事案・面倒事
「クロ! あんた金づる、もとい……お嬢様をおんぶしな!」
女将さんの目がこわい。
「へいへい。ところで、君達、お嬢様の無事を保護者の方に知らせなくて良いのかい?」
「はう!」
「あああっ!」
人間、狼狽えているときこそ冷静さが必要だ。狼狽えている人に、それはちと酷な話だが。
「はっはっはっ! 仕方ないねぇ。これから、この町一番に親切なイルマ婆さんが経営する宿屋へ、お嬢様、お嬢様で良いよね? お嬢様をお連れして応急手当てするから。宿の場所を確認した後、どちらか1人が護民官の詰め所なり何処へなり連絡に走るが良いさ」
「はい!」
返事が良かった。指示され慣れてるなぁ……。
「ではお嬢様。背中にどうぞ」
クロは背中を向けてしゃがみ込んだ
「はいっ!」
嬉々とした返事が良かった。
足の痛みもどこへやら。いそいそとクロの背に体を預けるリュディ。頬が赤い。目が妖しい。
「ああ、しゃがみ込まれたお姉様のお尻が丸いですわ! 今からお姉様のお背中に! くんくん! 良い香り。温かいですわ! 柔らかいですわ。わたくしの体がお姉様と接するのですね。ああっ、恥骨が触れる! わたくしのささやかなお胸がお姉様の背中に押しつぶされて!」
「女将さんの言ったとおりだ。文字通り面倒ごとを背負い込んだ気がする。はい、乗ったね? 立つよ」
リュディの太ももを抱え込んで立ち上がる。
「お姉様の手が! お姉様の手がわたくしのお尻から太ももに移動して! 優しくしてくださいまし」
「くっそー! 見かけによらず濃ゆいぞ、このお嬢様!」
ということで、リュディをイルマ女将の安宿・女神の加護亭へ連れていくこととなった。
安宿、女神の加護亭。その食堂で。
頬を赤らめるリュディを椅子に座らせ、クロはかがみ込んでいる。
「これより包帯で固めます。チョコちゃんを撫でてお待ちください。チョコちゃん、お願いします」
「はーい!」
チョコは当然の様にリュディのお膝におっちょんした。ふさふさの尻尾がリュディの顎を撫でる。
「え?」
驚くお嬢様。
「獣人の分際でなんてことを!」
目を吊り上がらせるマルガリーテとアドリーヌ。
クロは2人の侍女を無視してセリフを続けた。
「ここをね、こう撫でるんだよ。気持ちいいよ」
クロは手の甲をチョコの顎にそっと這わせる。気持ち良さそうな目をするチョコちゃん。
「こ、こうですか、あ、柔らかい! 気持ちいい!」
お嬢様はチョコちゃんのチート能力に夢中だ。マルガリーテも触りたいのか、「獣人の分際で」とかぶつぶつ言いながら手をニギニギしている。
3人はクロの目論見通り、チョコに視線が向いている。
女将さんはお茶の用意で台所にすっこんでいる。
チャーンス!
クロは、こっそりと体内に溜め込んでおいた魔素を聖神力へ変換した。ちょろっと光る青い光球を手のひらに隠し、リュディの患部に当てた。コインマジックの要領を使った。
「よっし!」
思った通り、聖神力を傾けた分だけ患部の腫れが引いていく。痛みも少なくなったであろう。
バレないウチに手早くサラシを巻く。端を歯で噛み切り、ピッと裂き切る。さらに歯を当て、縦に切れ込みを入れ、紐として括りつけ包帯のずれを無くす。
「テーピングオッケイ!」
お嬢様の足首はサラシ布でガチガチに固められた。
実はリュディお嬢様、布を切る音に反応して、クロを見ていた。手際よく包帯の処理をする様と、手慣れた者特有の信頼感が、よりお嬢様の心を掴んだ。
つまり――
「お姉様、素敵!」
頬を赤らめるリュディのバックに百合の花が咲いていた。
「お嬢様の怪我は大したことない。明日には腫れも引くだろう。ところで、お嬢様の無事と怪我の具合と現在位置を確認し終えた君たちは、どこかへ何かを伝える義務があるのでは?」
「はっ! そうです! では私めが護民官の詰め所まで走って参ります! マルガリーテ、後をお願い!」
アドリーヌが走っていった。
「はい、お茶が入ったよ。お茶飲んで落ち着こうね」
女神の加護亭の女将さんこと、イルマさんがお茶の入ったカップをトレイにのせてこっち来た。
「このような下せんな飲み物を姫様に「姫様!?」――」
この一言を逃がすクロではない。
「いまヒメサマって聞こえたのだけど? てっきりリュディお嬢様は大店の娘さんかと思ってましたが、お城のお姫様でしたか?」
「……お、お嬢様に!」
「お嬢様なら、町のお茶くらい飲むでしょう?」
「の、飲みますねぇ……」
設定を貫き通す姿勢は立派だった。
「マルガリーテ。命の恩人に失礼でしょう。有り難く頂きましょう」
リュディはカップを手にとって、口を付けた。
「あら、香ばしい! おいしくてよマルガリーテ。あなたもお飲みなさいな」
「はい! 頂きます。あら! 香ばしい!」
カップの中身は麦茶である。紅茶に比べ、味や香りに品はないが、煎った大麦のガツンと来る香ばしさがお嬢様のお口に新鮮だったらしい。
「ここにリュディヴィーム様がおいでと聞くが、おお、ご無事でしたかリュディヴィーム様! お迎えに上がりました!」
簡素な鎧姿の者が3名。女神の加護亭にドヤドヤと入ってきた。
「ご苦労様です。怪我は大したことありません、お茶を頂いたらすぐに参りましょう」
「悠長なことは言っておられません! 不届き者がいないとは限りません! 今すぐに参りましょう! さあ、姫様!」
隊長格であろう、最年長者が強引に話を進める。ズカズカとリュディに向かって近づいていく。
クロが隊長の前にしゃしゃり出て、お嬢様に手を貸そうとしている。
隊長の進路を妨害した形だ。
「ああ、すぐに用意した方が良いとわたしも思うよ。ところで君!」
クロが隊長に向き直る。
「ずいぶん速いね。お女中が知らせてくれたのかい?」
「ああそうだ。姫様の捜索に走りまわっていたところ途中で出くわした」
「確かに女中のイルマさんだったかい? 彼女ちゃんと自分の名前を言ったかい?」
「イルマと言っていたが?」
「なら安心だ。どうぞ、姫様をお連れください」
クロは頭を下げて礼を尽くした。
「うむ、殊勝な心がけだ」
クロの態度に気を抜かれてしまったのか、隊長から緊張感が無くなった。
「あー! しまった!」
クロが大声を上げて腰を伸ばした。両手で頭を抱えている。
「ど、どうした?」
キョドる隊長。
「間違えた! イルマって、そこの婆さんの名前だった!」
言うなりクロはテーブルを倒して、リュディ達を隠す。
「偽物だね、君たち! 来るのが早すぎるから疑われるんだよ! あと顔が下品だ。一目で分かったよ」
「ばれちゃぁ仕方ない。温和しくゲチョッ――」
クロの蹴りが隊長の股間に決まった。イキってる最中に攻撃。クロの得意技だ。隊長は、両手を股に当てて前のめりに崩れていく。
残り2人は抜刀済み。手練れだ。1人めがクロに向かって踏み込んできた。
剣は腰だめ。鋭い突きが繰り出される!
クロは素早く回転して突きをかわし、勢いそのまま肘を剣士の顔面にめり込ませる。堅い物が砕ける音。剣士が鼻血を出しながら仰向けに倒れた。
二人目と対峙するクロ。防御を無視して突っ込む。二人目の剣士の前からクロが消えた。
クロは低くしゃがみ込んでいた。鞭のようにしなる下段回し蹴りが、2人目の膝の皿を容赦なく砕く!
振り切った足で大きく円を描きつつ持ち上げ、転がった剣士の顔面に踵を落とした。
こちらも堅い物が砕ける音と水っぽい音がした。2人目も意識を失ってしまった。
「はーい、終了! みんな出てきて良いよ。チョコ副隊長、連中を縛り上げるの手伝って!」
「りょーかい!」
「縄を持ってくるよ! 損害は姫様が払ってくれるんだろうね?」
この後すぐ、正式な武装集団がやってきて、リュディ達を回収していった。
女将さんは迷惑料として「一時金」を奪い取った。あくまで一時金なので、いずれ日を改めてお礼が届けられるらしい。
「うひひひひ! 人助けはしておくもんだねぇ。イヒヒヒヒ!」
「王宮も、どえらい魔女に恩を売ってしまったようだね」
その夜。
草木も眠る頃。クロは宿の玄関から外へ出て行った。ズボンスタイルの普段着である。見たところ、武器は持ってない。
「じゃ、チョコちゃん。鍵掛けてね。ベッドへ入って寝てなさい」
「うん」
チョコは眠そうに目をこすっていた。
クロは星明かりしか届かない夜の町を歩く。目的地は近くの空き地。昨年、火事で焼けたところ。廃材が撤去され、広場になっている。今年の秋から何かが建設されるらしい。
クロは空き地の中央まで進んで、くるりと踵を返した。
「ここでやろうや。暗殺者諸君!」




