚悟とか訳の分からないことを鼻血まみれの顔で言われた。
あと、空手のタツジンを潰したことがある。因縁を付けられ、対処がめんどくさかったので、デストロイヤー・マスクをかぶって夜の道場に乗り込み、油断していたタツジンと練習生をまとめてボキボキいわせてやった。
やっとお茶が運ばれてきた。
コトリとも音を立てずソーサーに乗ったカップが置かれる。伯爵とクロの前に。チョコちゃんのミルクとお菓子はまだだ。人種差別も甚だしい。
伯爵はカップに口を付け、紅茶を口に含む。鼻腔に抜けていく香りはすがすがしかった。
カップをソーサーに戻す。茶器のふれあう音がしない。
「つまり、3つも習うことができたと。ああ、そうそう、ピアノも習っていたらしいね」
もう漏れたか。あの執事だな。後でぶっ飛ばしておこう。
「そうすると、ずいぶんお金とコネを使ったんだろうね?」
「あれ? アリバドーラじゃお月謝はお高いんですか? うちは安かったですよ。生徒も大勢いたし。いやホント。考えるに……」
手に顎を載せ、考えるフリをする。
「戦を避ける国でしたから、何でも話し合いで決めて、争い事を野蛮としてました。だから、武術関連の道場は手頃な月謝で解放されていたんでしょうね。ところで――」
適当に切り上げた。今度はクロが攻める番だ。
「――伯爵は勇者殿と仲がよろしいと伺いましたが――」
伯爵は表情を変えず、密かに気持ちを引き締めた。なかなか上手に斬り込んで来るじゃないか。しかし、この話題は願ったり叶ったり。
「――勇者殿を配下に迎えらないのですか?」
「そうだね――」
ハドス伯爵は、さして興味ないといった顔を選んだ。心の中は――
『そう来たか! 正面から戦えば、魔宮騎士一個戦隊を上回る戦力を個人で持てるはずなかろう。その気があると冗談でも言ってしまえば、国家反逆罪の濡れ衣をかぶせられるわ! こいつ知って聞いた来たな!』
ハドス伯爵の心境である。だが、返し技はいくつかあるので慌てない。
「――勇者よりもクロ君をハドス家の騎士に迎えたいね。色よい返事をもらえるかな?」
そう返されたか。クロを利用する気、満々だ。
断れば顔を潰したと言われて角が立つ。かといって受ければチョコちゃんとの未来、つまり、お二人でお店を持つという夢が壊れる。だいいち、その気は全くない。
角が立たないように断ろう。どの手を使おうか? 5つ位あるのだが……3番目で良いか。
「魔界攻略1月目の若い女をですか? 世間はどう見るでしょうね? 仕える主は貴族院の有力議員にして伯爵の地位。相手は駆け出したばかりの小娘。強権を振りかざし、体よく愛人を囲ったと後ろ指を指されませんか?」
女性としての武器を使わせてもらった。
断られたのだが、ハドス伯爵は逆に気に入ってしまった。
攻略者と女。上手く使い分けている。この女、地頭は悪くない。機転が利く。しかしまだ鍵は堅い。是非とも欲しいが、どうやら時期尚早のようだ。
「フフフ、冗談だ。さすがに無理がある。聞き流してくれ」
ここでようやくチョコちゃんのミルクとお菓子がやってきた。わざと後回しにしたのだ。獣人差別も甚だしい。
「遅いよ君!」
伯爵が先に注意した。
「申し訳御座いません」
全く申し訳なさそうに謝るウエイター君。こいつも「後で必ずぶっ飛ばすリスト」に追加だ。
「アロン君は縛られるのが嫌いのようで。だが、魔界の増殖には心を砕いている。正義の人だ。私にできることと言えば、彼と繋ぎを取ることぐらい。騎士団の手に余る案件が発生した際、勇者の窓口になるのが私の役割だと思っているよ。ふふふ、体の良い使いっ走りだな。そうそう!――」
何の気なしに繰り出した風に見えるハドス伯爵の一手。
「――魔界が成長する生物であることを知っているな?」
「うーん!」
生物と表現したか……。
クロが生まれたての魔界へ潜りそれを攻略したことを知っている。これって秘密じゃなかったっけ?
獣人の村にあったような初めの魔界を放置すれば、短い期間で増殖し、魔宮へと成長する。
魔界が成長する存在である事は、獣人の村の魔界で掴んでいる。アリバドーラの魔界でも、何度か調べている。魔界が日に日に深くなっていく事を。
放置しておくと、どの様な結果をこの世界にもたらすことになるか?
それが何を意味するのか?
人が取れる方策は?
クロ以外に動いている者がいる。勇者とハドス伯爵は働いている。その事業にクロも参加せよ、というのが伯爵が描いた絵なのだろう。
正直困った。
ハドス伯爵の脳裏にどんな絵が描かれているのか分からない。大きな絵じゃないことを祈る。
「知らないなぁ。そうなんですか、へー」
シラを切った。チョコと過ごす貴重な時間を危険な仕事だけに費やしたくない。
どうか、このシラを切るという穴にツッコミが入りませんように。クロは信じてなどいない神に祈った。
「ならば、今知ったと? では教えてあげよう。魔界は成長する。そして増える。攻略をこまねいていれば、魔界が増殖し過ぎてしまう。クロ君なら、これを知ってどう行動する? 1人で、いや、ブラックチョコレート? チョコ君と2人だったね」
やはり見逃してくれなかった。チョコまで巻き込まれてしまった。まさかの人質か?!
「ブラックチョコレートだけで魔界を精力的に攻略するか? 大勢の仲間と共に、組織的に攻略するか? 議会議員として、伯爵位の者として、質問する。クロ君は、どちらを選ぶ?」
攻略を単体で続けるか、攻略を組織に変更するか。即断で回答を求められた。
貴族の地位を前面に押し立てた貴族への回答は、口頭であっても契約事に等しい。軽々しく答えてはいけない。
「わたしなら……」
クロは、言葉を切った。
様子をうかがうように伯爵の目を見て、悪い笑みを浮かべた。




