ピアノ
リュディの告白が始まった。
「わたしが12歳の誕生日の事でした。私の妻になりたまえ、の一言でしたわ。なんてことない廊下の途中で」
リュディがあっさりと真相を明かした。
「ムードもへっちゃくれもありません。しかも候補に名が挙がっただけなのに、抜け駆けして」
なんてことない。ハドス伯爵のデリカシー欠如と勇み足。第2王女を私物化し、政治利用しようとしてると思われても仕方ない。ましてや12歳と言えば多感な年頃。李下に冠を正さずである。
大変なことを聞いてしまった。
クロに、このことを黙っている自信がないのだ。
珍しくクロが二の句を継げないでいる。そして、クロの沈黙が気まずい空気を作ってしまった。
「オホホホホ! と、ところで、クロ様? クロ様のお国はどちらですの?」
ここへ気を利かせて割り込んできたのは知的な令嬢ミリアム。このままではいけないとばかりに、思い切って話題を変えた。クロ様、どうか気づいてくださいとばかりに。そしてさりげなくクロの素性を聞き出す。頭のよい子だ。
「どの様な文化が花開いていたのでしょうか? 是非是非、お教えくださいまし?」
この提案にリュディが食いついた。クロの過去を知りたい。ハドス伯爵との嫌な思い出などどこかへ行ってしまったようだ。目が輝いている。
クロは、これに乗らないわけにはいかないか、と諦めた。やれやれである。……やるな、ミリアム嬢!
「ずっと東の方向。海の向こう。大きめの島国です。訳あってここへ流れてきました。理由は聞かない方が良いな。犯罪関係ではないですよ。アリバドーラヘやってきたのは獣人の村で因縁ができたからに過ぎません」
「ご両親は何をなさっているの? ご兄弟は?」
ミリアムの誰何が激しい。彼女の役割は、このお茶会を利用してクロを探ることらしい。後ろに誰が居るのだろう? ハドス伯爵の関係者だろうな。
いつもの、嘘ではないが真実には少しばかり言葉が足りない話をしておく。
「母は全く知りません。わたしが生まれたときに亡くなりました。育ててくれた父も先だって亡くなりました。父の仕事は、なんというか、各所の調整役の様な仕事です。たいした役職ではありませんでした」
頭の良いミリアムは、クロの言葉の裏を読んだだろう。
クロの教養は高いと見た。貴族を前に、態度も堂々としている。慣れているとしか思えない。
母親は知らない、つまり、話せない、話すつもりはないと言うこと。父親は役職持ちである。
……母親は身分の高い女性。たぶん王族だ。王女の可能性もある。
父は身分が低めの貴族。身分の高い母親を娶った。複雑な事情があるのだろう。それこそ、リュディヴィーム姫が夢見る通りのロマンスがあったのかも? 駆け落ちならなおヨシ!
実のところ――
母は宇宙生物。単性生殖でクロを産んだ。タマゴで。そんなこと言えるはずない。
父は普通のサラリーマン。総務で部長まで行った。クロが影から手助けしてやっと部長の地位につけた人だから、やさしいだけの凡人だ。会社とか総務とか、この世界にないボキャブラリーだったので単に端折っただけ。
父母の複雑な事情?
父の目の前で、地球に墜落した母が、父にタマゴを託した、母は謎の大怪我を負っていたので、それが原因で間もなく死んだ。お人好しの父は、タマゴから生まれたクロを育てた。そういう複雑な事情である。
だから、貴族なんて要素は一つもない。
クロの物怖じしない態度は、生まれもっての性格によるものだ。
「あの国は、こことは少し文化が違う。周りが海なので防衛の認識が低い。頭の中に平和のお花畑が広がっているお偉い様が多い。伯爵様以上の方々は政治に関心が薄いかな? せいぜいが男爵クラスの方々が政治で儲け、もとい……運営している。悪いことではないね。それだけ文化文明に予算を割けるから。そうだねぇ……」
当たり障りのない平和な話をしておき、リュディから視線を外し、ちょいと考えてみる。
平和ボケしてる非好戦的な国って事以外、詳しく話さない方が良いよね。この世界にない国だし。
ミリアムが、お願いです、もっと盛り上げてください。話を膨らませて! と目で訴えてきている。
ピアノの音色が早く言えとせっつくようにテンポを速くした。
だが、クロはこれ以上まともに話すつもりが無かった。話をそらせたい。アレを利用しよう。
「ああ、わたしの里にもピアノがあったよ。ほとんど同じ楽器だ。そうだ、良いことを思いついた。わたしの里の文化の一面を知ってもらうに良い方法がある。失礼するよ」
クロはピアノに向かって歩いていった。
「少しだけ代わっていただけますか?」
ピアノを演奏していたアドリーヌに声をかける。
「クロ様もピアノを修めておいでですか?」
「子供の頃、習った経験がある。稚拙な遊戯だ」
アドリーヌと代わってもらったクロは、指を慣らすためと、この世界の音階を調べるため、適当に指を鍵盤に走らせた。地球のピアノと同じだった。この世界、楽器は高水準にあるようだ。
……各国の戦力が魔宮魔界へと向かっているから、滅多に起こりえない戦争に金掛けなくていいからだろうね。
「クロ様! ピアノがお上手!」
クロが即興で奏でるピアノは様になっていた。学生であった頃の一時期、真剣にピアノ教室へ通ったことがある。瞬く間に音大生並の実力を身に付け、先生を脅かしたものだった。
「わたしも習おうかな!」
ご令嬢方が、椅子から立ち上がってピアノをのぞき込んでいる。
「こちらへ来るかい?」
クロは流し目をリュディアに送った。
「よろしいの!」
ばっくり食いついた。
「近くで聞きなよ」
「お言葉に甘えまして!」
クロが誘うと、瞬時に行動へ移る令嬢達であった。
さて、鍵盤の上で指を自由に遊ばせつつ、頭の中では何を弾こうかと考える。
「クロ様はどうしてピアノを?」
「うむ、恥ずかしい話なのだが、子供の頃、憧れていた男の人に好かれようとして手習いを始めたのがきっかけかな?」
「えっ! クロ様が男の人を!」
憧れの人とは父親のことなんだけどね。ピアノの生演奏を聴きながら赤ワインを飲みたいと言ってたので、話に乗っただけだ。ちなみに父はワインでアレルギーが出た。
クロは少しばかりの悪戯を試みた。
「好きになるのは男でも女でも関係無いじゃないか」
令嬢方が醸し出すザワッとした感覚が背中から伝わる。
「クックックッ!」
狙い通りの反応がおかしかった。
さて、選曲だが……リストを弾いても良いのだが、それでは当たり前すぎて面白味に欠ける。
どうしよう? ……こうしよう!
「普通に弾いても趣がないので、この音とこの音――」
クロは鍵盤の二カ所の音を出した。ソとレに相当する音だ。
「――これを外した5音で演奏してみましょう」
できるの? できるのかしら? 疑問符が行き交っていた。
「では」
今度はゆっくりした曲調。日本人なら知っている。
さくらさくら。
江戸末期に作られた、お琴の練習曲である。
この曲、都節音階で作曲されている。ご存じの方もおられるだろうが、都節音階にソとレの音がない。狡い!
狡いがアリバドーラにはない曲調である。そして突飛すぎない。変調も少ない。耳の障りは悪くない。
――さくらさくら花盛り――
長めの余韻を残して演奏は終了した。
一呼吸の間が空いて、拍手がわき起こる。
「お姉様素敵!」
大絶賛のリュディ。クロの株が爆上がりする。
「いやいや、はっはっはっ! それほどでもあるよ。人を乗せないでくれたまえ」
こういった小技でマウント取りに行くのがクロ。チョコちゃんなぞは委細かまわずお菓子を食べている。これが正しい対処法だ。
だが、リュディのテンションはマックスだ。
「クロ様は、殿方から、どの様な告白がお望みですか?」
乙女の夢であり、ここにいないハドス伯爵への嫌みでもあり――
「そうだね」
クロが立ち上がる。
「え?」
リュディの腕を取り、壁際へ誘う。リュディはクロの意のままに身体を操られる。合気の応用だ。
「な、何をなさいます?」
リュディはクロに操られるまま、壁に背中を付ける。
リュディの顔に真横にクロの掌底がドン! びっくりするリュディ。
そして顎をクィ!
クロは顔を近づける。リュディは顔を逸らそうとするが顎に手を置かれているので自由が利かない。
「ひっ!」
クロの親指の腹がリュディの下唇を撫でる。
近づけたクロの唇が小さく開き、綺麗な歯並びが見える。
「わたしの妻になりたまえ」
「はい!」
リュディが落ちた。
『キャーッ!』
声なき声が2人の令嬢からと2人の女官から上がった。みんな顔を赤く染め、口元に手を当てている。
クロはパッと手を離し、即座に離れた。
「座興はこのくらいにしておいて、お招きいただいたお礼に、リュディ様にお土産を持参いたしました」
「お姉様からのお土産!?」
リュディのドキドキは止まらない。それを見てほくそ笑むクロ。息継ぎはさせないよとばかりに。
「執事君、わたしの荷物を持ってきてくれないかな? もちろん、中身の安全は確認したよね?」
「もちろんです。『女官』に確認させました。私は中身を存じません」
執事が頭を下げる。女子が持ち込んだ荷物は女子が確認する。マナーだ。
そして、執事は中身を知らないという。知らないはずはない。知ってるのだが、口には出せない品物だと言うことだ。
「こちらに」
クロが持ち込んだ鞄を持ってきたのは執事長だった。
執事と執事長、男2人が気を利かせて退席した事を確認してから鞄を開いた。
取り出したのは――白くて可愛いレースが付いていて――
「ひょっとして、う、噂のブラジャー? ですか?」
「はい。これが『大人の女』の肌着です」
おとなのおんな! そこに全員が反応した。
「アスロット伯爵夫人が使っていた! 社交界で話題騒然の! ベルゼ公爵夫人が大急ぎで作らせているという噂の!」
「はい。アスタロット伯爵夫人の品物よりも、より洗練されて、若い女の子にふさわしいおしゃれなデザインを新たに興し、ベルゼ公爵夫人より速く仕上げて、お持ちいたしました」
「どうしてこれをお姉様が!? まだ『至高の貴婦人』でも注文順番待ちですのに!」
「何を隠そう。ブラジャーはわたしが開発し、ヘレーネに作らせた物なのです。リュディ様のため、わたしが一からデザイン致しましたジュニア用第一号です。どうぞお手に取りください」
「信じられなーい!」
手にしたリュディは顔を真っ赤に染めている。ミリアムとビクトリーヌは、興味津々、食い入るようにのぞき込んでいた。
「ここだけのお話、ブラジャーとは形を矯正する為の物ではないのです。本来、健やかに形成される為の補助具なのですよ。矯正は補助機能に過ぎません」
諸説有り。営業トークとも言う。
「わたしの里ではごく一般的な肌着なのです。使い始めはリュディ様方のお年頃がベストです。不敬罪を恐れずに申し上げますと、某御夫人が使い出されたのは少々遅かったようで」
アスタロット伯爵夫人のブラはシックな黒がベース色だ。豊かなバストを収め、吊り上げるための巨大なカップ。そこに深紅のレースを何重にも飾り付けた妖艶なデザインが、アスタロット伯爵夫人の色香を増幅させている。例えるなら、男を捕らえて放さない食虫植物の花弁であろう。
恐る恐るリュディが手に取ったブラは、純潔を意味する真っ白な生地。何とも可愛いサイズのカップが左右一対。薄いピンクも可愛いレースがあしらわれている。例えるなら清楚なシロツメクサである。
ちなみに、クロは、ミリ単位まで計測できる目測能力を有している。前回のいざこざの際、この力でリュディのお胸を計っておいた。
それを見つめる少女達の表情は、恥ずかしいのと、秘密なのと、女の子のと、大人の女なのと、可愛いのと、いろんな情報が大量に入り交じっていた。
「これはこの世に一つしかない、わたしが考えたリュディ様専用の試作品です」
「お姉様がわたしのために!」
リュディの目がハート型している。完落ちだな。
「リュディ様の見た目を元にサイズを起こしました。着用なされた後、『至高の貴婦人』ヘレーネ店長へ不具合を申し出てください。彼女がサイズを修正いたします」
「あ、あのー」
ビクトリーヌだ。
「わたしも作ってもらえますか?」
ふわっとした印象しかない彼女だが、中々どうしてどうして、芯は太いのを持っている。ゆるふわ系は偽装。真の姿は格闘系と見ている。いわゆる公の場での護衛だ。
「ヘレーネに話を通しておきましょう。わたしの名前を出していただければ、優先的に作ってもらえますよ」
「有難うございます! もうもう、どうしようわたし!」
ビクトリーヌが落ちた。
「もちろん、ミリアム様もね!」
「絶対行きます! お姉様ッ!」
ミリアムも落ちた。
「はっはっはっ! ご希望の色やデザインが有れば、その際ヘレーネに申しつけてください」
成長期の彼女たちは、数ヶ月に一度作り直さなければならない。そう持ちかけるようヘレーネに話してあるし、当然のように理解している。
王女様、並びに近しいお友達が使っている新製品。社交界を席巻するのも時間の問題であろう。
ちなみに、販売価格の1割をクロに回す契約が成されている。
こうして、秘密のお茶会は成功の内に終わった。




