たらしこみ
アドリーヌが紅茶を入れている。彼女も頬を赤らめ、クロをチラチラ見ながら。
「良い景観ですね」
誰も何も話し始めないので、クロが当たり障りの無いことを口にした。
上を見上げると、巨大なキャンバス生地のターフが日陰を作り、薄日だけを通している。
リビングっぽい大部屋の掃き出しが解放されていた。解放口とテラスが繋がっていて出入りが自由になっている。部屋方向にも空間が開かれているので開放感がすばらしい。
板張りのリビングの奥に小洒落た台所が設置されている、ここで簡単な料理を作って客に提供するのだろう。手前にはピアノが置かれている。
奥からマルガリーテがやってきて、軽く一礼。ピアノの前に座り、軽やかな音楽を奏で始めた。なかなかに心地よいBGMとなる。
たまには、このようにリッチな気分を味わうのも良かろう。
チョコがフーフーしながら一生懸命にお砂糖をたくさん入れたお茶を飲んでる隣で、クロは紅茶の香りを楽しんだ。
お向かいのご令嬢三人は、あなたからお声をかけなさいよ、とか、わたしはそんな! とか何かの譲り合いをしている。
「あ、ああの、クロ様!」
どうやらリュディが声をかけるようだ。勇気を振り絞って声をかけた。裏のメインゲストであり、表のホストであり、ピンクの立ち位置なんだから仕方ないよね。
「なにか、わたしに聞きたいことでもあるのでは? 貯金額以外なら何でもお答えしよう」
クロはカップを置き、長い足を組んだ。
「クロ様は、あの超速クロ様なのですか? 魔界へは何回潜られましたの? 好きな殿方はおられますか? どのような魔界攻略方なんですか?」
ちょっとしたオヤジギャグに気持ちがほぐれたのか、リュディはどんどん聞いてきた。
途中、変なのが1個混じっていたが。
「ああ、うんそうだね……」
クロは片肘をつき、手に顎を載せた。演じるのはアンニュイな雰囲気。
「わたしのことを世間は超速クロと呼んでいるらしいが、実はね、それを知ったのは一昨日のこと。ここの執事長さんの口が初めてだ」
まぁー!
とか声を揃えて驚いている。
良いね。何言ってもウケる。芸人冥利に尽きる。芸人じゃないけど。
「知り合いの攻略者に裏を取った。なんでも魔界を攻略して帰ってくるのが速いからとか、素早い戦闘スタイルなんかが理由になってるらしいねぇ」
紅茶を一口飲んで間を開けた。ご令嬢達は身を乗り出して、次にクロが口を開く時を待っている。
「次は、魔界へ潜った回数だったね。ここの魔界で8回になるかな? そうそう、友人のチームと一緒に潜ったのがもう1回有ったかな? 潜った数は9回だけど、魔王を倒した数なら8回だね」
まあ、8回も! と声が上がる。
クロは意識的に目を伏せた。
「好きな方とは、男ですか? それとも――」
上げた視線でリュディの瞳を捕らえる。
「――女性ですか?」
黄色い声が上がった。
クロはそれに答えを出さないでおく。実際居ないし。レニー君を出すとややこしくなるし。童貞の説明から入らないとおもしろさが伝わらないし。ここで童貞の話をすると、牢屋に入れられるだろうし。
「浮ついたお話は黙秘させていただくとして、魔界攻略方法ですが、あらかじめスケジュールを決めてまして――」
クロの話は続く。時折危機を混ぜるものだから、荒事に馴染みのないご令嬢様方は身を縮ませること多数回。
いつの間にか、チョコちゃんがリュディのお膝におっちょんしている。
「ほっぺたと顎がモチモチなのよ」
「どれどれ!」
「わたしにもさわらせて!」
大人気だ。良きかな、と、クロも眺めている。チョコを虐めるヤツは絶対殺すウーマンであるクロは、逆にチョコが可愛がられるところを見るのが大好きウーマンなのだった。
軽やかなピアノの音色も、場の円滑さに寄与していた。
突然の事である。
これまでキャイキャイとご機嫌だったリュディが、いきなり不機嫌な顔になった。
「ご歓談中のところ、失礼いたします」
タオルを腕に掛けた執事長が、クロの斜め後ろに立つ。
そのまた後ろに、第三者の男が立っていた。中年一歩手前の優男である。貴族顔の美形寄り寄りの普通。
……目がね。切れそうだけど若いね。
こういう手合いは、味方にしろ敵にしろ用心するべき。クロの経験が物語る。
「ハドス伯爵でございます」
「やあ、みなさん。来週ここを使わせてもらうので下見に来たのですが、リュディヴィーム様がお見えと聞き、ご挨拶に伺いました」
「気を遣っていただかなくて結構よ。それと、ここにいるのはリュディヴィームではなくリュディ!」
「これは手厳しい」
リュディの対応がしょっぱい。2人の間に何があったのか? 男と女だし、首を突っ込んではいけないとクロの宇宙人センスが警報を発した。兎弐角流合気道術奥義・兎隠れの術で気配を消した。
「おや、そこにおられるのは巷で有名な超速クロ殿では御座いませんか? これはこれは、まさかかような有名人に会えるとは!」
術は失敗した。というか、本命はわたしだな。クロはそう考えた。という事は……。
仕組んだのはハドス伯爵。乗せられたのはリュディ様。そして協力者は――
考えるのは話しながらでもできる。お貴族様への挨拶が先だ。
クロは椅子から立ち上がる。
「攻略者のクロです。初めましてハドス伯爵、と申し上げたものの、わたしは伯爵様をよく知っております。勇者殿が魔界へ潜られた際、魔宮内でお見かけいたしました。なんでも、攻略者のほとんどが憧れの勇者殿と仲がおよろしいとか。うらやましさこれ極まり」
攻略者のほとんど。攻略者全てとは言わない――もちろん、クロも除外者の中に入っている――。「攻略者全てが憧れの」と嘘をついても問題のないシーンであるが、クロの性悪な部分が顔を出したので、湾曲な物言いに変わってしまった。
「ほほう、確かに、勇者アロン君とは友情を結んでおります。あの者、こちらに来た際は、我が館を宿泊所と勘違いして泊まっていきますよ!」
「なるほど、それは実にうらやましい」
全然うらやましくないが、おべんちゃらの一つとして、当たり障りの無いことを言っておく。
「あまり長居してもお邪魔なだけのようですから、――」
ハドス伯爵は、リュディの不機嫌さをあからさまに気にするそぶりを見せた。
「――私はこの辺で失礼することにしよう」
とたんにリュディの機嫌が良くなる。
「それでは皆様、ごきげんよう。クロ君、いずれまた」
優雅な一礼。ハドス伯爵はクロを悪戯っぽい目で見つめてから、背を向けた。
――いずれまた、ねぇ――
ハドス伯爵の姿が見えなくなってからクロが口を開いた。
「リュディ様と伯爵の間に何かありましたかな? ハドス伯爵と言えば、議会内最大派閥を率いるお方。将来有望の貴族議員であらせられる。その手腕は下々の者まで知る、傑物として有名なお方」
「クロ様、クロ様!」
知的な雰囲気の青い令嬢、ミリアムが慌てている。
「ハドス伯爵とリュディ様のご関係が少々混み合っておりまして――」
「いいのよ、ミリアム様。はっきりとクロお姉様に申し上げて。元婚約者『候補』『だった』と」
リュディは公然と言い放った。
ふふーん。
クロの目が嫌らしく光る。ここで流せば良い女で終わり、突っ込めば性悪女で終わる分水嶺だ。
「候補、だった、のですか。なるほど、それはそれは」
向こう側へ一歩、大股で踏み込むのがクロである。
「して、愛の言葉などは御座いましたか?」
一方、思わず目をつむったミリアム嬢。
嫌なことを思い出したのか、眉間に皺を寄せるリュディ。
素知らぬ顔で中身を飲み干したカップに口を付けるビクトリーヌ嬢。
誰もが口を噤む中、当のリュディが口を開いた。




