泣く
「うっ、うごぁーぁあああーあああーん、うああああああーんあーん!」
声を出したら涙が飛び出た。涙が出たら声が出た。声が出たら涙が溢れ。後はだくだくと流れて……涙の量が多すぎないか?
涙の量も異常者だった。キツネ耳の幼女を抱いて泣く姿も異常者だった。
「おおうっ! ううっぅっ! ……も、もう大丈夫です。お見苦しいところをお見せいたしました。恥じ入る次第……」
泣き終わると、すっきりした顔になっていた。憑き物が落ちたみたいに、涼しい顔立ちになっていた。
本来、ストーカー君の顔はこんなだったのだろう。
「有り難う御座います」
「どういたしまして!」
ストーカー君は、チョコから離れた。
「クロ店長、並びにチョコ副店長の配下となりましたからには、もはや前の主は用済み。ちなみに、わたくしを使っていた前の主の名は――」
「それいい! 言うな! 黙れ! 名前を聞くと余計な苦労を背負いそうだから、話すな!」
「店長がお望みとあらば……。しかし、よろしいので? かなりの大物ですよ」
「だから聞きたくないと言っている」
何となく座がしらけた。空気を敏感に察したクロは話を一旦反らす事にした。
「コホン! しかし、あれほど大声をだして泣いていたのに、誰も起きてこないな? 女将さん辺りが怒鳴り込んでくると思ってたのに」
「皆さん、クスリを使って眠ってもらっています」
「永久にかい?」
「いえ、朝までぐっすりと。疲れが吹っ飛ぶ、もとい……疲れがとれる効果が期待される薬です。身体に異常は起こりません。健常者なら」
「常習性はあるかい?」
「一度だけの使用なら問題有りませんが、2度3度となると……」
「それならいい」
クロはあまり深く考えないようにした。
「ちなみに君、名前は? いつまでもストーカー君じゃ締まらないし」
「な、名前はありません。いえ、有るには有りますが、全部適材適所で使い分けておりまして、どれが本当の名前かと言われましても。第一、これまで名前なんて必要のない人生でしたし。ストーカーでも何でも適当にお呼びください」
「とんだ人生だね。では、こうしよう。前の名前は全部捨てなさい。わたしが新しい名前を付けてやろう。それから、その気色悪いお面を渡しなさい」
はい、と手を出したチョコに、お面を渡した。
「名前に必要性を感じませんので、ブレスでもストーカーでも結構ですが」
「ストーカーに拘るね。うーん、何かいいのないかな?」
ストーカー云々は無視して、クロは何かヒントがないかと部屋中に視線を走らせる。
たとえばググレカス……この世界に検索エンジンはない。却下!
目に付いたのはチョコが手に持つ気色悪いお面。これで妥協しておこうと適当に決めた。
「お面、マスク、……アナグラムしてマクス。語呂が悪い。某監督のジンクスを採用しよう。ンを挿んでマンクス。だめだ。促音を入れてマックス。おお! いいねぇ、マックス!」
「はぁ、マックスですか?」
「レベルがマックスとか言って、最大級を意味するのがマックス。某戦闘機モノのエースパイロットと同名。早撃ちガンマンの意味もある!」
早撃ちマックスは女性に対するエッチな行為に関係する俗語である。連射の利かない速射砲の事だ。
「マックス……それがご主人から頂いた名前。初めての賜り物。真名……」
マックスは、少年のように頬を紅潮させていた。クロは一歩後ろへ下がった。未だに採用不採用で悩んでいる。
「それでは、早速ですが、マックスとなりましたこの私に何なりとご命令を! 何を盗みます? 誰を調べます? それとも誰かを殺しますか? 証拠は残しません。実績は豊富です。万が一捕まった場合はすぐ死んでご覧に入れます! さあ、ご命令を!」
クロはさらに一歩下がった。重いよコイツ!
「そ、そうだね。……じゃ、マックス君は、ブラックチョコレート商店の商品調査開発部長に就任してもらおうかな」
「商品調査開発部長! わたしが役職持ちに! 二束三文で使われていたわたくしが、部長職に!」
クロはもう一歩下がった。壁に背中が付いた。これ以上、下がれない。
「で、では具体的な当面の業務命令を言い渡す!」
「謹んで拝命いたします」
返事が速い。
「こほん、アリバドーラ及びアリバドーラに隣接する町や国、その他、重要と思われる町や国に出張を命じる。そこで調査をしてもらいたい。調査対象は現在流行っている各種商品や文化。適当な時期に中間報告。その他何かあったらマックス君の判断で報告してくれたまえ。こちらは報告を受けて修正指示を出す。これは我がブラックチョコレート商店がいずれ取り扱うであろう商品の事前調査である。マックス部長の成功如何によって商店の興亡が決まる。これを遂行する自信はあるかね?」
「じゅ、重大任務じゃないですか! もちろん、一命を賭して! 死して屍拾う者なし!」
「言い忘れていたが、人を殺してはいけません。主にチョコちゃんの情操教育の面から」
釘を刺しておいた。
「殺さなくていい? わたくしはもう人を殺さなくていい?」
まただ。また、知らず知らずの内に、どこかの欠落した部分を埋めてしまったようだ。
「マックス部長は殺人が嫌いなんだね?」
こくりと頷いた。
下を向いたまま、何かを考えている。顔を上げると、また一つ吹っ切れた空気をまとっていた。
涼しい目元に穏やかな表情。もう魔界で戦った人物とは別人だ。
「では、これより任務に、もとい……仕事に取りかかります。つきましては仮面を返してもらえますか?」
「これ? 不気味だから。子供が怖がるから、使用禁止」
「そ、それではどうやって仕事をせよと? マスクがあるから大胆な行動がとれるのですよ!」
サングラスと不繊布マスクを付けていれば、会議でジャンジャン発言するタイプだった。
「じゃ、かわりにこれをあげるね」
チョコが荷物に手を突っ込んでゴソゴソしている。
「あった! はい!」
取り出したのは狐のお面。
「あ、ありがたく頂戴いたします」
マックスは、狐のお面を恭しく受け取った。戸惑いを顔に表わすマックスではない。プロだから。
「それとこれ、お返し致します」
マックスが胸の内ポケットより大事そうに取りだしたのは、シワシワで丸まった布。
広げると、女性物のショーツ?
「ポケットにねじ込まれていました。店長のでしょう? お返し致します」
「う、うん」
恥ずかしそうにそれを受け取るクロ。
クロも罠を仕掛けていた。下着を忍ばせておくことで下着泥棒の変質者に仕立て上げようとしていたのだ。男にとって、返し技無効となる嵌め技が仕掛けられていたのだ。やり口が汚い!
「仕事を承ったからには急がなきゃ。それではこれより仕事に取りかかります。吉報をお待ちください!」
ドルンと気持ち悪い動作でドアから出て行った。
クロとチョコはお互いの顔を見合わせていた。結局なんだったんだろうね? とばかりに。
「ま、まあ、優秀な情報部員を手に入れたと思えばいいか。世界情勢が判るだけでもアドバンテージが違ってくるし。しばらく顔見なくてすむし」
「ねえねえ、お姉ちゃん。まっくす君におこづかいをわたさなかったけど、だいじょうぶかな?」
「あっ!」
クロは口に手を当てた。忘れていた。
「給料の話、しなかった。……まいっか。無給で働いてくれるみたいな空気だったし」
ブラックチョコレート商店はブラックだった。
「もうこんな時間だ! とりあえず今日は寝てしまおう。明日になれば今日のことは無かったことになってるかもしれない」
「ねようねよう!」
チョコがお布団に潜り込んだ。クロもチョコの横に潜り込む。
「わたし達は週休3日以上を遵守してるけど、あいつそれ知らないだろうしな。いや、わたし達のストーカーしてたから情報は持ってるはず。……だいじょうぶ、きっと乙女の秘密は守ってくれる」
クロは目をつぶった。




