怒り
「あんたを殺すとわたしはどうなる?」
クロは怒っていた。
「勇者の連れを殺した女だ。勇者側から圧力が掛かる。国側からも、ギルド側からも、国民からも、宿の女将さんからも、世話になってる人たち全部からだ! わたしにあんたを殺せるわけないだろう? わたしは手加減しなきゃならない。それなのにあんたはわたしを殺そうと全力で来る。理由も言わずに! なんだよこれ? あんたは特権階級なんだよ! お貴族様なんだよ! 何が正々堂々とだ、バーカバーカバーカ!」
胸の内を一気に吐き出す。だが、呼吸は乱れていない。戦闘態勢を解いていない証拠だ。
激しい口調は一転。いつもの流れるように人をなぶる口調に変わる。
「ブローマン君、特権に守られる気分はいかがかね? 政治が守ってくれる生活ってさぞや楽しいんだろうねぇ? 何をやっても上がもみ消してくれるだからねぇー、うらやましいねー、良いご身分だねぇー。手加減している女に全力で打ち込んでいて楽しかったかい? それとも嬉しかったのかい?」
胸の内でどす黒いエネルギーが渦を巻く。主脳が熱を持ち、それどころか主脳の抑えになるべき副脳まで温度が上昇している。脳の自動洗浄機能が機能しない。
振り上げた拳はまだ降ろしていない。降ろす先が見あたらない。自然冷却を期待して、帰るしかないのか?
「……チョコちゃん、帰るよ」
チョコは物言わずクロの元へ歩いてきた。とぼとぼと。
「チョコ?」
うつむいたまま。耳は垂れ、尻尾を引きずって。
クロが差しだした手をそっと握る。チョコの手が硬い。いつもの柔らかさがない。汗ばんでいる。
「どうしたチョコ? 怖かったのかい?」
努めて冷静に声をかける。
「叱らないで、お姉ちゃん。チョコは良い子にしてるから」
泣きそうな声で。まるで自分がこの後、折檻を受けるような……。
「あ、ああ、そうか」
クロは人より遙かに頭が良い宇宙生物だ。チョコの態度を瞬時に解析した。
ドメスティックバイオレンス。チョコは家族や仲間からDVを受けていた経験がある。その経験がチョコを縛り上げているのだ。
家族が不機嫌になる。怒りを露わにする。その矛先、振り上げた拳の先が弱いチョコへ向かう。
クロという保護者で大人が怒る。その後、チョコが厳しく叱られる。肉体的、精神的暴力が振るわれる。力も知恵もない幼いチョコは、ただ謝るだけ。怒りが納まるまで大人が暴れるに任せるしかなかった。
「チョコちゃん、お姉ちゃんを慰めて。みんなが虐めるぅー」
そう言ってクロは、膝を折り、チョコに抱きついた。抱きつかれたチョコは目を白黒させている。
「チョコの耳の産毛が、ほっぺたのプニプニが、ふさふさの尻尾が、モフモフの体毛が……」
クロはお芝居でそう言っていたのだが。そう言っていたのだが……
あれ? チョコちゃんのフワフワで癒されるぞ?
「お姉ちゃんを癒すぅー」
癒された。チョコの体に埋めて思い切り息を吸い込む。お日様の匂いがする。
あしたから、たたかえるきがした。
「お姉ちゃん?」
チョコの体から力みがとれる。温かい体温がクロの体に染み入る。
クロは光や熱を直接エネルギーに変換して取り込む。宇宙生物だ。
チョコの体温は、それらとは別物のエネルギーだった。
もうどうでもいいや。
「チョコちゃん、これからもずっとお姉ちゃんが落ち込んだら、今みたいに慰めてね」
「うん! お姉ちゃんをぎゅっとしてあげる!」
クロが元気になるとチョコが元気になる。チョコは、自分がクロを元気にすることが出来ることを学んだ。
チョコの目を見つめ、ほっぺにキスをする。くすぐったそうに首をすぼめるチョコ。
「じゃ、帰ろうか? みんなにご挨拶なさい」
「はーい! じゃ、おじちゃん、またね!」
「待て!」
ブローマンだ。声を出せるほどに気力と考える力が回復したのだ。
「敗者である私に何を望む!」
クロはドングリの目をしていた。
「くっくっくっ、忘れたままにしておく方が屈辱的で……って訳にはいかないようだね」
アレッジが騎士の目をしていた。何か声を掛けようとしていた。それはクロに対する説教だろうと推測できた。ジジイの説教は長くなるから嫌だね。あと自慢も混じるし。
「えーっとね、そうだね。死を覚悟したようでその実、心のどこかで死ねるんだ、これで楽になれるんだと思って安心してしまったブローマン君に対して望むことだったよね?」
「お前、いつも人に対して偏見が酷ぇよな!」
アレッジのツッコミである。
「そうだねぇー、『金輪際わたしと戦うな』、これでいいだろうか?」
「よろしい!」
アレッジが仕切った。余計な事を付け加えられる前に仕切った。
「戦士ブローマンは今後一切、攻略者クロに対し、いつ如何なる理由があれど、一生涯、金輪際、未来永劫クロと戦う事を禁ずる! 戦いを挑むな! 争うな! 挑発に乗るな!」
「ずいぶんと念入りだね」
「あと、そうだ、口喧嘩もだめだぞ、いいな!? 立会人、騎士アレッジ・クラムが証人となる。これでよいな?」
「誓おう」
ブローマンは転がったまま、手を上げようとして上がらなかった。指がぴくりと動いただけ。
「安請け合いして、どうなっても知らないよ」
クロはもう先へ歩き出していた。後ろ手をヒラヒラと振ってこれに答えた。
アレッジは、深いため息を一つ吐く。
「ブローマン殿。あなたはクロより弱い」
アレッジの言葉が、ブローマンの心に沁みていく。
「先ほどクロが言ってたことですが。上から圧力が掛かるという話。……なぜ決闘など挑んだのですかな? 納得のいくお話をお聞かせ願いたい。ブローマン殿」
アレッジはクロを見送りながら、足下に転がっているブローマンに声を掛けた。
「そんなこと、そこまで気が回らなかった。ただ、私は……」
「迷惑ですな。迷惑! クロはたぶん自業自得でしょうけれども、見届け人になった私にも害が及ぶとはお考えになれなかった? 中立の立場なぞ、権力の前には無力。まして市井の噂を打ち消すことが出来ない。正式な決闘にもかかわらずに彼らは口々にこう言うでしょうな、なぜ、みすみす重戦士ブローマンを死なせてしまったのだ? と。以後、己の立場や地位を考えた行動をとっていただきたい」
「昔はそんなこと考えなくてもよかった」
「人は上に登るもの。いつまでも地べたを這いずってはおりません。置き引きは置き引きの顔役に、貴族の子はやがて当主になるように」
「昔はよかった」
「話になりませんなぁ。……だがよ、そういうの嫌ぇじゃねぇんだよな。酒なら付き合うぜ!」
ブローマンは体を地面から引きはがすようにして身を起こした。「勇者の仲間」の意地だった。
「……すまぬ」
丸さを増した月が、2人を照らしていた。
ギルドの医務室にて。
レニーはズボンを脱がされ、下半身包帯男になって転がっていた。
レニーの怪我が一番ひどかったので、真っ先に治療を受けた。仲間が治療を終えるまで、このまま待つしかない。
簡易ベッドの上に横たわっている。横臥していた。尻に10本は矢を受けた。尻の皮膚が、ずたボロになっていたので、上を向いて寝ると尻が痛いからだ。
さりとて、下を向いて寝ると有事の際、素早く動けない。戦士としての嗜みである。クロが聞いたら吹き出してしまうだろう。
尻の傷は戦いの証。怪我を負おうが、生き残れば勝ちだ。
……大変な戦いだった。
クロのおっぱいが気持ちよかった。いやいやいや、恐ろしい幻覚だった。もし、本物のクロがアレより良い体してたら、ほんとどうしよう? 幻覚でアレだったから、本物だったら、もう!
次から次へと裸で迫るクロはやばかった。下着と長ブーツだけで迫ってくるクロはもっとやばかった。
3人で攻められたときは、お手上げだった。レニーはそれを見ているしかない。体が動かない。戦う気力が抜けていた。もういいかな、と。
死を受け入れた。
「3人プレイも良いけど、自分が望むシチュエーションとしては、こう、クロの手を取って――」
レニーは白い手を取った。
「股間に招き……」
「誰の手をどこへ招こうとしているのかい? 下半身裸で尻に包帯を巻いたレニー君」
「うわぅわわわー!」
レニーは実物のクロの手を取って、某所へ招いていたのだ。
「いつの間に幻覚から現実に?」
「いったい、どんな姿のわたしだったんだい? レニー君の幻覚の中のわたしは? 凄かった?」
「うるせー! うるぶふぇッ!」
レニーの頭に拳骨が落ちた。
「うるせーのはてめえだレニー!」
ザラスが怖い顔をして睨んでいた。
「クロがわざわざ、俺たちの見舞いに来てくれたんだ。なに醜態晒してやがる!」
「いつの間に!」
レニーはやっと気づいた。自分のベッドの後ろに暁の星メンバー全員とクロが集まっていたことに。
「クロ、すまねぇ。せめてもの償いだ。俺たちがレニーの体を押さえつける。その間にブスッと刺してくれ。死体は暁の星が責任を持って処理する!」
「やめっ! やめてー!」
レニーの手足を笑いながら押さえつけようとするザラスと暁のメンバー。誰も彼もが協力的だ。
「はっはっはっ! こういうのは生かしておくのが面白いのだよ。それにもうすぐチョコがトイレから帰ってくる。教育上、殺人現場を見せたくないしね」
こうして、命拾いしたレニー君であった。
「先輩、魔界攻略はうまくいったようだね」
「まあな、矢を使ったのは最後の魔王だけだ。後は何とかなった」
そう言って、ザラスは痛めた尻をに手を当てた。
暁のメンバーも全員尻に手を当てている。
「よほどの激戦だったんだろうね。想像したくないけど」
髭面の男同士で尻を撃ち合う。想像するに恐ろしい絵面だ。
「そりゃそうと、クロもさっき魔界攻略してきたんだよな。初めてじゃないか? その……、服だけだけどダメージ食らったの」
ザラスは目を泳がせながら、ちらりちらりとクロの胸元を見る。刃物で切られた胸の部分だ。白くて柔らかそうな、ずばり言って白いオッパイの膨らみと谷間が切り口から見えている。
「これは魔獣じゃないよ。変質者の男に切り付けられたんだ」
「変質者だと!」
レニーがベッドの上で上半身を起こした。そして――
「痛てぇぇーっッッ!」
尻を打ち付けて海老ぞった。海老ぞった頂上がテントを張っていた。
「で、変質者はどこだ? 何かされなかったか?!」
レニーの前に立つザラス。クロがテントにさわろうと伸ばした手を払いのけた。リーダー職は激務だ。
「返り討ちにして官憲に突き出した。夜のうちに脱走して、裏町でリンチにあって殺されていたそうだ。不手際を黙ってやる代わりにゴハンをおごってもらった。そう言えばザラス先輩、ご褒美のゴハンは?」
「ゴハンは明日にしてくれ。そうか、変質者は死んだか。そうか……殺ったのか。クロは犯行時間、俺たちと一緒にいた。そうだろう? アリバイ工作は任せてくれ!」
「失礼な! わたしにはアリバイがある。犯行時刻、わたしとチョコは魔界へ潜っていた。もう終わった事件なのだよ。下手な勘ぐりはやめてくれたまえ」
「うん、まあ、そう言うことにしておこう。それで丸く収まっているなら」
「あれ? わたしって、人望がないぞ」
自業自得という言葉を知ってるか、と言いたかったザラスであるが、確実に100倍になって帰ってくるから黙っていおいた。




